特別報酬と転職
「6、60万セシリル!?」
普段冷静なアイネスが、目を丸くして驚いた反応をする。
内面の驚きを表すかのように兎耳も真っ直ぐ天を向いて、緊張したように立っている。
俺も驚きのあまりに、開いた口が塞がらない。
俺達に衝撃の言葉を与えた、受付のお姉さんであるマルシェルさんは頷く。
おばさんとは、とてもじゃないが言えない……。
以前それを言った若い探索者が、目にも止まらぬ速さの回し蹴りを食らって、綺麗に宙を舞った光景を見ているから。
可愛らしい垂れ耳の犬人であるが、若い時は探索者としてバリバリ活躍していたらしい。
茶色の髪を三つ編みにしていて、美人と言うよりは可愛らしい印象がある。
2児の母親であるが、きっと若い頃はモテたに違いない。
マルシェルさんがなぜか俺をギロリと睨む。
いや、今でもすごく可愛いですし、お若いと思いますよ?
マルシェルさんが1度大きくため息をつくと、再び口を開いた。
「はぁー。順を追って説明するわね。確かに、初級者迷宮の魔狼討伐にはアイネスちゃんが言ったように、1人2万セシリルの特別報酬がでるし、掲示板にもその金額で貼ってあるわ。でも、本来それは、中級探索者に支払われる物なの。なぜ、そうなるかと言われたら理由は簡単。初級者迷宮に現れる魔狼は、普通の魔狼では無いからよ。目を見て御覧なさい。さっき確認したけど、赤い目をしてたわ。普通の魔狼は、目が金色なの」
マルシェルさんが指差した先にいる魔狼の死体を、皆で見つめる。
報酬金を得るのに必要な部位も分からないし、アズーラがバラすのも面倒くさいからと丸々そのまま持ってきたのだが、やっぱりバラすべきだったかな?
狼の倍以上の身体を持つ黒い大きな狼が、応接室の床に舌をべろんと出して寝転んでる。
しかも、折れたシミターが頭に刺さったままの状態で。
そういえば探索者ギルドに入場した際にも、後ろ足を無くした魔狼を凶悪装備の牛娘が背負う異様な光景に、他の皆さんが驚いてましたなぁ。
黒い全身鎧の牛人が魔狼を担いで、ついでに斬り飛ばした足を持ち歩いてた我がパーティーは、周りからどんな風に思われてたんだろうね。
「確かに、赤いですわね」
「へぇー、そうなんだ。あー、でも言われて見れば、前に中級者迷宮で見た魔狼の目は、金色だったような……」
アズーラが魔狼の目を指でこじ開け、アイネスがその目の色を確認するようにジロジロと見ている。
魔狼のギョロ目がこちらを見ており、かなり怖い。
「アズーラ、本当に覚えてるのですか? 魔狼と会った時、何も言わなかったじゃないですか。あの時すぐに、何か違和感を感じなかったのですか? 情報は正確でないと困りますね」
「あん? おめぇみたいに、何でもかんでも完璧に覚えてるわけじゃねぇよ」
「まあまあ。2人共、喧嘩しないのよ」
剣呑な雰囲気をかもし出した2人の間に、マルシェルさんが割って入って宥める。
3人が席に戻ってくると、マルシェルさんが話を続ける。
「亜種と呼ばれる魔物は、知恵を持つことが多いの。普通の魔狼は、餌の豊富な中級者迷宮からわざわざ初級者迷宮に、移動する事は無いんだけどね。おそらくだけど、昨日の夜から中級者迷宮に潜った迷宮騎士団が危険な魔物達を間引いていた時に、危険を感じた魔狼の亜種が移動したんだと思うわ。今日の朝に発見報告があったから、中級探索者達に報奨金付きの討伐依頼の告知をだしてたんだけど、まさか貴方達が倒して帰ってくるとは思わなかったわ」
あー、そういえば俺達が魔狼を倒し終わった直後くらいに、サリッシュさんが血相変えて迷宮神殿に飛び込んできたよな。
俺達が迷宮に潜ってる間に、初級者迷宮で魔狼と接触したパーティーがすぐに入口前に転移して、迷宮騎士団に報告したんだっけ?
