話が違う
フェリシアの顔が見たくて見ようとしているのに、こんな時に限って逆光な状態なのは何故なのだろう。フェリシアはわざとこの状況を作り上げているのか、とさえ思ってしまう。
こうして見ていると彼女の口元だけは、とても綺麗に笑っている。だが、目元が分からないから表情全体が分からない。なので、余計に恐怖心が大きくなって襲ってくる。
「どういう、こと」
「言葉通りよ。あら、お分かりにならない?」
とても愉しそうに、子供に言い聞かせるように、フェリシアの声は弾んでいる。
イレネは二度目のはずではないしそう思っている。二度目なんてありえない、そのはずなのにフェリシアはにこやかに『二度目』だと言い切った。
だが、それだと色々なことの辻褄が合ってしまうのだ。
「まさか……あんた、時を、戻してやり直してる、っていうの?」
「そうよ、他に何があると思って? 貴女が時属性の発動の条件を教えてくれたんじゃない。ありがとう、聖女サマ」
「……!」
イレネにはそんな記憶はない。
だが……もしも、時が戻る条件としてフェリシアが何か、例えばそう、『記憶を持ち越せる人』あるいは『記憶がないままに戻した人』などとして色々なことに制限をかけていたとしたらどうだろうか?
フェリシアが設定したその条件のもと、一度目の人生から二度目の今へとやって来たのであれば、フェリシアが願った人だけ、もしかしたら記憶もちとして二度目を送っているのであれば……と考えてみたのだが、これはきりがない。なのに、考えなければ、と脳が警鐘を鳴らされている気がしている。
「どうして、こんな、こと」
「まぁ、だってわたくし『悪役令嬢』なのでしょう? 貴女が散々その単語をわたくしにぶつけてきたというのに」
「で、でも、だからって」
「人を悪役にしたんだから、した側というのは相応の対価をお支払いになるべきだと思いません?」
フェリシアとイレネ、二人の雰囲気も表情も真逆なまま、会話はどんどんと進んでいく。
イレネは、フェリシアにあれこれ言われながら必死に考えた。
前の自分が何かしらやらかしたせいで、フェリシアがゲームのシナリオをぶっ壊しにかかってきているのだから、どうにかして取り戻さなければならない。せめて悪役らしくイレネの役に立ってくれ、と思うのだが、間違いなくそんな動きはしてくれないだろう。
「対価、って」
「そう。わたくし思ったの。悪役令嬢なのだから、別に貴女の望み通りの動きをわざわざしてあげる必要なんてなくないかしら」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
どうして、どうして、どうして。
状況が、呑み込めているようで呑み込めていない。
何なのだ、これは。
あまりにあっさりと二度目だと暴露され、しかも今は二度目をやり直しているところ。イレネがフェリシアを『悪役令嬢』だと言ったから、実際にそうなるようにしていると言ったのだが、ゆっくりと深呼吸をしてイレネは気付いた。
――確か、『時』属性の魔法を使う時の条件があったはずだ。
「じゅみょう……」
ぽつり、とイレネが呟いた単語に、フェリシアの笑みは濃くなったように見えた。そうだ、時属性魔法を使うのに、魔力はそんなに必要はない。
何よりも必要なのは『寿命』なのだ。
でも、今目の前にいるフェリシアはぴんぴんしている。健康体そのものだから、もうそろそろ死にそうだとかいうイメージはないのだが、どうやって魔法を発動してやり直しているというのだろうか。
「………………」
「あら、どうしたの?」
フェリシアの笑みが、どうして崩れないのか。
「あなた…………どうやって、巻き戻したの?」
イレネの問いかけに、フェリシアの笑みが柔らかなものから、凶悪な笑みに変わった。
自然と、呼吸も浅くなって、恐怖がイレネを支配していく。
「巻き戻る前、わたくし、誰と一緒にいたと思う?」
「誰と、って」
フェリシアの指が、すい、とイレネへと向けられた、
「貴女よ」
はっきりと言い切って、フェリシアは笑みを濃くする。きっとイレネは信じられないだろう。
まさか、魔法を使用するものの寿命を対価にするのではなく、近くにいたものの寿命を吸い取ってしまって対価にするだなんて。そんなこと、考えつくわけもない。失敗したらどうなるのか予想も出来ないことなのに、こいつは何を言っているのだ、とまた恐怖が襲ってきた。
そして、フェリシアは言った。魔法を使う時、イレネと一緒にいた、と。ということは、つまり。
「あんた、私の寿命を!」
「ふふっ、そうなの。最初はよく分からなかったから貴女の魔力もごっそり吸い取っちゃったんだけどね、その後はしっかり寿命をいただいたわ」
「……あ、悪魔……!」
「あら……心外だわ」
はて、と首を傾げるフェリシアの笑みの質が、変わった。
