王太子と毒殺王妃 2
「これから、と言われましても……修練を積んで立派な国王になりたいと思っていますが?」
「そんな言葉遊びをするつもりはないの。正直、私は王都が嫌いなのよ。だから、長居をするつもりはないし、目的を果たしてさっさと離宮へ帰りたいの。――ねぇ、クラン公爵令嬢はあなたの伴侶だったのでしょう?」
言葉を飾ることも、遠回しに言うことも無く、単刀直入とばかりに、リーゼ様は尋ねてくる。あまりの貴族らしくなさに苦笑してしまう。リーゼ様は僕の返事を待っているのだろう。それ以上は何も言わず、僕を観察している。それでも何も言わない僕にため息をつくと、自らの首を手のひら全体で下から上へ撫であげ、目を細めた。その瞳は僕を見ているようで見ていない。
どう答えるのが正解か……。イヴを伴侶だと口にしてしまえば、イヴの身に危険が迫る可能性がある。ザインは『サリンジャへの潜入は難しい』とは言ったが、『不可能だ』とは言っていない。僕ですら、協力者を見つけられたほどだ。リーゼ様の手が神殿に伸びていないはずがない。
神殿に着くまではあの気障な男が、神殿に着いてからはジーンが、イヴを保護するだろう。けれども、世の中には絶対なんてない。それに、いくらイヴが頼りにしているからと雖も……いや、だからこそ余計にあの男を信用できない。なにかあれば、あのお奇麗な顔に傷がつかないよう、いの一番に逃げそうだ。
「沈黙は肯定と取られるわよ」
その声音はどこか楽しそうだが、リーゼ様の瞳は全く笑っていない。イヴの安全を考えるなら、嘘でも『違う』というべきだろう。けれど、例え嘘でもイヴを『伴侶ではない』と言いたくない。
沈黙は肯定だとは言われたが、それでも決定的なことは言うべきではない。そう思った時、リーゼ様と目が合った。その目を見た瞬間、何故か直感的に嘘を言うべきではないと思った。
嘘を言った方が、まずいことになる。おかしな確信をもった僕は、なんとか口の端に笑みを浮かべてリーゼ様の瞳を捉えて口を開いた。
「そうです。クラン公爵令嬢は私の伴侶です」
「そう……。それで?これからどうするの?伴侶を諦めることなんて、あなたたちにはできないでしょう?」
リーゼ様の言葉に、今日で一番驚いた。なぜ、父が理解しようとしないことを王族の血が薄いはずのリーゼ様が理解しているのか――いや、よくよく考えたら、それは当然のことなのかもしれない。リーゼ様は狂った王族に人生を壊された人間なのだから。
「ええ、仰る通りです。彼女を手放すつもりも、他の男に渡すつもりもありません。彼女は私のモノですから、必ず連れ戻します」
「でしょうね。けれど、大神殿へ行ったあの娘を連れ戻す算段はついているの?」
ジーンのことと言い、イヴのことと言い、リーゼ様はいったいどこまで知っているのだろうか。
僕とイヴの婚約が解消されたことは噂になっているらしいが、イヴが大神殿へ行ったことは、ごく一部の人間以外は知らないはずだ。
王都から暫く離れていたはずなのに、リーゼ様はしっかりと正確な情報を握っている。今でも彼女に情報を届ける者がいるのだろう。恐らく、僕以上に王都で起こっていることを把握しているに違いない。全く恐ろしい女性だ。
けれど、僕と長の会話までは把握していないはずだ。イヴが伴侶であることは話したが、何もかも話すのは、やはり危険だ。具体的な話は避けるべきだろう。
「なんとでもしますよ。どうにもならなければ、力づくでも」
リーゼ様はじっと僕の目を見た後にふぅっとため息をつくと、俯いた。
「あなたたちなら大丈夫だと思っていたから少しだけ残念だけれど……でも、そうね。そうなっちゃうのね」
そう言って顔を上げたリーゼ様の瞳には先ほどまでの危険な光は浮かんでいなかった。リーゼ様は少しだけ悲しそうな顔をして、紅茶を口に含んだ。そうして少しだけ宙を見つめたが、ほどなくして、諦めたように、再度ため息をつくと、僕に顔を向けた。
「例え、あなたがどれだけ執着しても、どんな無理を通したとしても、叶わぬこともあるでしょう。そうなった時に……」
益体も無いことを口にする目の前の老婆が実に憎らしい。『叶わぬ願い』だと?イヴのことを『叶わぬ願い』で終わらせられるはずがない。舌打ちしたくなるのを我慢して言葉を紡ぐ。
「先ほどご自身で仰せではありませんか。伴侶のことを『叶わぬ』と一言で切り捨てられるとでもお思いですか」
「そうね、例え心が伴わなくても……身体だけでも手に入れたい、そう思うのがあなたたちですものね。その結果、伴侶を失ったとしても」
「まさか、伴侶の心を守るために、諦めよとでも仰るおつもりですか?」
「そんな無駄なことを言うつもりはないわ……けれど、これだけは知っておくべきよ。無理を通したせいで伴侶が壊れてしまう可能性だって低くない。そうなった時にあなたはどうなってしまうのかしらね」
「どうでしょうか?そんな事態に陥ってみないとわかりませんね」
「伴侶に出会ったことをきっと後悔するわ。そうなる前に……」
