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揺るがない相手

 

「揺るがないか……」


 東部のとある町、帝国が占領したその町の中でリギエルは通りの真ん中に腰を下ろして昼間から酒をあおっていた。

 道行く人々がみすぼらしく悪臭を放つリギエルを遠巻きに見ながら関わってはいけないと足早に通り過ぎていくが、リギエルはそんな周囲の視線など気にしない。いや、一応は気にしているのだが、気にする方向が違っているので、気にしていないも同然だった。

 周囲からゴミのように思われることで、慢心せずに謙虚な思考を維持できるようになるというのがリギエルの信条であり、リギエルが気になるのは自分がゴミに思われているかどうかだった。


「あの、食事を持ってきました……」


 ルベリオが露骨に嫌そうな顔を浮かべながら通りの真ん中にいるリギエルに近づく。

 浮浪者のような格好をしているリギエルに対し、ルベリオは帝国の軍装をキッチリ着込んでいたため、道行く人々は逃げるように、更に足早にその場から去っていく。


「ご苦労――」


 リギエルが犬のお座りのような姿勢でルベリオの持ってきた食事が自分の前に置かれるのを待つ。

 ルベリオが手に持っているのは犬に餌を与える際に使う平たい皿。もちろん人間が食べるので、人間の食事をそれに乗せている。戦勝の祝いでもリギエルはこれに食事を乗せるように命令するので、ルベリオも配膳は慣れたものだった。

 ルベリオが食事ををリギエルの前に置く。だが、置いた直後にリギエルの手でそれが弾き飛ばされた。

 何をするんだとルベリオがリギエルを見ると――


「葉っぱが多すぎぃ!」


 リギエルはいつになく怒っていた。


「こんな葉っぱが多かったら、うんこが固まらねぇだろ! もっとポロポロのうんこじゃなきゃ、お前だって大変だって分かってるのに、なんでこんなもんを持ってくるかなぁ」


 リギエルはこれまでの経験から、野菜を食べると排泄物の出が良くなることを自力で発見しており、それを知った上であえて野菜を摂らなかった。その理由はというと――


「俺が道端で糞をした時、処理するのはキミの役目だって忘れてないか? 俺の糞を泣きながら袋に入れているキミのために俺が必死で糞を硬くしようってしてるのに、そんな俺の厚意をどうして無視するんだ!」


 リギエルは道端だろうが何だろうが関係なく排泄する。犬だってしてるんだから自分がしたって問題ないだろうという理屈で。

 そして、自分が出した物の処理は自分以外にやらせる。リギエル曰く『ワンちゃんが、自分で糞の後始末はしなくない?』という理由でだ。

 ルベリオが泣いていたのはリギエルの排泄物が水っぽいためではなく、どうして人間の排泄物を処理しなければいけないのかという自らを儚んでの涙であったのだが、リギエルは処理しづらい排泄物であったためだと推理していた。


 こういった行為を、リギエル自身は狂人のふりをしているだけで、いかれた人間の真似をしているだけと言うが、それを素面で出来る時点で正気の人間ではないということを本人は自覚していなかった。


「まぁ、いいや。勿体ないから食べておこう。俺の糞がゆるくなっても、俺は知らないからな」


 リギエルは自分が皿を弾いたことで地面に散らばった食事を手を使わずに食べる。

 土やら何やら色々とついているが、そんなものはお構いなし。腹を壊すのではと見ているルベリオは思うが、リギエルの胃腸の強靭さは人間離れしており、道端に落ちている物を食べても一度も腹を下したことが無かった。


「――ふむ、中々の味だな。シェフには美味だったと伝えてくれ」


 地面に落ちた料理を食べて、そんなことを言われても嬉しくないのではとルベリオは思うが、まぁ美味かったとだけ伝えておけば良いかと諦めに近い気分で思うのだった。


「――それで、どうするんですか?」


 馬鹿みたいな話はここで終わりだ。

 真面目に戦争の話をしなければいけないと、ルベリオはリギエルに訊ねる。


「相手はノール殿下と聞いているのですが、何か策が?」


 皇族が敵に回るという理解できない状況だったが、リギエルならば何かしら考えがあるのではないかとルベリオは思っていた。色々と問題が――いや、全てにおいて問題がある人物であるが戦においては信頼の出来る人物であるので、今の状況に関しても何か考えがあるのではと思うのだったが――