魔狼を倒し終わった俺達に、サリッシュさんがすごく驚いてたのはそういうわけか。
マルシェルさんが深い溜息を吐くと腰に手を当て、若干怒った様な表情で俺達を見つめる。
「まったく、困った子供達ね。本来、魔狼の亜種は迷宮騎士団か、中級探索者のみで編成されたパーティーで討伐するものなの。でも、過去に初級探索者が混ざったパーティーで討伐した事例があるの。この街の迷宮騎士団の中に、カリアズって犬人の女性がいるでしょ? あの子が、この街の特別な前例を作ってるの。その際に、優秀な初級探索者には更に多い賞金を与えるべきだと言う事で、当時は10万セシリルの報酬が支払われたの」
カリアズさんすげぇな。
やっぱり才能のある人なんだな。
マルシェルさんが自分の事のように、当時のことを自慢気に話す。
しかし次の瞬間には、暗い表情に変わった。
「その賞金目当てに、初級探索者が魔狼の亜種に挑んだんですね。それで怪我人が沢山でたと」
「アイネスちゃんの予想通りよ。酷い時には、死者も出たわ。だから、この話は表向きには伏せる事にしてるの。あまり外で言わないでね。今回の話も、中級探索者で牛人のアズーラちゃんが仕留めたってのが、探索者ギルドの表向きの話になる予定だけど、ハヤト君達は問題無いかしら? もちろん、今回も1人10万セシリルを、皆にきちんと払う予定だから安心して」
「まあ、そっちの方が良いわな。子供だけで倒したって噂が広がると、絶対にうざいのに絡まれそうだしな」
「アズーラの言うとおりですね。アカネには申し訳ないですが初級探索者で見た目が細い上に、未成年で女性のアカネが倒したとなると、変な腕自慢の馬鹿達のやっかみをかけられそうですからね。今回は、探索者ギルドの意向に沿った方が良さそうですね」
アズーラが腕を組んで頷く。
納得したような表情で頷いたアイネスが俺に意見を求めるような視線を向けたので、了承の意味で俺も頷いておく。
極力面倒事は避けたい俺達としても、マルシェルさんの提案は渡りに船だろう。
報酬金さえきちんと払ってもらえれば、全然問題は無い。
「アカネも問題無いですよね?」
アイネスの問いかけと共に皆の視線が、エルレイナの援護もあったが魔狼の亜種を見事に仕留めた勇者に移る。
「報酬金が貰えれば、メリョンを買えるであります……」
「……アカネ?」
「ほえ?」
何を考えてるのかがまる分かりな独り言を呟きながら、上の空なアカネにアイネスが声をかける。
皆の視線を浴びてアカネがキョトンとした顔をすると、しばらくしてようやく状況を理解したのか顔を真っ赤にする。
狼耳を伏せると、両手の人差し指を突き合いながら、申し訳なさそうな顔をするハラペコ狼娘。
アカネ、聞いて無かったな?
「も、申し訳ないであります。聞いて無かったであります」
「本当は、アカネちゃんが魔狼の亜種を倒したんだけど、余計な厄介事から貴方達の身を守る為に、今回の魔狼討伐の功績はアズーラちゃんにした方が良いと思うの。アカネちゃんは、それで問題無い? もちろん、メリョンを買う為の報酬金は、きちんと払うわよ」
「大丈夫であります! メリョンが食べれるなら、何でも良いであります!」
名声よりも食べ物ですか。
アカネらしいと言えば、アカネらしいが……。
皆が同じ事を考えたのだろう、生暖かい視線のやり取りをする俺達に、マルシェルさんが申し訳なさそうな表情をする。
「ごめんね、無理言っちゃって。一応、今回の魔狼の亜種討伐実績を見込んで、貴方達の探索者の階級も初級探索者から中級探索者に変わることになってるわ。良い意味で、見た目と実力が伴わないパーティーね」
クスクスと楽しそうな笑みを浮かべながら、俺達に視線を移すマルシェルさん。
しかしその顔が、すぐに真剣な表情に変化する。
「でも、だからと言って調子に乗らないように。これから、貴方達が挑戦しようとしている中級者迷宮は、初級者迷宮のように甘くはないわ。迷宮が殺しに来るという言葉があるように、気を引き締めてかからないと命がすぐに無くなるわよ」
怖ぇー。
中級者迷宮ってどんな危険な所なんですか?
若い時は毎日のように中級者迷宮に潜ってたというマルシェルさんが、中級者迷宮に潜った時の体験談をいろいろ語ってくれた。
中級者迷宮には魔樹と呼ばれる特殊な植物が生えていたり、鉱山にあるような鉄が生えてたりするとか。
また、迷宮が産む魔物の中には武具を生産して、魔物達の武器になる物を与える魔物がいるとか。
えーと、迷宮さんは魔物の味方なのですか?
「その話は聞いたことがあります。栄養となる餌を多くとるために、殺傷力の高くなる物を迷宮に訪れる者達に与えるという、迷宮の習性ですね?」
「そうよ。その分、中級者迷宮には栄養のある物や美味しい物が多いわよね。商人ギルドが取仕切って、浅層を狩場と魔樹農園にしようとするのも仕方ないわね」
「ポッピーは良いよな。あの苦味は、酒によく合うんだよな~」
「お酒はあまり興味ありませんが、シンスが無くなると困りますね。髪を洗うのに、アレがあるのと無いのとでは全然違いますから」
アズーラのお酒談義を軽く流しながら、アイネスが長い髪をかきあげる。
確かポッピーはアズーラの飲む麦酒に使われるホップみたいな物で、シンスがシャンプー代わりになる液体の原材料になる実だったかな?