「リーゼ様、私は一時的とはいえ、他の男に彼女を奪われたことがあります。今だって婚約解消を訴えられ、去られました。けれど、彼女に出会わなければ良かったなどと、私は一度たりとも思ったことがありません。これからも出会ったことを後悔する日なんて絶対に来ないでしょう」
リーゼ様の言いようにムッとし、つい、リーゼ様の言葉を遮る。結構な無作法なのだが、それを気にした様子もなく、ぱちくりと瞬きをした。そうしてふっと息を吐いた。ため息というにはあまりに短く、軽いものだったが、張りつめたものが切れたようだった。
「わかったわ。それじゃあ、よく聞きなさい。イギーやキーランが、リーリアを婚約者にするように言い出したら、『私が相応しい相手を用意すると言っていた』から『婚約の話は私を通すよう』言いなさい。そうしたら、強要はできないはずよ」
急に言い出した、どこまでも僕に都合がいい話に、不安が頭をもたげる。リーゼ様の言葉をどこまで信用していいものか。ここで下手に頷いてしまうと、また、違う面倒ごとに巻き込まれる可能性だってある。うまい話には裏があるものだ。リーゼ様の様子を探ってみるが、彼女の意図は全く掴めない。
「警戒することはないわ。まだ、多少の力は持っているけれど、私は表舞台に戻るつもりはないの。まあ、そうは言っても信じられないでしょうね。そうね、正直に言うわ。あなたに助力をしたいというのが一番なのだけれど……。私は王家に振り回されて不幸になる人間を増やしたくないのよ。私のような人間はもちろん、彼女のような女性も」
リーゼ様はそう言って静かに微笑んだ。初めて見る、その微笑みは全てを諦めたような、悲しい微笑みだった。先ほどまでの威厳があって、どこか凍えたような雰囲気は、もう、どこにもなかった。リーゼ様は静かに首を振ると震える手で、僕の手を取った。その手は弱弱しく、けれどどこまでも優しかった。リーゼ様は両手で僕の手を握ると慈愛に満ちた目で僕を見つめた。
「良いこと?あなたが伴侶を連れ戻すまではこの手で乗り切りなさい。そして必ず、伴侶を取り戻しなさい。……けれど、そうね、一度婚約破棄した人間を再度婚約者に据えるためには力が必要よ。あなたがどれだけ強くても、一人では限界があるから、味方を増やしなさい」
「味方ですか」
「そうよ。いくらあなたが強大な力を持っていても……。いずれ、王になっても、人が一人でできることはたかが知れているわ。心を預けられる人間を作りなさい。そうね、できれば……いいえ、言わないでおこうかしらね。ここで私が名前を出してしまえば、良くも悪くもあなたは縛られてしまうわ」
誰かの名前を上げようとしたのだろうが、リーゼ様は静かに首を振った。僕の気持ちを汲んでくれたのだろうが、正直、頭に浮かんだ人間がいるのなら、教えてほしい。その人間はリーゼ様の息がかかっているのかもしれないが、少なくとも父やキーランの息はかかっていないはずだ。いや、二重スパイの線もあるか。それを考えたら、絶対に安全な人間なんていないのだ。
以前のアスランなら信用できたが、今のアスランを信用していいかどうか、分からないように、立場や環境、状況が変われば、人は簡単に変わってしまうものだ。
「もし、それでもエヴァンジェリン嬢を妻に迎えられない場合は檻に入れてしまう前に、必ず、私に連絡をしなさい。私がどうとでもしてあげるから。良いわね?約束してちょうだい」
リーゼ様は僕の手を握る手に力を込め、何故か縋るような目で僕を見てきた。その目はどこか狂気に満ちていた。なにが、リーゼ様をここまで追い詰めているのだろうか。もうリーゼ様を苦しめた祖父も、籠の中の小鳥も、もはや墓の下だ。死んだ人間は、何もできやしない。
それに、万が一、新しい小鳥や隠れ蓑が生まれたとしても、表舞台を去ったリーゼ様に影響を与えることなんてないだろうに。
もちろん、僕だってイヴを籠の中に入れるよりも、正妃として迎えたい。その方がイヴと長時間過ごせるし、イヴとの子供を、堂々と二人の愛の結晶だと宣言できる。それに、万一、隠れ蓑を作ったとしても、その娘が賢い娘だとは限らない。イヴを害することはなくとも、イヴとの間の子供を害する可能性は否定できない。だから、できれば、イヴは正妃にしたい。そして、いついかなる時でも愛でたい。
けれども、イヴが僕を拒むのなら……僕を選ばないのなら、閉じ込めるしかないだろう。彼女が僕を愛さないのなら、他の人間とは接触しないようにしてやるまでだ。そうしたら、イヴの世界には僕しかいなくなる。それはどこまでも甘い誘惑だ。
思わず、ほうっと息を吐いた僕の手を、まるで現実に引き戻すかのように、リーゼ様がぎゆっと握った。先ほどまでとんでもない威厳を見せていたのに、やはりお年なのだろう。強く握っているはずの手は、全く痛くなかった。
老婆の手は僕を引き留めるようで、熱い。恐らく、善意のはずのその手は、何故か、この上なく気持ちが悪かった。




