王太子は動き出す 10
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2024年が皆様にとって良い年でありますように。 三角あきせ
『今年の風邪は南東から流行るようです。今日は北西回りでお帰りになるとよいでしょう』
揺れる馬車の中でぼんやりとグリシャの言葉を考える。なかなかに意味深な言葉だ。僕に何を伝えたかったのか……。それに、グリシャの常にない態度も引っかかる。今までからは考えられない、全く違った態度だった。酔っているように見せかけてはいたが、彼の目には知性の光があったように思う。
爪を隠していたのだとしたら幼少時から今までどれだけ周りを欺いていたのか……。しかも、そこまでして隠していた爪をどうして、今、僕に見せたのか……。
恐らく、答えは近くにあるはずなのにうまく頭が回らない。思わず舌打ちをしてしまう。しかし、ここで思考を放棄するのは、恐らく悪手だ。グリシャの口ぶりから、推測するだに、時間はそんなにないはずだ。恐らく、今から動かなければならないはずだ。そうでないと『今日は北西周りで帰れ』なんて言わないだろう。
頭をガシガシと掻きながらため息をつく。本当に何が『よくできた王太子』だ。とんでもないポンコツだ。最近は自分が嫌いになってばっかりだ。再度深く息を吐くと少しだけ落ち着いたような気がする。
キーワードは『南東』と『北西』だ。単純に考えるのなら、南東を指すのは『南を治めるテンペス家』と『東を治めるルーク家』の二家だろう。しかし、ルーク家はともかく、度を越して争いごとを嫌うテンペス家が、いまや醜聞の塊である僕に近づくはずがない。
それに、グリシャの態度も併せて考えれば、そんな単純な話ではないだろう。誰が聞いているか分からない場所で、口にしたのだから、もっと掘り下げて考えるべきだ。
それならば『南東』と言っても、王都から見てではない可能性が高い。どこから見ての南東か……。彼との会話を思い出す。会話の中で名前が出てきたのは『ディラード嬢』だけだ。
彼女のフルネームはリーリア・フォン・ダフナ・ディラード。ダフナ一門の侯爵家であるディラード家の娘だ。年齢は僕と同じ十七才。結構な魔力の持ち主で、幼少時は僕の婚約者候補の一人でもあった。彼女は祖父の妹である、アイリス姫の孫で王家とは血が近い。しかも、アイリス姫はエルグランドの王家に嫁いでいるから、彼女はクライオス王家とエルグランド王家の血を引いている、所謂サラブレッドだ。
彼女は絵に描いたような高位貴族の令嬢で――はっきり言うと、とんでもなく高慢ちきな少女だった。婚約者候補だったから、何度か時間を取ったが、彼女との時間は苦痛でしかなかった。まあ、そんな娘だったから、同じタイプの母と合うはずがなく、二人が揃うと、たいへんだった。本人たちが、ではなく周りの人間が……。この当時、場内では胃薬がたいそう売れたらしい。
結局、彼女はほどなく問題を起こした。いがみ合っていた母が機会を逃すはずもなく、ダフナ公爵家の意向もあり、僕の婚約者を辞退するハメになったのだ。そして、僕の婚約者候補を辞退した後は、王家の血がほしいルーク家がグリシャの婚約者にしたのだ。この時は思わず、グリシャに同情したほどだ。
そんな娘が今更、なぜ、僕の婚約者として、いま一度立とうとしているのか……。まあ、これに関しては今考えても答えは出ないだろう。
恐らく、南東とはディラード家が帰属するダフナ家から見ての南東ではないだろうか?それならば、南東に位置するのは隣国のエルグランドだ。そして東にあるのはルーク家。つまり、ダフナ家とエルグランドが手を結んだということか……?それにルーク家も一枚、嚙んでいる……?
いや、ダフナ家とエルグランドが手を組むことは、まず、ないだろう。ダフナ領とエルグランドは隣接しており、常に迷惑をかけられている。恐らく、タカリ国家であるエルグランドにわが国で一番、振り回されているのはダフナ領だろう。そのせいか、ダフナ家当主は代々、エルグランドを嫌悪している。ダフナ公爵家のエルグランド嫌いは筋金入りで、王命を拒むことすらあった。
一番顕著な例は、従叔母の一件だろう。元々、従叔母は立地上、一番近い公爵家であるダフナ公爵家へ輿入りするはずだった。王命ですらあった。それなのに、ダフナ公爵家は処罰を受けてでも、従叔母を拒んだ。
『いくらクライオス王家の血が濃くとも、卑しいエルグランドの血が入った娘なんか迎えられない』というのが、ダフナ家当主の言だった。
結局、揉めに揉めて、ダフナ公爵家の代わりにダフナ一門のディラード侯爵家が従叔母を娶ることになった。それほど毛嫌いをしているエルグランドとダフナ公爵家が組むことはあり得ない。
それならディラード家の独断と考えた方がしっくりくるし、納得もできる。ディラード家はダフナ公爵家の代わりに、従叔母を迎えたのだ。本来なら、公爵家に貸を作った状態のはずで、ディラード侯爵家もそう思っただろう。しかし、ダフナ公爵家は従叔母を娶ったディラード侯爵家を疎むようになったのだ。結果、ダフナ一門では一番血統が良いはずのディラード家は、ダフナ一門で一番困窮しているのだ。
だから、ディラード家はダフナ公爵家に見切りをつけ、ルーク家にすり寄り、王家へ娘を嫁がせようとしているのかもしれない。
しかし、ディラード嬢か……。彼女は確かに魔力だけは高いが……。最後に見た、彼女の血だらけの顔を思い出して、ため息が出る。あんな凶暴な娘が一時的だとしても婚約者になるのはごめんだ。
僕が考える間も馬車は進む。進路を変えるなら、そろそろ馭者や護衛の騎士たちに指示を出さなければならないが……さてどうすべきか。そもそも北東かと言われても、文字通り北東回りで帰ることに意味があるのか?ダフナ領から見た北東か。ひとつ思いついたことがあるが、まさか今更、あの方が動くはずがない。それじゃあ、どこだ?他に思いつかない。酔っ払いの戯言ではないはずだ。しかし、グリシャをどこまで信用して良いのか。危険はないだろうか……?とんでもない事態に陥ったりしないだろうか?これ以上、下手を打つのはごめんだが、グリシャの忠告を無視しても良いものか?
