東部の戦力
王国東部の貴族たちと一戦交えるとなった時、最も沸き立ったのは帝国軍ではなく、帝国に寝返った貴族たちだった。
彼らは王都を中心としたアドラ王国の中央に位置する地域に領地を持つのだが、中央と言ってもその端の地方との境目にあたる場所であり、その領地は弱小と言われるのもやむなしという規模である。こういった弱小貴族たちは、現体制では成り上がる芽が無いために、帝国に王国を打倒してもらい、その後で王国打倒に貢献した褒美をもらい、今より上へ行こうとしていた。
そんな彼らにとって、西部や東部への侵攻は帝国へ貢献する良い機会であった。両者ともに武力で劣ると言われており、自分たちでも何とかなるだろうという考えがあったからだ。そのため、先に西部へと進軍を許された者たちを中央に残った貴族たちは妬んだが、その後、東部へ侵攻することとなって、その感情は一変した。
王国に住む者たちであれば、東部が王国で最も豊かな土地だと知っている。東部へ攻め入った際に略奪すれば、東部の富を我が物に出来るかもしれないと帝国に寝返った王国貴族たちは考えた。以前までは同じ王国の領土なので何も出来ないし、同国人に酷い行いをすることに躊躇いはあった。しかし、今は自分たちは帝国の人間であるので、問題はないと、もともと少ない罪悪感を更に少なくさせる要素もあり、彼らは東部へ攻め入る際には自分を先鋒にと帝国軍ひいてはライレーリアに直訴するのだった。
ライレーリアへの直訴はライレーリアの王国人への感情を悪化させることになった。
裏切ったとはいえ、少し前までは味方であった者たちを攻撃するなど、内乱続きの帝国ですら中々見られない。そういう義理や情の薄さは寝返った貴族たちへの信頼を損なうには充分すぎるものであった。
もっとも、寝返った王国貴族たちは別にライレーリアから信頼されなくても構わないとも思い始めていた。当初は頼りになるかと思ったが、思っていたよりはパッとしなかったからだ。
何か鮮やかな手腕を振るうかと思っても、特に変わったことはせずに、普通につつがなく王都を統治している。もっとこう、何かがあるのではと思っていた貴族たちはそのことに失望していた。そのつつがなくも、少しずつ歯車が狂いだしている様子が見られたので、更に失望を抱かせることになっていた。極めつけは体調を崩し、部屋に引きこもることが多いということ。何かしら事件があったのかもしれないが、そんなことは彼らにとっては知ったことではなく、ライレーリアは何かある度に引きこもる弱い君主という認識になっていた。
ライレーリアがそこまで頼りにならない以上、場合によっては帝国を裏切るのも有りかもしれないと寝返った王国貴族たちは思っており、そんな彼らの中には東部への侵攻ついでに東部を奪い取り、自分たちで東部に新たな国を作るのも良いかもしれないと考える者もいた。
東部の富を狙う者に加え、そのような者たちの存在もあって東部への侵攻に加わった王国貴族は極めて多く、彼らは彼らの願い通り、先陣を切ることになったのだった。
『東部は弱兵ばかり。赤子の手を捻るような物だ』
兵を率いて出陣する王国貴族の一人がそんなことを言った。
東部へ向かう者たちの誰も、その言葉を否定しない。東部人が争いごとを好まないのは周知のことで、戦いになれば苦も無く倒せるという確信を持っていたからだ。そして、そんな楽な相手を降すだけで、後は東部の富が思いのまま。
東部へ向かう王国貴族たちは自分たちを待っているであろう輝かしい未来に対して笑みを隠せずにいた。しかし、その笑みは戦いが始まると同時に絶望へと変わるのだった。
「こんな話は聞いていない!」
東部制圧の任を与えられた王国貴族達であったが、意気揚々と東部へと辿り着いた彼らを待ち受けていたのは、数千を越え、万に達するほどの数の屈強な兵士たちの軍勢だった。
その兵士たちの姿は一目見ただけで、東部人さらに言えば王国人ですら無いと分かるような肌の色。褐色の肌の者もいれば、青い肌を持つ魔物のような者たちもいる。
