令嬢は傷物ではなくなる
その後、城内の予備のドレスを着せられた私は城内の医者のところまで連れて行かれ、サトゥナーに純潔を奪われていないか確認された。
純潔は守られていることを医師が証明した後、女性騎士から事件について話を聞かれた。恐ろしくて心細くて震える私についていてくれたのは婚約者のジェイドではなく、遊び人と名高いセオドアだった。
その後遅くなったから城に部屋を用意すると言われたが、どうしても城にいたくなかった私は帰りたいと言って断った。
ジェイドとサラのことも、サトゥナーとイリアのことも、もう何も考えたくないし、それらを思い出させる城にとてもではないが泊まる気がしなかった。
私の駄々に付き合ってくれたのはやはりジェイドではなく、セオドアだった。
義父母は、何事も無かったように見せるためにすでに帰っていたーー今日のことを他の貴族に感づかれた場合、例え純潔を失ってなくとも私は処女ではない、はしたない女とレッテルを貼られることになるーーので、彼は夜遅くというのに、今日のデビュタントで、私が疲れたので治癒しに行くという名目で、わざわざ馬車を出してくれた。
馬車に乗っている間も彼は私の肩を優しく抱いてくれていた。その手はどこまでも優しく、いたわってくれていることが感じられた。
彼は丁寧にも私を邸までエスコートし、別れ際に私の額の左上に優しくキスを落とした。
「よく眠れるおまじないだよ、おやすみ、エヴァちゃん」
セオドアはウィンクをひとつして、義父母に挨拶をすると、部屋を用意するという義父母の言葉をやんわりと断って、王宮神殿へ帰っていった。
もう何も考えられないほど疲れていたので、軽く化粧を落としてもらってドレスを脱ぐとそのままベッドに倒れ込むようにして寝てしまった。
翌日目が覚めたが、何もする気も起こらず、ベッドでぼんやりと座っていた。義父母も昨日何が起きたか知っているのだろう、私をそっとしてくれるつもりの様だった。
ぼんやりとしていたが、やはり思い出されるのは、ジェイドとサラ、イリアにサトゥナーのことだった。そしてようやく、セオに色々と世話になったことを思いだした。お礼をしなければならないな、とりあえず手紙を書こうかとペンを握ったところで気づいた。私の右手の傷跡がないことに。
驚いて、スカートをめくって大腿部を見ると、そこにもここ4年ほど気にしていた傷が全くなかった。急いで部屋の鏡を覗き、額の左上を確認してもそこには傷のひとつもない。
「エリス、エリス!来て」
「お嬢様?どうかなさいましたか?」
エリスも昨日のことを聞いていたのだろう。あまり部屋に顔を出さない様にしていたはずだが、私が急に大声で呼ぶから何事かと走ってやってきた。
「着替えるわ、手伝って。王宮に行くつもりだから、馬車も手配してもらって」
「あ、はい。殿下のところですか?先触れを出しておきましょうか?」
「いいえ、訪ねるのは治癒術師様のいらっしゃる王宮神殿よ」
着替えを手伝ってもらいながら身体を見る。昨日サトゥナーに無理やり掴まれて跡が残っていたはずの胸元にも叩かれた後の頬にも、身体のどこにも傷跡がなく、縛られた後すら残っていなかった。
つまり、昨日のうちに誰かが、私に治癒魔法をかけてくれたのだ。誰か、なんて言うまでもない。セオドアである。おそらく帰りの馬車の中で、契約も無しにかけてくれたのだ。
突然、私が動き出したことに義父母もエリスも驚いていたが、気にせず王城へ向かった。
馭者には、王宮神殿へ行く様に伝えて、着いたと同時に馬車から飛び降りるようにして降りた。その後は淑女にあるまじきことではあるが、王宮神殿まで走って向かった。
受付にはどこか人の良さそうな男性が1人で座っていた。淑女が走って駆け込んできて、息すら整わないうちに近づいてくるのが珍しいのか、目を丸くしている。