「無いよ。全く無い」


 リギエルは事も無げに言う。


「なんで俺をこっちに向かわせたのかは知らないけど、どう考えても敵の守りは抜けねぇよ」


 リギエルの見た所、東部軍は安定した防御態勢を整えている。それは鉄壁の守りではないが、要所を丁寧に押さえた守りだった。


「向こうの本丸はケイネンハイム大公領の領都ケイングラートで、向こうはそこまで攻め込まれなければ何とでもなるって考えで防衛戦の計画を組んでる。こっちの軍をどこまで通して良いかってのも予め決めてるんだよ」


 リギエルは帝国が占領した、今いる都市から、兵を東へと送り込んでいるが良い結果は帰ってこない。

 東部軍は会戦を避けて、東部にいくつもある城壁のある都市に閉じこもっており、それを帝国は崩せないでいた。

 これが一つや二つであれば、戦力をつぎ込んで一気に攻略するのだが、攻め落とす価値があるような東部の主だった都市は全て固く高い城壁に囲まれており、それらを攻略する度に全力を出していれば先に力尽きるのは帝国の方が先だった。


「無視して、ケイングラートに向かうのは?」


「そんなことしたら向こうの本丸を攻め落とす前に挟み撃ちを食らうよ。まぁ、その前にたどり着けないだろうけどね。東の果てまでは遠い道のりだし、到着するまでに物資が尽きるよ」


 東部軍は市に籠っていて積極的に迎撃する姿勢は見せてこない。

 無視してケイングラートに辿り着くことは容易であるが、それをした場合、物資の補給が難しくなる。

 途中で幾つか拠点を手に入れ、そこを補給を行うための中継地点として補給線を構築しなければ、すぐに軍は干上がる。とてもではないが、ケイングラートまで一気に攻め込むことは無理であるというのがリギエルの考えである。それに仮に攻め込むことが出来たとしても――


「斥候と一緒にケイングラートを偵察してきたけど、そもそもこっちの装備じゃ、あそこは攻略できねぇよ。城壁はデカいし固そうで、こっちが持ってる攻城兵器を全部投入しなきゃ、壁は抜けねぇよ。それに知ってたか? あそこは港町だぜ」


「港町だと何か問題が? 後ろが海ですし、敵は逃げ場が無いように思いますけれど」


 ルベリオの応答に対し、リギエルは大きく溜め息をつく。


「デカい城壁に囲まれてるって言ったろ? 籠城戦をやられたら、相当に手こずるぞ。そして、籠城戦になったら、向こうよりこっちが先に干上がる」


 何故というルベリオの視線を受けて、リギエルはそのまま続ける。


「海上の封鎖が出来てねぇから、船が入り放題なんだよ。籠城している相手を崩すのに重要なのは外からの物資の流れを断ち切って、城壁の中にいる奴らを飢えさせることだ。飢えれば、守っている兵も力が出ないし、城壁の中にいる連中の統制も崩れるから、内応をさせやすくなるから内側から守りを崩せる。

 それに対して、ケイングラートはっていうと船で物資も人も運び込み放題なんだから、そういう問題は無い。つーか、あれじゃ籠城戦とは言わねぇよ。だって、都市の片側は全面開放だからな」


「何か崩す手段は無いんでしょうか?」


「ケイングラートを楽に落としたいっていうなら、海上封鎖をするしかない。港に入る船を止めることが出来たら、形勢はこっちに傾くかもしれないけど、まず無理だな。だって、こっちは軍艦を持ってないからな」


 諦めるしかないというのがリギエルの結論だ。

 最終的に守るべきケイングラートが鉄壁の守りで存在しており、それが想像以上の固さだった。

 リギエルの推測では、仮にケイングラート以外の東部の都市を全て占領したとしてもケイングラートの守りは崩せない。


「何か策は?」


 無くは無いが――これといって良い考えも浮かばないリギエル。


「いつも言っている早さと速さで何とかならないのですか?」


 それが何ともならないとリギエルは答えたくなったが、ルベリオを失望させたくなくて我慢して黙ることにした。

 相手より早く速くといっても、相手の方針のせいで上手くいかない。素早く動こうにも相手が止まってしまっているため、その止まった相手に合わせるためにリギエルたちも速度を落とさなければいけないのが現状だ。揺さぶりかけようにも、相手が微動だにせず、それを貫いていたらどうにもならない。むしろ、動かないという選択を取ったことで、東部軍はリギエルに対して主導権を取れていた。


