犬のようなリギエル
王都から逃げ延びた王国貴族が軍を率い、帝国に占領された王都を奪還に来るという報告を受け、帝国軍の主だった面々は皇女ライレーリアに召集され、王城の一室に集められていた。
「敵の数はどれほどだ?」
集まるべき者たちが集まったと将軍の一人であるログドーが皆に訊ねた。白髪に皺の刻まれた顔は老人のそれであるが、屈強な体格が歴戦の戦士の風格を感じさせる人物である。
ログドーはライレーリアがアドラ王国侵攻のために抜擢した軍人であった。今回の侵攻にあたりライレーリアは数名の将軍を引き連れており、ログドーはその中でも古株で強い発言権があった。
ライレーリアが引き連れてきた将軍たちは立場上は全員が同格であり、ライレーリアが将軍たちの上に立つ総司令となっていたが、年齢やこれまでの功績から自然とログドーが将軍たちの中でも一段上の地位として扱われていた。
「動員できる兵は数万はくだらないでしょう」
答えるのはライレーリアに同席を許されたセイリオスであった。
いつの間にか皇女のお気に入りになっていたセイリオスに対してあまり良い感情を持っていないログドーは睨みつけはしないものの、不審な眼差しでセイリオスを見ていた。それはログドー以外の将軍も同じで、誰も口には出さないが『何故この男がここにいる』と思っていた。
「王都から逃げ延びた貴族たちは王国でも有力な者たちです。彼らがその気になれば、もしかすると十万以上の兵を用意することも可能かと」
セイリオスは自分に向けられる眼差しを気にせず話し続ける。
相当に嫌われているようだが、それはそれで都合が良いと思っていた。自分への不審が増せば、それはやがてライレーリアへの不審にも繋がる。
『どうしてセイリオスのような者を重用するのか』というようにライレーリアへ不満を抱くようになれば、帝国軍の中でも色々と問題が起きるはずだとセイリオスは考え、問題が起きれば自分が動きやすくなるとも考えていた。
「随分とまぁ、他人事のような口調で話すものだな」
将軍の一人でログドーの愛弟子であるレーゲンがセイリオスの口調に食って掛かる。
三十代半ばで将軍の地位を得て、その優秀さをライレーリアに認められていたレーゲンもまたセイリオスを気に入らない者の一人である。
「元はと言えば、貴様ら裏切り者共が、そやつらを捕らえる手筈であったろう。それが成功していれば、このような事態にはならなかった。そのことに責任を感じないのか?」
レーゲンはセイリオスひいては帝国に寝返った王国貴族の失態である責め立てた。
それはライレーリアに気に入られているセイリオスへの攻撃でもあるが、同時に寝返った王国貴族にも今回の事の責任があり、その責任を取るためとして王国貴族たちから軍事力の供出を要求するためのものでもある。
それは帝国軍の戦力の損耗を抑えたいという思惑からの物であり、現状では数は多いものの、戦力の補充がしづらい現状では消耗を極力避けるべきであるというログドーの判断によるものだった。
「やめなさい」
しかし、ライレーリアはセイリオスを責めるレーゲンをたしなめた。
ライレーリアも寝返った王国貴族を使い潰すという方針に、当初は賛成だったはずである。それは王国に攻め入る前に決めた方針であったのだが――
「彼らは王国の裏切り者ではなく、既に帝国の一員。むやみに責任を押し付け、何かを要求するというのは味方にすることではありません」
その言葉に将軍たちは目を丸くする。
元はと言えば、ライレーリアが考えた計画でもあるのに、それが心変わりして元王国貴族達を味方扱いしていることに将軍たちは困惑していた。
「ログドー将軍、気がせいているのは分かりますが、まだ軍議を始めるのは早い。この場にはまだ全員揃ってはいません。全員が揃ってから話し合うべきでしょう?」
そう言って、ライレーリアは部屋の中を見渡すように促す。
ログドーを含め、その場にいた将軍たちはライレーリアの言葉に苦々しい表情を浮かべる。
ライレーリアに言われずとも、そんなことは分かっている。だが、分かっていても全員――正確には残り一人が揃うまでには話し合いを決着させておきたかった。
「まだ来ていないというのは誰でしょうか?」
セイリオスが尋ねると将軍たちの内の一人が吐き捨てるような口調で答える。それはセイリオスへの嫌悪感もあるが、それよりも遅れている者への嫌悪の方が明らかであった。
「将軍の一人だ」
その場にいた者たちが露骨に嫌な表情を浮かべる。まるで将軍として同列に見られるのが嫌かのように。
「どのような方なのですか?」
セイリオスが聞くが誰も答えない。
誰もが不快さを露わにした表で沈黙しており、それはライレーリアも同様である。揃うまで待つと言っていたライレーリア自身も本音では遅れている将軍を待ちたくはない。それどころか姿すら見たくない。
それでも待つべきだと言ったのは軍の総指揮を執る立場として将軍の一人を疎外のは適切ではないという判断によるものである。
「失礼します」
しばらく沈黙が続いた後、会議室のドアの外から声がして、一人の青年が入ってくる。
おそらくはそれが遅刻してきた将軍だろうと思い、セイリオスはその人物を観察する。だが、見た所で、特別何かがあるわけでもない。
軍人にしては若干細身でどことなく陰気な雰囲気を漂わせているだけの青年であり特別な何かがあるわけでもない。若いというのは特徴かもしれないが、それでも取り立てて問題にするべきところではない。
何が嫌われる要素なんだ?
