獅子身中の虫
王都アドラスティアがイグニス帝国軍に制圧されてから数日が過ぎた。
占領された王都では帝国の旗が翻り、街中を帝国の兵が巡回している光景が各所で見られた。
他国の軍隊に占領されたにも関わらず王都は平穏だった。
帝国兵は良く統制されており、王都に暮らす民に対して乱暴狼藉を働く者は少なく、仮にいたとしても、そのような兵はすぐさま処罰された。
自分たちの生活が脅かされることはないと理解した王都の民は、帝国の支配に対して特に抵抗することなく、それを受け入れた。
日々を生きることに精一杯の民にとっては、自分たちを支配する者が誰であるかなどは大きな問題ではなく、極端な話、自分たちの生活を守ってくれるなら誰でも良いというのが、一般的な感覚であった。
そのため、王都の民は帝国を受け入れることに抵抗はなく、占領されても普段通りの生活を送っていた。
占領した都市の民の反発が無いことは占領した側にとっては望ましいことである。そのために帝国軍はそれなりの苦労をしており、その苦労が実を結んだのが、今の状況であるが、それを喜ばない者もいる。
「あてが外れたか?」
占領軍の総司令官にしてイグニス帝国第九皇女であるライレーリアから与えられた王城の執務室からセイリオス・アークスは城下町を眺める。
街は静かであり、帝国が占領する以前と大きく変わった様子はない。多少は通りを歩く民が少なくったが、代わりに帝国兵が通りを練り歩き巡回しているため、人通り自体はそこまで変わらないように見える。
セイリオスとしては、もう少し混沌とした状況を望んでいたのだが、今の状況は望んでいた状況とは全く異なる。
他国の軍隊に占領された王都とは思えないほど平穏。むしろ帝国兵が日常的に街中を巡回していることで、治安が占領される以前より良くなってすらいるのはセイリオスにとっては笑えない事実だった。
平民はともかくとして貴族の方が何らかの行動を起こすのではないかとセイリオスは考えてもいたが、そちらの方も上手くはいかなかった。
帝国軍は王都を奇襲して、王城を制圧するとすぐさま王都に暮らす貴族の屋敷を襲撃し、混乱する貴族たちを瞬く間に拘束してしまった。殆ど戦闘を行わずに達成したため、負傷者こそいたものの死者はいなかった。
その作戦に関してはセイリオスも協力したが、ここまで鮮やかに成し遂げられるとは思っていなかった。
セイリオスの予定としては戦いになり、その結果、民が犠牲になると良かったのだが、そうはならなかった。
拘束した王国貴族を帝国軍が処刑でもしてくれたら、それをネタに民を扇動するということも考えていたのだが、ライレーリアはセイリオスの想像を超えて理性的だった。
帝国軍は処刑よりも懐柔することを選び、拘束した王国貴族に対して、見返りを提示した上で帝国に協力することを求め、処刑をするようなことは可能な限り避けた。迂闊に殺すと民衆の反発を招くとライレーリアは考えたからだ。
民から憎まれている貴族もいれば、民から慕われる貴族もいる。憎まれている方は殺しても良いが、慕われている方を殺せば、自分たちが民から憎まれかねない。そんな輩は味方に引き入れる方がいい。
味方に引き入れる工作の最中でもあるため、帝国軍は相当に評判の悪い貴族を除いて処刑してはいない。
処刑された貴族はいわゆる悪徳貴族と呼ばれる民衆を苦しめる輩で、そのような貴族を処刑することで帝国は民衆の味方であるというアピールも行っていた。
「このままだと上手く治まってしまいそうだな」
セイリオスはライレーリアには失望していた。セイリオスの読みでは、もっと苛烈な統治をするものと思っていたが、予想に反して理性的な統治を行っている。
これは本人の資質によるものか、それとも側近に恵まれているものか、セイリオスはそのことについて考えざるを得ない状況にあった。
「本人が優秀なら本人を殺すしかない。周りが優秀なせいなのか、確かめるために側近どもを殺すか?