平原の真ん中で向き合う両軍。片方は王国貴族の軍勢で、もう片方は東部貴族の筈だが、東部貴族の軍勢を見ても、王国貴族はそれが東部のものだとは欠片も思えなかった。
「ま、まずは、開戦の口上か挨拶を――」
戦う前に両軍の大将が言葉を交わし、戦の約束を決めるのが王国における戦の基本。
それが無いと、勝った側はどこまでも追いかけて皆殺しにする羽目になりかねないし、負けた側は命が尽きるまで戦い続けなければならない。別に殲滅するのが目的ではないのだから、そこまでする必要はないので、ある程度はルールを決めておく必要がある。
「誰が行く?」
「一番爵位が上の者が……」
王国貴族側は最も東部侵攻に乗り気だった伯爵が、対する東部貴族側はケイネンハイム大公ではなく東部の軍勢を率いる将軍らしき若者が、両軍に挟まれた平原の真ん中へとやってくる。
東部の軍勢を率いる将軍の顔は王国側にいた者の誰も知らない顔だった。何者かと貴族や兵が首を傾げる中、彼らを監督するために同行していた帝国の軍人だけが顔を青ざめさせていた。そして、帝国の軍人は戦が始まるどさくさに紛れ、王国貴族が気付く前に、その場を逃げ出していた。
「何者か?」
伯爵は名も顔も知らぬ若者に問う。対面する若者は金髪碧眼の涼やかな風貌の美男子であるが、東部の軍を任されるような若者がいたとは伯爵は知らない。
「ノール・イグニス。ただの傭兵です」
若者の名乗った名を聞いても、その瞬間は伯爵は特に何も思わなかった。イグニスという姓は帝国の皇族と同じだなというのと、ノールという名は以前に王国へ侵攻してきた帝国軍を指揮していた皇子と同じだったなということを何となく思い出す程度。
――だが、数瞬して伯爵は気付いた。そして、何事かをノールと名乗る若者に言おうとしたのだが、それを遮るようにノールが先に言う。
「海を越えて親交の出来たケイネンハイム大公の手助けに来ただけ傭兵であって、それ以外の何者でもありませんので御心配なく。そちらは何の遠慮も必要ありませんよ」
そのようなことを言われても伯爵はどう言葉を返せば良いか分からない。
その上、ノールの後ろに見える東部の軍勢はいつの間にか帝国の旗を掲げている。
一体どういうことなのかと、伯爵は自分たちの監督に来ている帝国軍の者たちに訊ねたかったが、すでにその帝国軍人たちは戦場から逃げ出していた。もっとも、訊ねたところでノールがここにいる理由などは分からなかっただろうが。
「撤退するなら御自由に。背を向けて逃げるような相手を我々は追いませんし、背中から斬りつけるような真似もしません」
ノールの言葉に頷くだけで伯爵は想定外の状況に言葉が出ない。
想定では東部の軍勢の指揮官に尊大な態度で降伏を要求するはずだったのだが、思いもがけない状況で何を言うべきか判断できない。
「う、うむ、我々は精鋭であるので、手加減はいらない。そちらは有象無象の寄せ集めのようであるから、敗けたとしても恥ではないぞ。我々も逃げる相手を追って、無闇に命を奪うつもりもないので、安心するといい」
結局、本来の想定通りの言葉を口にする伯爵。自分で言ったものの、有象無象は無いなと東部の軍勢を見て思う。見た目こそ統一感がないものの、並ぶ兵士たちは精鋭の風格を漂わせていたからだ。それを見ると、伯爵は自分たちの方が寄せ集めの有象無象であると思うのだった。
「そう言ってもらえると安心です。こちらはまだ統率が取れていないもので、連携に不安があるので胸を借りるつもりで挑ませていただきます」
爽やか笑いかけてくるノールに対して伯爵は表情を青ざめさせていた。
ノール・イグニスは最終的にはアロルド・アークスに敗けて逃げ帰ったとはいえ、ライレーリアとは異なり正攻法で武力により王国の南部を掌握する寸前までいった有能な軍人だと聞いていたからだ。
そんな輩相手に勝てるのかと目の前で相対する伯爵は思う。
「それでは良き戦いを」
ノールはそう言って話は済んだと自陣へと戻っていく。伯爵はその後ろ姿を呆然と見送ってから、ようやく自陣へと戻るのだった。
「どうされたのですか?」
自陣へ戻った伯爵に他の貴族が話しかけるが、伯爵は上の空でマトモな応答も無い。