セイリオスは頭を下げ、会議室に入ってくる青年。
何もおかしい所は無い、そうセイリオスが考えたその時だった。
「ほう……?」
セイリオスは青年を見て目を丸くする。正確には青年が会議室に連れて入れた人間を見て。
将軍と思しき青年が連れているのは人間ただし、その首筋には首輪があり、その首輪から伸びた紐を青年が握っている。
それだけでもかなりの衝撃であるが、それ以上に衝撃的なのは青年が連れている人間は四つん這いで犬のように移動していた。
人間に首輪をつけて紐を持って犬のように連れまわす。
恐らくは自身が買った奴隷に対して、それをしているんだろうが、極めて趣味が悪いとセイリオスは思う。その上、それを皇女殿下もいる会議の場に連れてくる空気の読めなさ。だが、それが良いとセイリオスは遅れてやって来た青年に対して高評価を下す。
「遅れてきたことに対して何か弁明はあるか?」
ログドーが呆れたように遅刻してきた青年に言う。
嫌悪や不快を通り越して、もうマトモに関わることは止めたという態度だった。
「申し訳ありません」
どういうわけか青年の方を諦めたような口調であった。
自分が責められているのに、どこか他人事のような口調をセイリオスは不思議に思う。
誠意が感じられない応答だったせいなのか、ログドーに続いて他の将軍達も何か小言を言おうとするが、それはライレーリアの言葉に遮られた。
「遅れてきたことを責めても仕方ありません。今は挙兵した王国貴族たちへの対応を考えるのが先です」
意識を向けるべき問題は他にあると言いながら、ライレーリアは青年と青年が連れている奴隷を見る。
それに合わせてセイリオスも二人を見るが、青年の方はともかく奴隷の方は皇女殿下の前に出られる姿ではないと改めて思う。
髪も髭も伸びるに任せボサボサ、服と言えるのは腰に巻いた布だけで、それ以外は肌を露出している。その露出した肌にしても垢だらけで埃まみれ、泥や土も付いたまま。セイリオスの座る位置からはそれなりの距離があるものの異臭が漂ってくるほどで、近くにいる者は露骨に顔をしかめている。
よくもまぁ、こんな物を人前に連れてこれるものだとセイリオスは青年の神経の図太さに感心した。
ライレーリアは大きく溜め息を吐き、二人から視線を外す。
いつものことなのか、何を言っても無駄と思っているようにセイリオスは感じ取った。どうやら、青年はいつも奴隷をこうやって連れてくるのだろう。そうであれば、良く思われないの仕方ないとセイリオスは納得するのだった。
「リギエル将軍。貴方の考えを聞かせてください」
ライレーリアはちらりと青年の方を見る。
その動きから青年はリギエルという名なのかとセイリオスが記憶しようとしたその時である。
四つん這いになっている奴隷が首だけをライレーリアに向け、そして――
「特に言うことはないです」
答えたのは青年ではなく犬のように首輪をはめられた奴隷の方であった。
どういうことかと思い、セイリオスは周囲の将軍達を見るが将軍たちは何も言わない。顔には露骨な嫌悪が浮かんでいるものの、口を挟むべきことではないと判断しているようだった。
その様子を見てセイリオスは理解する。
あの犬のように扱われていた奴隷こそがリギエルという名の将軍なのだと。
まさか、とてもそんな……とセイリオスが困惑している間にもライレーリアは奴隷にしか見えない男に話しかけており、その様子を見てセイリオスはリギエル将軍で間違いないと理解するのだった。
「せめて、立って話してください」
ライレーリアの要求に奴隷にしか見えない将軍は仕方ないと言った感じで立ち上がり、猫背の姿勢でライレーリアを不躾にジロジロと見る。だが、それだけで奴隷は何も言わない。
「何も無いということは無いはずです。将軍であれば、既に動いているのでは?」