アイネスの話だと、2つとも迷宮の魔素で育つ魔樹という特殊な植物なんだよな。
原材料が迷宮で効率よく育つから、市場で平民でも安価に買える物になってるんだっけ?
「お前なぁ……あれのお陰で、良い感じに苦味のある酒が安く買えるんだぞ?」
「お酒の味については大して興味ないですが、値段が安くなるということには、ありがたみを感じますね。お酒を飲ませないと迷宮に潜らないって言う、我侭な奴隷がいる我が家の家計には、大助かりですからねー」
「そんな奴いたっけ?」
アズーラの台詞を聞いたアイネスの顔に、複数の青筋が浮かぶ。
可愛い顔の原型を保ちながら、兎娘の顔が世にも恐ろしげな表情に変化する。
怖ッ!?
「……お酒は、1日3本までって約束をしたはずなのに、結局5本以上を勝手に飲んでる方は、どこのどなたでしたかねー? 物置部屋に置いてた20本入りの箱が2つ、既に空になったんですが?」
「あん? ハヤト、飲みすぎんなよ」
「……え?」
おいおいおい、適当な事を言うなアズーラ。
こっちの世界に来てから、俺は酒を飲んだ覚えは無いぞ。
俺を挟んで般若のような顔をしてお前を睨む兎娘に、どこかの誰かさんみたいに「装備品はいらないから酒を買え」とか、俺が命令できるわけが無いだろ?
「好きなだけ飲むのは結構ですが、もともとお酒を買うのは200本までというのが、迷宮に潜る条件でしたからね。それを超えたら、私は買う気は無いんですけど?」
「は? なんで? また買えば良いじゃん」
「……」
不良牛娘と般若兎娘の間に挟まれながら、この居心地の悪い状況に逃げ出したくなる。
皆、見てないで早く助けて!
アカネは……あー、またメリョンで上の空になってやがる。
駄目だなこいつは。
エルレイナは……なぜにラウネで顔を隠してるのかね?
半笑いの顔がこちらを見つめていて、まるで俺を嘲笑うかのように怪しく上下に揺れて……食事中かよ。
どうりでさっきから大人しいと思ったよ。
ここは最後の頼みの綱であるアクゥアせんせ……!?
まさかのアクゥアさんが、目を逸らした!
魔狼の亜種の睨みにすら目を逸らさなかったアクゥア先生が、まさかの敵前逃亡をするとは……予想外です。
あー、でも、前にも似たようなことがあって『お金の絡んだアイネスさんは、ちょっと怖くて苦手です。皆さんの生活費を管理しているかたですから、アズーラさんを味方するわけにもいかないですし』と殴り合いの一歩手前の状況に、困惑してたよな。
「貴方達って、仲良いのね。……あっ! はいはい、今開けますね」
なんか妙に落ち着いた感じで、俺達のやりとりを見ていたマルシェルさんが検討違いな感想を述べてると、応接室の扉をノックする音が聞こえる。
マルシェルさんが扉を開けると、入って来たのは1人の女性。
深緑色の瞳とインテリ系と呼ぶのが相応しい眼鏡が特徴的な、猫族の女性だ。
目と同じ深緑色の髪であるが、耳と尻尾は灰色。
どっかで見たことがある色の組み合わせだな。
髪を顎のあたりで綺麗に切り揃え、制服をきっちりと着こなしている様子から、仕事のできる女性という言葉が似合いそうな雰囲気の女性である。
なぜか俺を睨むような視線を1度送ると、マルシェルさんと話し始める女性。
そういえばさっき魔狼の報奨金を得る為に、査定の時間がかかりそうだからついでに身体検査もしてもらったから、その結果が出たのかな?
今回の身体検査とやらは、いろいろ調べられて面倒くさかったな。
俺のレベルは、どれくらい上がったんだろうね。
まあ、俺の場合は神子という最弱職業だから、レベルが上がったところで大した変化は無いとは思いますがね……フッ。
「マルシェル、後の説明は貴方にお願いするわね」
「分かったわ」
気持ちが沈み出した所で、マルシェルさん達の会話が終わったようだ。
資料の紙束とギルドカードをマルシェルさんが受け取る。
眼鏡を指で上にずらして直すような仕草をした後、再び俺を睨むような視線を投げかけて、部屋を退室した猫族の女性。
あれ? やっぱり気のせいじゃないのよな。
何か俺、悪い事したかな?
