傷物令嬢は保身を図る
婚約についてはこれ以上話を続けたくなくて話を逸らしたが、今まで話をしてきた感じ、殿下はとてもやばそうな匂いがする。ならば、いくつか言っておかねばならない事がある。
「殿下、婚約は喜んで承りますが、私は殿下の意に染まぬことをするつもりはございません。
しかも、私は子爵家の出、殿下の後ろ盾にもなれず、なんのお役にも立てません。何か不都合がございましたら、いつでも婚約解消いたしますので、その際は遠慮なくお申し付けくださいませ。
そして、万一、万が一にも私が殿下の意に染まぬことをした場合、悪いのは私だけです。子爵家には一切咎め立てをしないでいただきたいのです」
そう、サラとの仲を邪魔するつもりがないことと、いつでも婚約解消を受け入れることである。
しかし、世の悪役令嬢ものでもあるように、これだけ伝えておいてもなお、ゲーム補正というものがあり、断罪される事がままある様なのだ。悪役は辛いものである。だからこそ、もう一つ、その際は子爵家に咎が及ばない様にしなくてはならないということである。
「わかった。君は私の意になんでも従うということだね?」
なぜだろうか、ジェイドの言葉は素直にイエスと言い難い何かが含まれている。何か一つ言い間違えただけで徹底的な破滅が待っている様な気がするのだ。気分はうっかりネズミ講に足を踏み入れてしまってどうやって逃げようかと考えている状態である。
「えぇ、私の出来る範囲で有れば、なんでも」
「そう、その言葉忘れないでね。それとエヴァンジェリン嬢、そんな言葉は僕以外に言わない様に。でないと……わかっているよね?」
急に一人称が僕になり、さらに黒い笑顔を浮かべるジェイド。例のあの壊れた笑みである。あくまで私が約束に背いた場合については言及しないところがとてつもなく恐ろしい。16歳といえば、あちらでは高校生。こんな恐ろしい高校生がいてたまるか、と思うものの、この国では16歳で成人であり、魑魅魍魎が跋扈する王宮で育ったのだから仕方がないとも思う。
けれど、本当に心の底から関わりたくない。
「ももももちろん、婚約者たる殿下にしか申し上げませんわ」
「僕はこれから、君のことをイヴと呼びたいんだけど、良いかな?」
そのくらいなら、問題ないので、首を縦にふる。
「もちろん、これは僕だけの呼び方だから、他の人間にはさせない様にね」
「かしこまりました、殿下」
「うぅん、婚約者にする返事としては硬いなぁ。けれど急に態度を変えろと言っても難しいだろうから、今のところは見逃すけど、もう少し慣れてほしいな。
そうそう、僕のことはジェイと呼んでくれると嬉しい」
「善処いたします、殿下」
硬いと言われようがなんと言われようがこんなやばそうなやつ相手にフレンドリーになどできようはずがない。
それに原作で、悪役令嬢のイリアは『ジェイド様』と呼んでいたが、その呼び方をジェイドは不快に思っていた様で、後半部分でそう呼ぶことを禁じられるシーンがあった。それよりもさらに砕けた呼び方で呼ぶなど、とんでもない。それこそ破滅フラグを立てる様なものである。
「イヴ、僕の言うことは…?」
「ジェイ様…でよろしいでしょうか?」
遠くの破滅フラグより身近な身の安全。先程の考えをあっさり捨て、ジェイ様と呼んだ瞬間に、ジェイドは私を抱きしめた。
そして、私の前髪をかきあげて、額の傷跡を満足そうに眺めた後、そこにキスを落とした。触るな、と突き飛ばしたいのを一生懸命に我慢する。
「本来なら敬称は付けてほしくないけど、仕方ないね。それもおいおい…ね?」
そして、口を耳元に近づけると、そう囁いて、解放してくれたかと思ったら、彼の端正な顔が近づいてくる。そして、そのまま私の唇に彼の唇が重なった。
ちゅっとどこか遠くで音がした気がするが、キスと同時に私は意識を手放したので、後のことはよくわからない。正直ここ1分ほどの記憶を失くしたい。
ちなみに私が目を覚ましたのは、翌日の朝のため、午後からの婚約の調印には立ち会っていない。
この国では、本来、王族の婚約の締結は婚約者と二人揃って行うものだが、私が意識不明にも関わらず、ジェイドが一人で完璧に式を行ったそうだ。そのため、婚約は無事?成立しており、翌日目を覚ました後、ものすごく心配していた義父母に謝罪と質問責めをされた。
殿下が責任を取るためでなく、私を望んだため、断れなかったことと、後2年も経てば婚約は解消されるはずであることを伝えて、ことなきを得た。