遠くから様子を見守っていた者たちもとへは、ノールの声は届いていないので、ノールが何者かまでは把握できていないので伯爵が呆然としている理由も分からない。
「と、とりあえず成り行きに任せるしか――」
伯爵が頭の中で、そんな結論なのか現実逃避なのかを分からない答えを出して現実に戻ってきた、その時には既に王国貴族の軍勢に向かって、東部貴族の軍勢が突撃を始めていた。
とりあえず、危険になったら撤退すれば良いと伯爵は考えていた。逃げても追わないとノールが言っていたのだから、逃げ道は安全なはずだと――
「一体どういうことだ! 何故、殿下が王国にいる!?」
王国貴族の監督をしていた帝国軍人たちは一足先に戦場から脱出し、王都へ向かって馬を走らせていた。
ノール皇子がいる以上、寄せ集めの王国貴族たちが勝てるわけはない。負け戦に巻き込まれるのは御免だとばかりに帝国軍人たちは慌てて戦場を去った。
彼らはノール皇子が帝国屈指の戦巧者であると聞いているし、実際に帝国の内乱で反乱貴族の鎮圧を成功させている所も見ている。先の王国侵略も帝国側の体制が整ってさえいれば成功していたとも聞いている。そんな相手に王国貴族たちが勝てるとは思えない。そのため、彼らは逃げることを選んだのだ。
「我々と同じルートで王国に入ったのか?」
「それならば南部にいる者たちが報告している!」
どうやってノール皇子が来たのか彼らには想像がつかなかった。
帝国から王国に来るためには王国南部の南端から縦に伸びるコーネリウス回廊と呼ばれる山脈地帯を越えてこなければならないはずだが、そのコーネリウス回廊がある南部は帝国が掌握しており、何かしらの動きがあれば、すぐに報告があるはずだった。
「だが、待て。そもそも何故、殿下がいる? あの方は消息不明ではなかったか?」
一人の帝国軍人が思い出したかのように言うと、他の者たちもそういえばそうだと、ノール皇子がいることを疑問に思う。
先の王国侵攻の後、ノール皇子は王国に捕らえられたものの脱出し、帝国まで逃げ延びた。皇子が帝国の地に戻ってきたこと確認した者はいるが皇子の消息は帝国に戻った所で消えており、世間では敗戦を恥じて身を隠したということになっている。
「分からんが、とにかく皇女殿下に報告しなければ、どういう事情か分からないが、同じ帝国の者同士、話せば分かるはずだ」
「場合によっては協力を申し込めるかもしれない。そうすれば、我々を取り巻く状況も変わるはずだ」
王都へと急ぐ帝国軍人たちは希望的な観測を口にする。
彼らはノール皇子が味方の可能性を信じていた。すでに敵として戦場に立っていたのに、同じ帝国の人間である以上は味方になるはずだと思っていた。しかし、その考えが甘いものであることを彼らはすぐに知ることになる。
「――そんなことあるわけないじゃん」
不意に聞こえてきた声に馬を走らせていた軍人たちが馬を走らせながら辺りを見回す。
直後、一人の胸元にどこからか投げられた槍が突き刺さり、落馬する。他の者が槍の飛んできた方を見ると、そこにはいつの間にか人が立っていた。
ボロのマントを纏いフードで顔を隠している。小柄なのと聞こえてきた声の高さから女性であるとは推測できるが、マントのせいで正体は判断がつかない。
「何者だ!」
「アンタらの敵だよ」
そう言うとマントの人影は目にも止まらぬ速さで駆け、落馬した兵のもとへと近寄ると、胸元に刺さった槍を兵士ごと持ち上げて軽く振り回すと、その槍で馬上にいる別の兵の胸を貫いた。
兵士が二人串刺しになった槍を掲げ、自身の戦果を見せつけるように振る舞うと、フードがずり落ち、その顔が露わになる。現れたのは青い肌に金色の瞳の少女。その容貌を見るなり、生き残っていた帝国軍人が叫ぶ。
「魔族!?」
少女はその言葉に対してウンザリとした表情を浮かべる。そして、槍を振り回して串刺しになっていた兵を引き抜くと、軽くなった槍の穂先を生き残りに向ける。
「魔族じゃなくて、ウチらはれっきとした帝国の少数民族ってやつで、ドラケン族だっての!」
青い肌に金色の瞳という見た目のせいで魔物の仲間の魔族扱いされているが、少女は帝国の少数民族であるドラケン族の一人である。