皇女を最初に殺すのは気が早いか」
物騒なことを言っても部屋には誰もおらず、それを聞いた者もいない。そのためセイリオスの独り言を咎めるようなものは存在しない。セイリオスはブツブツと独り言をつぶやきながら、誰かを殺す計画を組み立てていた。
思い当たるのはライレーリアの護衛の女騎士。セイリオスがライレーリアと謁見する際は常に傍に侍り、護衛をしている女騎士がいたことをセイリオスは思い出した。
その際、随分と親し気で部下というよりは友人の関係にも見えたことを思い出す。
「友人が殺されたら理性的に振る舞えるだろうか?」
貴族の関係者に殺させるのは良くない。最初から敵であるという意識もある相手だから、そこまで衝撃を与えられないだろう。では犯罪者か? それも微妙だ。ただ単に犯罪者を憎むだけで終わる。
やはり民衆に殺させるのが良いか? ここまで気を遣い平穏に過ごせるようにしたにも関わらず、その恩に報いずに仇で返すようなことをされれば穏やかではいられないだろう。
そこまで考え、セイリオスは自分が動かせる駒を頭の中で整理する。
獣心兵、最初に帝国に寝返った貴族達、民主主義者たち。自分が動かせる駒で問題なく達成できるはずだ。
そうしてセイリオスが暗殺の計画を練り上げようとした、その時、執務室の扉が外からノックされた。
「どうぞ」
声をかけると、扉が開かれて一人の騎士が部屋の中に入ってきた。
「皇女殿下がお呼びです」
入ってきたのは、まさに今セイリオスが殺そうと考えていた女騎士だった。
その騎士はセイリオスの考えていることなど露知らず、柔らかな笑みを浮かべていた。
「承知しました。すぐに参ります」
女騎士はセイリオスの案内役を任せているらしく、セイリオスを案内して王城の中を進む。
その最中に二人は世間話をしていた。
「王国は随分と寒いのですね」
騎士とは思えないほど優し気な口調と表情だった。
護衛とはいっても世話役としての役割の方が強いのだろうとセイリオスは考える。
「寒さが厳しいと殿下が心配です。あの方は冷え込むと体調を崩されることが多いですから」
「お身体が強い方ではないので、傍に仕える私たちが注意しなければいけないんですよ」
妹を見守る姉の心境というものなのか。
微笑ましいとも思えるし、皇女の人徳のなせる業なのかとも思える。
どちらにしろ良い関係だとセイリオスは思う。
「まるで御姉妹のようですね」
「とても恐れ多いことですが、よく言われます。殿下も時々、私のことを姉様と呼ぶようなお戯れをされ――」
微笑ましい主従の関係を聞き、セイリオスは相手に合わせて優し気な表情と言葉を作る。
「仲が良くて羨ましいことですね。私も弟がいますが、なかなか貴女方のようにはいきません。やはり男同士というのは上手くいかないものですね」
やはり、この女を殺すのが良い。セイリオスは身の上話をしながら、殺意を高める。
感じの良い女性で別に何の恨みも無いが殺す。殺して皇女がどうなるか見る。特に変化が無ければ、もっと苦しめる。そうして苦しめた先にセイリオスは自分が望んだ行動を皇女に取らせたかった。
「殿下はこちらになります」
世間話の話題も尽きかけたころ、セイリオスは皇女の待つ場所へと到着した。
そこは王城の中にある庭園で、その中に並べられた椅子とテーブルに皇女は既についていた。
「呼びつけて申し訳ありません。まずは掛けてください」
セイリオスは皇女とテーブルを挟んで対面の椅子に座る。
すぐさま、女騎士がセイリオスの前に茶を置く。
「どのようなご用件でしょうか?」
セイリオスは単刀直入に自分を呼びつけた用件を伺う。
多少なりとも無礼な態度が許されるのは、セイリオスが帝国軍の王都制圧に多大な貢献をしたためで、その功績からセイリオスは皇女から大きな信頼を寄せられていた。