「旦那様、副ギルド長とお知り合いですか?」
「いや、初めて会うと思うんだが……」
「えらく睨んでたぞ。ハヤト、何かやらかしたのか?」
「いや、覚えがないんだが……」
さっきまで睨み合ってた2人に質問されるが、まったく身に覚えが無い。
たぶん初対面だよな?
あんなに敵意丸出しな視線を向けられると、本当は俺が過去に何か失礼な事をやらかしたんじゃないかと不安になってくる。
「さーて、結果が出たわよ。はい、ギルドカードは返すわね」
マルシェルさんから渡されたギルドカードをアイネスが受け取ると、いつもの定位置である胸の谷間にギルドカードが沈んでいく。
俺もいつか、その中に沈んでみたい。
「……ッ!?」
馬鹿なことを考えてたら、当然のように兎娘にわき腹を強く抓られた。
アイネスさん、痛いです。
「さて、まずは皆のレベルが上がりました」
わーい。
マルシェルさんが資料に目を通しながら、自分のことのように嬉しそうな表情を見せる。
「えーっと、そうねえ……。まず、ハヤト君が神子のレベル6になってるわね」
「おー!」って良いたい所だけど、それって上がってる方なの?
「随分、短期間でレベルが上がったみたいね」
「上がり過ぎじゃねぇか?」
「魔狼の亜種を倒したからじゃないかしら? 亜種になると個体毎に持ってる経験値が、通常の魔物の何倍にも増えるらしいから」
「なるほど」
マルシェルさんの言葉に、アイネスが納得したように頷く。
アズーラは、妙に腑に落ちないといった納得できてない表情だが、予想以上に経験値が沢山貰えたってことは良いことじゃないのか?
どうやら思ったより、順調にレベルは上がってるようだ。
「それと、アズーラちゃんが獣人のレベル7。アカネちゃんが獣人のレベル10とアイネスちゃんが魔法使いのレベル5になってるわね」
「本当ですか?」
アイネスが嬉しそうな表情をする。
レベルが上がるのはやっぱり嬉しいよね。
なんでアズーラは、レベルが上がってるのに難しそうな顔をしてるの?
「残念ながらアクゥアちゃんとエルレイナちゃんは、獣人のレベル15のままね。あっ、でも……」
アクゥアとエルレイナは、残念ながらレベルが上がらなかったみたいだな。
マルシェルさんが資料を眺めながら、驚いたような表情をする。
「転職をしたいという話だったけど……へぇー。2人共、とても優秀みたいね。中級職業が、転職可能となってるわね」
「え? 本当ですか!?」
「みたいね。アクゥアちゃんは狩人、エルレイナちゃんは剣士が一番適正があるみたいね」
アイネスが身を乗り出して、マルシェルさんの話に食いつく。
「まあ、飛び級自体は珍しいことではないわ。さっき話してたカリアズも同じように獣人から狩人に転職したしね。中級職業になると初級職業よりも職業補正が高くなるけど、同時にレベルを上げるための必要となる経験値が高くなるわ。どうする?」
「……それは、今は中級職業に転職しない方が、良いかもしれないということですか?」
「探索者職業っていうのは大器晩成て言うように、レベルが高くなってから大きく能力成長するのが普通だしね。人によっては、経験値が多く手に入る深層に潜るまでは、初級職業でレベルを上げ続けるという人もいるわね。それにパーティー補正の絡みもあるし……。まあ、先に中級職業にしてみて、都合が悪くなったら初級職業に変えるというのでも良いと思うけど」
「本人にも、聞いてみた方が良いですかね?」
アイネスがそう言って、俺に視線を移す。
今までマルシェルさんとアイネスがしてた会話をアクゥアに訳す。
するとアクゥアが、真剣な表情でしばらく考え込むような仕草を見せる。
『……中級職業に、転職しても問題無いかと思います。この街の中級者迷宮には、まだ潜ったことは無いですが、他の街の中級者迷宮にお師匠様と潜った時は、獣人の職業でも何とかなってましたので、経験値が大して得られなくても大丈夫だと思います』
それを皆に訳すと、ものすごく微妙な顔をされる。
特にマルシェルさんあたりに。
「アクゥアちゃんて、何者?」
「うちのパーティーで、一番腕の立つ獣人……ですかね?」
「未成年だけど、エルレイナちゃんも含めてレベルが高いから気にはなってたんだけど。転職もしてない獣人の子供を、中級者迷宮に連れ回すそのお師匠様とやらには、あまり感心しないわね。良い、アクゥアちゃん。腕が立つのは良いことかもしれないけど、過信しちゃ駄目よ! 中級者迷宮は、そんなに甘い所じゃないからね?」
