閑話 変わる地球
なんとなく思い立ったので書きました。
本編は夜に投稿します。
橘泉は、少し前におかしな夢をみた。
自分が暮らしている日本とは違う世界――異世界と言える場所に召喚されるという夢だった。
そこで、泉はヲルトナガルという神を名乗る男から、特別な力を授かり、邪悪な存在を倒す使命を与えられた。
もともと真面目で正義感と責任感が強い方であった泉は、ヲルトナガルに泉にしかできないことだと言われ、責任を感じ、邪悪な存在を倒すための旅に出たが、どうやら失敗したようで、途中の記憶が無かった。
ただ、最後に大学生のような格好をした男に地球に帰るかどうか聞かれたことは憶えている。泉はすぐに帰ることを選び、大学生のような格好をした男はこんなことを言っていた。
『俺の力で戻るってことは俺の力がお前の中に入るってことだ。それはつまり、俺の力に汚染されるということであり、強制的に俺の法の支配下に置かれることにもなる』
なぜ、こんなことだけを憶えているのかは泉にも分からないが、何故か重要なことのようにも思える。
『俺の法は周囲を侵蝕していくものだから、それでも良いのなら、すぐに戻れるが、どうする? ハルヨシのように、自力で世界を移動するだけの力を身に着けてからにするという方法も一応はあるがな』
泉は、その時にどう返事をしたのか憶えてはいない。ただ、何故か自分の選択が気になるのだった。
とはいえ、所詮は夢の中の話だ。気にはなるし、重要なもののようにも感じるが、日々の生活の中で時間をかけてまで考えるようなことでもないと思い、段々と夢の事は気にしなくなっていった。
そして、泉が異世界の夢を見てから一週間が経った。
泉の周囲は何かがおかしくなっていった。
気弱だった弟が小学校でクラスメイトと殴り合いの喧嘩をするようになり、母が自分に対して口うるさくなり、父は会社で他人を蹴落としてまで成果を得ることを目指すようになった。
だが、それも一時的なもので、すぐに普段通りにはなったが、それでも泉の家族は何かが変わった。
『好戦的な気分というのかな、どうにも闘争心が抑えられなくてね。でも、今は平気だよ、闘争心はあるけど、それに振り回されることはないかな』
泉の父はそう言った。弟と母も同じようなことを言っていた。
泉自身も、以前とは比べ物にならないほど勝ち負けにこだわるようになっていたのだが、それを本人は気づいていない。
『○○市のコンビニで店員がクレームをつけた客に暴行を働いたようです。○○市では今月に入って既に十数件、同じような事件が発生しており――』
ニュースで泉の家の近くのコンビニが映った。泉も何度か良く利用するコンビニだ。
近頃、泉の住んでいる場所の周囲で暴力事件が多発している。特にコンビニやファーストフード店など、泉が友達と学校帰りに利用する場所で、そういった暴力事件が発生することが多い。
しかし、そんなニュースを聞いても、泉は特に何も思わないし、泉の周囲の人々も似たようなものであった。
『どのような理由があろうと暴力はいけませんよ。だいたい、今の若者は――』
コメンテーターが月並みな暴力反対を訴えていた。平和主義者で通っている大学教授だ。銃を持っている犯罪者とでも、話し合えば分かるとテレビでコメントして失笑を買っていた人物だったことは泉も憶えている。
『――若者がこのような凶行に走るのは、ひとえに政治への不信と関係があってですね――つまりは今の社会体制はおかしいということなんですよ』
泉は下らないと思い、テレビを消して学校に向かった。
そして、その日に事件は起こった。
女子高生の泉は、その日も学校で普通に授業を受けていた。
泉の通う高校は最近、暴力事件が多発している。
主に喧嘩ではあるが、ふとした切っ掛けで生徒同士が殴り合いを始めるのだ。時折、教職員同士で殴り合いをしている時もある。
常識的に考えれば異常なのだが、何故か誰も気にならなくなっていた。
『言葉でおさまらない物が心の中に生まれた』
誰が言ったかは分からないが、それが一番しっくりきた。言葉でおさまらない物を治めるには体を使うしかない。そのために暴力に訴え出るのは仕方のないことだと誰もが思っていた。
そんな状態であるから、泉の通う高校では、多少の暴力沙汰は見過ごされるようになっていた。ただの喧嘩ならば別に構わないという認識だ。
どういうわけか、泉の通う高校の生徒と教師の肉体は極めて頑健になり、ちょっとやそっとの殴り合いでは大怪我にはならないため、誰も殴り合いの喧嘩程度では大変なことにはならないと思っており、暴力事件など、誰も気にしないようになっていた。
