神官を慕う娘 2
「ねぇ、オーリャ。孤児院の手伝いをしてくれるのは有り難いけれど、君は君の幸せを考えて欲しい。俺は君の将来に責任を持てない。誰か良い男を見つけて、私に子供の顔を見せて欲しい」
ある日セオドア様はそんなことを言い出した。いきなりそんな話をされてわたしは正直驚いた。何をいきなり、と思ってセオドア様の顔を見たら苦々しげに微笑っていた。その顔を見た時、この言葉はセオドア様の本意ではないと察した。セオドア様は神殿の一位だ。わたしとは一緒になれない。子供もできない。だからわたしの幸せのために身を引かれるおつもりなのだ。
「いいえ、わたしの幸せはここにあります。ここであなた様の力になりたいのです。ご恩をお返ししたいです!」
「君が元気になって、幸せに生きていってくれるなら、それが一番の恩返しになるよ。今までも十分に助けてもらった。だから君はもう自由になっていいんだよ」
泣きながら訴えるわたしをセオドア様は慈愛の籠った目で見つめ、優しく手を握ってくれた。その後、何度も何度もお願いしたが、セオドア様は「誰か良い人を見つけて幸せになれ」という言葉を撤回してくれなかった。
「前向きに検討する、良い人がいたらきちんと言う」
そう約束してなんとか孤児院に――セオドア様のお役に立てる位置に残ることができた。それから何度かセオドア様に同じ言葉を言われたけれど、のらりくらりと躱していた。そうしていたらセオドア様は何かもの言いたげな目をわたしに向けてくることはあったけれど、わたしに面と向かって『良い男を見つけろ』と言わなくなってきた。
ほっとしつつ、変わらぬ毎日を送っていたら、いきなり嵐が来た。
わたしが二十一の誕生日を迎えてしばらく経った頃、ずいぶん久しぶりにセオドア様が一人の招かれざる客を連れて帰ってきた。
まるで黄金を煮詰めたようにきらきら輝く髪、アメジストの様な紫色の瞳、透き通る様な美しい白い肌。そしてどこまでも整った美しい顔。まるで人ではない様な女だった。子供達はお姫様だ、と騒いでいた。確かに絵本の中から出てきた様なーー絵に描いた様なお姫様だった。
熊のぬいぐるみを抱き抱えている、そんなアンバランスなところも絵になっていた。セオドア様はその女からぬいぐるみを受け取るとわたしに『誕生日プレゼント』と言ってぬいぐるみを渡してくれた。他の女が持っていたぬいぐるみを受け取ることに躊躇した。わたしへのプレゼントを他の女に持たせて欲しくなかった。
女はその整いすぎた顔に人形めいた微笑みを浮かべたまま、当然のようにセオドア様の隣に立っていた。
セオドア様がその女に向ける視線はわたし達に向けるものとは違っていた。なんだかもっと優しくて、寂しげな視線だった。なんだろう?と不思議に思ったが、セオドア様のわたしに接する態度がいつもと違って、そのことの方が気になった。
いつもならわたしが抱きついても笑って頭を撫でてくれるのに今日は強めの力で身体を離された。そして、久しぶりに『ほかの人との結婚』を口にした。何が起こっているのか、戸惑った。
その間も女は黙ってセオドア様の隣で完璧な微笑みを浮かべていた。
「セオドア様その方は…?」
今思うと聞かなければ良かった。でも、セオドア様からあんな視線を向けられる女に不安が募って聞かずにはいられなかった。
「こちらはエヴァンジェリン・ハルト。俺の弟子で、将来を誓い合った女性だよ」
セオドア様が何を言ったか、理解できなかった。セオドア様は女にはわたし達には見せない笑顔を向けていた。嘘でしょう?と叫びたかった。どうして、と詰め寄りたかった。けれど、わたしは何もできなかった。
女は先ほどまで浮かべていた人形の様な微笑みではない微笑みをセオドア様に向けた。女のわたしでも見惚れるほど綺麗で、優しげな微笑みだった。
「はじめまして、エヴァンジェリン・ハルトと申します」
女は名乗って頭を下げ、セオドア様と笑い合った。気持ちが悪かった。吐きそうだった。何かを女に聞いた気がする。でも本当に聞きたかったのはひとつだけだった。
『セオドア様と結婚するって本当ですか?』
それだけが聞きたかった。女は「はい、指輪もいただきました」と答えた。そして、初々しく頬を染めながら恥ずかしそうに俯いた。
殺して、やりたい、と思った。悔しくて、辛かった。なにより、自分が惨めでたまらなかった。わたしはあんなに初々しく頬を染めるなんてできない。女の無垢な様子に殺意が増した。だって、わたしは身体を売って生きてきた。もうこの身体は汚れきっている。わたしにはあんな風に初々しく頬を染めることは許されていない。
「私はお姫様じゃないの。だから王子様とは結婚できなかったの。王子様にはね、他に相応しいお姫様がいたのよ」
かろうじて立っているわたしの耳に入ったのは女の声だった。わたしの、ことだと思った。自惚れていた、セオドア様の隣に立てるのはわたしじゃなかった。
だってセオドア様にはいつもどこか欠けているところがあった。寂しそうなところがあった。だけどその女と一緒にいるセオドア様はなんだか完成している様な気がしたから。
けれどけれどけれど、我慢できなかった。わたしが立ちたい場所に当然の様に立つ女が憎かった。わたしには許されない、無垢な笑顔で微笑う女に殺意を覚えた。そして、幸せそうなセオドア様に救いを求めたかった。
耐えきれなかったわたしはその場から逃げ出した。幸福そうな二人を見ていられなかった。
わたしの後からシエナとカーチャがやってきてわたしを慰めてくれた。二人はわたしとセオドア様のことを後押ししてくれている女の子だ。
「きっと神殿から押し付けられたのよ、だってセオドア様にはオーリャがいるもん」
「そうよ、オーリャには積み重ねた時間があるんだから!あんな人形めいた女なんか目じゃないよ」
そう言って二人はぼろぼろ泣くわたしの背中を撫でてくれた。慰めてもらっているのに、なんだか蔑まれている様な気持ちになった。




