神官を慕う娘 4
途中の廊下でラウゼルにばったりと会った。ラウゼルはわたしが手に持っているコップを見て、ため息をついた。
「やれやれ、下世話なこった」
「ラウゼル様だって院長室に行くところだったんでしょう?わたしのことを言えないじゃありませんか」
「俺は商談があるからな。お前は違うだろう」
ラウゼルはセオドア様の前では紳士ぶっているけれど、わたし達の前では砕けた話し方になる。確かにわたし達は取引相手でもないし、孤児だから仕方ないが、あまりにも態度に違いがありすぎて、やはり信用ができない。ラウゼルはわたしを上から下まで舐める様に見た。いやらしい目つきというよりも、小馬鹿にした様な目だった。
「あの女はセオドア様にとってよくありません。きっといつかあの女のせいでセオドア様は命を落とすことになります」
「まるで占い師気取りだな。何を根拠にそんな馬鹿なこと言ってるんだか」
「ラウゼル様が言ったんじゃないですか!あの女は『とんでもない化け物に魅入られていて、婚約解消しないと命に関わる』って」
「お前、夕食の時も言ったがな、リザム嬢に対して失礼すぎるぞ。本来ならお前など話しかけるだけで処罰されても文句は言えない相手だ」
「ハルト様だからですか?ハルト様に話しかけただけで処罰なんかされないでしょう?」
「違う、あの方は将来の王妃になられるはずだった方だからだ…いや、殿下ならどうあっても嫁に迎えるだろうから、将来の王妃になられる方で良いのか…」
ラウゼルの言葉にわたしは首を捻る。王妃とはどういうことだろうか。デンカ?よくわからない。わたしが理解していないことに気づいたラウゼルはわたしを鼻で笑うと続けた。
「あぁ、学がないお前にはわからないか。いいか、『殿下』とは王子のことだ。リザム嬢はその王子の婚約者だ…いや、だった」
「なんで、そんな人がこんな場所にいるんですか?それにラウゼル様はなぜそのことを知ってるんですか?」
「殿下とはちょっとした知り合いでな」
ラウゼルは明後日の方向を向いて首筋をポリポリと掻いた。発言内容とも相まって態度が怪し過ぎる。
「嘘ばっかり!いくらわたしだって王子様がすごい偉い人だって知ってます。ただの商人のラウゼル様が知り合いのはずないじゃないですか!あの人が王子様の婚約者だって言うのも嘘でしょう?!」
ラウゼルがあの女を知っているのは確かだろうけれどあの女の素性がラウゼルの言う通りとはとても思えない。確かにものすごく綺麗だけど、あんなアバズレが王子様のお相手とは思えない。
「お前が信じようと信じまいと構わないけどな」
「だってこんな身近に王子様の関係者が何人もいるはずないじゃない!…ですか」
「だから、信じるか否かは好きにしろ。だが俺が言ってることは嘘じゃない。殿下があの方に執着しているのは事実だ。だからセオドア様とあの方が深い仲にならなければ良いと思っている。お前もセオドア様をお止めしろ」
ラウゼルの真剣な目に思わず怯んでしまった。しかし、セオドア様をお止めしろって言われても、難しい。わたしを見るセオドア様の目が脳裏に浮かんだ。今日、わたしを見る目には確かな嫌悪の色があった。
「わたしの言うことなんか…今日だって…」
「まぁ、今日のお前は意地悪な小姑そのものだったからな。厭われもするだろう。しかし、お前さん、本気でセオドア様との未来があるとでも思ってたのか?」
「あり得ない事くらい言われなくてもわかってます、でも!」
「でもも何もないだろう。勝手に夢見てるだけなら好きにしろってもんだが、それでリザム嬢に当たるのは馬鹿としか言いようがない。そもそもあの方に勝てるつもりだったのか?ひと目見ただけでわかる。あれは上等な女だ。その辺の貴族の息女ですら敵わないだろう。そんな女性にお前が勝てると本気で思っているのか?」
ラウゼルの言葉に唇を噛み締める。そんなこと言われなくてもわかっている。結ばれないことだって、わかっていた。それでも、セオドア様のそばにいたい。セオドア様の心の中の一番柔らかいところに、わたしは存在したかった。そんなわたしを馬鹿にする様にラウゼルは言葉を続ける。
「結局のところ、上は上、下は下で、それぞれあるべき場所に収まる様になっているもんだ。下の人間がいくら夢見ても、あっちは俺たちなんか見ちゃいないのさ。早々に諦めて現実を見ろ」
俯いたわたしの目に廊下が映った。床板にぽつりぽつりと水滴が落ちる。ラウゼルは喋り続けているが、奴の顔を見る気になれない。奴の言葉も聞きたくない。耳を塞いでしまいたい。
「セオドア様は一位にしちゃあ、甘い方だ。お前達が一番わかっているだろう?