だが、その日に起こった事件は違った。
なぜならば、人が死んだのだ。
加害者は男子生徒。
被害者は、加害者をイジメていたという男子生徒数名。生存者は無し。
殺害方法は素手での撲殺。
イジメられていた男子生徒が突如反撃し、イジメていた男子生徒を殴り殺したのだという。
殴り殺されたといっても死体の状態は尋常では無い。頭が千切れ飛び、体の一部が周囲に散乱していた。
加害者の男子生徒は失踪し、行方不明になり警察が捜索中とだいう。
人が死んだのだが、泉や教員は何も感じなかった。死んでも仕方ないだろうというくらいの感想しかなかった。
その日から数日間、イジメ被害者の少年少女が、イジメの加害者を殺害する事件が相次いだ。
殺害方法を素手での撲殺がほとんどだった。衝動的に殺害したということは、状況からも明らかだった。
『自殺するくらいなら、相手を殺す』
イジメの被害者だった少年少女の心の中には、そんな共通認識が生まれていた。
そして、それを成し遂げるだけの力が、いつの間にか彼らの中に育まれていた。
多くの少年少女が、その力をイジメという苦しみに耐えた自分たちへの神様からのご褒美だと思った。
『キレる若者というのですか? 全く、怖いことです。まずは、両親や先生方に話をしてですね――とにかく、暴力に訴え出るというのは最低の行為です』
テレビのニュースではコメンテーターが暴力を否定する発言をしつつ――
『それもこれも社会不安のせいでしょう。やはり政府の方針に問題が――』
政治がおかしいという展開に持っていったため、泉は下らないと思いながら、ボンヤリとテレビを見ていた。
そうしている内にニュースの話題が変わった。
『――法案に反対するデモ隊と、警官隊が衝突。双方に大量の怪我人が出た模様――』
泉が数日前に遊びに出掛けた東京の街並みがテレビ画面に映り、それと一緒に人々が怒号を上げてぶつかり合う姿が映った。
『官憲の横暴です! このようなこと許せるものではありません!』
コメンテーターが怒りを露わにするが、泉は特に何も思わなかった。
ただ、殴り合いの争いになることが、そんなに悪いのだろうかという疑問は芽生えたが。
それから数日、各地で暴力事件が相次ぎ、殺人事件や強盗事件のニュースが毎日のように泉の耳に届いていた。
イジメの被害者だった少年少女が警察の手を逃れて逃亡し、各地で犯行を繰り返しているそうだ。
泉の高校の男子生徒も、まだ逃亡中だった。逃亡の際に警察官数名を殺害したというニュースにもなっている。
そんな中、泉は偶然、その男子生徒に出会った。
「聞いたんだよ。アンタが巫女だってさ。アンタにお願いすれば、もっと『力』が貰えるんだろ?」
男子生徒はギラギラとした眼で泉に迫った。
「警察から逃げてさ……山の中に逃げて凍えたり、泥水を啜ったりして……苦しい思いをしたんだ。そうしたら、ドンドンと『力』が増してきてさ……でも、それじゃ、足りないんだよ……俺はもっと強くなりたいんだ……だから、アンタに会いに来た」
泉は男子生徒の言っていることが全く分からなかった。
「アンタは神様の力を分けてもらった巫女で……アンタの周りにいたから……俺は力が目覚めたんだ。だったら……俺にもっと力を与えることだって出来るだろ? いっぱいさ……修行をして苦しい思いをしたんだ。だから、ご褒美をくれよ」
男子生徒はそう言って、泉に手を伸ばす――
だが、その手は途中で引っ込められた。
その直後、乾いた音が響く。
「殺してやる! クソガキが! 殺してやるぞ!」
制服を着た警察官が男子生徒に拳銃を向けて引き金を引いた。
「やめろ! 撃つんじゃない!」
別の警察官が、銃を撃った警察官を取り押さえようとするが、それでも引き金を引き続ける。
「ははは、凄いな。おかしいのは俺だけじゃないんだ。みんな頭がおかしいんだな」
男子生徒は乾いた声で笑いながら、銃弾を躱すように動き、近くの家の屋根の上まで跳躍すると、そのまま夜の闇に消えていった。
「何をしているんだ! 問題になるぞ!」
「五月蠅い! あんなクズを殺して何が悪い! とにかく、奴を追うぞ!」
警察官は逃げていった男子生徒を追って走り出していった。
それから数日後。
『――発砲した警官は免職処分となったようです』
『警官もあてになりませんね。やはり、自分の身は自分で守らないと。私も最近、ジムに通うようになって体を鍛え始めたんですよ』
ニュースではいつものコメンテーターが喋っていたが、何か雰囲気が違っているようだった。
しかし、泉はそんなことを気にしている場合ではなかった。
男子生徒が言っていた巫女という言葉の意味は分からないが、似たようなことを言って泉のもと訪れる者は途切れることはなかった。
