アドラ王国では……
アロルドが旧ヴェルマー王国の王都を制圧したという報せは、制圧から数週間後にアドラ王国へと届いた。
鉄道の開発により、ガルデナ山脈を越えることは容易となっているため、報告にこれほど時間がかかるはずもないのだが、それはアロルド側が故意に報告を上げるのを遅らせたためである。
アロルド自身は特に何も思っていないが、アロルドの下につく者たちの心情としては、王都ロードヴェルムを攻め落とすことに関して、何の手助けもしなかったアドラ王国の中枢部の連中に義理立てし、気を遣う必要を感じてなかった。
彼らからすれば、自分たちの王は既にアロルドであり、アドラ王国の王は権力者であっても自分たちの上に立つものではないという認識を持つに至っている。
アロルドの下についている者たちも、以前はアドラ王を自分たちの王と認めていたのだが、結局、王に仕えても自分たちは良い暮らしが出来ないということを悟ったために、アドラ王国を見限った。
貴族であれ平民であれ、忠誠心は立派という意識は持っていても、それだけではメシが食えないという現実の前では無力だ。褒美を与えてくれて、領地を保障してくれるアロルドに仕えた方が貴族も平民も自分たちの良い暮らしにつながると信じており、彼らはアドラ王ではなくアロルドに仕えることを選んだのだ。
アロルドが王都を制圧したという報を受け、アドラ王国の王都アドラスティアにある王城の一室に王国の中でも高い地位にある貴族たちが集められた。
彼らは報せを受けて以来、連日に渡って激しい議論を交わす。彼らが議論する話題はただ一つ、アロルドのことについてである。
具体的にはアロルドが手に入れた旧ヴェルマー王国領をそのままアロルドの物として良いのかという点で、王城に集められた貴族の殆どがアロルドから、アロルドの手に入れた土地を没収するべきだという意見であった。
「報告を受けた限りでは、奴は既に王国の領土に匹敵するほどの広大な地を我が物としている。そのような状況を、このまま放っておくわけにはいかん」
「聞けば、奴は勝手にその地を自分の部下に領地として分け与えているともいうぞ。アドラ王家に仕える貴族の身である以上、奴の手に入れた土地はアドラ王国の物であり、王家の物であるはずだ。王家の物であるならば、王の許可なく領地として分け与えるなど許されない。その上、勝手に領地の王の更に勝手に税を取り立て、国に納めることも無く、自分の懐に入れているとも聞いた、これは王国への裏切りではないか?」
「まるで王になったかのような振る舞いだ。報告を聞いただけでこれでは、裏でどれほどの無法を繰り返しているのか想像もつかん。山脈の向こうで王国に対して謀反を企てていてもおかしくはないぞ」
王城に集められた大貴族たちの認識では、アロルドはどれだけの権勢を誇っていたとしてもアドラ王国の一貴族に過ぎない。王に侯爵の地位を与えられた以上、王国に仕え、国の繁栄に寄与するべきであると彼らは考えていた。
どれだけアロルドが侯爵領を広げても、それはアロルドが仕えているアドラ王とアドラ王国の物に過ぎない。アロルドは王によってヴェルマー侯爵領という場所を治めることを認められているだけであり、王がアロルドの統治を認めないとすれば、ヴェルマー侯爵領を奪い取れると、彼らは無邪気に信じていた。
「謀反を企てているとすれば大事ですな。その際は軍務卿であらせられるソフィエリ伯爵にご出陣いただくしかないが……」
部屋に集まっていた貴族達の視線が一人に向かう。視線が集まった先にいたのは、アドラ王国の軍を管理する軍務卿の地位にあるソフィエリ伯爵だった。
ソフィエリ伯爵はというと、周囲の視線を受けても腕を組んで黙ったまま目を閉じており、話し合いに参加する意思を見せていない。
「ソフィエリ殿の所は御息女をアロルドに差し出しておりますからな。娘を妾にしてまでアロルドに取り入っておるのですから、奴と敵対することには反対なのでしょう」
「なるほど、武人といえど我が身は可愛く、御家は大事ということですな。いやはや、武勇だけでなく、そのような立ち回りも上手いとは感服いたしました」
「ソフィエリ伯も大事な婿殿と戦をするのは乗り気ではないでしょう。ですが、そうなると果たして、軍務卿の仕事も全うできるのか疑問ですなぁ」
