失った物
ストーリーの展開については良い悪いはともかく最後まで決まっているけれど、だからといって筆が早くなるわけではない
アロルドを呑みこんだ光は程なくして収まり、それと同時にアロルドの意識もハッキリとしてくる。
何が起きた? 特に変化は感じない。むしろ、どういうわけかアロルドは今までにないくらいに頭が冴え渡っているような気さえしていた。
頭の中に掛かっていた靄が晴れるような……もっとも、こうして頭の中が澄んだ状態になったからこそ、自分の頭の中に靄が掛かっていたと感じるようになったのだが、ともかく頭の中は澄みきり、目につく全てが明瞭に理解できるようになったようにアロルドは感じていた。
その代わりに今までの自分はどこかへ行ってしまったような気もするが、それはたいした問題ではないとアロルドは判断する。今の自分と比べれば少し前の自分など取るに足らない存在だからだと思ったからだ。
「ふむ、どうやら成功したようだな」
セイリオスが興味深げにアロルドの様子を観察していた。
意識がハッキリするまでの間、アロルドは隙だらけであったのにも関わらず、セイリオスは傍観しているだけだった。その理由は自分が迂闊に手を出して解呪が失敗する可能性を恐れたためである。
「何をした?」
アロルドは不思議とセイリオスに対する戦意が消えていることに気づいた。
よくよく考えれば自分とセイリオスと戦う理由が無いと理解したからだ。
セイリオスの望みは想像できないが、今までの動きを見る限り、世の中に混乱をもたらしたいだけだと分かる。アロルドにとっても世が乱れるのは望むところ。
乱れた世の中の方が、自分の活躍できる場面は多く、その方が自分の性に合っている。何故、今までの自分はそれに気づかなったのか不思議でならない。
「お前に掛かっていた呪いを解いて、本物のお前にしてやっただけだ」
「そうか」
己を邪神と嘯くアスラカーズもそんな話をしていたことをアロルドは思い出す。そして、何故それを忘れていたのか今までの自分の記憶力の低さを鑑みて、呪いが真実であると確信したのだった。
「随分と馬鹿なことをしてきたものだ。だが、俺も素面になった以上、これからは愚かな真似はしない」
自分の振る舞いを思い返し、アロルドは頭を抱えたくなる。
セイリオスがカイに使わせた解呪により、アロルドの精神と頭脳は本来の物に戻っていた。それに伴って、今までの自分の行いが恥ずべきものであったということを理解できるだけの常識的な感性も取り戻していた。
「その通りだ。重要なのはこれから」
セイリオスは敵意を消して、親し気にアロルドに近づく。
その様子を見て、アロルドはセイリオスの目論見を考える。
今の状況ではセイリオスに王国での居場所は無い。だが、それは表の社会に限ったことであり、裏の社会であればいくらでも居場所はあるだろう。自分と和解しようとしているのは表はともかく、王国の裏での自分の立場を確立するための事前工作なのだろうとアロルドは考える。
前の自分であれば、セイリオスのことは心情的に気に食わなかったため、申し出を受けることは無かっただろう。だが、今の自分は違う。セイリオスを排除することのメリットとデメリットを天秤にかけて勘定でき、セイリオスを自分の側に引き込むことの有益さも分かる。
アロルドはセイリオスと戦うことを損と判断した。セイリオスは生かしておけば、これから先も世を乱してくれるだろう。そして、それによって自分は利を得ることが出来る。乱世であればあるほど、自分は輝き、より高みへ昇っていけるとアロルドは確信していた。
善悪などで考えるべきことではない。アロルドはセイリオスが何をしてようが、関係なく見逃しても構わない。そう判断する。それがセイリオスの目論見通りであるとは理解しているが、恩を売っておいて損は無いだろう。友好的に近づき、握手の手を差し出すセイリオスに対し、同じようにアロルドも手を差し出す。
セイリオスに思うところが無いわけではないが、それは些細なことだ。今までと違う自分になったような感覚もあるのだから、今までのことは水に流し、セイリオスを利用する方が良いとアロルドは考えるが――
「やはり、こちらの方が与しやすい」
そんな声が聞こえて、差し出されていた手が動き、アロルドの顔面を捉えた。
アロルドは予想外の一撃に体勢を崩してよろめく。そのザマを見てセイリオスは嘲笑の表情を露わにする。
「どういうことだ?」
睨みつけるアロルドの視線を受けてもセイリオスは平然としている。
