砦の守り手
「師匠がいない時に限って、こんなことになるなんて……」
僕が砦の外を見ると、そこにはオレイバルガス大公家の軍勢が戦列を組んでいる。その先頭に立っているのは、先日まで砦にいたツヴァイトさんだ。ここにいた時には確かに友好的だったのに、どうして僕らと敵対することになったのだろうか、理由が分からない。
「ほら、ジーク君もボケっとしてないで準備、準備」
グレアムさんが僕を呼び、砦の周囲を固める石壁の上へと矢を運ぶように指示を出している。石壁はグレアムさんの指示の下、魔法使いの手で城壁のような形に改造されていた。
「魔法使い部隊は膝ぐらいの高さの石壁を砦の周囲を囲むように不規則に並べといて」
グレアムさんの指示で、魔法使いの人達が、魔法で石壁を造り出していく。
「あと、出来たらで良いんだけど、全部の石壁の後ろを五十センチくらい穴ほってくれるかなぁ。掘った時に出た土は、後の方に盛っておいてくれればいいよ。ついでに、こぶし大の大きさの穴も大量に砦の周りに用意してくれれば、ありがたいね」
僕はグレアムさんの指示の意図が良く分からなかったので、聞いてみることにした。
「籠城戦をやりそうだから、これくらいはしとかないとねぇ」
「打って出ないんですか?」
「打って出る意味ないしねぇ。砦があるんだから、砦を使うよ。それに――」
グレアムさんはそこで一旦言葉を区切り、オレイバルガス大公家の軍勢を指差す。指し示している先は軍勢の一部で、そこは何やら雑然としていた。
「今時、実戦をやったことがある軍なんて、この国にはいないからねぇ。やったことがあるとしても、盗賊退治とか、魔物退治が関の山だし、攻城戦の経験なんかあるわけないから、色々と混乱してるのさ。それを利用しない手はないだろう?」
なるほど、確かに戦争でもなければ、攻城戦をする機会はないし、その戦争も数十年は起きていないので、攻城戦に関する経験などは誰も持っていないから、籠城して守っている方が安全だということだろうか。
「まぁ、俺も本で読んだくらいで、実戦の知識は無いんだけどねぇ。でも、アイツラほど分からないわけじゃないから、その辺りは安心してくれていいよ」
できれば、それは聞きたくなかったです。本当に大丈夫なんでしょうか? あと、聞いておきたいことがあるんですが。
「どうしてツヴァイトさんは、僕達を攻撃しようとしているんでしょうか?」
「さぁ? 俺に聞かれてもねぇ。俺って戦うことくらいしかできないしねぇ。細かい事情とかは分からないよ。ただ、アロルド君はこうなることが分かってたから、俺達を砦に残しておいたみたいだねぇ」
師匠は最初から裏切るということが分かっていたということだろうか? 確かに師匠一人でゾルフィニルの討伐に向かってくれたおかげで、砦の守りは万全だけれども。
「まぁ、細かいことは、この状況を片づけてから考えればいいんじゃないかな? とりあえず、目の前に殺気立った連中がいて、そいつらを何とかしないといけないわけだしさ」
グレアムさんがそう言ったのと、ほぼ同時にオレイバルガス大公家の軍勢が動き出した。最前列にいた兵士が一気呵成に砦の方へと向かって突進してくる。兵士たちは砦の城壁にかける、巨大な梯子を運んでいた。
グレアムさんは、その光景を眺めながら、石壁の上で弓を構えている冒険者たちに指示を出す。
「合図をするまで撃たないでね。とりあえず、少し待とうか」
グレアムさんがそう言った直後、オレイバルガス大公家の軍勢で先頭を走っていた兵士たちが急に転び出した。特に梯子を持って走っていた先頭の兵士が特に酷い。
「何が起きたんですか?」
「こぶし大の穴を掘ってもらったよね。あれに躓いたんだと思うよ。全速力で走ってくるせいで足元がお留守みたいだから。いやぁ、気持ち良いくらいに転んでくれるね」
他人事のように言っているが、それをやったのは自分だろうと思わないでもないが、効果があったようなので、僕は何も言わないことにした。
進んでくる兵士たちは大した深さでもないと甘く見ているのか、それとも急いでいるせいで気づかないのか、こぶし大の小さな穴になど気にも留めず走ってくるが、多くの兵士が穴に足を取られて転んで行く。普段なら避けるし、足が入っても転ばないんだろうけれど、戦場という非日常的な場所のせいで足元まで意識が回っていないせい、転んでしまうように見えた。
躓き転んだせいで、最前列の兵士は中々に悲惨な末路に陥った。後続の兵士も急に止まれないから、先頭の兵士を踏みつけたり、自分も転んで圧し掛かったりしている。運が悪い兵士は後ろの兵士に踏み殺されたり、押しつぶされて死んだりしているようだ。
「第一射、始め」
グレアムさんの命令で、石壁の上の冒険者たちが、戸惑う兵士たちの頭上に矢の雨を降らせる。混乱の最中にあったオレイバルガス大公家の軍勢の第一陣はたいした抵抗も出来ずに射貫かれて屍を晒していく。