「王都から逃げ延びたという有力な貴族たちの動向についてですが……」
「その件につきましては、既に情報は入手しております。近いうちに彼らは軍を動かし、王都に攻め入るでしょう」
セイリオスが見逃した形になった貴族たちは無事に逃げ延び、セイリオスの目論見通り、軍を動かした。その目的は当然、王都を占領する帝国軍を倒すためだ。
「兵力などについては、資料を作成し関係者に配布いたします。殿下は軍議を開くことを皆に伝えていただきますよう、よろしくお願いいたします」
セイリオスの言葉に頷きながら、皇女は懸念を口にする。
「王国軍を率いるのは国王自らなのでしょうか?」
王が率いている軍が相手になるならば、軍を動かす正当性は向こうにあると皇女は思っている。正当性というのは大事で、上手く処理できなければ民の反感を招くことになるとも考えていた。
「それは無いでしょう。国王はまだ王都に留まっていますからね」
セイリオスは自分が見逃したアドラ国王の行方について確信を持った口調で明らかにする。
「知っていたのですか?」
「本日、判明いたしました。御報告しようと思った矢先にお呼びいただいた次第です」
本当はもっと前から知っていたが、それは伝える必要が無いのでセイリオスは黙っている。
「御許可をいただければ、すぐにでも捕縛に向かいますが……」
セイリオスは言い淀む演技をした。
その様子に皇女は何かしらの困難があるのだと理解した。だが、王を捕まえるのは何としても成功しなければならない。そのためには協力を惜しまないつもりだった。
「匿われている場所はいささか厄介でして、私の権限だけでは如何ともしがたく皇女殿下の御威光が
必要になるかと」
「王を捕らえられるというならば、多少の無法は私が許可します。なんとしても王を捕まえてきなさい」
皇女ライレーリアは侍女代わりの女騎士に命令書を持ってこさせると、それに自分の署名をする。
この瞬間、この任務に限りセイリオスの言葉を皇女ひいては帝国の言葉となった。
「それで王が匿われているという場所はどこなのですか?」
皇女の質問に対してセイリオスは穏やかな微笑みを浮かべて答える。
「冒険者ギルドというゴロツキどものたまり場です」
イグニス帝国には冒険者ギルドというものは存在しない。だから、ライレーリアは知らなかった。それに手を出すということがどういうことなのかを。そして、どういう相手を敵に回すことになるのかを。
それを知っているセイリオスは何も言わない。
冒険者ギルドの創設者と後ろ盾にいるのが、自身の弟であるアロルド・アークスであり、冒険者ギルドに手を出すということはアロルド・アークスを敵に回すということだと。
「――アドラ王の件とは別ですが、殿下にご報告がございます」
冒険者ギルドの方に向きそうな意識を逸らすかのようにセイリオスは皇女に別の話題を出す。
皇女には冒険者ギルドのことなど気にする必要はない。所詮はゴロツキの集まりで、皇女が気を揉むような相手ではないという雰囲気を出し、次の話題が本題であるかのような口調でセイリオスは話を切り出す。
「聖神教会の者たちが私を通して殿下にお目通り願いたいと申しております」
地上における神の代弁者を謳う聖神教会は神の名のもとにライレーリアを王国の新たな支配者と認めることで帝国統治下の中で自分たちの保身を図ろうとしている。
そんなことはライレーリアも理解しているはずだが、これにどのような対応をするかで自分の動きも変わってくるとセイリオスは考えていた。もっとも自分の動きが変わろうが変わるまいが、セイリオスのやるべきことは変わらない。
とにもかくにも、皇女の側近は殺す。
それだけだと、セイリオスは自分のカップに茶のお代わりを注ぐ女騎士を見ながら思うのだった。