「ごきげんよう、私エヴァンジェリン・クラン・デリア・ノースウェル・リザムと申します。
いきなりで申し訳ありませんが、セオドア・ハルト様にお会いしたいのですが…」
「あぁ、はい。はじめまして。リーバイと申します。あの、申し上げ辛いのですか…」
リーバイと名乗った受付の男性はどこか憐れむような目をして私を見た。王宮神殿に息せききって入ってくるのであれば、治癒術師に何かを依頼にきたのだろうが、子爵家では支払いができないだろうから、哀れに思っているのかもしれない。
「セオドアは申し訳ありませんが、本日はお休みをいただいておりまして…」
「お部屋にいらっしゃいますか?もちろんいらっしゃいますよね?」
セオドアが休みなのは想定内である。そして恐らく部屋にいることも。だって彼はゲーム同様、契約なしで治癒魔法を使ってしまったのだ。ならば恐らく今は神殿の制約に反したことで刻印が暴れているに違いないのだから。
「えぇ、まぁ。あの、お会いになるのは止めておいた方がいいと思いますよ?」
「いいえ、何としてもお会いしたいのです、彼の部屋まで案内してくださいませんか?」
私の鼻息に負けたのか、リーバイは大人しくセオドアの部屋まで案内してくれた。
「セオドア、リーバイだ。入るぞ」
セオの部屋をノックすると返事を待つことなくリーバイは扉を開けた。思った通り、セオはベッドに横になっており、身体をくの字に曲げて苦痛に耐えていた。
「セオ!」
私は部屋に飛び込んで、セオの顔を覗き込む。声をかけたことで、私の存在に気づいたセオは今まで苦しんでいたことを隠したい様で、私が彼の顔を見た時にはうっすら笑っていた。しかし、その顔には脂汗が浮かんでおり、顔色だって悪い。
私を案内してくれたリーバイが「じゃ俺はここで」と部屋を出て行ってからセオに向かう。
「貴方、馬鹿ね。何てことしたの!私は死ぬような怪我じゃなかったのに」
「何のことかな、エヴァちゃん。ちょっと昨日パーティで食べ過ぎてお腹を壊しただけだよ」
あくまで体調不良のせいだと言うセオを私は睨みつける。はっきり言って伯爵令嬢のサラと違い、今の私には彼に払う対価を持ち合わせていない。けれどだからと言って彼の刻印が暴れるのを黙って見過ごせるわけがない。ゲームの辛抱強いはずのセオドアですら、耐えられなかった痛みなのだ。今、目の前で苦しんでいるセオはどのくらいの痛みなのだろうか、想像もつかない。
「じゃあ、見せて。左胸!腹痛なら見せられるはずでしょう」
「いや、婿入り前の清い身体なのでちょっとそれは無理かな〜。と言うか、エヴァちゃん的にもまずいでしょう」
刻印は左胸の下に直径15センチほどの大きさで現れる。胸を見たら一目瞭然なのだ。
「何言ってるのよ、名うてのプレイボーイが!
いいから、見せて」
「きゃー、無理無理。エヴァちゃん積極的過ぎ!殿下の婚約者でしよう!ばれたらまずいって。お互いに」
「もう、いいから、見せなさい!」
頑なに見せようとしないセオにいらいらして、横になったままの彼の上に馬乗りになり、上着を思い切りはぐろうとする。
「わわわっ、ちょっ、ちょっと」
珍しく焦った声をあげるセオは私の手を止めようとするが、私の手を掴む手に全く力が入っていない。おそらく痛みで力が入らないのだ。
そして無理やりはぐった上着の下の彼の左胸には、思った通り、赤黒い15センチほどの刻印が刻まれており、それは脈打つように彼の身体を苛んでいた。
「なんで隠そうとするのよ、馬鹿」
そっとその刻印に触れるとすごく熱かった。痛いだろうに、平気な顔をしようとするセオに涙が溢れる。馬鹿だ、と責めながら泣く私を困った顔で見つめた後、セオはそっと私を抱きしめた。その手はとても優しくて、あったかかく、彼は私が泣き止むまでずっとそのままでいてくれた。




