傷物令嬢は絆されてしまった
さて、サイコパス診断をやめてしまうとジェイドに話すことがなくなってしまった。そもそも下級貴族と王族という、住む世界に隔たりがある2人なのだ。共通の話題などほぼない。
にっこり微笑みながらお茶を共にするだけなので、少しだけ距離ができた気もする。話しかけることも話すこともほぼないので、ペナルティを犯す心配も少なく、安心できる事態ではあるのだが、ーーそれでもちょこちょこ失敗して甘いお仕置きをされることはままあったのだがーーなんとなく寂しい様な気もしてくる。情が移りかけているのかもしれない。危険な兆候である。
「最近は何も心配することはない?事態は少しは落ち着いたかな?」
「お気遣いありがとうございます。今のところ差し迫った危険はまだ感じておりません」
ジェイドのよくわからない質問ににっこりと微笑んで答える。正直婚約が続いている現在はあまり良い事態ではない。良い事態ではないが、それを言うと、では何を困っているのかと聞かれた時に返答に迷ってしまうだろう。
なので、当たり障りのない答えを返した。
「そう、君の身を護るためならなんでもするつもりだから、何か困ったことがあったら、なんでも相談して欲しいな」
「はい、ジェイ様」
「けれどそういえば君とは安全面の話ばかりしていて、他にこれと言った話をしてなかったね。王妃教育は辛くないかい?何かあれば聞くよ」
「いいえ、皆さまとても良くしてくださいますし、これと言ってジェイ様に報告できる様なことはございません」
そう、最初の頃は王妃様からの質問に正しい答えを返しても睨まれていたが、最近ではその様なことが減ってきた。しかし、どちらかというと私を認めたというより、心ここに在らずという感じなので、もしかしたら、私の婚約について継続しなくてもいい様な話が出てきているのかもしれない。おそらくサラとジェイドの関係が進んだのではないだろうか。
「うん、君はとても優秀だ、と母からも聞いているよ」
「勿体ないお言葉でございます。
…殿下はお暇な時は何をされてらっしゃいますか?ご趣味などはございますか?」
正直お世辞を聞かされても困るだけなので、共通の話題がないか趣味を聞いてみることにした。
「そうだね、あまり自由になる時間は少ないけど、時間が空いたら活字を読むことが多いかな。最近、1番楽しい時間はこの時間なんだけどね」
「活字を読む……ということは読書ですか!とても素敵ですね。私も本を読むのは大好きです。殿下のおすすめの本があったら教えていただけますか」
「そうだね、城の図書室に出入りできる様に取り計らっておくよ」
活字を読む、と彼は言ったが読書とは一言も言っていない。恐らくよくある、報告書を読んだり書類を読んだりする仕事中毒者であることを指している可能性もあったが、それでは共通の話題は生まれない。読書の可能性にかけて口にすると、ジェイドは城の図書室の出入りを許可してくれた。
思わぬところで得した気分だ。
「……ところで、イヴ、こっちに来てくれるよね?」
しまった、また殿下と呼んでしまったと思ったが、もう時すでに遅しである。しかし、何故かここ最近は彼のお仕置きが、苦ではなくなってきていた。おずおずとジェイドに近づく。
彼はいつもと同じ様に私を膝に横抱きに乗せる。彼の唇が降りて来た時、私は少し口を開いていた。
やはり、彼はキスが上手く、あっという間に私は彼のキスに夢中になってしまった。すると、程なく彼の右手が私の胸元に伸びてきて、服の上から、柔らかく胸を揉み始めた。
瞬時に我に返って、彼から離れようとしたが、左手でがっちりと腰を掴まれており、叶わない。そのうちに口内の舌の動きが、より活発になり、またもや身体の力が抜けてくる。
彼のキスに翻弄されながら、胸も弄られ、顔から火が出るほど恥ずかしかったのも束の間、段々と気持ち良くなってくる。