若干目を吊り上げたマルシェルさんに迫られて、アクゥアが困惑したような表情を見せる。
マルシェルさんの話を訳してやると大きく頷き、『肝に銘じておきます』と言ったことをマルシェルさんに伝えると、満足そうにマルシェルさんが頷く。
「冗談抜きにね。若い子の中には、探索者で一稼ぎしようと夢見て無茶をして、早く深層に潜ろうとして命を無くす子が多いのよ。私の友人もそうだったわ……。だから、貴方達は絶対に無茶をしては駄目よ。命は、1つしかないんだからね?」
「大丈夫です。今回は、魔狼の亜種と言うのを知らなくて、少々無茶な事をしてしまいましたが、中級者迷宮では慎重に行動します」
アイネスの言葉に、マルシェルさんがうんうんと嬉しそうに頷く。
大丈夫ですよ、マルシェルさん。
俺達は生活費を稼げたら問題無いのであって、別に深層とやらに挑戦するつもりは無いので。
億単位の莫大な借金があるとかならまだ話は別ですが、俺はそんな借金は無いので、無茶をする予定は無いです。
「それにしても、さっきのアズーラちゃんはおもしろかったわね。頭にシミターの刺さった魔狼の亜種を、担いで受付にくるんだもの。受付の皆もびっくりしてたわよー」
「しょうがねぇだろ。報酬金を貰うための証拠になる部位が、身体のどこか分からなかったんだから」
マルシェルさんがクスクスと思い出し笑いをする。
たぶん、アズーラが魔狼の亜種を背負って入場した時のことを思い出しているのだろう。
「あんな派手なことをしてたら、悪い噂が流れるわよー。ただでさえ、アズーラちゃんは目立ってるのに」
「やっぱりアズーラは、目立ってるんですか?」
「目立ってるわよー。何しろアズーラちゃんが着てるのは、鉄製の全身鎧だしね。全身鎧は、決して安い買い物じゃないわ。初級探索者には中々手がでないわね。中級探索者の中でもそれなりに稼ぎが良い人達じゃないと、すぐには買えないわよ」
俺の問い掛けに、マルシェルさんが楽しそうな笑みを浮かべる。
なるほど。
全身鎧を着てる人は、そこそこできる探索者と認識されるのか。
確かに全身鎧は、見た目だけで言えば歴戦の猛者に見えるしね。
アズーラ以外の女性達は皮装備で、肌が露出してる所が多い帯鎧だもんな。
探索者ギルドにいる若い人達も帯鎧が多かったしね。
「それって黒鉄製? 高かったでしょー。4、50万セシリルはしたんじゃないの?」
「いえ、これは無料です」
「え? 無料!?」
「はい。これは、お店の展示品を借りてるだけです。それと黒く塗装してるだけで、見た目は派手で頑丈そうですが、実際は大して強度の無い、安い鉄だと聞いてます。新しい装備が購入できた時に、お店に返却する予定です」
アイネスの返答に、マルシェルさんの目が見開かれる。
まあ、驚くわな。
外見も中味も張りぼてです。
今までハッタリだけで生活してきました。
報酬金も貰えたし、早くきちんとした装備を買わないとね。
その後、他愛の無い雑談をする。
最近、サクラ聖教国で何かあったみたいで、サクラ聖教国から探索者ギルドに派遣されてる副ギルド長や職員達が妙にピリピリしてるとか。
マルシェルさんも探索者になり立ての頃は、迷宮騎士団の女性騎士と混成チームを作って、初級者迷宮や中級者迷宮の巡回バイトをして稼いでたとか。
迷宮騎士団に入団しようか迷ってたけど、子供ができちゃって結局は諦めて、今の探索者ギルドで仕事してるとか。
なかなか面白い話を聞く事ができた。
最後にマルシェルさんが俺を見て真剣な表情になると、両手を俺の肩にのせる。
「良い、ハヤト君。貴方は、うちの探索者ギルドの希望の星なんだからね。絶対に、死んだら駄目だからね!」
「え?」
「貴族の身分を投げ捨ててまで、ヴァルディア教会と闘う強い意思を持って、この街の神子として骨を埋める覚悟でやってきたという貴方の話には、私達はすごく感動したわ! でも、貴族の身分を捨てては駄目よ。気持ちだけは受けとっておくわ。平民と同じ気持ちになる為に、探索者の道を選んだというハヤト君の熱い想いを汲み取って、そのつもりで私達もこれから対応するつもりだけど」
ええええええ!?
それは何の話ですか!