「矢の数も足りないから無駄撃ちはしないように、ゆっくりと動いてくる奴を狙って」
グレアムさんがそう言った時にはオレイバルガス大公家の軍勢も体勢を整えたのか、梯子を運ぶ兵士を盾を持つ兵士が守るようになり、慎重に進み出している。
「まぁ、慎重に動き出したとしてもあまり意味がないんだけどね」
グレアムさんが言う通り、兵士たちは穴で躓かないように慎重に動き出したが、狙われやすくなり、矢で射貫かれるものが増えだした。移動しようにも、不規則に並んだ膝の高さの石壁に阻まれ、思ったように進めないでいる。
へたに石壁を超えようとした兵士は、足が止まるので狙い撃ちにされるか、石壁を超えた先が、低い場所であることを知らずに、一段高い場所から転げ落ちて足を挫き、狙い撃ちにあったりしていた。
「目算で二千くらいかな? こっちは千人くらい戦えるのがいるわけだし、その数の差でなんとかできるとか、思ってるなら少し考えが甘いかな」
オレイバルガス大公家の軍勢が後方で、投石器を組み立て、こちらに向けて撃ってくるが、石は空中で砕け散り、進行中だった兵士たちの頭上に降り注ぐ。運の悪い兵士はその石が頭に当たり死んでしまったようだ。矢も飛んでくるが、それは魔法の障壁によって、全て弾かれ、こちらに届かない。
「オリアスが良い感じに魔法使いを統率してくれてるから助かるよ」
グレアムさんは別の場所で魔法使いに指示を飛ばしているオリアスさんを見ていた。砦に向かってくる、石や矢は全て、オリアスさんが率いる魔法使いの集団が防御の魔法を使って防いでくれているので、守りに関しては心配がないとグレアムさんは言うが、実際その通りで不安は感じなかった。
「敵の攻勢が一方向からしか来ないのも幸いしてるねぇ。もっと色んな方向から攻めて来られたら、どうにもならなかったけど、一方向からだったら防御も集中できるし、そうそうに突破されることは無いだろうね」
「どうして、多方向から攻撃してこないんでしょうか?」
「単に数が足りないだけだね。あの兵数じゃ、分散させるとマトモ突破力は残らないし、一方向に戦力を集中させるしかないね」
グレアムさんが視線をこちらに向かってくる兵士へと向けるのに合わせて、僕も砦の上からオレイバルガス大公家の兵士を見る。
何人かが膝の高さの石壁と、その後ろの穴を越えていた。彼らは穴を掘った時に生じた土を盛った丘の上を駆けあがってくる。だが、その歩みも途中で止まった。
オリアスさんが魔法使いの部隊に指示を出し、魔法を降らせだしたからだ。丘を駆けあがる際にどうしても足が遅くなる兵士たちは、降り注ぐ攻撃魔法の直撃を受けて文字通り散っていく。
「魔法使いが全員残っていてくれて良かったよ。防御役と攻撃役を分けられるからねぇ。遠いところは狙いにくいらしいけど、丘の辺りくらいまでなら問題ないらしいから、矢を節約できるねぇ」
グレアムさんは余裕の表情だった。そう感じた僕も、正直な所、危機感は全く抱いていなかった。
グレアムさんが砦の周囲に築いた陣地は、とにかく敵の足を止めて、その際に矢や魔法で殲滅するというものだ。陣地の構造上、敵は絶対に真っ直ぐ進めないし、必ず足を止める必要がある場所が存在しているので、必ず一度は弓や魔法で狙い撃ちされる。
この陣地を見る限り、砦にとりつくことは不可能なようにも思える。ただ、これだけ砦の周囲に色々と設置すると自分たちも打って出ることが出来ないように見える。穴や石壁がこちらの進攻の邪魔になっているせいだ。
「抜かれることは無いと思うんですが、これだと僕らも攻められないように思うんですけど」
「攻めないから問題ないよ。俺達はひたすらに耐えるだけさ」
「それで大丈夫なんですか?」
「大丈夫。本来の目的とは違うけど、エリアナが食糧を大量に仕入れてくれているし、水はキリエ辺りが魔法で用意してくれるから、我慢比べが出来る準備は整っているし、なんの問題も無いよ」
「でも、それで勝ったって言えるんですか?」
「守りきれば勝ちなんだから、勝ったとは言えるよ。向こうは、急いで兵を集めたようだし、糧食も足りないだろうか、一週間以内に崩れるんじゃないかな? たぶん一週間以内で、俺達が手を下さなくても、向こうの軍はバラバラになると思うよ……いや、もうなってるみたいだねぇ」
グレアムさんが指さした先には、オレイバルガス大公家の兵士の中で露骨に歩みの遅い部隊がいた。ここから見た感じでも、逃げ出したい気配が漂っている。
「突っ込んだら、高確率で死ぬんだから誰も突っ込みたくはないよねぇ。こういう雰囲気が蔓延すると、軍勢ってのは瓦解するらしいよ」
グレアムさんには勝利に至るまでの手順が見えているようだった。けれども、僕には気になることがある。
「弱点を突かれたりすることは無いんですか?」
ここまで上手く行っていると、かえって、心配になってくるのは僕が臆病だからだろうか?
