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末路

 ユリアス・アークスは自分の人生を思い返していた。

 最初の記憶は寒空の下、荒野で畑を耕す両親の姿。

 次の記憶は商人に頭を下げる父親の姿。病で寝込む母の姿。自分について歩く弟の姿。

 きっと農民なのだろうとユリアスは自分の身分を考えた。だが、違った。アークス家はヴェルマー王国においてはれっきとした貴族だということをユリアスは成長していく中で知る。

 没落した結果、辺境の更に辺境を領地として与えられ、領民など殆どおらず、農民以下の暮らしをするしかない貴族。それがヴェルマー王国時代のアークス家だった。


 ユリアスは子供の頃をあまり思い出したくは無い。だが、思い出したくなくても子供時代の記憶はいつも頭の片隅にあって、不意に脳裏をよぎり、ユリアスを苛む。

 両親と一緒に農民に頭を下げて食料を譲ってもらったこと。他の貴族の子供たちから馬鹿にされ、石を投げつけられたこと。母親が商人に体を売って自分と弟を食わせていたこと。貧しい生活を送っているのに改善のために何もしない父親の姿。誠実に生きてさえいれば、王家や他の貴族が助けてくれるだろうという寝ぼけたことを言い、ユリアスが生きるために悪事を働いたことを咎める父親とそれに同調する他の家族たち。


 ゴミみたいな人生の転機は人を殺すことを覚えた時だったとユリアスは思い出す。

 初めて殺した相手は歴戦の傭兵だと喧伝していた壮年の男だ。10歳にならない頃にその男を殺した。殺した理由は金の入った袋を懐に入れたのが見えたからで、その金を奪い取るために殺した。殺し方は男の酒に毒を盛り、弱ったところに後ろから忍び寄って石で頭を殴りつけて頭を叩き割るというものだった。

 殺して金を奪うとユリアスは即座に家を出た。家族に見切りをつけたためだ。家にいた所で何も良くはならない。ならば、家にしがみついている必要もないと判断した結果である。


 家を出てからは放浪の日々だ。

 手段を選ばなければ稼ぐ手段はいくらでもあった。当時のユリアスは子供であったが、そんなことは全く関係なく、暴力的行為に関して才能を示して悪事を重ねながら、金を稼いだ。

 人から奪い、傷つけることに何の抵抗も無かった。ユリアスは自分も苦しい思いをしたのだから、他の奴も苦しい思いをするべきだと心の底から思っており、そのため人を苦しめることに躊躇は無かった。


 そうして血と暴力に彩られた少年時代を過ごしていく中で、ある時ユリアスは傭兵として戦争に参加することになった。

 その中で人生を変えることになるものを目にする。

 それは軍を指揮する貴族や将軍そして王という王国の頂点に座する者たちだった。豪華絢爛な鎧や衣服を身にまとい、言葉一つで何千という人間を動かし、その生殺与奪を手に握る。

 そんな姿をユリアスは羨ましく思った。そして、あんな風になりたいと心の底から思い、それを目指すことにした。そんな中、ある貴族がユリアスに言った。

『戦功次第で、将軍も夢ではないぞ』

 ユリアスはその言葉を信じて戦い、誰よりも戦功をあげた。その頃にはユリアスの暴力に関する才能は極まりつつあり、それなりに腕の立つ傭兵がいるという噂は王国の上層部にも知れ渡り、戦功もあって王国はユリアスを騎士に叙任した。


 ここから新たな人生が始まるという希望を、その時のユリアスは抱き、王家に忠誠を尽くそうという思いも確かに存在していた。だが、すぐにそんな思いは消え失せた。

 ユリアスの出世は騎士なったところで行き止まりだった。それ以上は無理だった。将軍の地位は高位の貴族の持ち回りでユリアスに回ってくることは無い。当時のヴェルマー王国は貴族の数が多すぎて、貴族を増やせない状況であったので、貴族になれる可能性はほぼ無かった。貴族になれても領地を手に入れるには功績よりもコネが重要で辺境の出身のユリアスには難しかった。

 騎士になってすぐにユリアスは自分が欲したものは既に他の誰かの物か、誰かの物になる予定であることに気づいた。

 何もかも既に予約されていて、自分が入り込む隙が無いことを悟ったユリアスは荒んだ。目標に向けて突き進んでいたのに、目標を失えば暴走するしかない。


 結局、望んだものは手に入らない。騎士になっても、それだけで、人に使われるだけの惨めな生活。子供時代とは違い、豊かさは手に入ったが、それだけだ。他者から本当に尊重されることは無く、取るに足らないものだと侮られ、嘲られる。


