神官を慕う娘 1
私が願っても願っても叶わない場所にその女はいた。私が愛してやまない男性の隣に当然の様に立っている。そして私が欲しくて欲しくて仕方のない言葉を受け取り、初々しく頬を染めた。
その女を殺してやりたいと思った。
わたしが幼い頃に住んでいた村は燃えてしまった。その理由がなんなのかはわたしは知らない。わかることはこれから先は今までと同じ生活が送れないということだけだった。
今まで見たことがなかった強面の男達が知らない場所へわたし達を連れて行った。そこでわたし達はばらばらに色々な人に連れて行かれることになった。今なら分かることだが、売られたのだと思う。
わたしを買ったのはとある娼館の主人だったから、買われた翌日からわたしは客を取らされた。その時のわたしは十にも満たなかったと思う。けれどそんな幼い娘を好む男もいると主人は下卑た顔で笑い、こう言っていた。
「同じ国民の子供に客を取らせるのは気が引けるが、南蛮人の子供なら良いだろう。いい金になる」
最初は痛くて痛くて仕方がなくってやめてほしいと泣き叫んだが、それすらも楽しいーーいや、それこそが醍醐味だと笑う男達を見て、わたしは色々と諦めた。
どれだけ痛くても辛くても涙を流さない様にした。声もできるだけ抑えた。けれどそうすればするほど男達はわたしを痛めつけた。そんな辛い日々をどれだけ過ごしただろうか。主人が「もう壊れたか」と毒づいていたからそんなに長い期間ではないと思う。
男達に手酷く扱われていたわたしは使い物にならなくなった。主人はぼろぼろになったわたしから衣服を剥ぎ取ると路地裏に引きずって行き、ごみだめに捨てた。
寒かった。だけど、もうこれで終われると思ったらおかしくなった。笑おうと思ったけれど、笑い方を忘れてしまっていた。はぁっとため息をついて目を瞑った。もう終わりだ、と思った時、最後に大切な人たちの顔が頭に浮かんだ。
「お母さん…」
「ねぇ、君、大丈夫?」
そんな声が聞こえた。目を開けたら、目の前には銀色の髪の天使がいた。わたしより少し年上らしき天使がわたしを覗き込んでいた。あぁ、こんなに綺麗な人が迎えに来てくれるなら、もっと早く死ねば良かった。
「オリビア、女の子が落ちてる」
「セオドア、やめときな。もうその子は助からない」
冷たい声だと思った。恐る恐る声のした方を見たら黒い髪の女が立っていた。声と同じく冷たい瞳でわたしを見下ろしている。死神だ、と思った。死神と天使は一緒に行動しているのだろうか?できれば死神よりも天使に連れて行って欲しい。
「わかった、じゃあオリビアは手伝わなくていい。俺は勝手にするから」
天使は私に近づくと来ていた服を私にかけてくれた。そしてわたしに「背中に乗れるかい?」と聞いた。天使に連れて行って欲しくて、見放されたくなくて、もう二度と動かないだろうと思った体に力を入れた。不器用に動くわたしを見てか、死神はふぅっとため息をつくとわたしを持ち上げた。
「仕方ないね、せめて看取ってやんな」
天使から引き離されたくない、と思ったのが最後の記憶だった。
なんだか、温かい。身体がぽかぽかする。あんなに寒かったのに、どうしたんだろう?そう思って目を開けたら、見たことないほど綺麗な部屋にいた。ふかふかのベッドにわたしは寝かされていて、側には死神が立っていた。天使の姿はない。
「天使さまは…?」
わたしがそう聞くと死神はわたしをじろりと見下ろした。
「残念だね、ここはまだ地獄だ。天国になんか行けてないよ、あんたは。
……せっかく拾った生命だ。養生しな」
そう言って死神は部屋を出て行ったが、ほかに部屋に控えていた女達がわたしの面倒を見てくれた。
「ねえ、私を助けてくれた天使さまを知らない?」
その女達に話しかけたら、女のうちの一人が私を睨みながら答えてくれた。
「セオドア様のこと?あなたには関係のないことよ。そんなことよりも早く良くなって出て行ってちょうだい」
すごく嫌な感じの女だった。だけどその女以外はわたしに口をきいてくれなかったから、私の話し相手は専らその女だった。とはいっても、女の語彙は少なく「あなたには関係ない」「早く良くなれ」がほとんどだった。
あんなにぼろぼろで動かなかったわたしの身体は見違えるほど良くなっていた。けれども弱り切っていたせいか、すぐに動けなかった。女達はわたしに冷たかったけど、意地悪をすることはなかった。わたしにご飯をくれて、清潔に保ってくれた。
身体がだいぶ良くなってそろそろここを出ていかなければならなくなってきた。最後に天使に会いたいと思っていた頃、ようやくわたしは天使に会えた。
「やあ、だいぶ元気になったみたいだね。よかった」
天使は微笑んだ。こんなに優しくされたのはこの国に来て初めてだった。涙が溢れた。泣き続けるわたしに驚いたのか、天使は駆け寄ってくると「まだどこか痛いのか」聞いてくれた。わたしが必死で首を振ると天使はほっとした様な顔をして頭を撫でてくれた。