うわごとの様に拒絶の言葉を口にするが、正直に言うとやめて欲しくない。今日のお茶会は城のサロンだったから他にも人がいる。その人たちに見られているだろうに、それでもこのままやめないで欲しい。
「ジェイ様、好…」
「はい、殿下。そこまでにしておきましょうか」
彼の唇が少し離れた瞬間にうわごとの様に危ないことを呟きかけた私の声を遮って、ジェイドを止めてくれたのは彼の護衛騎士の方だった。確か、アッシュ様と仰ったか、歳の頃は私たちと同じくらいの10代後半だろう。護衛騎士と言うからには、がっちりした筋肉ムキムキの方を想像するが、彼はどちらかと言うと、文官ではないかと言うほど、細身で麗しい顔立ちをしている。金色の髪と紫の瞳でどこか品があるので、おそらく高位貴族であろう。
そんな貴族然としたアッシュ様だが、留学をしていたこともあり、そこでしっかり剣術を学んできたらしく、腕は確かであるらしい。また、剣術以外にも才を発揮しており、殿下の執務に関しても手伝うことがあるなど大変有能な方である。
王家の池に私を助けに飛び込んでくださったのもこの方で、いつも殿下の隣に控えている。助けていただいたせいか、彼には好意を感じている。あまり、高位貴族には関わり合いになりたくないのだが、なんとなく彼とは仲良くなりたいと思ってしまうのだ。彼の持つ柔らかい雰囲気のせいかもしれない。
ゲームではルアードが護衛騎士だったので、彼もゲームシナリオには登場しない人である。
危なかった、彼が止めてくれなければ、好き、なとど口走るところだった。本当に危ないところだった。まさかこんなサイコパス王子に惹かれるなんて、とは思う。しかし、理解してほしい、地位、権力、顔、頭、金、高身長を備え、更に優秀な、まさしく王子様が、婚約者で、プレゼント攻撃をしつつ、優しく接してくれ、更に愛を囁いてくるのだ。絆されても仕方がないではないだろうか。
それに世の中には『単純接触効果』と呼ばれるものがある。『熟知性の原則』とも呼ばれるこの効果は、会えば会うたびに知れば知るほどに相手に対する理解が深まり、好感度や評価が高まるという心の動きである。あまり好きではなかったりする人物でも、頻繁に会った場合、その対象への警戒心や恐怖心が薄れ、良い印象を持つようになるという…。
ずっと彼にはサラがいると自分に言い聞かせていたのも、きっと彼に少しずつ惹かれている自分を無意識に止めようとしていたのだろう。
しかし、この恋に未来はない。どころか恋着などしようものなら破滅の未来が手をこまねいて、待っている。出来るだけ彼とは距離を置かなかればならず、惚れてしまったとしても、口や態度に出してはいけないのだ。
今のはギリギリセーフと思いたい。きっと伝わってないはず。
「アッシュ、いいとこだったのによくも邪魔をしてくれたな。他の者だって皆見て見ぬふりをしてくれていたものを!」
「そこまでにしとかないと止まらないでしょうが。王族の婚姻には純潔性が尊ばれることを知らない貴方でもないでしょう。
ただでさえ微妙なお立場のエヴァンジェリン様をご自身の手で更に追い込まなくても宜しいでしょうに」
とりあえずジェイドから離れなければと思うけれども、足と手に力が入らない。どうしようかと、アッシュ様を見詰める。彼は、ため息をひとつつくと、「失礼」と言って私を抱き抱えてくれて、馬車まで連れて行ってくれた。
ジェイドの側仕えの方に呆れられてしまったと少し落ち込みながらも、アッシュ様にお礼を言う。
「いいえ、お気になさらず。どうかくれぐれもご自分を大切になさってくださいね」
アッシュ様からは遠回しにしっかりせえ、と言われてしまったがこれは仕方ないことだろう。はい、申し訳ありません、と小さくなりながら返すので手一杯だった。
そう言えば、ジェイドに退室の挨拶をしてなかったな、と思ったのは熱が引き始めた2日後の夜だった。