はぁ、まぁ……と曖昧な返事をするリギエルに対してログドー達が不快感を露わにするが、主君であるライレーリアが話している最中に口を挟むという不敬な真似は出来ず、黙っているしかなかった。
「それはまぁ……当然、動いてますよ」
リギエルはそれだけ言って再び黙る。
「どのように動いているのか聞いているのです」
はぁ、そういう意味なんですか……とリギエルはライレーリアの言葉を了解したと頷くが、それだけであった。リギエルはライレーリアの問い答えずにボーっとしており場が沈黙に支配される。
リギエルを連れてきた青年が顔に諦めの色を浮かべながら、リギエルに耳打ちをするが――
「ルベリオ君、自分は喉が渇いたので飲み物を持ってきてくれないか?」
青年の方はルベリオというのかとセイリオスが名前を頭に入れようとしていると、ルベリオという名の青年が机に用意されていた茶とカップをリギエルの前に差し出す。しかしリギエルは……
「君は馬鹿か? ワンちゃんがこんなので飲み物を飲めるわけがないだろ? いつも言っているのに何で学習しないんだ。ほら、いつものを出したまえ」
ルベリオはリギエルの言葉に顔を引きつらせる。
リギエルの方はどう見てもおかしいが、ルベリオという青年の方は比較的マトモな感性があるようで、躊躇いを見せていた。
何をするのだろうとセイリオスが興味津々に眺めていると、リギエルの視線に耐えきれなくなったのかルベリオは腰に下げていた袋から犬用の餌皿を取り出すと、リギエルの前の床に置いた。そして、ルベリオは躊躇いながらも、その皿の上にお茶を流し入れる。
リギエルは四つん這いになると皿になみなみと注がれた茶を、手を使わず顔を皿に突っ込むようにして舐めるように飲む。
「えー、皆さんご承知かと思いますが、自分は殿下から2000までの兵なら自分の裁量で自由に動かして良いって言われているので勝手に動かしました。ついでに自分の傭兵団からも1000人ほど動員しているんで、皆さんが話し合おうとしている間に合計3000の兵を王都から出発させています」
リギエルは茶を舐める合間に、その場にいる者たちへ自分の動きを伝える。
「王国貴族はそれぞれが自分の領地から挙兵して、どっかで合流しようと動いてるんで、自分がそいつらを各個撃破してきます。駄目だと言われても既に命令は出しているんで、事後承諾ですが了承ください」
文句は無いですよねと、その場にいた者たちを見るが、誰も何も言わないのでリギエルはそのまま続けることにした。
「ある程度は削れますが、全部は無理なんで合流自体は防げません。王国は大軍を組織して、こちらの全軍とぶつかる感じなんですが、それも防ぐのは無理なんで、せめて戦場だけはこちらが先に整えます」
リギエルは立ち上がると猫背の姿勢で歩きながら机の上にあった地図に近づく。
「とりあえず、ここらへんで一回思いっきり戦うのが良いのではないかと」
リギエルが指差したのは地図上ではハウゼン平原と書かれた場所だった。
「ここに何がある? 我らが有利に戦える場所なのか?」
わざわざ、その場所を選ぶ理由は何なのかとログドーが問う。
「何があるっていうか、これから何か出来るっていうかね。まぁ、既に兵を出して準備を整えさせているんで有利なのは間違いないかと。ついでに、ここで戦わざるを得ないように誘導もしてます」
他の者たちがどうするかを相談している間にリギエルは既に動いていたのだと、その場にいた全員が理解し、そしてその場にいた全員がリギエルの独断専行に複雑な思いを抱く。
その中で不満を露わにしたのはレーゲン将軍だった。
「勝手なことを。貴様の思惑通りに動かなかったらどうするつもりだ? 軍を動かすのは早計だと思わんのか?」
「思わない。何事も早すぎることはないと自分はいつも言っているだろう?