 そうした失望の日々の中でユリアスは遂に切れた。まず手始めに、自分を騙した貴族を暗殺した。次に偉そうにユリアスの戦い方を批判した上官に決闘を申し込んで、嬲り殺しにした。

 その頃には戦いにおいてヴェルマー王国でユリアスに勝てる可能性のある者は僅かにしかおらず、上官が勝てる可能性は無かったのだが、ユリアスは処世術として本来の実力を隠していたため、誰もその結果を想像していなかった。

 ユリアスは上官を殺害したことについて罰を受けることを覚悟し、実際に罰を受けたのだが、その後、ユリアスにとって思いもよらない結果が待っていた。

 上官を圧倒的な強さで殺したユリアスは人々に一目置かれるようになったからだ。ユリアスではなく、ユリアスの強さに敬意を持っただけだが、ユリアスにとってそれは初めての体験だった。侮られるのではなく、敬意をもって遇される。それも人を殺しておいてだ。


 ユリアスは理解した。自分の強さには価値があることを。強いというだけで誰からも尊重されるということを。そこからユリアスの強さを求めるようになる。

 ユリアスの求める強さは、実際の強さよりも、強いという評判だ。

『ユリアスは強いから尊敬する』

『ユリアスは強いから大切にしよう』

『ユリアスは強いし怖いから、言うことを聞こう』

 そんな風に思われ、周囲から一目置かれて、人々から尊重されたい。そんな思いでユリアスは行動し、名のある武人や賢者を殺して回り、そして遂にはヴェルマー王国の王ですら、ユリアスに一目置くようになった。本音では罰したかったかもしれないが、それが出来るような相手ではなくなっていた。王といえどもユリアスと敵対することを選べば、殺されることは火を見るよりも明らかだったからだ。

 強さを手にした結果、ユリアスは最初に求めていた権力の座に近づくことができた。それにより、ユリアスは自分の行動が正しいものであると確信する。どのような形であれ、望みは叶ったのだから、それが間違いのわけはないとユリアスは思ったのだ。


 その後、王の懐刀の座に収まったユリアスは王を乱心させる原因を引き起こし、ヴェルマー王国を滅ぼすことになる。

 ヴェルマー王国の第一王子の死の原因となったことについて、ユリアスは何も思わなかった。その時すでにユリアスの忠誠の対象は国王ではなく自分の強さであり、王といってもユリアスにとっては簡単に殺せる、取るに足らない存在であったからだ。

 その後、乱心した王がヴェルマー王国の民を全てレブナントにしてもユリアスは何も思わなかった。だが、今になって、ユリアスの心に、そのことに対する後悔の念が芽生えていた。


「レブナントになれば最後に負けて終わるようなことは無かったのになぁ」


 レブナントにならなければ、適当な所で現役を引退し、最強のまま隠居して、伝説を残して死ぬ予定だった。

 永遠に語られる特別な存在になるという夢をユリアスは持っていたのだがレブナントになったことと、ヴェルマー王国が滅んでしまったことで、ユリアスを語る者がいなくなったので台無しになった。その上、最後には負けて終わりだ。

 アロルドには自分が最強だと言ったが、本当にそう思っているわけではない。負けて終わった以上、己が最強であると高らかに謳うことは無理だし、自分は最強ではなくなったとユリアスは思う。


「結局、何も残せず無価値な人間で終わったか」


 ユリアスは呟く。そこで奇妙なことに気づく。

 今、自分は明らかに声を出していたことを。そもそも、自分は死んだはずなのに、何故こんなにハッキリと物を考えられるのだと。

 目の前は真っ暗だ。死後の世界は暗闇に閉ざされていると想像していたので、真っ暗でも不思議はないが、そこでユリアスはまぶたが存在している感覚に気付いた。


「まさか……」


 もしかすると、と思いってユリアスが目を開けると、どこまでも白い部屋という光景が目の中に飛び込んできた。


「死後の世界ってのは、在るものなんだな」


 ユリアスは自分の体を確認する。どういうわけかレブナントではなく、生身の人間の時の感覚が戻っていた。死後の世界では、生前の姿を取り戻すということがあるのだろうかと、ユリアスは自分なりに結論を出して納得することにした。