天使は『セオドア・ハルト』様というらしく、この国に数人しかいない尊い方のとことだった。無愛想な女達も、あの死神ですら彼を可愛がっている様だった。
尊い方と聞いて、わたしはなるほどと思った。美貌、美声、そして慈悲深さ、セオドアさまは全てを兼ね備えていた。わたしにとってセオドアさまは神以上の方だった。神様さえ見逃した、死ぬだけだったわたしをセオドアさまだけは見逃さず、救ってくれた。素晴らしい方、おそばにいたい、そう思う様になるのに時間はいらなかった。
「どんなことでもします、どうぞわたしを側に置いてくださいませんか?お願いします、お願いします」
わたしは必死に頼み込んだ。そうしたら、セオドアさまは苦笑した。
「側に置くことはできないけれど、君の居場所は作ってあげるよ」
セオドアさまはそう言ってわたしに居場所をくれた。そしてその後も、わたしと同じ様に行く宛のない子供達を引き取っていた。わたしはセオドアさまの役に立ちたくて、後から来た子供達の世話を一生懸命みた。
セオドアさまはわたしを始めとしたたくさんの子ども達を救ってくれた。皆セオドアさまに感謝している。わたし達にとってセオドアさまは神さま以上の方だった。神さまは私たちに何もしてくれなかったけれど、セオドアさまはわたし達に十分な食事と温かい寝床、幸せな生活をくれた。
それなのにセオドアさまは少数しか助けられない、力が足りないと、いつも悔しがっていた。口に出したわけじゃないけど、セオドアさまの言動の端々にそれが表れていた。もう十分だ、これ以上はない、セオドアさまは苦しまなくて良い、皆そう思っていたけれどセオドアさまは納得していなかった。
わたし達にとってセオドアさまはこの上なく尊い方だった。
長じてから知ったけれどセオドア様はこの孤児院を建てるために神殿と揉めたらしかった。そんな経緯があるにも関わらず、セオドア様がわたし達を疎むことはなかった。
孤児院は定数があるので、十八歳で卒業だったが、それ以降もきちんと生きていける様にセオドア様は気にかけてくれていた。習いたいことがあれば、教師をつけてくれ、皆の進みたい将来を後押ししてくれた。ただ、不思議なことにセオドア様のおそばにいたいからと神殿に行きたいという子供達に良い顔をしなかった。
卒院は十八歳だったが、わたしは自分の歳も誕生日も知らなかった。わたしが知っているのは『オーリャ』という名前だけだった。そんなわたしにセオドア様は誕生日をくれた。わたしとセオドア様が出会った日が誕生日となった。
歳もなんとなくこのくらいだろうという年齢がわたしの歳になった。けれどわたしは年を重ねても童顔で二十歳を超えた今でも十代半ばほどに見える。もしかしたらもっと年上なのかもしれない。
そしてわたしは十八歳と卒院の年齢になった。だけど、セオドア様のお役に立ちたくて、セオドア様のお側から離れたくなくて仕方がなかった。セオドア様に泣いて縋ったら、この孤児院の世話役として残れることになった。
わたしの気のせいかもしれないけれど、セオドア様はわたしに殊更甘い気がする。やってみたわたしが言ってはいけないけれど、他にも残りたいと言った人は他にもいたけれどセオドア様は許可しなかった。それなのにわたしの時は残れる道を用意してくれた。そしてほかの人よりわたしに接する時間の方が長いし、何より優しい気がするのだ。
セオドア様は神殿の二位様以上の人としか結婚できないということも知った。神殿に行った仲間から聞いたことによると、優秀なセオドア様に神殿は何度か女を宛てがおうとしたが、セオドア様は拒否したらしい。セオドア様は色々な女性にモテていたけれど、歯牙にも掛けないと彼は語った。それからも、セオドア様に女性の影は見えなかった。
セオドア様と一番接するのはわたし、一番長く一緒にいるのもわたし、そう思うと嬉しかった。いつしかわたしが一番セオドア様に近い女性だと優越感を持つ様になった。
あんなに素敵な人の隣にわたしが立てるはずがない、それはわかっていた。わかっていたはずなのに、わたしはいつの間にかセオドア様はわたしのために隣を空けてくれているのではないかと思い始めていた。
だってわたしには殊更優しくて、側にいたいと言ったら頷いてくれ、ほかの女を寄せ付けないけど、わたしは近くに置いてくれたのだ。だから、セオドア様がほかの女を寄せつけないのはわたしのことを憎からず想ってくれているからだと、わたしは思う様になった。周りの子供達も、同じ様に感じたらしい。皆わたしとセオドア様を後押ししてくれる様になった。けれども肉体関係は持てない。わたしの汚い身体に触れて欲しくない。だから、神殿の規則はありがたかった。
もし、万が一セオドア様が神殿からの命令を断れなくなって相手を宛てがわれることがあっても、わたしがセオドア様の心の中で一番であれば良い、そう思った。だけどその相手とは会いたくない。