マルシェルさんが、急におかしくなった原因を作った犯人に慌てて目を移すと、兎耳を生やした悪魔に可愛らしい笑みを返された。
「安心して下さい、マルシェルさん。ご主人様は立派な神子となって、この街を救ってくれるはずです!」
「素晴らしいわ! 私達もすごくすごく応援してるから、是非頑張ってね! 何か困ったことがあったら、私にすぐに言ってね。打倒ヴァルディア教会の為に、何でも協力するわ!」
二人で手を取り合って、俺の知らない謎の世界を作りあげている。
なんか俺が最初に来たときよりも、妙に探索者ギルドの受付のお姉さん達が優しく熱心に対応してくれるから、違和感を覚えてたんだがそういうことか?
まさかこの前の巫女だけが無料で読むことができる魔導書の栞を、神子の俺に快く貸し出してれたのもその件が絡んでるんじゃ……。
マルシェルさんどころか探索者ギルドも、ついにう詐欺娘の魔の手に落ちたか。
アイネスはいろんな所でホラ吹きまくってるけど、その設定はちゃんと回収できるんだろうね?
俺は知らないぞ?
余計な心労が増えたことに、頭を悩ませながらも応接室を出る。
報酬金を受け取れる窓口がある部屋へ移動すると、途端に目がお金マークになった兎娘に魔吸石の腕輪を全員が奪い取られた。
その後、魔吸石を握り締めて一目散に窓口へ駆けて行ったアイネス。
今回は予定外の特別報酬も貰えるし、よっぽど報酬が受け取れるのが嬉しかったんだろうね。
今まで、節約節約の毎日だったからな。
苦労を掛けますね。
「ん? 何だあれ?」
妙に外が騒がしいと思って、探索者ギルドの窓から外を覗くと人だかりができていた。
馬鹿でかい黒い蜘蛛のような何かが、仰向けに引っ繰り返った状態になってる。
その周りに、人が沢山集まってる。
「あー、ありゃ鋼蜘蛛だな」
俺が覗いてる隣に来たアズーラが教えてくれた。
鋼蜘蛛……確かに、硬そうな見た目はしてるな。
いかにも探索者なり立ての若い人達が、目をキラキラと輝かせてその鋼蜘蛛とやらを見ている。
「迷宮蜘蛛の上位種の魔物だよ。あの鋼蜘蛛からは鋼黒鉄って言う、良質の鉄が取れるんだよ。商人に売ったら良い金になるから、探索者達がよく取ってくるんだ」
「へー」
「まあ、むしろその報酬よりも、鋼蜘蛛を持って帰ってきたって方が意味があるんだけどな。結構、あれを取るのは大変らしいぜぇ?」
「その言い方だと、厄介そうみたいだな」
「お待たせしました! 報酬金を貰えましたよ! さあ、次は転職をしに、サクラ聖教会の小聖堂に行きましょう!」
鼻歌でも歌いだしそうな表情でアイネスが戻ってくると、次の目的地への移動を促す。
探索者ギルドの通用口を通って、探索者ギルドの隣にあるサクラ聖教会の小聖堂へ向かう。
神子へ転職した時と皆のパーティー申請の時に、小聖堂へは行ってるから道順はだいたい分かる。
「で、いくら貰えたんだっけ?」
「フフフ。すごいですよー。魔吸石の報酬が、6万5300セシリル。初級者迷宮踏破の報酬が6万セシリル。魔狼の亜種討伐の特別報酬が60万セシリルで、なんと全部で72万5300セシリル貰えましたよ!」
アイネスがいつも以上に目をキラキラと輝かせて、満面の笑みで報告してくれる。
おー、一気に大金持ちだな!
「でも……たぶん中級者迷宮用の装備を買ったら、すぐに無くなると思うんですけどね……」
喜びも束の間、すぐにアイネスが表情を暗くして遠い目をする。
おー、一夜限りの夢となりますか……切ない。
渡り廊下のような道を通った先に、開けた場所が現れる。
厳かな雰囲気を持つ小聖堂と呼ばれる部屋が、俺達を迎え入れる。
教会のような作りをした部屋の奥に、目的の人物が立っている。
雄々しい戦女神様の石像の前に立ち、可愛らしくニコニコと笑う猫耳女性。
特徴的なのは、その驚く程の白さである。
巫女服だと思われる煌びやかな装飾をした白衣で全身を包み、その服装と合わせたと思うような真っ白くて綺麗な長い髪を持つ女性。
耳と尻尾までが雪のように白く、その整った美しい顔から猫のように興味深そうにこちらを見つめる金の瞳に、思わず吸い込まれそうな感覚になる。
俺達が奥の方まで歩み寄ると、カルディアさんがニコリを笑う。
「いらっしゃ~い」
そしてこの間延びした話し方である。
その脱力した言い方に、条件反射的にズッコケそうになる。
しかし、このカルディアさんの目を惹く最大の特徴はそこでは無い。
巨乳兎娘アイネスさえも超えた、2つのメロンを装備した色白美人巫女。
2つの巨峰もとい巨砲が、巫女服を内側からこれでもかと大きく押し上げている。
素晴らしき『BAKUNYUU』でござるよ。
ここに変態紳士達が揃えば、間違いなく皆の心が1つになって腕を上下に上げ下げしながら「おっぱい! おっぱい!」コールの嵐が乱れ飛ぶだろう。
しかし残念ながら、おっぱい星から降臨したと過言してもいいくらいに、おっぱい大好きな俺でもこの人だけは過剰に反応できない。
だってさあ……アレを見たらねぇ?
