令嬢は女将と話す
翌朝は割と早く目が覚めた。あの後セオは私の顔色がまだ悪いからと言って長居せずに帰ってくれた。それから間も無く夕食も摂らずに眠ってしまったので、お腹が空いて目が覚めたのかもしれない。私の考えが正しいと言う様にお腹がくぅとなる。
昨夜念のため、左胸を見てみたがやはり私に刻印はなかった。まあ、左胸を見られる機会はそうそう無いだろうが、気を引き締めてかからなければならない。
さて、今は何時だろうかと思うが、日はまだ昇り始めたばかりなので、朝食までまだ時間があるだろう。窓から外を見ると井戸が見えたので、顔を洗いに行こうかなと思う。リザム子爵家はあまり贅沢をせず、使用人も必要最低限だったので、私は井戸を使うことができる。
子爵家に行ってよかったことの一つである。公爵令嬢のままであれば井戸の使い方なんて知らなかっただろう。前世では一般庶民であったが、上下水道は完備されていたので、井戸など使ったことがなかった。子爵家はあまり裕福な家ではなかった。お義父さまとお義母さまの好意でエリスと言う侍女はつけてもらっていたが、お二人ですら身の回りのことはある程度ご自身でされていた。居候の私が全て侍女に任せるのは気が引けて、ある程度のことは自分でしていた。
それに、一番最初の婚約者であったルアードは私に不満があった様なので、結婚後に酷遇される可能性が高かった。その為、万一に備えてお義母さまから料理やお菓子の作り方を習ったり、洗濯や刺繍なども習っていたので、この世界でも一人でなんとかなるだろうと思っている。
井戸まで行こうかと扉を開けるとまだ廊下は暗かった。その暗さにあの夜を思い出し、足がすくむ。行くのをやめようかな、魔法で水を出すこともできるんじゃないかな?と思ったが、下手に光属性以外の魔法を使って、誰かに見られたらどうなるか分からない。ハルトの名をもらってセオに師事する旨を告げた以上、危険な真似は避けるべきだろう。
躊躇している時間が意外と長かったのだろうか、日がさらに登ったようで、廊下がうっすら明るくなったので、ようやく足が動いてくれて井戸まで行けた。
井戸を使っていると、朝食の準備をしていた女将さんが顔を出した。
「あ、おはようございます。素敵なお部屋ですね、おかげで昨日はぐっすり眠れました」
「おはよう、お嬢さん。随分早起きだね?朝食は1時間後だよ」
挨拶をすると女将さんはにこやかに告げる。昨夜夕食を食べなかったせいだろうが、私がお腹を空いていることに気づいているらしい。少し恥ずかしい。1時間後と聞くともっとお腹が空いてくる。それまで空腹を紛らわすために、散歩にでも行ってこようかなと思う。日は登っているし、近隣であれば問題ないだろう。
「はい、昨日ついうっかり寝てしまって、早めに目が覚めたものですから。それまで付近をちょっと散歩してきます」
「え?お付きのものとかはどうするんだい?」
「大丈夫です、このくらい明るければ迷うこともないでしょうし。私一人歩きは慣れてますので」
女将さんはびっくりした様子で聞いてきたので、問題ないと答えたが、どうもとても心配されている様である。どうやら彼女から見ると、私はものすごく頼りなさげに見えている様だ。たしかに私は王妃教育を受けていたのだから、立居振る舞いが貴族のそれなのかもしれず、だからこそ心配なのかもしれない。けれども日中に散歩ぐらい一人でいけないと今後独り立ちなどとても無理である。
「これから先はなんでも一人で出来る様になりたいんです。いつまでもセオにおんぶに抱っこじゃ困りますから」
そう、当分は彼に師事して王宮神殿にいるつもりではあるが、その後はセオから離れてこっそりと移籍を申請しようとは思っている。
けれど、その間に他の魔導師の練習場などにも顔を出して魔法を見ておこうと思うのだ。セオとここに来るまでに練習したが、私は魔法の習得が異常なほど早いらしい。恐らく前世で色々なアニメやゲームで魔法を見ていた私はイメージ力がものすごく強いのだと思う。
セオ曰く『魔法とはイメージ』だそうなので、この世界の人間よりも遥かに有利なのであろう。だから、万一を考えて魔法を見て覚えておこうと思うのだ。使えないと使わないでは大きな違いがある。