いいか、神殿はお前達には想像がつかないほど歪なところだ。その中で生きているセオドア様は色々、思うところも、抱えてることもあるだろう。リザム嬢はセオドア様にとって、きっと救いになるだろう」
違う、違う、あの女じゃなくてわたしが、わたしこそがセオドア様の心の支えになりたかった。なぜ、わたしじゃないのだろう?どうして、あの女はわたしの幸せを奪っていくのだろう。
これ以上ラウゼルの前でみっともない姿を見せたくなくて、目を擦った。その時にラウゼルが呟いた声が聞こえた。
「…皮肉なことはセオドア様が一生会いたくないと思っている相手と探している相手が一緒だったことかな」
「どういうことですか?あなたは何を知っているんですか?」
「さあな、お前には関係のないことさ」
「関係ないわけがない!セオドア様のことだもの、わたしが関係ないわけないじゃない!わたし以上にセオドア様のことを思っている人間なんているわけない!」
そう言ってラウゼルを見たら、いつもにたにたしているラウゼルが珍しく怒っている様だった。顔は相変わらず笑っている、けれど目の奥で怒りを燃やしている様な気がした。ラウゼルはわたしを一瞥すると何も言わずに院長室に歩を進める。
なんだかラウゼルの後を追うのが怖くて自室に帰ろうか、とも思ったけどセオドア様をあの女の魔の手から守らなくちゃと思って自分を奮い立たせた。
ラウゼルの後をついて院長室に行ったら、ラウゼルが扉に耳をつけた。わたしのことを『下世話』とかなんとか言っていたのに、自分も同じ穴の狢じゃないか。
ラウゼルの隣でコップを扉につけてわたしも聞いてみたが、部屋の中からはなんの音もしない。ラウゼルは扉の前で迷っていたが、意を決した様に扉をノックした。その途端、部屋の中から何かが倒れる様な音がした。血の気が引いていく様な気がした。あの女が何かしたに違いない!
わたしが扉を開けたのか、それともラウゼルが開けたのか、よく覚えていない。室内に入ることしか考えていなかった。
室内を見渡して絶句した。二人はベッドにいた。目の前がチカチカする。やっぱり、あの女はセオドア様にとって害毒にしかならない。あのセオドア様がそんなことをするはずがない。神様を地に墜とす様な真似をする人間は許せない、存在してはいけないのだ。何かを叫んだ。けれど、何を叫んだか、覚えていない。ともかく許せなかった。
ラウゼルが何かを叫びながら、セオドア様をあの女から引き剥がそうとしていた。セオドア様はラウゼルの手を払うといかにも不満といった様子でわたし達を責め出した。
なぜ?どうして、なにをしようとしたの?いや、聞きたくない、セオドア様がこんなことをするはず、ない。色々な言葉が頭に浮かんだが口に出ることなく霧散していく。
セオドア様は何度もため息をつくとわたし達を睨んできた。あんな冷たい目をされたことなんか一度もない。ゴミ溜めに捨てられていた時ですら、セオドア様の目は優しかった。
セオドア様はわたし達に部屋から出ていく様に促した。このまま留まり続けることなんか出来なかった。セオドア様にあんな目で見られることなんて、耐えられない。
部屋を出る時、ちらりと見た女の顔はこんな時でも美しかった。あの女が全ての元凶だ。あの女をセオドア様から引き離さなくてはならないーー例え、殺してでも。