 リギエルに対して東部軍を率いるノールが取った策は徹底防戦。

 初戦の会戦こそ華々しく戦ったが、それは西部でアロルドが動いているという情報が入っていたためであり、西に帝国の戦力が向かわないように、初戦で勝利して東部が脅威であると示し、東に帝国を引き付けておくという目論見があった。その際、長く敵を引き付けておくために防衛戦を提案していた。

 それはリギエルが東部に来ると聞いても変わらず、むしろ最初に示した防衛線の方針を徹底させた。


 最初の方針を徹底させる。それ以外に勝手なことはさせない。色気を出して余計なことに手を出せば、リギエルはその隙を突いてくるだろうとノールは読んでいた。


 相性というものはあるもので、リギエルが苦手なのはノールのようなタイプであった。早さと速さを一顧だにせずに強固な守りを愚直に維持するような相手はリギエルの信条とする物が通じ難く、そのうえ苦手とする長期戦に引きずり込まれる可能性もあった。

 逆にアロルドのような勢いに任せた相手はリギエルにとっては手玉に取りやすく、相性が良いと言えた。アロルドの率いる兵が持つ能力と恐れ知らずの気質から生じる、突破力は凄まじいものがあるが、その反面、守りに弱さがある。揺さぶりをかければ、守り綻びが生じ、リギエルはそういった綻びを突くことに長けている。

 リギエルに対して相性の悪いアロルドであるが、それに対してノールはと言うとアロルドの有する凶悪な突破力の前では守りを維持することが出来ずに相性が悪かった。どんなに守りを固めても、それを突き破る攻撃力を持っている相手では意味をなさない。

 このようにアロルド、ノール、リギエルの三人の力関係は三竦みのような様相を呈していた。


「策が無いわけじゃないんだがなぁ……」


 リギエルは地面に腰を下ろした状態で腕を組み、考えこむしぐさを見せる。

 相性はあるが、それは絶対的な物ではない。苦手な相手だろうが、倒す手段はいくらでもある。そうでなければ、リギエルは無敗の傭兵などと言われていない。ただ――


「策を練ろうにも問題があるんだよな」


 リギエルは西の方に意識を向ける。

 西ではヴェルマー侯爵軍とレガード将軍の軍が戦っているはずだが、勝敗は決したのだろうかと、リギエルは西の戦況に思いをはせていた。なぜ、東部での戦いの最中に西部の戦いに意識を向けているのかというと――


「――お休み中、失礼します。皇女殿下がリギエル将軍をお呼びです。火急の用件とのことで、速やかにアドラスティアへ向かっていただきたく――」


 伝令が焦った様子でやってきて、リギエルに口頭でライレーリアの命令を伝える。

 遂には文も無しかと、よほどの緊急事態であることを察し、リギエルは自分が予想していた通りになったと思うのだ。

 策を練るのに西の戦況を思ったのはこのような事態を見越していたからだ。策を練ったところで、それを実行するには時間がかかり、そんな時間の余裕があるのかと考えていたからだった。


「一体、何事なのでしょうか?」


 伝令の伝えたライレーリアの命令にルベリオが疑問を抱く。ルベリオからすれば、東部を攻略中のリギエルが呼び戻される理由が分からなかった。そもそも東部攻略は皇女殿下からの命令なのに、それを撤回するようにリギエルを呼び戻すことも訳が分からない。

 そんなルベリオの疑問に対してリギエルは確信を持った答えを持っていた。どうせ隠したところで、後で知ることになるのだから、リギエルはその答えを口にする。


「決まってるだろ? 西で負けたんだよ」


 西部での敗北。それが自分が呼び戻される理由だとリギエルは確信を持ってルベリオに教えるのだった。









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