「まぁ、殿下が名前を付けてくれて、認めてくれただけだけどね。でもまあ、そんな感じでも、ウチらも帝国人みたいよ?」
帝国人と言われて生き残りの兵が僅かに安堵した表情を浮かべる。
それは魔族と言えど帝国人という意識があるなら、自分たちの味方の筈だという甘い考えによって生み出されたものだ。
「て、帝国人なら味方だろう?」
「だから、違うって。さっき、アンタの仲間を殺したのを見たろ? 味方なら殺さないじゃん。そんくらい分かれよな」
少女は金色の瞳を光らせ、槍の穂先を向けたままだ。
「な、何故、我々を――」
最後まで言わせず、槍の柄で兵士の体を打ち据える。その衝撃で兵は馬から落ちた。
「なぜって、殿下の命令? あ、ノール殿下の方ね。殿下が戦うって言ったからウチらも殿下についてきたの」
地面を倒れる兵士のそばにしゃがみ込み、顔を覗き込みながら少女は言う。
「どうして、ノール殿下が我々と戦うなどと、我々も殿下も帝国の一員のはずでは——」
「アンタらの頭がライレーリアだからでしょ。なんか、殿下が言うにはライレーリアのせいで厄介を背負い込まされたから、落とし前をつけにきたんであって、帝国の一員だからとかそういう問題じゃないんだって」
「何を言っている。我々が、皇女殿下が何をしたというのだ?」
「なんでもライレーリアに嵌められたんだってさ。ライレーリアのせいで来たくもない国に行かせられて、やりたくもない戦をやらされたんだってさ。ちなみにウチの兄さんも、そのせいで死んだんだよね」
少女の眼が細くなり、殺気が漏れ出す。
金色の瞳は怪しげな光を放ち、それが兵を恐怖させる。
「知ってる? ウチらと同じ青色の肌に金色の瞳で大きな剣を持ってた凄く強い戦士なんだけど。それで、ウチらは兄さんの敵討ちに来たんだよね。兄さんを倒した奴らには敬意を払うけど、兄さんを嵌めた奴らには落とし前をつけるってのが、ドラケン族の総意って奴。なので、殿下について、王国までやってきましたってわけ」
「どうやって――」
「そこまで教える必要は無いっしょ」
少女は立ち上がる。この後、自分は殺されるのだと思った兵士が目を閉じるが、少女の行動はそれとは異なり――
「とりあえず、このことをライレーリアって人に伝えてってさ。それが殿下の命令だから、アンタは行って良いみたい、一人は生かしておけって言われたしさ」
そう言うと少女は背を向けて立ち去った。地面に倒れた兵士を一人残して――
「どうだった?」
「悪くないんじゃないすかね」
仕事を終えたドラケン族の少女は味方と合流する。
その味方とは東部に滞在していた冒険者たちで、彼らの集団の中に少女は溶け込んでいた。
最初はこの冒険者たちがノールや兄と戦った者の手下だと聞いたときは警戒していたが、すぐに馴染んだ。
「これから、どうすんの?」
「殿下の命令通り、俺らも王国の貴族共に突撃しろって話っすね」
「殿下じゃなくて、ノール隊長って言えってさ。今は傭兵隊長らしいし」
少女に同行する冒険者たちは詳しい話を知らないが、ケイネンハイム大公直々の依頼で参戦している。
弱い兵しかいない東部なら自分たちを頼るのも仕方ないかと思い、東部で稼がせてもらっている恩もあるからと二つ返事で了承した冒険者たちだったが、蓋を開けてみれば、どこからかやってきたのか、帝国の皇子であるノール・イグニスが傭兵としてケイネンハイム大公に雇われているという有様。
そのうえ、その傭兵が帝国の正規兵を連れてきているうえ、一人一人がとんでもなく強いドラケン族なる集団を連れてきており、自分たちなど必要ないのではないのかと思ったが、依頼を受けた以上は仕事をするのが冒険者というもので、彼らは過剰戦力などと思いながらも、東部の軍勢に加わっていた。
こうして誰もが東部側の不利で始まると思っていた東部での戦いは、誰もが想像もしなかった助っ人の参戦で当初の戦力差が覆されることとなった。
こうなることを知っていたのはケイネンハイム大公とノール・イグニスの二人だけ。ここまでの全ては彼らの思惑通りであった。