どこか異質な雰囲気はそのままだが、可愛らしく、無邪気なものへと変化させて、イレネをじっと見下ろしている。
「人が何もしていないのに悪役に仕立てあげて殺そうとした悪魔そのものに、悪魔だとか言われたくないわ」
優しい声音の中に含まれる多量の棘と、毒。全てがイレネに向けられていて、逃げることはかなわない。
「ゲームとやらがどうとか、と言っていたけれど」
「……っ!」
「でもね、そんなものにどうしてわたくしがお付き合いして差し上げなければならないの?」
「あ……あんたが、悪役、だから」
「まるで押し問答ね……つまらない」
はあ、と溜め息をついたフェリシアはよいしょ、と呟いて体勢を元通りにした。
すると、不思議なことに今まできれいに見えていなかったフェリシアの表情が普通に見えるようになり、彼女の表情は言葉にすると『呆れてモノも言えません』というような顔。
「……っ、はぁ……っ……はぁ……っ」
体の震えがとてつもない勢いで押し寄せ、息が荒くなる。イレネは必死に堪えようとしているが、しばらく落ち着いてくれそうにない。
「貴女がわたくしに言ったのよ、貴女とカディル殿下が結ばれるお話だ、って」
フェリシアはつまらなそうに教えてくれるが、確かにこの乙女ゲームの世界ではそうなのだ。
だが、こんなにも悪役令嬢がシナリオから外れた行動をしているだなんて、信じられない。いいや、バグであるはずなのだが強制力が働いていないようだった。物語として元に戻す、という力が働くのであれば、そもそもフェリシアは学院に入学なんかしていないというのに。
「でもね、話がほんの少し逸れたとて、特に影響は無さそうじゃない?」
「何を、言って」
「だったら、このまま進めても問題は無いでしょう? だって……」
また、フェリシアはにこりと笑う。いいや、……嗤う。
「貴女と殿下の婚約は成ったのだから、貴女のお望み通りのお話に進んでいる、ということですものねぇ?」
「屁理屈言わないで!!」
「屁理屈、ですか?」
「そうよ! 何なの、本っ当にイラつくんだけど! いけしゃあしゃあと悪びれた様子もなくカディル様を、追い落としておいてふざけたことしないで!」
「あら……そっくりそのまま、お返しいたしますわ」
「何ですって!?」
「先にわたくしに対してそのようなことをやらかしたのは、だぁれ?」
フェリシアの手が伸び、イレネのドレスの胸元をぐっと掴み、ぐい、とフェリシアの方に引き寄せられた。思いがけない力の強さで、イレネからは『ひぃ!』と悲鳴が上がる。
「貴女が余計な知識をわたくしに吹き込んだから、わたくしは己にとって出来る最善の選択をしただけ。何か文句がおあり?」
ある、と言いたい。言いたいのに口が動いてくれない、歯がガチガチと震えながら音を立てるのを止めてくれない。
助けて、誰かと願っても何故だか誰も通りかからない。どうして、何で、と思っているとフェリシアの迫力も笑みも深まっていく。
「わたくしはお前とカディル殿下が結ばれるように、お前の望み通りにしてあげただけ。不満があるなら言いなさいよ、ほら」
これからローヴァイン公爵家を取り纏める人と、単なる聖女では覚悟が違うとでも言うのだろうか。
だが、イレネとて聖なる力を有している『聖女』なのだ、と自分に言い聞かせるようにしてみたが、恐ろしさは一向に去ってくれない。
「……何で……そこまで……」
するの、と続けたが、フェリシアの怒気が膨れ上がっただけだった。
「人を無実の罪人に仕立てあげ、まだ王に即位していなかったボンクラの言葉を王の言葉、と馬鹿げたことを言った上でわたくしのことも好き勝手に悪役だの何だの吹聴してくれただけでなく、やり直してもなお、わたくしに無駄にちょっかいをかけてくる愚かな女に目にもの見せてやろうかな、って思っただけよ」
要するに、イレネはフェリシアの逆鱗に触れてしまった、ということ。
いくらゲームとて種明かしをした挙句、それでもなお冤罪でお前は処刑される、と聞かされて怒らない馬鹿はいないだろう。
悪役ならば悪役らしく、を貫き通しているだけだと言われてしまえば、それ以上何がどうとかいうこともない。
「……話が、違う……だって、私は、皆に愛される、聖女、で」
「お前の性格が悪いから、努力をしないから今こうなっただけの話でしょう。……さて、貴女もどこかに呼ばれているのよね。さっさとお行きなさいな」
しっしっ、と野犬を追い払うような仕草と共に立ち去れ、と告げればイレネは慌てて立ち上がって走っていった。
その背中を見つめ、フェリシアは仄暗い笑みで呟いた。
「……明るい未来じゃなくて、魔獣退治に出向け……というイレネにとっては暗すぎる未来を陛下にお伝えいただくのだけれど、ね」
暑いですね……。
皆様も熱中症には、くれぐれもお気をつけ下さい!