「弱点ねぇ。一方向に戦力を集中させて、砦の防衛戦力を引きつけ、その隙に別動隊が別方向から砦を襲撃するって方法を取られると少し困るかな。まぁ、それをさせないために、斥候が出来る冒険者を砦の周囲に散らばらせて、何かあった時は報告させるようにして、常に先手を取れる状態にしてるから心配はないねぇ」
心配はいらないということだろうか?
「俺とかアロルド君クラスの腕があれば単騎で突っ込んで砦に張りついて、何とか出来るかもしれないけど。そんな奴はそうそういないし、大丈夫なんじゃないかな。もし、そういう奴がいても、俺かオリアス、ジーク君で上手く処理すれば良いから心配はいらないと思うよ」
グレアムさんは気楽にそう言うと再び目の前の戦場の方を向く。敵軍はまだ無謀な突撃を繰り返しているが、段々と後続の兵士たちの動きが鈍くなっているようだった。それも仕方ないかと思う。突っ込めば九割方死ぬような所へ、嬉々として突っ込んでいけるような人間はいないだろうし。
「ここから向こうの兵士が続々と揃ってとなると、どうなるかは分からないけど。はてさて、どうなるだろうねぇ」
グレアムさんの口調には不安の色は欠片もなかった。僕も戦場を見る限りでは何も心配はないくらいうまく機能しているように思えたので、一安心し軽く息を吐く。
だが、その時だった。不意に日が陰ったのは。
それまで晴れていた空が急に曇るなど、どういうことだろうかと思い、僕は空を見上げた。
「え?」
見上げた先、そこにいたのは巨大な黒い竜だった。突然、僕の視界に入ったそれは、僕が声を上げるよりも速く急降下し、石壁に突撃した。
魔法の障壁も何もかも突き破り、巨大な黒い竜は石壁を砕き、砦の内へと侵入を果たした。石壁が砕けた際に冒険者が吹き飛び息絶えたようだったが、それを気にしている場合では無かった。
「何人かアレの処理に迎え。おそらくアレがゾルフィニルだ」
グレアムさんは冷静に言って、冒険者を動かす。冒険者達もグレアムさんの言葉に即座に従い、ゾルフィニルらしき竜へと向かっていくが、ゾルフィニルは冒険者たちを一蹴する。ゾルフィニルが長い尾を一振りしただけで、屈強な冒険者たちの肉体が潰れ、弾け飛んでいった。
「オリアスも出たみたいだし、俺が行こう」
グレアムさんが腰の剣を確かめながら、石壁の上から、砦の内に侵入したゾルフィニルの元へと向かおうとする。けれども、それをされると困る。
「ここはどうするんですか!」
「ジーク君に任せるよ。現状はゾルフィニルを何とかしないと駄目だ。向こうの兵士に取りつかれないようにしてくれれば、何やっても良いからさ」
いや、そんな適当な。僕は抗議したかったけれども、グレアムさんは既に走り出していた。声をかけても聞き届けては貰えなさそうな以上、僕がこの場を何とかするしかないのだろうか?
「ジークの兄ぃ、どうしやすか?」
冒険者の一人が僕に声をかけてくる。どうやら、ここの責任者は僕のようだ。
「今はドラゴンの方は気にしないで、目の前に迫ってくる敵兵の方に注意を向けよう。とにかく、兵士にまで攻め上がって来られたら終わりだから、その排除を頑張ろう」
僕はヤケクソになって、石壁の上の冒険者たちに言う。僕の必死さが伝わったのか、冒険者は弓を構えるなどして、目の前の敵兵に向かって攻撃を再開した。
後ろからは、激しい戦闘の音が聞こえてきて、時折、火球やら何やらが砦の方から石壁に当たるが、それを気にしている余裕はない。ゾルフィニルの登場で何故かオレイバルガス大公家の軍勢が勢いづき始めたからだ。
なぜ、自分たちの領地を蹂躙している存在が現れたのに、冒険者の方を攻撃しているのか訳が分からない。普通、ゾルフィニルの方を狙うと思うのだけれど、彼らが狙うのは僕達だ。これじゃあ、まるでゾルフィニルとオレイバルガス大公家が味方のようじゃないか。一体どういうことなんだろうか、これは?
いや、それよりもゾルフィニルを討伐には師匠が行ったはずなのに、師匠は帰って来ず、ゾルフィニルだけが帰って来た? これは、もしかして――
いや、そんなはずはない。師匠が、そう簡単にやられるはずが無い。
僕は頭をよぎった嫌な考えを振り払い。防衛の指揮をとる。敵はまだ尽きない。今、考えるべきは師匠の事ではなく、目の前の敵のことだ。
僕は声を上げ、味方を鼓舞し続けた、この状況で僕に出来ることはそれくらいだ――