周囲の貴族達はソフィエリ伯爵とアロルドの関係はそこまで悪くないと思っていたが、実際には関係は壊滅的である。もっとも、それを口にしたところで、現実に娘がアロルドの所に身を寄せているのだから、誰も信じない。言っても無駄な以上、ソフィエリ伯爵は余計なことは口にしないことにしていた。
アロルドの人となりを噂くらいでしか知らなかった時はソフィエリ伯爵も娘がアロルドの所に身を寄せると知っても、嫁の貰い手のなさそうな娘が有望な若者の妻になり、親戚関係が生じることで将来のソフィエリ伯爵家の益になるだろうという程度しか思わなかった。
しかし、実際に会ってみると、人間的な相性が致命的に悪かった。義父となる可能性のある自分や、敬うべき王国や国王に対して、舐め切った態度を取ったアロルドに対する印象は最悪だった。こうなってしまうと、やることなすこと全て気に入らない。娘にも密かに帰ってくるように連絡をしたが、一向に帰ってくる様子は見られない。
ソフィエリ伯爵は娘のヒルダが、おそらくは監禁されているのだろうという妄想を抱いていた。女だてらに武芸を嗜み、騎士を名乗っているため男受けは悪いが、親の欲目で見ても容姿は整っているのだから、何をされていても不思議ではない。
そういう妄想も手伝い、ソフィエリ伯爵としてもアロルドを即刻処分すべきだという周囲の貴族達の意見には同意している。ただ、それと軍を動かすというのは別の問題である。
「これからアロルドめと戦をする可能性も考えれば、奴と通じている可能性のあるソフィエリ伯爵に軍務卿を任せるのはいささか不安がありますな」
「ソフィエリ伯には職を辞していただく必要があるやもしれませんなぁ」
部屋に集まった貴族たちはそんなことを言いながら、お互いの顔を見る。と言っても、そうしているのは、軍務卿の役職を与えられる可能性のない貴族たちで、可能性のある貴族たちは冷や汗をかきながら俯き、だんまりを決め込んでいた。
なにせ、この話の流れだと軍務卿にでもなったらアロルドと戦をしなければならないからだ。アロルドと戦をするなどと言っている貴族たちは文官よりであるため、戦について詳しく
ないため無邪気にアロルドと戦をするなどと言っている。彼らの頭の中では、王国軍がアロルドの率いる軍勢を破るような想像図が広がっていたが、ソフィエリ伯爵以下、戦に関してそれなりの見識を持つ貴族たちは全く逆の未来を思い描いていた。 アロルドのヴェルマー侯爵軍と戦えば、王国軍は蹂躙されるという未来をだ。
アロルドの率いる軍勢はアドラ王国において、最も戦闘経験を有しており、兵と指揮官の練度も王国の他の兵士とは比べ物にならない。アドラ王国には国が有する国軍と領主が有する領軍があり、そのうち主力となる領軍にしても、戦の経験は領内の賊討伐や小競り合いくらいで、本格的な戦はイグニス帝国が侵攻してきた時くらいだ。
その戦も、実際に戦った領軍は少ないという事情を考えると、アロルドの率いるヴェルマー侯爵軍と戦ったところで勝てるとは戦を知る者たちは思えない。日頃から冒険者として命のやり取りをしている者たちで構成され、最新鋭の装備で身を固めているヴェルマー侯爵軍は王国において最強であるというのが、アドラ王国の武人たち間では口に出しては認めないものの常識となっている。
軍務卿になれば、国軍と領軍をまとめ上げ、アロルドと戦わなければいけない。国軍は自分たちこそが国を守る国家第一の軍隊だというプライドを持ちエリート意識を持っていて、言うことを聞かない。領軍は結局のところ、領主たちの私兵であるので、自分たちを雇っている領主以外の命令を聞く必要はないと、軍務卿の命令は聞かない。それでなくても、領軍は一つの軍隊でなく、領主たちの私兵を一括りにしているだけなので、領軍を束ねる領主貴族同士の確執などがあり、面倒ごとが多い。
軍務卿になれば言うことを聞かない兵士たちに言うことを聞かせ、領主同士の仲立ちして領軍をまとめあげ、その上でアロルドと戦って勝たなければいけない。
そんなことは、どう考えても無理だ。だから、武官寄りの貴族達はアロルドを嫌っていても、戦だけはしたくない。したところで負けるのは見えているのだから、戦だけは避けたいと思うのも自然な結論だ。