「死後の世界だとしたら、この後には……」


 神様でも出てきて死者を裁くんだろうとユリアスは考える。

 その際の判決も決して良い結果にはないだろうと予測がついたが、だからといってどうすることもできない。

 仮に何かできたとしても、神様に喧嘩を売るような気分ではない以上、下された判決がどのような物でもユリアスは甘んじて受け入れるつもりだった。


 そういう覚悟を持ってユリアスが自分を裁く神が現れるのを待っていると、ほどなくして白い空間に唐突に一人の男が姿を現す。


「どうも、邪神アスラカーズです」


 軽い挨拶で名乗ったアスラカーズという名の神の姿を見て、ユリアスは戦慄する。

 いつ何が出てきても良いように警戒していたはずなのに、ユリアスはアスラカーズがいつ現れたのか分からなかった。ユリアスの感覚では気づいたら、そこにいたのだ。

 そして、突然現れたこと以上にアスラカーズの持つ気配にユリアスは圧倒されてもいた。見た目は白いシャツに黒いズボンをはいただけのどこにでも居そうな青年なのに、絶対的な強者の気配をその身から放っている。


 勝てるか? 戦うつもりは無かったユリアスであったが、アスラカーズの放つ強者の気配を感じ取り、自分とどちらが強いのかという疑問を抱き始める。

 強さこそがアイデンティティのユリアスにとって、自分以上の強さを持つ者は自身のアイデンティティを揺るがす存在である。ユリアスは自身のアイデンティティを守るために自分より強い存在を否定し続けてきた。人生をそうやって生き、習慣化された思考は、死んだからといって変わるものではない。


 ユリアスは戦闘態勢に入る。とりあえずアスラカーズを殺す。

 理由は自分より強そうだからで、それ以外に理由は無い。自分より強そうな奴をユリアスは生かしておけなかった。


「おいおい、動物だって、もう少し理性を持ってるぜ?」


 苦笑するアスラカーズであるが、戦いを拒む様子は無く、むしろ望むところといった感じで、ユリアスが自分と敵対することを許す。

 戦いの同意が形成された以上、ユリアスに躊躇う理由は無い。もっとも最初ハナから躊躇ううつもりは無かったが。


 武器が欲しいと念じると武器が現れ、ユリアスの手に収まる。

 ユリアスは急に現れた武器に戸惑うことなく、アスラカーズに突進する。


「俺が最強だっ!」


 叫びが白い空間に響く。そして戦いが始まり――


「残念だけど、俺の方が強いよ」


 ――すぐに終わった。

 戦いの結果、無傷で立つアスラカーズとボロ雑巾のように転がるユリアスという構図が白い空間に生み出された。結果を見れば分かるようにユリアスは手も足も出ずにアスラカーズに敗れたのだ。


「自分でも分かっているだろうけど、言い訳のしようが無いほど完敗だな」


 アスラカーズは特別な何かをしたわけではない。身体能力に絶対的な差があるわけでもなく、ユリアスの知らない魔法を使ったのでもなく、単純に剣術と体術だけでユリアスを圧倒した。

 ユリアスの方は自分が最高のコンディションとモチベーションで戦えているという実感があったが、それでもアスラカーズには全く及ばなかった。


「クソが……っ」


 ユリアスにとってはまさかの二連敗だ。

 死んだ以上、もう無いと思っていた敗北が、死後の世界であるとは思っていなかった。


「もういい、ウンザリだ。好きにしてくれ」


 続けての敗北という屈辱に、強さを求めていた人生が否定された気分になる。

 これ以上、意識を保っていると屈辱で発狂しそうなる。そうなると恥の上塗りだ。それを避けたいユリアスは自分を裁くために現れたであろうアスラカーズにさっさと判決を下してくれるように求める。


「何を勘違いしてるのか知らないけど、俺はお前をスカウトしようと思ってるだけだぜ?」


 倒れたまま動けないユリアスの顔を見下ろしながら、アスラカーズは口元に微笑を浮かべながらユリアスに語り掛ける。


「俺は強い奴が好きだから手元に置いておきたいんだ。お前は……まぁ、及第点だな」


「テメェに負けたのにか?」


 返答するよりも先にアスラカーズは手に持っていた剣を倒れたユリアスに突き刺した。もう少し口の利き方を考えるべきだということをユリアスの体に教える。


「俺より弱いのは仕方ない。俺より強い奴なんて両手の指で収まるくらいの数しかいないからな。俺より弱いのは当然だから、そのことは気にしなくて良いよ」


 突き刺した剣を引き抜くと、ユリアスが負っていた傷が全て消え去り、ユリアスの姿は元通りになる。


才能センス精神性メンタル闘争本能モチベーション。このまま死なせるには惜しい物があるから。一応、確保キープしておいても良いかなって思ったんだが、迷惑だったか?」


 ユリアスは元通りになった体の調子を確かめる。アスラカーズと戦った時も思ったが、どういうわけか、体は常に最高の調子を維持されていた。死後の世界だから、そういう不思議なこともできるのかとユリアスは自分を納得させる。