「お嬢さん、あんたはセオドア様を頼りにしている様に見えるから言うんだけどね、洗礼を受けたらあの子とはさよならだ。その後の庇護者をあんたは見つけておいた方がいい」
女将さんの言葉に首を傾げる。傍から見ると私はセオに依存している様に見えるのだろうか?確かにずっと私はセオにお世話になっていると思ったが、ふと思い当たって、ぎくりとする。私は昨日なんと思っただろうか。
『正直に言うと通いの間、一人になる時間があるのは怖い。』『セオが気を配ってくれるなら王宮神殿で暮らしてもいい。』
どちらもセオに依存している考えだ。正直恥ずかしくなった。ある程度魔法を覚えたら一人暮らしするとか、セオと早く別れなきゃとか思いながらも私は彼ありきの考え方をしていた。自分の不甲斐なさに歯噛みしたくなる。確かにこんな私なら、女将さんは心配になるだろう。もっとしっかりしなくてはいけない。セオに頼りきりになってはいけないとわかっていたのに。女将さんには感謝しなくてはいけない。
決意を新たにしている私に女将さんはさらに続ける。
「あの子は悪い子じゃあないんだけど、悪い男ではあるからね」
そして昨夜と同じく、セオを悪い男だと言った。実は昨日から『早く縁を切った方が良い』とも言われていたことが少しだけ気になっていたのだ。
けれど私は今まで私が見てきたセオを信じたかった。もし、何かを聞くとしてもそれは第三者の口からでなくセオの口から聞きたいし、セオが言いたくないなら何も聞かないままでいたい。私だってセオに隠していることがある。
しかし女将さんは『洗礼が終わったらさよなら』と言うが、すでに洗礼は終えている。
心配してもらっている上、私の未熟さを気づかせてくれた女将さんに、きちんと自覚したことや、洗礼は終わっていることを伝えておこうと思って口を開く。
「大丈夫です、私は彼にとって恋愛の対象外です。私も彼もお互いを異性と見ていません。それに私にとっては、彼はすごく親切な良い方です。恩人なんです」
恐らくセオもサラのことが好きだったと思う。攻略対象者ということもあるが、何より私がサラとジェイドを見ている時、彼もあの二人ーーサラを見ていた。
馬鹿だとは思うが、私の心にはまだジェイドがいる。利用されただけなのだと今ならわかっているが、まだ嫌いになりきれない。なぜかは分からない。だけど次の恋なんてまだ考えられない。恐らくセオだとてそうだろう。
だが、私の言葉は女将さんにとって想定内の様で少し顔を顰めると続ける。
「あの子は他人に、ある一定上踏み込まれることを嫌うからね。頼っても無駄だよ。
言っちゃあなんだけど、神殿は位階が全てだ。あんたがどのくらいの力を持っているかあたしにはわからないけどね、あんた一人じゃ食い物にされる未来しか見えてこない」
「心配してくださってありがとうございます。この後、セオが師匠として面倒を見てくれるそうなのですが、私も迷惑をかけない内にできるだけ早く彼から離れます」
「いや、洗礼を受けたら、さよならだと思うよ。あの子が弟子を取るはずがないからね」
「いえ、でも、洗礼は昨日で終わってますし、今後の話も昨日したところなんですが…」
女将さんの心配がものすごくやばい。私が彼に依存していたくせに、全く自覚がなかったのだから、仕方がないとは思う。けれどそれでもちょっと心配がすぎる気もする。
なんだろう、ここまで心配される様な何かを今までセオはやってきたのだろうか……?
その時、ふと思った。洗礼は昨日終わったことを伝えているのになかなか信じてもらえないのは、私の胸に刻印がないからだろうか?ヒヤリとする。昨日大神官様もセオも気づいてなさそうだったので安心していたが、女将さんには刻印が無いことがわかるのだろうか。
「えっ!?洗礼が終わってる?まさか!それにセオドア様が異性の弟子を取る?そんなことは決してないと思うよ。いいかい、神殿において異性の弟子を取るってことはね…」
女将さんにバレているならば、どう反応するのが正しいのだろうか。いや、そもそも本当にばれているのだろうか?どうしよう、と困っている私の窮地を救ってくれたのはやはり、彼であった。