アロルドとしてはセイリオスの行動は理解が及ばないものであるので問わずにはいられない。自分と戦うことの意味の無さをセイリオスが分からないはずがない。互いの関係に友好的な要素は欠片も無いが互いに利用できる存在になれるというのにわざわざ敵対するのはおかしい。それが今のアロルドの感覚であった。
呪いが解ける前のアロルドならば、聞く耳持たずにセイリオスに攻撃を加えただろうし、握手の手を差し出されたなら、その手を握るものの殴り飛ばしていたはずだった。余計なことは何も考えず、セイリオスが嫌いなので殺すというシンプルな考えのもと、セイリオスに付け入る隙を与えはしなかった。
「どういうことと言われてもな。殺そうと思っているんだが?」
セイリオスの言葉に弾かれたようにアロルドは動き、息絶えた獣心兵のカイの元に駆け寄ると胸を貫く剣を引き抜き、セイリオスに備える。
「俺を殺す意味があるのか?」
無いはずだとアロルドは思う。
ここで自分を殺したところで、その後は逃げるしかない。それよりも、自分と和解して王国に再び混乱をもたらした方が生産的だということはセイリオスにも分かるはずだ。
セイリオス自身は敵対する意思は強くなかったが自分が一方的に敵視していた面もあるので、こちらが歩み寄れば和解の目もあるとアロルドは思っていたのだが――
「無いよ。だけど、無くても殺す。理屈じゃなくて感情的に殺したくなってきたんだ。そりゃあ、お前と和解した方が良いとは思うよ? でも、何か違うんだ。なんだろうな、この感覚は――」
セイリオスは考え込むようなしぐさを見せ、そして気付いたようにアロルドに答えを伝える。
「あぁ、そうか。単にムカついているんだな僕は。ここまで散々、邪魔されて我慢の限界に来ているんだ。だから、殺して憂さを晴らしたいんだな」
貴様は――
アロルドがそう口にしようとした瞬間、セイリオスが動き出す。
咄嗟に防御しようとアロルドは剣を構え、セイリオスの動きを読もうとするが、目で捉えられない速度の拳がアロルドの腹部に突き刺さった。
鎧を着けているので致命傷ではない。それでも衝撃までは殺しきれずに、後ずさるアロルドに対してセイリオスは牽制の速い拳を放つ。
それは次の攻撃は何が来ると考えるアロルドの顔面を捉える。軽いが鋭い拳が入り、アロルドの注意が逸れた所にセイリオスは頭を狙った上段蹴りを放つ。
その攻撃はアロルドにも見えており、アロルドはそれを防いで、そこから立て直そうと考えるが――
「遅いなぁ」
上段蹴りはアロルドを捉えることなく途中で軌道を変え、直後にアロルドは顎に強烈な衝撃を食らい、仰向けに倒れた。蹴りはフェイントであり本命の顎をかち上げる拳の一撃が当たったためである。
「そもそも、僕は最初からお前を殺す準備を整えていたんだ。協力しあうにしても最後はどちらが上かで決着をつけたい。そう思っていたから、僕はお前の呪いを解くための準備をしていた。呪いを解いたら弱くなると気づいていてね」
セイリオスは倒れるアロルドを踏みつけようと足を振り上げる。
しかし、意識を取り戻した。アロルドがセイリオスに魔法による火球を放ち、追撃を防ぐ。
「順番は変わったが、それもまぁ仕方ない。上手く利用できるかと思ったが、邪魔ばかりだ。これからも邪魔をされる可能性を考えれば、今ここで始末するのも仕方ない」
アロルドは起き上がり、セイリオスに〈強化〉の反対の〈弱化〉の魔法をかけて身体能力を落とそうと試みるが、セイリオスの動きが速すぎて狙いが定まらない。
ならば――とアロルドが考えようとした瞬間、セイリオスはアロルドに接近し殴りつける。
防御を――とアロルドが剣を構えようとした瞬間、セイリオスの蹴りがアロルドの太腿を捉える。
後退を――とアロルドが後ろに下がろうとした瞬間、セイリオスはアロルドの頭を掴み、頭を押さえつけて膝蹴りを叩き込む。
「考えてから動こうとしては絶対に僕には追い付けない。それが僕が与しやすいと言った理由だ。頭を使って動く方が弱いってのは、なんとも皮肉な話だな」
今までのアロルドなら、勘でセイリオスの動きに対応できていた。勘と言っても、アロルドの勘はこれまでの戦闘経験からの直感的な判断であり、まるきり当てずっぽうというものでも無いため、セイリオスの動きに対応できていた。
しかし、今は直感ではなく、思考で動いている。セイリオスの動きを頭で考えてから対処しようと試みているが、それでは遅すぎて対応できていなかった。
「こうなるとは思っていた。いや、こうしたいと思っていたか? もっとも、こんな場面とは思っていなかったがね」
