足止め
それは早朝の事である。
王都奪還のために挙兵した王国貴族の連合軍に加わるべく移動していたヘーゲル子爵家の軍勢が奇襲を受けた。
野営地から出発しようとした矢先のことである。天幕を片付け、兵を整列させようとしたその瞬間を狙い澄まし帝国の軍勢が襲い掛かったのだ。
奇襲をかけた帝国軍の規模は少数、子爵家の斥候が接近に気付いたものの、仕掛けてきた帝国軍の動きはあまりに迅速で報告は間に合わなかった。
帝国軍は斥候が気づくよりも遠くから騎馬で止まることなく駆け続け、そして一瞬たりとも止まることなく子爵家の野営地を駆け抜けた。
そして通り過ぎる一瞬で騎兵は手に持った銃を構え視界に入った王国兵へとロクに狙いもつけずに引き金を引いた。
馬上から不正確な射撃ということもあり、その弾が当たった者は半分もいないが、奇襲によって、子爵家の軍勢は混乱状態に陥り抵抗もできず、帝国軍の突破を許してしまう。そして帝国軍はそのままの勢いで子爵家の軍勢のど真ん中を突っ切り、去っていった。最後に土産として油の詰まった壺と松明を投げつけ、糧食の一部に火を放って。
慌てて子爵家の軍勢が追いかけようとするが、その準備を終えた頃には帝国軍は既に遥か彼方。追いつけるはずがないと子爵軍は追撃を諦める。
幸いにも負傷者は多数いたものの死者はいない。負傷者も治療すれば復帰できる程度の怪我、糧食を焼かれたものの、それも一部なので大勢に影響はない。
軍勢を率いるヘーゲル子爵は被害の少なさから帝国軍の奇襲が失敗したと確信し、そしてこんな場当たり的な襲撃しかできない帝国軍はだいぶ追い詰められた状況にあるのではないかと考えた。
慌てて攻め、慌てて逃げていく、ヘーゲル子爵の目から見て帝国軍の動きは弱兵のそれだった。
奇襲をかけた帝国兵はヘーゲル子爵軍の野営地を突っ切った勢いのまま、止まることなく駆け抜け、帝国が設営した陣地へと駆け込んだ。
そうして戻ってきた帝国兵を待ち構えていたのは将軍のリギエル。相変わらずみすぼらしい格好で地べたに座り込み、傍らにルベリオを立たせていた。帝国兵はリギエルの姿を確認すると馬から降り、リギエルの元に駆け寄る。
「上手くいったか?」
「ええ、勿論です」
ならば良しとリギエルは頷くと、帝国兵に行って良しと手で合図をして追い払う。
リギエルに追い払われた帝国兵は部下を引き連れて陣地の奥へ行くと、別の馬に乗り部下とともに陣地から出て行った。また同じように奇襲をかけるためだ。
「こんなことに意味があるんですか?」
リギエルの世話役として帝国軍から派遣されているルベリオがやつれた顔でリギエルに訊ねる。配属された当初は溌溂とした青年であったが、リギエルの奇癖に悩まされ、日に日にやつれていっている。
「あるよ、あるある」
リギエルは犬のように足で頭を掻きながら答える。
「ろくに被害を与えてはいないが、それが肝心なのね。被害が大きすぎるとそれはそれで諦めることができるわけよ。兵士が死んだら諦めることは出来るだろうけど、生きてたら治療して復帰させたいじゃん?
つーか治療させないと不満が溜まるし、そうなると統制が取れなくなるから治療はせざるをえない。
それにあいつらって貴族じゃない。貴族って見栄を張らないと生きていけない生き物だし、自分はこれだけ多くの軍勢を連れてきたって格好をつけたいから負傷者は置いていけない。
それに戦後のことを考えたら少しでも多くの兵を連れてきたってことで貢献してる感じを出したいじゃん? だから絶対に負傷者は治療して連れていきたい。
そして、そんなことしてたら、王国軍の本隊との合流は遅れるわけよ。後は糧食も全部焼いてないだろ? 近くの村や町で簡単に補給できる量だから、危機感は抱かないし、ちょっと補給していっても良いんじゃないかって思う可能性だってある。全部焼いちまうと飢え死にする前に死に物狂いで本体に合流しようとして、行軍速度が上がる気がするから俺はやりたくないんで、全部焼かせるようなことはしない。
話を戻すけど死人を増やすのは行軍速度に関しても良くはないよ。次に襲撃を受けたらってくらいの人数にすると、死に物狂いで本隊に合流しようとするから、やっぱり速度が上がるんだよね。そもそも、人が少ないほうが移動は早いしさ」
リギエルはそこまで一気に喋ると欠伸をして、陣地から出ていく騎兵たちに視線を向ける。
「会戦が始まるまでに本隊に合流させなければ、本隊の兵を討ち取ったのと同じことだぜ? ちょっと襲い掛かるだけで、敵の兵を減らせてるんだから対費用効果は良いと思うけどな」
そういうものなのだろうかとルベリオはリギエルの戦略に対しては何となくは理解したが、それが本当に正しいのか、陣地から出発していく兵を見ると思う。彼らはリギエルから作戦に最適な装備を配給されているわけだが、それを見るとリギエルの正気を疑わざるをえない。
「彼らの装備は果たしてアレで本当に良いのですか?」