早く動けば先手を取れる、より多くの備えが出来る。早く動いた分だけ余裕があるのだから、色々な手段を試すことも出来る。仮にしくじったとしても、早く動いた分だけ挽回する機会がある。
最悪なのは無意味に慎重になって行動することが遅れることだ。遅ければ後手に回る。遅くなればなるほど、土壇場が近くなり、そうなれば様々な手段を試すことは難しい。
それに慎重を期してもしくじることはある。その際、遅く動いていたら挽回の機会など無い。早ければ早いほど挑戦の機会は多く、遅くなればなるほど挑戦の機会は失われる」
そこまで言ってリギエルは一旦言葉を区切ると、その場にいる将軍達を一瞥して言うのだった。
「――そんなことも分からないから、お前らは俺に勝てなかったんだよ」
その言葉にレーゲンが椅子を蹴って立ち上がるが、すぐさまログドーがその肩を抑えて座らせる。
「おっと、申し訳ないです。これは禁句でした。言葉遣いも悪くなって申し訳ない」
飄々とした態度で謝罪するリギエルに対し、レーゲンはリギエルを睨みつけ押し黙る。
傍目から見れば薄汚れた奴隷が立派な装いをした将軍を嘲笑っている場面であり、セイリオスはそれを中々、面白い見世物だと思い眺めていた。
どうやら、リギエルと他の将軍の関係は良くないようだ。
その理由は分からないが、この関係を上手く使うことは出来ないかとセイリオスは思考を巡らせるが、それはライレーリアの言葉で打ち切られた。
「既に動いているのならば仕方ありません。ただし、今後はこのようなことが無いように気を付けてください。報告は厳に、独断で動くことは避け、連絡と相談を欠かさないように」
ライレーリアの言葉にリギエルは何も言わず、鼻で笑って背を向け、最初にいた位置へと戻る。
その態度に将軍たちが目を剥き、立ち上がろうとするが、ライレーリアはそれを手で制する。
「それは正しい。俺とアンタの関係は金だけだ。金を貰ってるからアンタのために働くけど、それは仕事ってだけのこと。仕事の上でなら雇用主のアンタの命令は聞くけど、普段の振る舞いまで指図する権利はないって分かっているよな?」
リギエルは床にあぐらをかいて座ると皇女に対しての物とは思えないような言葉を吐く。
「無論です。私の方も貴方に戦場での働きしか期待していません。『無敗』の傭兵隊長という貴方の肩書を評価して将軍に取り立てただけですから」
「それは良かった。だが、他の将軍達はどうかな? 色々と俺に思う所もあるだろ。どいつもこいつも敵陣で見たことがある顔で、いつも最後は俺から背を向けて逃げていたっけな」
セイリオスはイグニス帝国の情勢を思い出す。
帝国では領主同士の小競り合いや内乱が頻発しており、領主が雇った傭兵と帝国軍の戦いも珍しくないということを。その関係で傭兵のリギエルと帝国軍のログドーやレーゲンも刃を交えたことがあるのだろう。
その結果はリギエルの勝利で、恐らくは相当にひどくやられ、そのせいもあってリギエルに強く出れないに違いないとセイリオスは将軍たちの関係を推理する。
「彼らはそれも弁えています。貴方も弁えてください。目に余るようであれば、処分も考えねばなりません」
「それは怖いんで気を付けます」
リギエルが頭を下げ、それを見てライレーリアは溜息を吐く。
「もういいです。行きなさい」
ライレーリアがウンザリしたように言うと、リギエルは立ち上がり背中を猫背に曲げながらライレーリアに背を向け、会議室から出ていこうとした。
「少し聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
セイリオスがその背に声をかける。
「何か?」と振り向くリギエルに対し、セイリオスは質問を投げかける。
「何故、そんな格好をしているのですか?」
首輪を付けられ、犬のように四つん這いで歩く理由をセイリオスは知りたくて、素朴な疑問を投げかけた。
何か特別な理由があるのか、それともライレーリア達に対する嫌がらせだろうか。セイリオスは考えても答えが出なかったため、その答えを知りたかった。
「精神鍛錬と趣味です。人間というのはすぐに自分が上等な存在だと思いあがり、それによって足をすくわれることがあるので、常に自分は人類の中で最底辺だと思えるようにすることで、誰かを甘く見たり油断したりすることが無いように自分を戒めることができます。
――――首輪以外何も身に着けずに大通りを四つん這いで歩いていると、自分がゴミ屑だなぁって思えるし世の中の人間の大半が自分より上等な人間に見えてくる。そういう心境になると自分のようなゴミ屑以下の底辺が、自分より上である世間一般の人間に対して油断したり甘く見たりしていいわけがないって気持ちになるから、絶対に敵を侮ったりしなくなるわけです」
なるほど……とセイリオスは頷いたが、何を言っているか全く分からず、セイリオスはリギエルの薄汚れた背を見送ることしか出来なかった。
……アレと関わるのはやめておくか。
結局、セイリオスはリギエルに対しては理解不能という結論を出し、とりあえず今の所を関わるのをやめておこうと思うのだった。