カルディアさんの足元に転がる人物に目を移す。
「た、たすけ――」
ニコニコと可愛らしく笑うカルディアさんがパチンと指を鳴らしたと同時に、俺達へ助けを求めようと手を伸ばした男性が、見えない何かに吹き飛ばされて宙を舞う。
見えない何かにそのまま勢いよく壁に叩きつけられると、ズルズルと地面に崩れ落ちた。
おそらく本日付で探索者になろうとして、転職をするためにここに訪れた新人さんなんだろう。
「反省しない虫は~、早く死んでね~」
可愛らしい間延びした声で、アイネス以上のひどい毒を吐く白猫爆乳お姉さん。
アイネスの中身を悪魔とすれば、このカルディア様と言う御方は大悪魔を内包してると言っても過言でない、戦巫女と呼ばれる強者なのである。
変態紳士と呼ばれる人達は「おっぱいには夢が詰まってる」と言うが、この人には悪夢しか詰まって無いと思う。
サクラ聖教国の戦巫女って、皆こんな感じなんですかね?
マルシェルさんや探索者ギルドの受付のお姉さん達に、「無事に転職をしたければ、どんなことがあっても、サクラ聖教国の戦巫女には逆ったら駄目よ」と注意される意味がよくわかるよ。
ここに立ち寄る度に、必ず誰かが倒れてますよね?
たぶん、例のアレに失敗して、彼もカルディアさんのお怒りに触れたんだろうね。
アイネスには、あの攻撃魔法は風魔法の類だと言われたが、アレを食らって自分が生き残れるとは思えない。
だって風魔法なのに、人が巨大な振り子の鉄球で勢いよく吹き飛ばされたみたいに宙を舞う魔法って、どんな恐ろしい魔法だよ。
俺も初めてこの小聖堂を訪れた際には、誰かに襲撃されたのかと思うような悲惨な状況に、さすがにドン引きしたからね。
虫の息となった人達の中心で、ニコニコと笑みを浮かべながら獲物を見るかのような瞳で見つめられて、思わず帰りたくなったのは仕方ないと思う。
こっちに来いと手招きされて、「君も転職ぅ~?」て聞かれて思わず土下座して「転職をさせて下さい! 後、殺さないで下さい!」と条件反射的に叫んでしまった。
その後、カルディアさんに「初めて転職する人は~、私の言葉を~、後に続けて~、心を込めて言ってね~」と言われて、必死に言われるがままにやりましたね。
ありがたい神の言葉なのか懺悔なのか良く分からん、ひたすら誰かに謝ってるような台詞を戦巫女様の後に続けて、心を込めながら口に出すという苦行を乗り越えて、ようやく探索者職業に転職できたんだよなー。
小聖堂から無事に脱出できた時は、思わずガッツポーズをしてしまいましたね。
お陰さまで転職できた喜びの方が強くて、神子がどんだけ不遇職かっていうのを聞きそびれたんだよなー。
あれは良い思い出である。
うん、ねーよ。
今思えば、アレはアイネスの話してたこの世界の人間のご先祖が獣人を奴隷にしたという悪行について、ご先祖に代わって戦女神様に対して子孫が謝るという設定なんだろうね。
謝る事で子孫の人間が戦女神様の許しを得て、初めて探索者の職業に転職できるという流れなんだろうな。
その謝る作業を「ふざけんな!」と戦巫女様に文句言ったり、「めんどくせぇ」と逆らった人は即座に見えない風魔法の粛清を味わう結果になると。
よく見ると奥の方にも若い男性達が倒れていて、「うーん、うーん」と呻き声を出している。
たぶん彼らも、今日来たばかりの新人さんなんだろうな。
若者よ、時には我慢するということも大事だぞ。
「長い物には巻かれよ」という言葉を知らんのかね?
