グラムハルトとセオドア
「ごめんなさい、少し疲れてしまいましたの」
体よく断ろうとしたが、グラムハルトは引いてくれなかった。
「元婚約者の誼として一曲でも踊っていただきたいのです。リザム嬢。どうか」
彼は宰相であるベネディ侯爵の嫡男であり、最近落ち目気味のクラン家に代わり、興盛を誇っているルーク公爵家の一門のかなり高い地位にいる人物である。あまり無下に扱うのは得策ではない。
ジェイドをチラリと見るとヒロインのサラの手を取ったところだったので、助けには来ないだろう。心配する義父をよそに彼の手を取り、フロアへ戻る。
お互い沈黙したまま、しばらく踊ったところで、ぽつりとグラムハルトが溢す。
「やはり貴女は殿下の婚約者にお戻りになったんですね」
「私は子爵家の娘ですので、やはりと仰る意味が分かりかねますわ」
ジェイドとグラムハルトとルアード、そして私は所謂幼馴染だった。ジェイドとグラムハルトとは5歳から8歳まで、ルアードは12歳までの付き合いだったが。
12歳から15歳の間はグラムハルトとは書類上では婚約者であったが、一切交流がなかったので、やはり8歳までのお付き合いとしか私の中では思えていない。
なので、ジェイド、グラムハルト、ルアードは私が元公爵令嬢であったことを知っているのだ。昔のことは口に出すな、と私はグラムハルトに暗に告げる。
「殿下が君のことを諦めるはずがないと思っていたのに、あっさりとルアードに譲るから、私もつい夢を見てしまいました。
…貴女には申し訳ないことをしてしまったと思っています。きっとお怒りであろうかと思いますが…」
「昔の話ですわ」
グラムハルトのリードは少し硬い。真面目な彼の性格がよく出ている。しかし、彼の言っていることがよくわからない。公爵令嬢としての私は、ジェイドとは8歳までの間のお付き合いだったが、特に仲が良かった覚えも悪かった覚えもない。むしろ、ジェイドはあの本性を隠していたので、むしろあまり仲が良くなかったのではないだろうか。
「お怒りだったから、私の手紙にお返事をくださらなかった?」
「手紙……?婚約期間中にあなたからは手紙なんて一通も…。何の交流もなかったかと」
「まさか!手紙を何度もお出ししたし、お会いしたいとお願いもしました。誕生日のプレゼントですら、受け取ってくださらなかったのは貴女ではないですか!?」
「そちらこそ、どなたかとお間違えでは…?我が家の家令に聞いていただいても構いませんが、手紙の一通、花の一輪もあなたからは頂戴しておりません」
そういうことか、殿下…と呟くと彼は私の目を覗き込む。
「貴女は私にお怒りではなかったのですか?」
「なぜ、あんなことをされたのかと疑問に思ったことは、ございました。けれどリオネル様との婚約は苦痛を伴うものだったので、あなたに代わってよかった、と思ったことはありましたわ」
「では、貴女は私のことをお嫌いではないと?私が婚約者になって喜んでくださった時期があったと、そう仰ってくださるのですね?」
彼の目に仄暗い光が灯る。最近よく見る目だ。ジェイドやセオドアーーつまり攻略対象者たちーーが、よくこの目で私を見つめる。つまり、彼らが私を見極めようとする目だろうと認識している。
「そうですね、嫌いではないです。よく存じ上げないので好意もありませんが」
「あぁ、神に感謝したい気持ちです。それであればこれから知っていただけば良いのでしょうか?」
正直に言って攻略対象者たちは過保護が過ぎると思うのだ。サラのために、火の粉になる前に周り中から燃える様なものを取り除いて行っているのだから。
そんな思わせぶりな態度を取って誤解させようとせずともサラに何かするつもりはこれっぽっちもない。
むしろ、私のことは捨て置いて欲しい。私はシナリオにかかわらず、物語の端っこで、幸せに暮らしていくつもりなのだから。
精神的苦痛な時間が終わり、一礼する。去り際にグラムハルトに断りを入れる。
「…一応、私は殿下の婚約者ですので、ベネディ様とは過度な接触は致しかねます。それでは失礼いたします」
「エヴァ!私は……」
そう言ってグラムハルトは私の手を再度取ろうと手を伸ばしたところで、その手が誰かに弾かれる。
「はい、そこまで。婚約者以外とはダンスは一度きりと決まってるでしょう」
