真実と、悪役と
イレネが手のひらに紋様を刻み、あえて治癒魔法で治さないまま傷として残した結果として、イレネも時属性の魔法が使えるようになった。
が、表に発表されたのはもちろん後半部分のみ。まさか聖女たるイレネがそんな馬鹿げたことをするだなんて誰も思わないだろう。
「あら、まぁ」
「なんてこと……!」
新聞で知ったフェリシアとリルムは相反する反応をした。
無論、国王も知っているし国民にも知れ渡ってしまった。
ローヴァイン公爵家全体も知ってしまったのだが、彼らは至って冷静そのものだった。フェリシアもその冷静なうちの一人なのだが、リルムはそれどころではない。大変憤っているのだが、フェリシアはそんなリルムを『忙しいなぁ……』と思いながら見つめている。
「フェリシア、あなたね、何でそんなに普通なの!」
「……慌てること、ありまして?」
「慌てなさい!」
はて、何を慌てることが? とフェリシアは首を傾げている。あぁもう可愛いわね! と思わず叫んだリルムだったが、今はそんなこと言っている場合では無いのだ。
なお、フェリシアの大親友であるミシェルはこの場には同席していないのだが、きっと同じ反応をしただろう、というのはリルム談。
学年や年齢は違えど、フェリシアを切っ掛けとしてリルムとミシェルもとても仲良くなっていた。ミシェルの両親は大層喜んで『うちの娘は王太女様ととても仲が良いので』とあちこちに知らせまくったのだが、ミシェルから『フェリシアのおかげなんですからね!』と特大の釘を刺された、とか何とか。
「もう……時を操る魔法がほいほいと使われたら、とんでもないことになるのは貴女が一番よく分かっているでしょうに……」
「そうねぇ」
「ちょっと……本当にのんびりしている場合なの?」
「大丈夫よ」
頷いて、フェリシアはお茶をゆっくり飲む。
学院を卒業して、もうすっかり王太女として諸外国にも顔が広まっているリルムは、こうして僅かな空き時間があればフェリシアと交流することを望んでくれた。
何だか申し訳ないな、と思う一方で、リルムにとってフェリシアは唯一無二の親友であり、リルムとリルムの母を表舞台へと引き上げてくれたかけがえの無い恩人でもある。
余暇は自分のためにも使うが、フェリシアのためにも使いたい。まして今、イレネが急速に平民の心をがっちり掴んで離さず、支持が急上昇したうえに『時の聖女様』ともてはやされているのだから。
「うまいこと言うなぁ、って思っておりましたわ。時の聖女……えぇ、確かに名前の通りですものね」
ふふ、と笑いながらフェリシアは手にしたティーカップを少しだけ揺らす。
ゆらりゆらりと中身もそれに合わせて揺れ、零れない程度にそれを楽しんでからフェリシアはカップを揺らすことを止めた。
「でも……慌てることなんて、何もないわ。それに、色々と手は打ってあるの」
「例えば?」
「そうねぇ……あまりこんなこと言いたくはないんだけど……」
申し訳なさそうな、でもどこか楽しそうな、そんな顔をしてフェリシアはすい、とリルムを指さした。
「え?」
どうして自分が、と訝しげな表情になるリルムだったのだが、続いたフェリシアの言葉に目を見開いた、
「例えばイレネの支持が爆発的にこれからも膨れ上がったとしましょう。そうなった時のために、まずひとつ目。わたくしは、貴女と、貴女のお母様だけは王家の人間の中でも助けなければ、そう思っているわ」
「……どういうこと……?」
「リルムはわたくしに助けられた、って言うけれどそれは、わたくしも同じよ。お互い様、っていうところかしら」
微笑むフェリシアの瞳の奥底にある、仄暗さ。
それにリルムが気付いたのかどうかは分からないが、何となく普通のことではない、と本能が教えてくれる。
それほどまでにイレギュラーなことが起こっている。
引き起こしたのはイレネなのだが、万が一のことを考えて救うのはリルムとその母のみ、とは果たしてどういうことなのか。
「民衆は、自分にとって都合のいいものしか見ようとしない。目先の、たったほんの数日しか良くならない、と考えれば分かることなのにも関わらず、目先の欲ばかりを優先するわよね」
「フェリシア……?」
「例えば」
にこ、と微笑んだフェリシアは自分の手のひらの上に水魔法と土魔法を同時展開させて土人形を手早く作り上げた。
それをテーブルに置く。
「目と鼻の先に美味しいお菓子があるでしょう?」
人形の目の前にケーキのお皿を移動させる。
そこから少し離れたところには、お代わりとして用意されていたホールケーキのお皿を移動させた。
「我慢したらもう少し先にもっともっといいモノがあるのに、確認すらせず……きっと彼らは、こうするわ」
土人形を動かして、フェリシアは近くのケーキにもふ、と人形をダイブさせた。
「フェリシア、食べ物を粗末にするだなんて!」
「すぐ戻すわ」
だから怒らないで?とフェリシアが言いつつ、人形をケーキから救い出す。
