【間章】神殿騎士は不満に思う 2
「あら、オーリャ?名前から言ってハルペーの国民かしら?それはダメよ」
オレの言葉にいきなり口を挟んだのはバーバラさまだった。しまった、聞こえていたかと舌打ちしたくなったオレとは反対にグエンは真っ青になって、ものすごい勢いで頭を下げた。
「もっ、申し訳ありません。お耳汚しを!」
「うふふ、グエン君って言ったかしら?良いのよ、褒めてくれて気分よかったわ。
けれど、イアン君?セオドアに恩返ししたいって言うなら、貴方のその思いは隠しておきなさい。下手にその気持ちを前面に出してたら、あの子が神殿に睨まれるわよ」
ひゅっと息を呑んだ。下手に力をつけ過ぎると睨まれるとの言葉に息が詰まりそうになる。恩返しをするどころか足を引っ張るだなんて、何をしているんだ!と思うと自分で自分をぶん殴りたい気分になった。
「今回のこと、私は目をつぶってあげるわ。けれど人の口に戸は立てられないものよ。いつ、どこで、誰の口から神殿の上層部に伝わるかわからないわ。私だってあの子を可愛いと思ってるんだから、その気持ちは胸に秘めておきなさいな」
バーバラさまは先ほどまで浮かべていた慈愛に満ちた表情ではなく、厳しい顔をオレに向けている。自分の言動がセオドア様の足を引っ張ってると言われてしまうと、どう返せば良いのかわからない。
「それで?オーリャ?……あぁ、思い出したわ。セオドアが最初に助けたあの子ね。諦めなさい、神殿の一位がサリンジャの民でもない人間との結婚なんて許されないわよ」
「許されないからこそ、セオドア様は独身を貫かれるんだと思います。プラトニックなものなら良いんでしょう?」
「おい、やめろって」
オーリャ姉ちゃんのことを言われると黙ってはいられない。オーリャ姉ちゃんはセオドア様の次にオレたちの世話をしてくれた人間だ。正直に言って姉ちゃんは美人とは言えない。けれども面倒見が良くて心根の優しい女性だ。さっきバーバラさまが言っていた様に、オレと同じハルペーの出身だ。姉ちゃんもセオドア様に助けられた女性で、10年以上セオドア様のことを慕っている。他の女には冷たいセオドア様もオーリャ姉ちゃんには優しい。
セオドア様が結婚したり、子作りしたりしないのはオーリャ姉ちゃんのことを愛しているからだとオレは睨んでいる。できればセオドア様とオーリャ姉ちゃんが上手くいけば良い。だから、何も知らないバーバラさまにダメ出しされると気分が悪くなった。先程余計なことを言ってはいけないと思ったばかりなのにどうしても黙っていられなかった。そんなオレをグエンが必死で止めようとしてきたが、どうしても自分を止められなかった。
「今だけ、あなたの無礼に目を瞑ってあげるわ。この間素敵な縁に恵まれたばかりだから、気分が良いの。言いたいことを言いなさいな。けれど、今だけよ。以降は絶対に礼儀を守りなさい。そうでないとあなた、破滅することになるわよ。下手をしたらセオドアも巻き込まれるかもしれないわ」
そんなグエンを制したのは意外なことにバーバラさまだった。驚いたけど、彼女の口から飛び出した言葉の意味を理解した途端、肝が冷えた。オレはすぐに頭に血が登る人間だから、今後気をつけねばなるまいと心に決めた。けれど今だけなら何を言っても良いと言われたのだ。バーバラさまが今後、セオドア様に手を出さない様にきちんと思い合っている相手がいることを伝えたかった。
「セオドア様とオーリャ姉ちゃんは想い合っているとオレは思ってます。だから、あなたは…」
「うっふふ、私はあの子のことは弟としか思えないわ。安心なさい。でもオーリャちゃんは残念だったわね。あの子は、見つけたわよ」
「見つけたって、そんなわけないじゃないですか!あなたはオーリャ姉ちゃんのことを知らないからそう言うんです。オーリャ姉ちゃんといるセオドア様を見たことがないから!」
「あらあら。じゃあ、あなたは最近のあの子を見てないから知らないのよ。毎日あの子は嬉しそうに出かけて行ってたわ。しかもとっても献身的だったの。すごい微笑ましかったわ」
「オーリャ姉ちゃんにだって…」
「それに何より略奪愛よ、略奪愛!王太子の婚約者を掻っ攫ったのよ!あのセオドアが!色恋沙汰に慣れてます『女に不自由なんてしてないさ、いや、むしろ寄ってこられて迷惑してる』みたいな強がりを素でやってた、あのセオドアが!