泉が何も知らないというと、皆、大人しく帰って行くので相手をするのに苦労は無かったが、ストレスはたまっていくばかりであった。
『新興宗教のアスラ教が、信者に修行と称した拷問を加えていることが明らかになりました――』
『アスラと言うと阿修羅を思い浮かべますが、この宗教に仏教的な要素は無いようですね。他にアスラというとインドの神話になるわけですが、インド的な要素も薄いようですね。ただ、インド神話に出てくるアスラという存在は厳しい苦行を己に課すことで神々をも凌駕する力を得たといいますし、そういう苦行を教義に取り入れたということではないでしょうか』
コメンテーターが妙に詳しい説明をしていたが、泉はあまり興味がわかなかった。
それよりも免職処分になった警察官のことの方が気になっていた。
あの警察官は男子生徒に同僚と上司を殺されていたという話がワイドショーで流れていたからだ。その警察官は現在、行方不明らしく捜索中だそうだが、手がかりは何も無いという。
だんだんと世の中がおかしくなっていることに泉はようやく気づいた。
高校の野球部のピッチャーは肩を壊すまで投げている。肩が上がらなくなり激痛を感じるようになるまでが、ちょうど良いらしく、そこまで痛めつけると、数日後には完全に回復し球速や変化球のキレが明らかに増すのだと言っていた。
同じようなことを言う運動部の生徒は多く、彼らの中ではオーバワークという言葉は無くなっていた。どれだけ体を痛めつけられたかが大事であり、痛めつけた分だけ自分たちの能力が上がることが分かった彼らは狂ったように自らに苦行を課すようになっていた。
これは医学的にはありえないことだとされ、医学界が解明に乗り出したが、誰も原因を突き止められなかった。
同じようなことは普通に勉強している中でも起きている。
効率よく一時間勉強するより、効率が悪くても三時間勉強したという方が成績が良くなり、要領が悪いと言われていた生徒達が一気に成績上位者となった。
いつの間にか、勉強は効率よくやるのではなく、とにかく無駄に時間をかけた方が良いという風潮が出来上がりはじめていた。
本来、無駄とされていたことをする方が結果が良くなるようになったのだ。
体罰や理不尽なしごきを加えた方が生徒の成長が伸びるということも分かったため、泉の高校では部活動での体罰が横行するようになったが、生徒たちは、それを全く気にしていなかった。
むしろ、それを経験することで、自分たちがより高みへと昇れるということを理解してからは、嬉々として体罰やしごきを受けるようになっていった。
『苦しい思いをすれば、ご褒美が貰える』
狂ったように自らに苦行を課す者たちは必ずそんな言葉を口にした。
そのご褒美は『力』とだけ呼ばれていた。
それは社会にも広がっていき、いつの間に人々は自身を苦しめることで、能力を高めるようになった。
それに従い信者に苦行を課すというアスラ教の影響力は拡大していった。実際にアスラ教に入信し、想像を絶する苦行を己に課すことで、不治の病を完治させたという人も現れるようになったのも大きいだろう。
そんな風に日本が変わりつつある中、泉はニュースを目にして驚愕する。
あの男子生徒が殺害されたのだ。
殺したのは免職処分になった警察官だった。
『死んでしまうとは努力が足りなかったんでしょうね。まぁ、あれだけのことをやったのですから、死んでも当然でしょう、私としては元警官の方を褒めてあげたいですね』
以前に非暴力を訴えていたコメンテーターがそんなことを言った。
『言っても分からない相手には暴力で分からせる。これも仕方ないことですね』
コメンテーターはそう言って話をしめくくっていた。
元警官の男性も殺人犯とはいえ人を殺してしまったのだから、警察から追われる身となったが、逃亡を続けているという。そして、逃亡しながら日本各地で『力』を手に入れた犯罪者を殺し回りはじめた。
その内に行方不明になっていた時期の警官の足取りが明らかになった。
それは想像を絶する苦行を己に課していたことが分かるものだった。
人を殺すために自分の人間性を摩耗させ続けたという日々が人々の目に明らかになった。
『悪党を殺して何が悪い! そのための『力』だ! 俺は、俺達は正義を為すために、こんな『力』を手に入れたんだ』
元警官の男はそう言って悪党を殺し回った。だが、そんな男の日々もすぐに終わりを迎える。
男に敗北した悪人が苦難の果てに男に対して逆襲をかけ、男を打ち破り殺害したのだ。
『苦しい思いして手に入れた『力』をどう使おうが勝手だろうが! これは俺達が自由を! 欲しい物を手に入れるための『力』だ!』