「お前はまだまだ強くなれると思った。とんでもなく長い時間をかければ、俺に勝てる可能性があるくらいの強さを得ることも出来るかもしれない。まぁ、それは難しいにしても俺とマトモに戦える程度には強くなれるだろう」


 アスラカーズと戦える強さと聞いてもユリアスはアスラカーズの言葉に興味を持てなかった。強さを求め続けた人生の果ての二連敗が思った以上に堪えていた。最後の最後に強さを求めた人生が敗北で否定されたのだから、強さや戦いに関して抵抗を持っても仕方がない。


「俺は多少本気マジっても、簡単にぶっ壊れない遊び相手が欲しくてさ。お前は適任かと思うんだが、どうだろうか?」


 どうだろうかと尋ねられてもユリアスは答える気が無かった。

 意識を保っていると敗北の屈辱で頭がおかしくなりそうなユリアスはいい加減ウンザリしており、さっさと自分という存在を消し去って欲しくて、アスラカーズの不興を買う態度を取っていた。

 しかし、アスラカーズは自分の言葉を無視するユリアスに対して気分を害することなく、自分勝手に話し続ける。


「まぁ、今のままだと弱すぎて駄目だから、鍛えないといけないんだけどな。とりあえず、もう少し色々な技術を身に着けてもらおうか。お前がいた世界では習得できない技術が良いな」


 アスラカーズはユリアスの意思を無視して、勝手に事を進めようとしていた。


「じゃあ、異世界に転生してみようか?」


 転生という言葉にユリアスは嫌な予感を覚えてアスラカーズを見る。ユリアスの目に映るアスラカーズは穏やかに笑みを浮かべ、ユリアスに優しい口調で説明を始めた。


「転生って分かる? 俺がやろうとしている転生は記憶とかを残したまま、別の人間として生まれ変わらせることなんだけどさ。

 あぁ異世界ってのも分からないかな? 異世界ってのはお前がいた世界とは別の世界で、そこはお前のいた世界とは違う法則ルールが働いていてね、そこで色々と吸収できるものもあると思うんだ。異世界での経験はきっと、お前を強くするよ。」


 そこまで言ってアスラカーズは何か思い出したように付け加える。


「ただ、その世界は俺の治める世界じゃなくて、別の神様の治める世界だから、俺の手下として、その世界に行くとなると、絶対に揉める。まぁ、揉めたら揉めたで、その世界の神様をついでに殺してきてくれると助かる」


 事も無げに語るアスラカーズだが、ユリアスはマトモに聞いていない。話を聞く気も無く、ただ一言アスラカーズに伝えたい言葉があるのだが、それを切り出すタイミングが掴めない。


「――というわけで、異世界転生をしてもらいたいんだけど、良いかな?」


「お断りだ!」


 ユリアスはアスラカーズの提案する新たな生を拒む。


「ふざけんなよ。何が悲しくて、もう一回生きなきゃいけないんだ。生きてたところでクソみたいな気分を味わうだけだ。それに生まれ変わりだと? また一から積み上げてけってのか? 人生を一から積み上げていくのがどれだけ大変か分かるか? ひたすらに自分を鍛え上げ、それだけではどうにもならなくて媚びを売り、それでも駄目だから、無茶苦茶をやって……あんな大変な思いをまたしろってのかよ?」


 ユリアスにとって生きるというのは苦痛の方が多かった。どれだけ強さを求め、手に入れても、それは変わらなかった。

 強さを維持するために苦痛を伴う鍛錬を自分に課してもいたし、自分より強いかもしれない存在の陰に怯え、その存在に自分の座を奪われるのではないかと妄想し、恐怖で眠れなくなる夜もあった。

 そんな日々がまた訪れるのかもしれないと思うと、再びの生など欲しくも無い。

 そもそも未練も何もない。あるのは敗北したという屈辱だけで、この屈辱を消すためにはさっさと自分が消えるしかない。これで新たな生を得たら屈辱の記憶は消えずに、これからも屈辱の記憶に苛まれることになる。それだけは絶対に嫌だった。