「戦を焦る必要もないのでは? なんの警告も無しに軍を出すなど乱暴に過ぎるかと。まずは経済的な面で圧力をかけ、相手の出方を窺うべきでは?」
「確かにその通りだ。何らかの警告を行い、それで奴が己の行いを省みて、振る舞いを改めるなら良し。反省の色が見えず、行状が改まらないというなら、軍を出し制裁を行うというのが筋ではあるな」
武官寄りの貴族達が戦を避けるために、そのようなことを言いだす。すると、文官寄りの貴族達の顔色がサッと変わった。
武力を伴わないとなると彼らの出番となるのだが、彼らとしても直接アロルドと相対するようなことは避けたかった。
何をしでかすか分からないアロルドのような輩から恨みを買いたくないというのも、アロルドと関わりたくない理由の一つであるが、それよりも何よりも、この場にいる文官寄り貴族の大半がヴェルマー侯爵領関係の様々な事業で多くの収益を上げているという事情もある。
今のアロルドが領主を務める状況でそれなり以上の稼ぎを得ている彼らとしては、本音ではアロルドがいなくなり、ヴェルマー侯爵領が今よりも商売がしづらくなるようになっては困る。なのに何故、軍をけしかけようとしていたのか?
それはアロルドが気に入らないという理由も大きいが、恩を売っておこうという思惑もあったからだ。
アロルドとヴェルマー侯爵領に対する制裁ということで軍を動かす流れを作り、アロルドを困難な状況に追い込み、そこに自分たちが手を差し伸べることでアロルドからの印象を良くし、自分たちにヴェルマー侯爵領で何かしらの事業を行う上での配慮を促そうというのが、文官寄りの貴族達の思惑である。
だが、それに対し武官寄りの貴族達にも思惑がある。それはアロルドが文官寄りの者たちに経済的な面で圧力をかけられた際に、自分たちが取りなすことで、恩を売ろうという思惑である。
武官寄りの貴族達とて、商売っ気が無い者ばかりではないので、何かしらの金儲けの算段は立てている。彼らにとってもヴェルマー侯爵領という未開の地は魅力的であった。
最近、調子に乗ってるアロルドをシメてやりたいという思いも彼らの根底にはある。いい気になっているアロルドには痛い目に遭って欲しいというのも本心であり、アロルドをどうにかしたいという気持ちに偽りはない。
だから、熱心にアロルドを批判するような議論は白熱するが、貴族たるもの、そればかりではやっていけない。ある程度は損得を考え我慢する理性も残っている。
なので、自作自演ではあるが、アロルドにはちょっと痛い目に遭っては貰い、そこを自分たちが颯爽と助けだすことで、アロルドに感謝の言葉と共に頭を下げてもらい、加えて感謝の気持ちということでヴェルマー侯爵領で事業なりなんなりする上で便宜を図ってもらい、それで留飲を下げるとともに満足しておこうというのが、この場に集まっている貴族たちの総意であった。
だが、問題もある。それは誰がもしくはどの陣営がアロルドを助ける役になり、誰がアロルドを痛い目に合わせる役になるかという、良い役の奪い合いと嫌な役の押し付け合いが、この場にいる貴族たちの間で起き始めていた。
文官寄りの貴族は、武官寄りの貴族に軍を出してアロルドに圧力なりなんなりをかけてもらい、自分たちが美味しいところを貰う。武官寄りの貴族も考えていることはだいたい同じで、文官寄り貴族たちにアロルドに恨まれる役目を押し付けようとしている。
互いに口や態度には出さないものの、両陣営はお互いの思惑は想像がついている。その結果、この場にいる貴族は二つの陣営に分かれて敵対状態に陥りつつある。
互いにアロルドに制裁を加えるべきとは言っているが、その役目を相手の陣営に押し付けようと、表向きは譲り合いの形で話し合いをしていた。
「ところで、大公家の方々はどうされたのか?」
だが、そこに妙案を思いついたものがいた。自分たちで争っても仕方ないので、大公家に何とかしてもらおうという、考えに至った者たちである。
大公家にアロルドへ文句をつけてもらって、そこを自分たちがとりなす方法を取った方が、この場にいる者たちが厄介なことにならずに済むと判断した結果の考えであるが、しかしながら、それはすぐに穴があると判明する。
