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近づく魔手

 

 僕の名前はジークフリート。

 今、僕は王都にある酒場にやってきている。

 酒場の中は昼間だというのに喧騒に溢れ、酒と汗と埃の臭いが混ざった独特な空気を醸し出していた。


 師匠たちからはこういう場所に来るのは早いと言われているし、僕自身もあまりこういう場所は好きではない。でも、僕を呼び出した人はこの場所を指定してきた。

 良く知っているというわけではない相手からの手紙だったが、それを僕は断ろうとは思わなかった。差出人が特別であるため、僕は断るのも良くないと思い、ここまでやって来た。

 僕がここに来たことは師匠たちに話せばややこしくなると思ったし、会う相手が相手なので、師匠たちと話すのも最近は疲れるので全て内緒だ。

 僕だって、それなりに経験は積んでいるのだから、別に師匠たちに話さなくても一人で問題なく応対できるはずだ


 僕は酒場の中を手紙の差出人を探して歩く。

 思った以上に人が多くごった返している酒場の中を歩いていると、奥まった一角で見知った顔を見つけた。

 その人物は間違いなく差出人であり、向こうも僕の姿に気づいたのか手を振って自分の存在を示す。

 確認は取れているので間違えているという心配はない。

 そのことに安心して僕はその人が席に座っているテーブルまで真っ直ぐ向かい、そして、テーブルまで辿り着き、挨拶をする。


「お久しぶりです、セイリオス様」


 僕へと手紙を寄越したのは師匠の兄上であるセイリオス・アークス様だった。師匠とは違い、れっきとした貴族の一員であるセイリオス様には敬称をつける必要がある。

 けれども、僕に名前を呼ばれるとセイリオス様は師匠と似ている唯一の部分である黒髪を書きながら少し困った顔をしていた。


「その名前はやめてくれないかな。ここではシリウスと呼んでくれると助かる」


「はい、シリウス様」


 シリウス様は僕の返事に苦笑いを浮かべる。


様も・・やめてくれると助かるな。呼び捨ては抵抗があるだろうし、さん呼びでいいよ」


 どういう意図があるかは分からないけれど、そうして欲しいというなら要望に沿うべきだろう。

 今日はシリウスさんと呼ぶように気を付けなければ。


「まぁ、いいさ。今日はお互いに肩肘を張らずに行こうじゃないか」


 そう言ってシリウスさんは優し気な顔に笑顔を浮かべる。態度も見た目も師匠とは正反対だ。

 僕はシリウスさんに席に座るように促されたので、それに従ってシリウスさんの対面に座る。


「今日は呼びつけて悪かったね。この店に入るのは少し躊躇しただろう?」


「それは、まぁ……」


 確かに酒場に入るのは少し抵抗はあったし、騒がしい店内も僕には苦手な部類だ。

 それでも、ここに来たのは師匠の兄である人を無視するのもマズいだろうと思ったからだ。


「ここは民権主義者たちの拠点でね。普段から騒がしい内緒話をするのにはもってこいだと思ったんだ」


「民権主義者ですか?」


「平民の権利獲得を目標にしている集団だよ。私はそれを陰ながら支援しているんだ」


 貴族であるこの人がどうして平民の権利のための活動を支援しているんだろうか?

 平民が様々な権利を有するようになると、貴族はやりにくくなることもあるはずなのに。


「不思議そうな顔をしているね。疑問があれば聞いても良いんだよ」


「いえ、それは……」


「少し遠慮がちだね。私の方が呼びつけたんだから、君の方が下手に出る必要はないよ。私は今はセイリオスではなくシリウスなのだから、気を遣う必要もないと思うけれど」


 シリウスさんはそう言うと僕に微笑みかけてくる。

 前に会った時もそうだけれど、この人は気さくで良い人なんだな。師匠は気難しいのに、兄弟でもこんなに性格が違うようになるんだろうか。


「君が質問できないなら、私の方から説明しようか」


 シリウスさんはそう言って僕に笑いかけると椅子に体を預けゆっくりと語り始める。

 その仕草に釣られて、僕の中の緊張感も薄れていく。


「私が民権運動に協力するのは、この国をより良くしていくためなんだ。私は色々と考えたんだが、これからの世の中は国の総合力が問われると思うようになったんだ。貴族や王族だけが力を持つのでは、結局の所、総合力は落ちる」