セイリオスはなおもアロルドの頭を掴んだままだった。アロルドはその状態でセイリオスに剣を振ろうとするが、そうした時にはセイリオスはアロルドを投げ飛ばし、地面に転がしていた。
「お前と決着をつけるなら、もっと相応しい時と場があったと思うんだ。僕の望みが叶って世に争いが満ち、そして乱世を駆け抜け、最後に残った僕とお前で決着をつける。とても素敵だと思わないか?」
セイリオスは倒れたアロルドに無警戒な様子で近づく。
アロルドは地面に伏せた状態で、近づくセイリオスの足を払うように剣を振るが、その剣を軽く飛び上がって躱しつつセイリオスは地面に這いつくばった体勢のアロルドを蹴り飛ばす。
「いずれ敵になると分かっていたから、お前への備えは怠らなかった。僕としてはお前が敵に回ろうが、どうしようが構わなかったんだ。でもなぁ――」
セイリオスはアロルドの頭を掴んで体を引き起こす。
「僕らは兄弟だから、分かり合える部分はあると思っていたし、通じ合う部分もあると思っていた。逆にどうしても相容れない部分もあるだろうとは思っていたがね。
だが、それも兄弟だからこそ、そう兄弟だからこそ、譲れない部分という物もある。他の誰に負けても許せるが血を分けた弟には負けたくないと思う気持ちが僕にだってある。だから、お前が敵に回っても良いような準備をしてきた。
――けれども、もしかしたら上手くやっていけるんじゃないかという気持ちもあったんだ。兄弟二人で世界を手中に収めるという未来も悪くはないとは思わないか?」
穏やかに語り掛けるセイリオス。だが、穏やかな表情はそこまでであった。
セイリオスはアロルドの胸倉を掴み、体を引き起こし――
「だけど、お前はっ!」
拳を握りしめ、アロルドの顔面にその拳を叩き込む。
心中に貯め込んだ怒りを吐き出しながら、アロルドの胸倉を掴みながら何度も何度もアロルドの顔に拳を叩き込み続ける。
「いつも! いつも!」
殴る。殴る。
「僕の! 邪魔を! しやがって!」
殴る。殴る。殴る。
「許してっ! やってりゃっ! つけあがりっ! やがる!」
殴る。殴る。殴る。殴る。
「いい加減っ! ウンザリだっ! ちょっとでもっ! 期待したことがっ! 間違いだったっ!」
殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。
「もう良い、死ね! 死ね! 死ね! さっさと死ね! お前はっ! 邪魔だっ!」
殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。
セイリオスの拳を受け続けるアロルドは抵抗も出来ず、意識が朦朧としだす。
「殺してやるよ、アロルド。お前のせいで僕の計画は台無しになったんだ。人の夢を台無しにした報いを受けろ。お前が少しでも空気が読めて、行動を控えられる奴だったら、こんなことにはならなかったんだからな」
朦朧とする意識の中でアロルドはセイリオスの言葉を聞きながら考える。
確かにそうだ。呪いが解ける前の自分は何も考えずに思ったままに行動していた。そして、その根底にあるのは何の価値もない薄っぺらい善意だった。
人の頼みは断らない? 意味が分からない。
子供の時に読んだ本の道徳観念を大人になっても守っていてどうする。そんなのはただの愚か者だ。そのくせ、その子供の頃に学んだ道徳観念を大事にするくせにそれが意味する人としての正しさを理解していないせいで、やることなすことズレていた。
今なら分かるが自分の行いは極悪人のそれだ。そこまでいかなくても、碌でもないクズだ。理性のある今の自分なら、あんなことはしなかった――いや、しただろうが、もっと上手くやった。
もっと頭を使って、全てを自分の思い通りに出来たし、セイリオスの目論見もすべて理解し、セイリオスと協力関係を築くことだって出来たはずだとアロルドは思い、全ては呪いのせいだと怒りを覚える。
――だが、怒りを覚えた所で意味は無いし、後悔しても遅い。すでにセイリオスはアロルドの命を奪うために、最後の一撃を放っていた。
「終わりだアロルド。自分の愚かさを、あの世で悔いるんだな」
聞こえてくるセイリオスの言葉。それを最後にアロルドの意識は途絶え――
――闇の中を揺蕩う感覚を経て――
――次に目を覚ました時、アロルドの目の前にいたのは邪神アスラカーズ。どこまでも続く白い空間の中でアスラカーズはアロルドに言うのだった。
「さて、取引をしようか?」
アロルドに差し伸べられた救いの手。それは邪神と呼ばれる存在の物だった――