ジェイドが来てくれた、と見上げたそこにはセオドアが笑みを湛えて立っていた。また次の曲が流れ始める。
「さて、ダンスが始まる。踊らないのにここに立っているのは無粋だね。もちろん踊ってくれるよね、エヴァちゃん?」
そう言ってセオドアは私に手を差し出した。
手を取るべきか否か一瞬迷い、ジェイドをつい探した私の目に、サラと2曲目を踊り始めた彼の姿が映る。
そっと私はセオドアの手を取る。その手は少し震えていた。
「エヴァちゃん、大丈夫?」
「何がでしょう?疲れているかどうか、と言うことでしたら、とても疲れているとだけお答えしておきます」
「ベネディ侯爵子息とのことも、殿下とサラちゃんのことも…。
今日婚約発表したばかりなのに、他の子と続けて2曲踊るなんて、正直なところ、サラちゃんも殿下もどんなものかな、と私なんかは思うけどね。
これも不敬罪かな?」
セオドアは暗に先程の控えの間のことを言っているのだろう。本当に耳聡い男である。ゲームの彼はこんなに情報通ではなかった気もするが、ジェイドもイリアもそして私もゲームと違っている部分が少なからずあるので、あまりゲームの設定を信用し過ぎると危険かもしれない。
「何かご事情がおありなのでしょう」
「全くもって寛大な婚約者だね、エヴァちゃんは。世の女性にも見習って欲しいものだよ」
「あら、あなたが浮名を流しているのはよく耳にしましてよ、セオドア様。まずはご自身の行いを改められてから仰っては?」
くすりと笑う。こんな時でも笑えるんだ、とぼんやりと思った。思った以上にショックを受けていたのかもしれない。
セオドアが少しホッとした様な顔で笑う。どうやら心配してくれていたようだ。そう言えばゲームでの彼は面倒見のいいお兄さんでもあった。
「浮名ね〜。相手が勝手に勘違いしちゃうとこあるから、私だけの過失とは思えないけど。
そういや、エヴァちゃん、さっき手を振ったのに無視したでしょう。あれ割と傷ついたんだけど」
「先程のあれはあの方になさったのでは?」
ちらりとジェイドと踊るサラに目を遣る。私は彼女と挨拶もしていなければ紹介もされてないのでまだ名前を呼べないのだ。
「サラちゃんに?私が?なんで?」
セオドアは心底不思議そうに訊ねる。私に手を振ってくれていたのかと、驚く。驚きはしたが、何故かその言葉が信じられた。
「だって、気にされてるでしょう、あの方のこと」
「あぁ、馬鹿な子だなって思ってさ。あんな子の方を選ぶなら正直殿下の目は曇ってるとしか言いようがないね。
…さっさと婚約解消して神殿においでよ」
踊りながら耳元でセオドアは呟く。大好きな顔と声で耳元で囁かれるのだ。腰が砕けそうになってしまう。つい顔が赤くなり、身体のバランスを崩しかけるものの、セオドアのリードは実に巧みで上手く支えてくれた。正直ジェイドよりも上手く、一番踊りやすい。さすが乙女ゲーの攻略対象者、クオリティが高い。
「私が今気になってる子は今踊ってる子なんだけどね」
「もう、思わせぶりなことばっかり。そんなことだからプレイボーイなんて言われるんです!」
「そうそう、エヴァちゃんは元気が一番。正直あの2人のこと、動揺してたでしょ。
だって私がエヴァちゃんって呼んでも今日は素直に反応してるからね」
そこまで言われてはっと気づく。そう、彼にはリザムと家名で呼ぶ様に言っていたのだ。
本来なら家族や親しいもの以外に愛称を呼ばせることはあまりよろしくない事態だが、私はセオドアに救われた様な気がしていたので、まぁいいかと思った。
「ここまできたら今更、ですね。もうその呼び方で構いませんわ、セオドア様」
「セオ」
踊りながら自然にだが、彼の顔が近づいてくる。何を言われたかと、思って首を捻ると、彼はもう一度言った。
「セオ、と呼んで。あの子にも、他の誰にもこんな呼び方許してない。君だけだよ、エヴァちゃん」
曲が終わりに近づく。何となく名残惜しい気もしたが、気のせいだと思う様にする。
「忘れないでね、エヴァちゃん。君は私にとって特別な子だから。何かあったらいつでも呼んでね」
ダンスが終わると同時に彼はそう言った。聞き返す間もなく、同じくデビューした子がすかさずセオドアに申し込んだので彼は苦笑した様だ。こちらにひらひらと手を振って申し込んできた子の手を取ってダンスを始めた。