 そう言うとシリウスさんは紙を取り出し、そこに数字を書き始める。


「数は力だっていうのは知っているよね? 現状の平民の力を1として、貴族は10、王族は……そうだな100にしておこうか。国の総合力はこの力に国に住む者の数を掛けたものだ。数を細かくするのは難しいので簡略化すると、平民は100で、貴族は10、王族は1としておこうか」


 紙の上には(1×100)+(10×10)+(100×1)=300の式が出来上がる。


「力だけ見れば、全部が100で同じ様に見えるけど、ここで重要なのは力の増減は掛け算じゃないってことだ。力というのは積み重ねだからね。平民も貴族も力が1上がるとどうなるか」


 シリウスさんは紙に更に数字を書き足していく。

 平民(1+1)×100=2×100=200

 貴族(10+1)×10=11×10=110

 王族(100+1)×1=101×1=101

 200+110+101=411


「力が1上がるだけで、これくらいの差が生じる。やはり数は力だってことが分かるだろ? もっとも本来の力の差はこれよりも遥かに大きいから、なかなか覆らないんだけどね」


 これを見ると、同じように力を1を上げるなら平民にした方が良いような気がしてくる。


「とはいえ、力を上げるのは難しい。国全体を豊かにしなければいけないからね。それをするなら、今ある力を正しく分配する方が楽だと思わないかい? 私が書いた数字の内、貴族と王族が持っている力を1でも平民に分け与えたら、それだけでこの国の総合力は強くなるのだから」


 シリウスさんはまた紙に数字を書いていく。

 平民(1+1+1)×100=3×100=300

 貴族(10-1)×10=9×10=90

 王族(100-1)×1=99×1=99

 300+90+99=489


「こうして、貴族や王族の力を平民に配分することで、国全体の力は五割以上の増加を見せるというわけだ。力の総数は変わらないから、こちらの方が労力は少ないというのにね。これを見れば、平民の力を増していく方が合理的だと分かるだろう?」


 果たしてそうなんだろうか?

 僕はこの計算はおかしいと思うけど、でも、どうおかしいのか上手く言葉にできない。


「国の総合力が増すというのは、人々が豊かになるっていうことだ。僕の書いた式を見れば、王族や貴族が無駄に力を持ちすぎていて、国の発展を邪魔していると分かるだろう。少なくとも、この場にいる人たちは、この構図のおかしさに気づいた。そして、それを是正したいとも思っている。私も同じだ」


 こう思うのは良くないかもしれないけど、こんな酒場に集まっている酔っ払いの人たちが理解できるというなら、僕も理解できないとマズいんだろうか? 確かに、シリウスさんが言うように、貴族や王族が持っている力を平民にも分配すれば、国全体の力は増していくかもしれないけど――


「私はこの国をより良くしていきたいと思っている。そのためには平民だとか貴族だなんていうことには拘っていられないんだ。平民が力を得ることで、国を発展させることが出来るなら、私はそれに対して協力を惜しまない」


 シリウスさんの真意は分からないけれども、表情や言葉から本気で国のことを思っているのは分かる。

 師匠は国の事なんかどうでもいいような態度だけれど、兄であるシリウスさんの方は全く違う考えを持っているようだ。


「君も今のままで良いと思うかい? 貴族が不当に力を持ち、国が豊かになることを阻害しているという現状を許せるかい? 平民が不当にその力を奪われて、その結果、国が衰退を迎えようとしているのを見過ごしていて良いと思うかい?」


 言っていることは分からないでもないけれど、僕は結論が出せない。


「少し熱く語りすぎてしまったね。この話はこれまでにしておこう。これが本題ではないしね」


 それを察したのか、シリウスさんはそこで話を打ち切り、本題を切り出してきた。

 もう少し考えれば答えが出せそうだったけど、話が変わってしまうと蒸し返すのにも抵抗があり、詳しいことも聞きづらいし、言いづらい。


「さて、ジークフリート君。君を呼びつけたのは他でもないアロルドのことだ」


「師匠の事ですか?」


 確か、師匠とシリウスさんが大喧嘩したというのは聞いた。

 喧嘩の理由までは聞いていないし、師匠もエリアナさんも口にはしなかったので僕は知らない。

 師匠は大怪我もしていたし、色々とあったんだろうということは察することが出来るけれど、何があったかまでは想像できない。

 そもそも喧嘩が本当にあったのかも分からない。師匠は怪我をしていたけれど、それを僕の目の前にいる人がやったとは思えない。見た感じではシリウスさんが師匠とマトモに喧嘩できるとは思えないし、何か裏があるような気がする。