遊び人みたいなフリをしてるくせに、よくよく知ったら女嫌いで、純情の化身みたいなセオドアが!もう祝杯あげなきゃ!」
「あの、それって今回大神殿にお連れするって言ってたご令嬢ですか?
なんか、ものすごく綺麗な方だって…。あ、いや、バーバラ様ほど綺麗な方はいないと思ってますけど!」
オーリャ姉ちゃんの良さを力説しようとしたオレの声を遮ってバーバラさまは黄色い悲鳴をあげて嬉しそうに騒ぐ。発言内容がセオドア様を小馬鹿にしている様でムッとしたが、バーバラ様の話にグエンが乗ったせいで反論ができなかった。嬉しそうなグエンを恨めしげに睨むも奴はなんだかものすごく興奮している。そんなゴシップを好むなんて、お前は井戸端会議をするおばちゃんか。
「良いのよ、お世辞を言わなくっても。私はその子を紹介されたことないし、間近で見たことないけどなんだかとても可愛い子らしいわよ。私の素敵なお友達の娘だから、きっと性格も良いわよ」
「はぁ、そうなんですか。でも二位になれるんですかね」
「さぁ、どうかしら…。でも、せっかくあの子が見つけた子なんだから、釣り合う魔力を持ってたら良いわね」
「魔力を持ってなくてもオーリャ姉ちゃんほどセオドア様に似合う人は絶対にいないってオレは思いますけど」
「そうねぇ。私はそのオーリャちゃんとやらを見たことないけど、あなたもエヴァちゃんに接しているあの子を見たことないでしょ?
お互いあまりあの子の気持ちを決めつけすぎない様にしないといけないわね」
「それは、そうですが、けれどセオドア様とオーリャ姉ちゃんは十年以上のつきあいがあるんです。いつか姉ちゃんの気持ちが報われる日がきっと来ると思いたいです。きちんと結婚ができる日がきっと来るはずです」
「残念だけど、彼女のためを思うなら、オーリャちゃんはセオドアのことを諦めるべきね。
あの子はハルトで、その中でも力の強い方よ。魔力のないハルペーの子とでは子供ができないわ。それにその子と結婚することは神殿に背くことになる。
その子……殺されることになるわよ。一位の子は光属性を持つことがあるけど、全員が光属性を持って生まれるわけじゃないわ。はっきり言うと光属性を持って生まれる子の方が少ないの。そんな低い可能性をゼロにするその子を神殿が放っておくと思うの?お互いのためにやめておきなさい」
「セオドア様は好きな人と添い遂げることもできないってことですか?」
「そうね、私たちはある意味神殿のものだもの。
ねぇ、イアン君、あなたはどうして私がふしだらと思うのかしら?結婚ってそんなに大事なことかしら?」
「そりゃあ、そうでしょう!子供の父親が誰かわからないなんてどうやって育てるつもりですか?」
「私は神殿の一位だもの。お金に困ることなんてないわ。それに子育てには神殿の援助もある。きちんとこの子を育てることができるわ」
バーバラさまはまたもや優しく自らの腹を撫で、愛おしそうな目を向ける。
「けれど、不特定多数が相手なんて、おかしいです。それに子供も父親が分からないなんて不安に決まってます!」
「あら、どうかしら?神殿の子供たちの多くは自分の父親がわからないわよ。ここ最近のことでなく、ずーっとずーっと長く続いている風習よ。それで誰も困ってないわね。
何より、死別する人間もいれば、夫から逃げる人もいる。それをあなたは軽蔑するの?
……それにね、子供の父親が夫と違うことって、実は結構よくあることよ」
噛んで含める様なバーバラさまの言葉にオレは何も返せなくなった。そう言われてみると、何も返せない。ただ、自分の中の常識ではおかしい、と思うだけだったから。
「価値観や常識なんて人それぞれだもの。何をどう思うかなんて、本来は止めることじゃないわ。けれど、神殿に所属しちゃった以上、口には気をつけなさいな。困ったことになるわよ」
聞き分けのない子を見る様な目つきで俺を見た後に、そう言ってバーバラ様は笑った。大嫌いな女だったのに初めて美しいと思えた。
バーバラ様は周りの人間に微笑みながら口止めをしている。
「今のはここだけの話よ。内密にしてね、ばらしたら怒るわよ。でも黙っててくれるなら、口止め料として私のとっておきのワインを夕食につけてあげるわ」
周りの男たちは、「お任せください!」と笑って答えた。バーバラ様の笑顔に見惚れる人間も多くいた。彼女に対して悪感情を持っていたオレだって美しいと思ったんだから、周りの人間がそう思うのは不思議なことじゃないだろう。
神殿の一位さまを相手にここまで暴言を吐いたのに許してくれるバーバラ様は心の広い方だったなと、この後しばらく経ってから、思った。