頭を下げることで転職できるんだから、この世界の常識には素直に従っとけよ。
「あれ~? 貴方、魔法使いだったよね~。杖じゃないのぉ~?」
「え? あ、はい。メイスですね」
「……」
メイスを持ち歩いているアイネスを、無言で見続けていたカルディアさんの目が突然に大きく開き、瞳孔がまさに猫目と言うくらいの縦長になる。
獲物を見定めるかのような戦巫女の視線に、アイネスも「ヒッ!」と小さく悲鳴をあげて俺の方に寄ってくる。
「な、何か?」
「貴方のお名前は~?」
「……あ、アイネスです」
大蛇に睨まれた蛙のように、怯えるような、ようやく絞り出したかのような声を出すアイネス。
いつも強気な兎娘でも、さすがにおっぱい的にも魔法使い的にも遥かな高みにいるこの人には、強気に出れんか……。
後、俺を盾にして後ろに隠れようとしないでね?
あの攻撃魔法を食らったら、俺は間違いなく死ぬからね。
「分かったわ~、覚えとくわね~」
ひとまずは怒らせなければとても優しいカルディアさんに、俺とアイネス以外の4人を転職してもらった。
魔道具にギルドカードを差して、パーティー情報が転職した状態に更新されているのをアイネスが確認すると、カルディアさんにお礼を言って小聖堂から出る。
「はぁー、カルディアさんって少し苦手なんですよね。ちょっと何を考えてるか分かりにくい人で。たぶん、悪い人では無いとは思うんですけど」
「えらく興味持たれてたな」
小聖堂から出る時も、なぜかアイネスばかりがじーっと見られてたしね。
「そうなんですよね。なぜでしょう? 前回の魔法使いに転職した時やパーティー申請の時には、何も言われなくて、名前すらも聞かれなかったんですけど……」
思い当たる節が無いのか、しきりに首を傾げて考え込む様子を見せるアイネス。
帰り道に雑貨屋に立ち寄って、「特別報酬が入ったので、明日はいろいろ買い物したいのですが」とアイネスが尋ねると、アイヤー店長が途端に目の色を変えた。
「1日待ってくれれば、全部準備するネ!」とアイヤー店長の申し出に、だいたい欲しい物を伝えて「明日、またお店に寄ります」という話をしておいた。
家に帰ってから、魔狼の亜種と戦ったという話をアイネスから聞かされたロリンは、「レイナちゃん、すごいんだね!」と目を輝かせてエルレイナをしきりに褒め称えていた。
エルレイナは「あいあいあ?」と首を傾げた後、嬉しそうに飛び跳ねるロリンを見て「ロリン! ロリン! あいあいあー!」と、ロリンを真似て楽しそうに飛び跳ねていた。
ついにはロリンを持ち上げて、いつも通り楽しそうにクルクルと回り出したエルレイナに、思わず苦笑いしてしまう。
お前、絶対に分かってないだろ?
ロリン、そのアホ狐は普通に褒めても無駄だと思うぞ?
そいつの褒め方にはいろいろコツがあってだな、アクゥア先生に習っといた方が良いと思うぞ。
いつも通りの賑やかな夕食を終えた後も、アクゥアの異国語を訳してあげながら特別報酬で何の装備を買うかを、皆でいろいろと考えて話し合う。
一通り話し合いが終わったら、次は雑貨屋で装備以外で何を買うかの話になる。
ここ最近迷宮に潜りっぱなしだったし明日くらいは迷宮をお休みして、生活用品をもう少し良くする為にのんびり買い物をしようということになった。
買い物と言っても、いつものアイヤー店長のいる雑貨屋に行くだけなのだが。
「明日は魔狼の亜種討伐の祝勝会も兼ねて、豪勢な夕食にする」というアイネスの話に、アカネが「お祝いなら、高級メリョンを買って欲しいあります!」と雄叫びをあげたり。
せっかく剣士に転職したのにシミターが1本折れてしまったので、中味の無い鞘だけの1本と予備の1本を見てエルレイナがしょんぼりしたり。
二刀流が出来ない事が分かったエルレイナを、アクゥアが『明日シミターを買いに行きますから、大丈夫ですよ』とロリンと一緒に励ましたり。
妙にアズーラは大人しく酒を飲みながら、何かを考え込むような素ぶりを見せて、明日買うお酒を何にするかを真剣に悩んでるのかなーと思ったり。
休日の買い物三昧な1日に、何を買おうかと期待に胸膨らませた女性達のお喋りに、女性のお買い物好きは異世界共通だなーと苦笑してしまう。
女性達の終わりの見えないお喋りに、皆が楽しいからいっかと思いながらも、娼館に行く目的を失くして買う物が特に無い俺は「明日、お店に行っても超暇じゃん!」と気付いてしまった。
女性陣の買い物に付き合うだけの1日になりそうな未来に絶望してしまったのは、ここだけの話である……。
今章は、ちょっとした小ネタを入れる予定です。
『小説家になろう』の後書きを使って、裏話を含めたおまけのお話を入れますので、よろしくです。