「転生などいるか! さっさと俺を殺せ! もう死んでいるというなら、俺の全てをさっさと消し去れ、クソ神がっ!」


 断固たる拒否であった。さしもの邪神アスラカーズもこれは説得不可能と悟った。


「そんなに嫌なら仕方ないな」


 アスラカーズは肩を竦め、軽く手を振る。するとユリアスの体が光に包まれた。


「嫌がる奴に無理やりってのは俺の主義に反するからな」


 光に包まれたユリアスは今までに感じたことのないほどの安らぎを感じていた。今まで心にあった淀みが全て洗い流され、代わりに暖かな物が流れ込み、ユリアスは欠けていた物が埋まっていくような感覚を味わう。


「お前のことは確保キープしておきたかったが拒否するなら仕方ない。無理を言って悪かったな。そのまま安らかに逝くといい」


 光に包まれたユリアスの姿が徐々に消えていく。アスラカーズは穏やかな笑みを浮かべ、消えゆくユリアスに手を振る。


 その光景を最後に目にしてユリアスの意識は消え去る。最後の瞬間についてユリアスは、なんの不満も無い。

 消え去る瞬間、ユリアスはこれまでの人生で感じたことがないほどの満足感を抱いていた。自分という存在が消え去ることへの不安など欠片も無かった。

 むしろ、抱いた満足感を手放すことの方が恐怖だった。この満足感が消え去る瞬間しか得られないのならば、なんとしても自分は消え去らなければいけない。至福の満足感を知ってしまった以上、それが無いのは絶対に耐えられない。

 だが、そんなことは杞憂だとユリアスは自嘲する。なぜなら、自分は今から消え去るからだ。もう、何も心配ない。穏やかに消え去るだけ……。そんなことを思いながらユリアスの意思は途絶えた。















 魔力満ちる世界アイギア。その中央に位置するイディアス大陸の東端に存在するヴィーゼル王国。王国の辺境を守るエリアス辺境伯家の中庭では、日常の光景が広がっていた。


「どうだ、まいったか!」


 辺境伯家の長男オーランド・エリアスは弟であるカイン・エリアスの頭を踏みつけていた。

 二人は、一応は兄弟という間柄であったが、長男のオーランドは大貴族の生まれである正妻の子で、弟のカインは妾と認められてすらいないメイドの子であった。

 兄弟であっても、その立場の差は明らかな物であり二人の父親であるキール・エリアスも、母親の身分から生じる兄弟の上下関係を認めており、オーランドがカインを虐げるのを黙認していた。


 当主が黙認している以上、エリアス家に仕える者たちも口を出すことはしない。

 例え、チャンバラごっこと称して12歳の兄が7歳の弟を木剣で滅多打ちにし、倒れた弟を踏みつけても誰もそれを咎めはしない。


「お見事です坊ちゃま!」

「流石はエリアス家を継ぐ御方、見事な太刀筋でございました」

「やっぱり、オーランド様はスゲェ!」


 世話をするメイド、護衛の騎士、オーランドの取り巻き達が次々にオーランドを褒め称える。自分に対する称賛にオーランドは得意になり、弟のカインを踏みつけた足に更に力を込めた。

 苦しむカインを見ても、誰もそれを止めず、むしろオーランドの不興を買わないために、その行為を称賛する。

 エリアス家に仕える彼らはエリアス家の嫡男であるオーランドを咎めて、その不興を買えば、自分たちに不幸な未来が待っていることを理解していたため、オーランドの全てを認めることにしていた。

 ――だからだろう、オーランドの足の下でその弟が苦悶の声を漏らし、そしてその声もやがて聞こえなくなったことに気づかない。彼らは弟を滅多打ちにしたオーランドの武勇を褒め称えることに忙しく、そしてオーランド自身も称賛を受けることに忙しく、自分の足の下で沈黙した弟の存在に気づかない。

 とはいえ、オーランドは母の言う卑しい血を持ったカインを弟とは認めていない。しかしながら、それでも血縁上は腹違いでも弟である。何か思うところがあっても良いはずであったが、何も思わなかった。そういう心をオーランドという子供ガキは持っていないのだ。


 ――不幸が生じる要件は揃った。

 誰も何も起こるとは思っていない。だからこそ、何かが起きる。

 もっとも、何かが起きても気付くはずが無い。なにせ、その場にいる全ての人間がオーランドに夢中なのだから。よって、オーランドに足蹴にされているカインが呼吸を止め、そして呼吸を取り戻しても誰も気づかない。