ケーキも人形も時魔法をほんの少しだけ使って巻き戻せば、あっという間に何も無かったかのようにはなった。
「……えぇと」
フェリシアの今の行動の意味は、と少し考えたが、いまいちリルムはピンと来ていない。
さて、どこまでリルムに話したものだろうか、とフェリシアほんの少しだけ考えたものの、ぼかしながら言えばいいかと判断して言葉を続けた。
「今、民衆が追いかけ始めているのは目先のケーキ」
「……あ」
何かに思い当たったように、リルムは口を手で覆う。
「お気付き?」
「これから民衆がイレネを持ち上げ始める、ということね」
「ええ」
「けれど……イレネは歪な方法で貴女と同じ力を手に入れた」
にこ、と返事の代わりにフェリシアは、ただ微笑んだ。
「イレネが手に入れたあの力は……」
「ええ、そう。きっとこの刻印を刻んで、己に降りかかる呪いを聖女の浄化能力で取り除きながら時属性の魔法を使っている」
「……っ!」
だが、これは本来の力ではない。
本来の力は、ローヴァイン公爵家の直系かつ、適性のある人にのみ受け継がれるものであり、その代償は……。
「イレネは何もペナルティを受けることなく魔法を使い続けている。でも……おかしくないかしら」
「呪いが降りかかることが代償ではないの?」
「いいえ」
迷うことなくフェリシアは否定する。
そして、テーブルの上の花瓶に生けられていた色とりどりの花に手を伸ばして、少し触れ、フェリシアは『吸い上げた』。
「……え?」
「リルムの目の前で見せたことはなかったかもしれないわね、こうやって『吸い上げる』のは」
「どういう、こと」
「見ていてくれる?」
綺麗に微笑んで、吸い上げたものをフェリシアは戻していく。
枯れてしまった花の時を戻して、生気ある姿へと。
だが、これは自然現象だとするとありえないのだ。本能でそれを理解したから、リルムは目を見開いた。
「まさか……代償、って」
「わたくし、ほんのすこぉし力の使い方を変えてみたの。お父様やかつて、おじい様、それより昔に存在したローヴァイン公爵家当主の、何と短命なことか」
どうして、フェリシアは今の公爵が『短命』だなんて言うのだろうか。
……どうして、こんなにも楽しそうなのか。
「考えたの、自分の命をどうして代償にする必要があるのかしら、って」
「……まさか」
「別に、わたくしやお父様の命でなくても良いでしょう?」
予感が、当たった。
ごく、とリルムが息を呑んだとき、フェリシアは嬉しそうに微笑んだ。まるで答えを見つけたリルムを褒めるように、とても幸せそうに。
貴女なら、きっと辿り着いてくれると思っていた、と言わんばかりに。
「他の……『命』を」
「……」
フェリシアは、ただ微笑んでいる。
「じゃあ、イレネが使っているのは……」
「まがい物」
はっきりと、静かだけれど力強く言い切った言葉に、とても大きくリルムが息を吐いた。
「きっと、国王陛下は騙されてしまうわね」
くすくす、とフェリシアは哂う。
「もしかしたら、我が公爵家に対してとぉっても怒ってしまうかもしれない」
あり得る、としかリルムは思えなかった。
あの国王は、目先しか見えていない。ここ最近は特にそれが顕著だ。
「そうなったら……」
「ええ、イレネの思うつぼだけれど……わたくしは、いいえ」
フェリシアは、すっと立ち上がってリルムのところに移動し、片膝をついて深く頭を垂れた。
「我がローヴァイン公爵家が忠誠を誓うのは、この瞬間より貴女様にございますれば」
「フェリシア……あなた」
頭を下げたまま、フェリシアは続けた。
「お父様も、お母様も、当家の親戚一同も、反対なぞしておりません。次期女王陛下」
そうか、こういうことか、とリルムは何となく察した。
ヘンリックがもしもイレネの味方をしたら。
国民がイレネの味方をしたら。
フェリシアは、ローヴァイン公爵家は見限るのだ、容赦なく。
「そう……いうこと」
「うふふ」
「フェリシア……顔を上げなさい」
「仰せのままに」
顔を上げた先、リルムはとても綺麗に微笑んでいた。
フェリシアも、同じように微笑んでいる。
「貴女が何をどうしたのかは、きっとわたくしには想像もつかない。けれど、貴女の信念、貴女の想いは無駄になんかしない。わたくしが女王になれるこの道に引きずり上げてくれたのは、貴女だもの。だから――」
リルムは、立ち上がってフェリシアの傍らにしゃがんで、フェリシアの肩に手を置いた。
「思うようにやりなさい。貴女を悪と罵る輩が存在するのであれば、わたくしが容赦などしないわ。それはきっと、ミシェル嬢だって同じよ」
ああ、お父様、お母様。
味方がいるというのはこんなにも心強いのですね、とフェリシアは声に出さないまま言う。
イレネがこちらの予想を超えてくるというならば、それを上回る力で、叩き潰してあげましょう。
フェリシアの決意は揺らがず、まがい物を操る愚か者は。
「――徹底的に、叩き潰してやるわ」