「君も知っているとは思うけどアイツと喧嘩をしてしまってね。その後のゴタゴタで王都を出ざるを得なくなってしまったんだ」


「でも、今はいますよね?」


「それはこっそりとやってきたからだよ。これが明らかになれば、私は更に重い処分を受けることになるだろう。でも、そういうのを無視してでも、君に頼みたい重要なことがあったんだ」


 そこまで僕に期待する理由が分からないけれど、僕にしかできないことなのかもしれない。それが何なのかは全く想像がつかないけど。


「頼みたいことというのは?」


 期待に応えられる自信もないけれど、この人は師匠のお兄さんだし、好感度を上げておいた方が良いような気がするので、話だけでも聞いておいた方が良いだろう。


「重要だけど、それほど難しいことじゃない。ジークフリート君、君にはアロルドを監視していて欲しいんだ」


 セイリオス様が何でもないことのように言うので、僕の理解が一瞬だが遅れる。


 師匠を監視する?


 なぜ? どうして? そんな疑問がセイリオス様の言葉を理解すると同時に次々と頭に浮かんでくる。

 シリウスさんはそんな僕の様子を見て申し訳なさそうな様子で口を開く。


「すまない。突然のことで驚かせてしまった。それと監視という言葉も悪かったね」


 シリウスさんは柔らかな微笑を僕に浮かべてくる。


「監視というよりは報告役という方が正しいかな。ジークフリート君にはアロルドが何をしているかを私に伝えてほしいんだ」


 確かにそれならば、監視とは違うような気もするけれど――。

 でも、それを僕がやっていいのかは分からないし、そもそも、どうしてそんなことをしたいのかが分からない。それが気になった僕はシリウスさんに質問する。


「どうしてそんなことを頼むんですか?」


 師匠とシリウスさんは喧嘩していたし、仲が悪いだろうから、きっと敵対関係にあるだろう。

 もしかしたらシリウスさんには師匠を害する目的があるかもしれない。


「もしかして私がアロルドに何かしようとしていると疑っているのかい?」


 僕は心の内を読まれているようだった。

 否定しようにも真実であり、嘘をついてそれを切り抜けることは僕にはできないので、肯定の意味で頷く。


「まぁ、確かにアロルドとは喧嘩をしたよ。でも、それは只の兄弟喧嘩だ。なにも命の奪い合いがあったわけじゃない。確かに関係は悪くなったかもしれないけど、それでも実の弟を害したいと思うようになるほど決裂したわけじゃないよ」


「でも、それならどうして、師匠の行動を監視するようなことを僕に頼むんですか? 仲が悪くないなら別に放っておいても――」


「それに関しても兄弟だからというのが一番説明しやすいね。実の弟のことだから私は心配なんだよ、何かやらかしてしまわないかっていうのがね」


 それなら、今まで気にしていなかったのが気になる。

 なんで今になって急にそんなことを僕に頼むんだろうか?


「どうして今頃って顔だね。それに関しては、今までは別に放っておいても大丈夫だったからだ。何があってもアロルドなら何とかできると思っていたけど。僕はこの間の喧嘩、そして南部での戦を知って考えを変えざるをえなかった」


 穏やかだったシリウスさんの表情が厳しいものに変わる。


「アロルドは弱くなっている。僕はそんな風に考えを変えざるをえない。無敵と思えるくらい強かったアロルドが私程度と喧嘩して大怪我を負ったんだ。これを弱くなっていると言わずして何と言うんだい?」