ルベリオの視線の先にいた騎兵の装備はというと軍服に革の胸当てだけ、武器は銃が一丁だけだ。
荷物は一食分の糧食と数発の銃弾程度。兵によっては油の詰まった壷を持っている者もいるが、それだけだ。ルベリオからすれば、あまりにも軽装で、マトモに戦える格好には見えないが、リギエルはそれが良いと自分の兵にこの装備を徹底させている。
「速度が肝心なんだから仕方ない。とにかく身軽になって素早く動き、一撃加えたら速攻で逃げる。これが今回取るべき戦術なのさ。身軽にするため荷物も減らすけど、それで生じる不具合を解消するために、わざわざここみたいな敵が通りかねない場所に補給基地を用意してるわけよ」
必要な物があれば、この場所に戻ってくる。物資の補給が必要なくとも、一撃加えたらこの場所に戻る。馬も一回の攻撃で相当に披露するので、何度も交換する必要があるからだ。
兵士達にはそれだけは厳守するように指示を出し、リギエルはこの場で待つ。
場所は王国貴族が率いる、それぞれの領地の軍が王都奪還の本隊と合流するために通るであろうルートのすぐそば。
順当に進めばすぐに発見される場所であり危険が伴うが、それでも作戦の都合上、兵への補給と再出撃を速やかに行うためには可能な限り最前線にリギエルは補給拠点を作る必要があると考えていた。
「絶対に深追いするなとも言っているし、無理そうなら攻撃せずに戻ってくるようにも周知している。今のところは約束を守ってはくれているようだが、それも何処まで持つか」
「兵が命令違反をするとお考えなのですか?」
「するに決まってるだろ? 人間ってのは基本的に馬鹿で調子に乗りやすいんだから、絶対に余計なことをする奴が出てくる」
リギエルが確信を持って言ったその時である、傷を負った兵が駆け込んできた。
その兵を見た瞬間に襲撃に失敗したとリギエルを理解する。
「よし、撤収。河岸を変えるぞ」
そして傷を負った兵が駆け込んでくるなり、リギエルは補給基地内の兵に命令を下した。
あまりにも早い判断にルベリオが苦言を呈す。
「もう少し粘るべきでは?」
「それでヤバくなってから逃げるのかい? 俺はギリギリの思いをするのは嫌だからヤバくなる前に逃げるのさ」
リギエルはルベリオの言葉に流し、兵に命令する。
「次の設営場所は手筈通りだ。各自散開して合流地点を目指せ。戻ってくる部隊も俺達が次に何処へ行くかは教えているが、暗号も残しておくのは忘れるなよ」
リギエルの言葉を受けて、兵たちが慌ただしく動き、設営していた拠点を速やかに解体していく。
「よし、それじゃあ俺達も行こうかルベリオ君」
馬に飛び乗りリギエルは拠点を飛び出す。慌ててルベリオも追いかけ、それに続いて兵も拠点を放棄し、次の場所への移動を開始した。
「現状では2000くらいの兵を2日程度は遅れさせているわけだが、最終的には8000くらいは本隊に合流できなくさせたいところだ」
そうすれば8000の兵を倒したのと同じことだからねと、リギエルは並走するルベリオに語り掛ける。
「そんだけ働けば充分だと思うかい?」
リギエルの言葉にルベリオはどう答えるべきか考える。
返答次第では帝国軍の本隊にいる、ライレーリアやログドーたちの能力を疑っているとも捉えられかねない。そうして悩むルベリオの様子を見てリギエルは溜息をつく。
「充分じゃないんだなぁ、これが。合流を二日遅らせてるんだった、王国の本隊とは三日は早く戦わないといけないと俺は思うんだわ。でも、奴らはダラダラと軍議をするだろうから、時間のアドバンテージを生かせない。なので、俺が口火を切るのだ」
リギエルは堂々と独断で動くことをルベリオに伝えた。
散々、独断専行は止めろと言われているのに、まだこの男はやるのかとルベリオは驚きを通り越して呆れてしまう。
「金を貰ったら絶対に勝たせるってのが俺の信条でね。そのためには雇い主の都合なんか無視してとにかく戦争に勝たせるってのが俺のやり方なのさ」
リギエルは悪びれもせずに言う。
そうして傭兵を続けてきた結果、敵対した者たちに加え雇い主にも恨まれているのだが、リギエルはそういう他人の都合は気にしない。
余計なことを考えると思考が遅くなり、行動も遅くなる。その結果、戦いに負ける。傭兵は勝たせるのが仕事だとリギエルは考えているので、負けることを避けるために余計なことは考えない。だから雇い主の都合やら何やらも考えない。
雇えれば、戦に負けない無敗の傭兵隊長。そんなリギエルが敬遠されるのはそういった性情のせいであった。もっとも、戦いに勝つのに必要であれば、ちゃんと空気を読めるし、他者の事情に斟酌できるのだが、そういう性質がリギエルが厄介者として扱われる原因であった。
「まぁ、先のことは後で考えるとして、まずは今やるべきことをちゃんとこなそうか」
そう言ってリギエルは騎乗する馬の足を速め、次の拠点へと急ぐのだった。