「殺す――」


 その声を発したのは踏みつけられていた哀れなカイン。だが、その声を聞いたものはいない。誰もが今は忙しいからだ。

 どうやってオーランドを称えよう。それを考えることに忙しい周囲の者たちはカインの変貌に気づかない。

 虫も殺せない気弱な子供。貧弱で将来性が感じられない子供。愚かで役立たずの子供。それがカインの評価であるから、カインが何かするとは思わない。だが、誰もがそう思っているからこそ、何かが起こる。


「どうした、さっさと僕に許しを乞え。この卑しい――」


 オーランドが足蹴にした弟を更に貶めようとするが、その時、誰も想像しなかったことが起きる。


「殺す――」


 足蹴にされていたカインが呟くと同時にオーランドの足を掴んで、その体をひっくり返す。

 周囲の者には何が起きたか全く分からないほどの高度な投げ技であり、オーランドが勝手に転んだと思った周囲の者たちはオーランドのプライドを守るために見て見ぬふりをした。だが、それが命取りだった。


「ぶっ殺すっ!」


 倒れたオーランドとは対称的に立ち上がったカインは叫び、その叫びを現実の物にするために即座に動く。

 カインは一瞬で体勢を整え、倒れたオーランドの顔面を体重を乗せた足で踏み砕いた。

 子供の脚力とはいえ、完璧に体重を乗せれば相当な威力が出る。カインの踏みつけはオーランドの口腔内の下の歯と下顎を粉砕し、意識を刈り取る。


 あまりの早業に誰もが反応できない。

 辛うじてオーランドの護衛の騎士が動き出そうとしたが、それよりもカインの方が速かった。護衛の騎士が呆けている間に距離を詰めたカインは騎士が腰に帯びていた短剣を奪い取り、続けざまにその短剣を騎士の首筋に突き立てた。


「雑魚がっ!」


 吐き捨てるように言いながら短剣を首から引き抜きつつ、オーランドの世話係のメイドに視線を向ける。流石は辺境伯家に仕えるメイドと言うべきか、護身の心得もあるようで、懐に隠し持っていた短剣を抜き放とうとしている。


 ――だが甘い。カインは騎士の首筋から引き抜いた剣をメイドに投げつけた。

 急に投げつけられた短剣を自分の持つ短剣で弾き飛ばしたメイドであるが、それによってカインの姿を視界から外してしまう。それが致命的な隙だった。

 カインはメイドの視界の外から突進し、メイドをタックルで押し倒す。タックルで人を押し倒すのは力だけではなく技術も必要となる。七歳の体格でも力の代わりに技術で補えば、簡単に人は転がせる。


「このっ――」


 メイドが何かを言おうとしたが、それは声にならない悲鳴に変わる。何故なら、カインがメイドの両目に指を突き立て、両目を抉り取ったからだ。

 声にならない悲鳴をあげ、のたうち回るメイドをゴミを見るような眼で見ながら、カインは退屈な作業をするように首を踏み折り、命を奪った。

 そうして一瞬で二人の命を奪ったカインは高らかにえる。


「俺が最強だぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 ――旅はまだ終わらない。




 ユリアス・アークス君へ――


『そんな簡単にあの世に逝けるかよ。自分のやったことを考えてみろ。まぁ、何をやろうと俺は構わないんだけどね。ただ、俺の手下であるアロルドの邪魔をしたのはムカつくね』


『そもそもテメェの考えなんかは知ったことじゃねぇんだわ。お前がどう思おうと俺の決定が全てだから、お前が拒否しようが何をしようが、最初から俺の考えと俺がやることは決まっていたんだよ』


『いろんな世界を歩き回り、頑張って強くなってください。強くなったら相手をしてやるよ。俺に勝ったら、お前の望みを叶えてあげようじゃないか。だから、頑張って強くなってね』


――――アスラカーズより愛を込めて。


※追伸―――俺の望み通りの強さにならない限り、永遠に戦い続けてもらいます。どんなに嫌がっても絶対に戦わせるんで、そこんところヨロシク。







カイン・エリアス

この後、父親を半殺しにして家督を奪い、その後も色々とらかす。急に人が変わったのは何者かが体を乗っ取ったからだとか噂される。



これでヴェルマー王国編はだいたい終わり。ようやく最後のパートに突入が……


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