「ケイネンハイム大公は病欠だとか」
「オレイバルガス大公家は既にアロルドの犬で、今もご機嫌伺いのためにヴェルマー侯爵領に赴いているそうだ」
「今のコーネリウス大公は兄から当主の座を奪って以降、領地から出てこようともせん。先代はアロルドの手下になっておる」
「ノーゼンハイム大公は陛下と会談中のようだが、終わればすぐに北へ帰るだろう」
東西南北の四大公家の内、東のケイネンハイム家、西のオレイバルガス家、南のコーネリウス家は役に立たないと、貴族たちは判断した。ケイネンハイム大公は中央の貴族の事情には首を突っ込まないし、オレイバルガス大公はアロルドの犬、コーネリウス大公は先代と違って、そもそも信用できない。となれば、残るは北部を統べるノーゼンハイム大公しか頼れない。
ノーゼンハイム大公は他の大公に比べれば、中央の貴族とも関りがあり、王家の権威を尊ぶ家風を有する。好き勝手に振る舞い、王家を蔑ろにしているアロルドについては忸怩たる思いを抱えているはず。
アロルドのこれまでの振る舞いと今の状況について詳しく説明すれば、ノーゼンハイム大公はアロルドに制裁を加えるために動くだろう。
ノーゼンハイム大公はアドラ王国内で五本の指に入るほどの実力者だ。アロルドとてただで済むはずはない。アロルドが窮地に陥ったところで、自分たちが救いの手を差し伸べれば、奴もきっと改心し、自分たちに敬意を持つだろうと、王城の一室に集まった貴族たちは考えていた。
ただ、問題としてノーゼンハイム大公がアロルドに恨まれるという禍根が残るが、それもまぁ問題はないだろうと貴族達は考える。自分たちに飛び火さえしなければ、大した問題ではない。
「では、どうやってノーゼンハイム大公をアロルドにけしかけるかだが……」
方針が決まると後は、それを煮詰める作業になるわけで、集まった貴族たちは具体的な作戦を話し合おうと顔を突き合わせた。その直後である、密談が行われている部屋の扉が力強く開け放たれたのは。
「火急の報告にて失礼いたします!」
扉を開けた兵士が部屋へと勢いよく部屋の中へと飛び込んできた。
「何用だ! 誰も入るなと命じたであろう!」
密談をしている以上、勝手に部屋に入られては困ることこの上ない。
貴族達は誰も部屋に入ってくるなと城の者たちに言い含めていたのだが、それが破られたことに腹を立てた貴族の一人が、部屋に飛び込んできた兵士を咎める。だが、兵士の方にも言い分はある。
「そのような場合ではございません。謀反にございます!」
命令を守っている場合ではない緊急事態だ。入るなという命令を守って報告が遅れたのでは取り返しがつかない事態になると思い、兵士は行動したのだ。
謀反という言葉を聞き、部屋の中の貴族達も兵士を咎めている場合ではないことを悟る。そして、口を閉じ、兵士の報告の続きを待った。
「アークス卿がご乱心! 手勢を率い、城内に攻め入っております!」
その報告を聞き、貴族たちは先手を打たれたと理解した。こちらがアロルドに対して策を練っている間に向こうは既に動き出していたということかと、彼らはアロルドの手際の良さに舌を巻く他なかった。
「して、アロルドめの軍勢はどれほどだ。まさか、ヴェルマー侯爵領からここまで誰にも気づかれずに全軍を率いてくるなどは不可能なはず」
どのような策を用いたのかと貴族達は、報告をしてきた兵士に尋ねようとしたが、兵士は何を言っているのかという様子で報告を続ける。
「謀反を起こしたのはアロルド殿ではございません! アークス家の嫡子セイリオス・アークス卿と、王都周辺に領地を持つ複数の貴族でございます!」
どういうことだ? 何故アロルドではなく、その兄が謀反を起こす?
彼らが知る限りでは、アロルドの兄のセイリオスは一度だけ問題を起こしたが、貴族としては真っ当で問題のない人物だったはずだった。弟とは似ても似つかない良識的な人物であるセイリオスがどうして謀反を起こすのか、その理由が全く分からない。
疑問を抱く貴族たちの背後、窓の外には、彼らが弱小貴族と侮る貴族家の家紋が描かれた旗が王都の街中にはためく光景が広がっていた。




