兄は激怒する
「消し炭にしてやる」
そう言ってサトゥナーにあり得ないほどの火力の魔法をぶつけようとしたジェイドを俺が殴って止める。
サトゥナーはひぃ、と言って失禁している。顔はもう見る影もなく膨れ上がり、散々殴られた跡が見て取れた。いつもの傲慢な態度を見るだに報告書を作る時にも愚かなことを言って色々な人間を怒らせて、何人かの人間に殴られたのだろう。
「殺すな!まだ裁判前だ、今殺したら王太子の私刑にしかならねぇだろうが!まだお前は王太子でしかないんだ、先走るな!
くそ、くそ!なんでこんなこと、俺に言わせるんだ、俺が一番殺してやりてぇんだ!馬鹿野郎!」
悔しさのあまり涙が滲む。悔しい、あの家はどうして俺とエヴァをこんなに苛むのか。放逐したのならそのままにしていれば良いものをなぜここまで、奴らの好き放題にされなければならないのか。
殺してやりたい、それは俺の言葉だ。なんで俺が妹を襲った愚かな弟の命を守ってやらなければならないんだ。それを言わせるジェイドにも頭がくる。「なんで、どうして、悔しい」そればかりが頭を駆け巡る。
俺はどこまでもエヴァの兄失格だ。いつも肝心な時に、一番にあの子を守ってやれない。
エヴァが大事だ、すごく可愛い、俺の唯一の家族だ。
けれど、ここで俺まで一緒に暴走したら、クラン公爵家はどうなる?目の前の愚弟は家なんか潰しても良いと思っているかもしれないが、我が家がなくなったら、使用人はどうする?一族の家は?領民は?
ここでエヴァを最優先にして何もかもを捨てるには俺の肩には色々とかかりすぎている。
あまりの自分の無力さと愚劣さと怒りに吐き気と眩暈がする。こんな時にでも俺がしっかりしないと、ジェイドにはほかに側近がいない。
サラとジェイドの策に乗ったのは俺もそうだ。だからジェイドを責めるのは間違っている。
『どうしてエヴァがこんな目に遭わなければならなかったんだ、俺はまだお前の近衛騎士という設定で、会場にすら入れない身分だ。お前が守るべきだっただろう!』
それなのについこんなことを思ってしまう。本当に俺は卑劣だ。
『俺はもうお前にはついていけない』
ジェイドにそう言えたら楽だろうが、これからクラン家は罪人を出した家として世間の冷たい目に晒される。俺だけならまだ我慢できるけれど、その目は係累にも及ぶだろう。そんな時に王家から離れるのは得策ではない。
それに今後のエヴァについても守る必要がある。もう、ジェイドとの未来はエヴァにはない。
襲われるのは『サラの一族のトゥーリー子爵家のイゾルデ嬢』で、返り討ちにするはずだったので、できるだけ密やかに動いてはいたが、誰の目にも触れない様に注意はしていなかった。おそらく何人かの目撃者がいるはずだ。
そしてこの手の醜聞は社交界では、あっという間に回ってしまう。報告書には純潔は守られたとあるが、誰がそれを信じるだろう。将来あの子が産んだ子がどういう目で見られるだろう?
例え、今から一年以上経って結婚しても醜聞はついてまわり、三年後に産んだ子でも『以前そういうことがあったお妃様だから、今度は誰と何があってもおかしくないわよね?』と噂になるのだ。この手の自分に関係のない、醜聞は彼らの大好物だ。
そんな奴らの話のタネにエヴァを差し出すつもりはない。エヴァをジェイドとは絶対に結婚させない。最近少しずつ歩み寄り始めていた二人だが、これだけは譲らない。俺が当主になってしっかりと断ってやる。そしてしっかり断るには、やはり力が必要なのだ。
だから今は、ジェイドの側を離れるわけにはいかない。今の俺にとってジェイドは『ちょっと憎めない、可愛い弟分の様な、けれど敬愛すべき主君』ではない。『害になりうる可能性が高いが、それ以上に利用すべき主君』だ。この関係が今後どう変わるかはわからないが、今はもうこれ以上は無理だ。
魔族のことについても、俺が責任を持つと口にした以上は、例え何があろうとも、やり遂げるつもりがある。だから、ジェイドの側は離れない。離れはしないが……あまりの悔しさに口の中を思い切り噛み締める。血の味がした。おそらくエヴァはもっと痛かった。俺があの子の痛みを全て引き受けてあげられれば良いものを…。
おそらく俺の目もジェイド同様に血走っているのだろう、ちらりと目に入ったサラは青い顔をしてこちらを見ている。
「悪いが、今の俺にお前を気遣ってやれる余裕がない。ジェイドを連れて下がってくれ」