悪人はそう言い、暴虐の限りを尽くした。だが、それも悪人が虐げた人々の中から生まれた一人の手によって終わりを告げた。そして、その者もまた別の者に倒され、そのまた次も同様に。そして善と悪の終わらない闘争の連鎖が形作られていった。
「違う、こんなのは違う……私はこんなことになるなんて思ってなかったの……だから……」
いつの間にか、闘争の連鎖は泉の周りでも生じていた。
きっかけはなんだったかは分からない。
ただ、苦行を重ねても己の力の伸びを実感できなくなった者が、自分と同じ程度の力量を持った者に勝利した時、確かに自分の能力の上昇を感じ、その時に気づいたのかもしれない。
人を倒せば自分の能力が上がると――
その噂は一気に広まり、自己鍛錬に限界を感じていた者が、こぞって人と争うようになった。
どのような形であれ、他者を打ち負かせば力を得られる。その結果、人々の闘争心が暴走し、争いが絶えなくなった。
特に『力』が寿命や特異な能力に変えられることが判明してからは、人々の闘争は加速した。
表向きは平和である。
自身と同等以上の相手を倒さねば力を得られないためである。
そのため、強者は弱者を育てて強者にしていく必要があった。
最終的には自分の庇護下の存在を自分が倒し力に変えるためだ。
全ての闘争が秘密裏に行われていたということも大きい。
闘争の連鎖に飛び込むのは苦行を課しても『力』の向上が望めなくなった者たちなので、それほど数がいなかったことも幸いした。
だが、それでも泉は闘争が行われていることに気づいた。
なぜならば、こんな世界にしてしまったのは自分であり、闘争の中心に自分がいることに泉が気づいたからだ。
以前に見た夢の中での選択の答え、それが今の世界だった。
世界は汚染された。
その起点となったのは間違いなく泉だった。
「私は、ただ帰りたかっただけで、それがこんな、こんな世界になるなんて思ってなくて」
『力』を求めて争い続ける世界は既に完成しつつあった。
今は秘密裏に行われている闘争だが、いずれそれも限界が来る。
まだ多くの者は己に苦行を課すだけでも能力の上昇が見込めるが、それが不可能になった時、人々がどう行動するかは誰にも分からない。
それ以上の『力』を求めることを諦めるか、諦めきれずに闘争の中に飛び込むか。後者であれば、闘争は拡大することは確実だった。
今はまだ日本だけでしかこの状況は発生していないが、今後これが世界中に拡散したらどうなるか。泉はそれを想像して恐ろしくなった。
間違いなく世界は破滅する。
誰もが皆、自分を抑えることが出来るわけではない。
不老不死になれる可能性を秘めた『力』を求めずにいるということは不可能だろうと泉は思う。
「私が帰って来たから、こんなことになったの……?」
テレビでは暴動のニュースと殺人事件が絶え間なく報道されていた。
皆が皆、自らの闘争心に酔っているようだった。
誰も争うことを恐れていないように見える。
実際に泉も人と争うことに忌避感を覚えなくなっていた。むしろ、物事を解決するのだったら話し合いより争いごとの方が手っ取り早いとさえ思うようになっているくらいだった。
そのことを泉自身おかしいと感じていない時点で相当に汚染されているのとは明らかだ。
不意に、あの大学生のような格好をした男――アスラカーズの言葉が思いだされる。
『自分の存在が世界のガンになると思ったら自殺するんだな。そうすれば、俺の法の侵蝕は止まる。ただ、タイムリミットはある』
泉は自宅のキッチンへと走り出した。
『地理的に日本から海外へと俺の法が侵蝕したら終わりだ。後は勝手に増えていくから、お前がどうこうしようとどうにもならない。その前に自殺すれば、地球全土が俺の法で覆われることは無くなるってだけだ』
キッチンから出てきた泉の手に握られているのは包丁だった。
「私が死ねば、ここで止まる……」
それは欠片ほど残っていた責任感だった。
世界を壊してしまった責任を取ること、そして世界を守るため。
泉は包丁を逆手に持ち、自分に向けて突き立てた。
『――俺の力を借りるってことは、仮初めではあるが俺の使徒になるってことだ。俺の使徒がそう簡単に死ねると思うなよ。自殺の方法は良く考えるんだな――』
闘争の連鎖は終わらない。
既にこの世界は呪われた。
『全てを忘れて生きることは出来る。だが、無かったことには出来ない。気づいた時には手遅れでも、それは選択した自分の責任だ。甘んじて受け入れて、新たな世界を楽しめ』
文中で終わらないと書いたものの、地球での話は終わりです。