どれだけ考えても正解が分からない。さてどうすべきか。色々考えている時に、馬車の窓がノックされた。
「北東へ進路を取ります」
窓を開けると、冷たい風と共に、騎士の硬い声が馬車の中に入ってきた。断言する言葉に思わず笑ってしまう。粗方片づけたつもりだったのに、まだ、どこかの間者が潜んでいたらしい。いや、もしかしたら目の前の騎士は僕が連れてきた騎士じゃないかもしれない。 興味が無いから、騎士の名前も顔も覚えていない。他の誰かと入れ替わっていても分かる自信は露ほども無い。まあ、どうでも良い。目の前の騎士が何者でも構わない。役に立つなら使うし、邪魔になれば排除するだけだ。
外の空気のおかげでスッキリしたのか、それとも一度笑ったから、気が緩んだのか。向こうの思惑に乗ってやる気になった。どうせ悩んでも答えは出ないのだ。ここまで来たら、怯んでも仕方がない。もし、不測の事態が起こったとしても、僕に敵う人間なんてそうはいない。なにかあれば、全てなかったことにすれば良いだけだ。
腹を括ったらなんだか余裕が出てきた。そうだ、僕の意に染まぬものなどこの国には必要ないのだ。僕が認めた人間に関しては多少の便宜を図ってやってもいい。けれど、それ以外の人間は邪魔になるのならば、排除していけばいいだけだ。
手始めに、グリシャが必要な人間か否かを確かめようか。僕に害を与えるつもりならば、公爵家の嫡子だろうがなんだろうが関係ない。潰してやる。あの陽気な男の断末魔がどんなものか、考えると少しだけ楽しい気分になる。
いくら不仲と雖も、グリシャが死ねばキーランは悲しむだろうか?それとも手間が省けたと笑うだろうか?悲しめば良いが、喜ばれたら少々悔しい。
そこまで考えたところで、ようやく、先ほど話しかけてきた騎士が未だ僕のことを見ていることに気づいた。なかなか律儀な奴だ。僕を訝しげに見ている騎士に向かって微笑みかけてやる。僕が無害に見えるように。そしてできるだけ優しい声音で口を開く。
「任せるよ」
僕の言葉に騎士は静かに笑うと、そのまま離れて行った。恐らく、進路変更を馭者に伝えに行ったのだろう。僕を舐めているのか、それとも口を封じるつもりなのか、窓を覆うことも無く馬車は進む。いくら夜とはいえ、王都の中だ。今どこを進んでいるかくらい、嫌でも分かる。僕が窓の外を眺めていることくらい分かるだろうに、騎士たちは咎めるつもりはないようだ。
そのまま、誰にも止められることはなく、馬車は進み、とある邸の門をくぐった。ほどなくして馬車が止まり、騎士に降りるように促される。言葉尻だけは丁寧だが、僕に接する態度はどこまでも冷たい。この騎士の対応が、彼の主の意思なのだろう。
促されるままに馬車を降り、騎士の後について行く。結構大きな邸なのに、騎士以外の人間は見当たらない。しんと静まり返った空気だけが、僕を迎えている。
この邸の持ち主が誰なのか、知っている。どんな立場の人間なのかも。どうやら、先ほど思い付きはしたが、あり得ないと却下した人がお出ましのようだ。
今までも苦手だった人だが、真実を知った今、どんな顔をして会えばいいのか全く分からない。本当の祖母だと思っていた時ですら、あまり話した覚えがない。どうして、よりによって、今、籠っていた離宮から出てきたのか……。正直、今周囲の対処だけで手いっぱいであの人のことまでは頭が回らない。グリシャめ、とんでもない人間を引っ張り出してきたな……。いや、グリシャも使われただけ、という方が正しいのかもしれない。
なにせ、相手は賢妃にして稀代の悪女と名高い『毒殺王妃、リーゼ』なのだから。