 確かに僕の見る限りではシリウスさんに強そうな感じは全くない。

 それでも師匠とマトモに喧嘩ができるんだから、それなりには強いんだろうけど、正直な所、僕でも勝てそうに見える。

 そんな人にあれだけの大怪我を負わされたというのは油断があったのかもしれないけど、師匠が弱くなっていることの証明なのかもしれない。


「強い頃であったら、何をしていても私は心配していなかった。でも、弱くなっている今では心配なんだよ。弱くなっても強い時と行動は同じ。いや、むしろ酷くなっているように思う。君もそう思わないかい? 最近のアロルドの行動に抵抗を覚えることはあるだろう?」


「それは、まぁ……」


 確かに付き合いきれないことはある。

 言っていることとやっていることがおかしいなって思うこともたくさんある。

 必要以上に人を殺していたり、敵の総大将を厚遇したりする理由なんかは僕には理解できないし、他の人のように受け入れられない。


「強い時であれば何をやっても許される。文句を言ってきた相手を叩き潰せるからね。でも弱くなれば、それは駄目だ。逆に潰されてしまうだろう。今のアロルドにはその危険があると私は思う」


「師匠が負けると?」


「その可能性が無いとは言えない状況なんだよ、今のアロルドは。このまま、アロルドの行動を放っておけば取り返しのつかないことになるかもしれない。私としては弟であるアロルドを庇いたいのだけれども、アロルドの動きに対して後手に回っていてはそれは難しいだろう。だから、君にアロルドの行動を報告してもらいたいんだ」


「僕が報告すれば何かが変わるんですか?」


「勿論変わるさ。アロルドの行動が早くに分かれば、私の方としても対策を立ててアロルドを守ってやることもできるし、その行動を諫めることだってできるだろう。アロルドが何かやらかしてしまっても、すぐに行動を起こせるので被害を最小限に抑えることだってできる」


 それはそうかもしれない。

 僕の知る限り師匠はシリウスさんの言うことは聞いていたし、頼りにしていた。

 でも、それは喧嘩をする以前の話だ。今は師匠がシリウスさんをどう思っているかは分からない。

 少し師匠から距離を置いていたせいで今の状況が全く分からないというのが痛いな。でも、今までの様子を見る限りシリウスさんは真面目で嘘を吐く様な人には見えないし――


「私は兄としてアロルドを守ってやりたいが、それと同時に君達も守ってあげたいと思っているんだ。アロルドが何かをしでかせば、君達の今の立場は崩れる。良くも悪くも、君達のような冒険者はアロルドの存在によって成り立っているからね。今、アロルドが崩れたらアロルドの力によって成り立っていた組織も崩れるだろう。そうすれば、何十、何百、もしかしたら何千、何万という人が路頭に迷うかもしれない。私はそれも防ぎたいんだ」


 確かに師匠がいないと冒険者ギルドは成り立たない。師匠の影響力で周囲を黙らせてギルドという組織を成立させているところもあるからだ。

 その師匠が駄目になれば、ギルドもギルドが母体となっている工場も潰れるかもしれない。そうなれば、職を失って生活に困る人が出てくるのは間違いない。


「みんなを守るために私は君に協力を要請しているんだ。このままのアロルドの行動を野放しにしないためにね」


 シリウスさんは優し気に笑いかけてくる。

 その表情には悪意なんかは欠片も見えず、みんなを心配する優しさが現れていた。

 ――でも、僕には気になることがある。


「どうして、僕に頼むんですか? 僕以外に相応しい人がいる。いや、そもそも師匠に直接言えば良いような」


「それは君がアロルドと距離を取り、冷静にアロルドを見れて否定的な思いを抱くことができるからだよ。他の者はアロルドに対して距離が近すぎるし、アイツと仲が良すぎて、何があってもアイツを肯定してしまうだろうから、報告を頼んだところでアロルドに密告してしまうだろう。その点、君は心配いらないと私は考えている。そしてアロルドに直接、言わないのは――」


 言いかけてシリウスさんは照れ笑いを浮かべる。


「良い歳をした兄が、良い歳をした弟に偉そうに指図するのが恥ずかしいからだよ。お互いに良い大人なのに干渉が激しいというのはどちらにとっても恥ずかしいことだし、アロルドだって言われたくないだろうからね。私が何か言ったところで反発されるだけだし、それでアロルドの行動に悪影響が出ることもあるかもしれない。それを考えると少し抵抗があるんだよ」


 なんだかしょうもない理由だな

 でも、僕には妹がいるから分からないわけでもない。妹はまだ小さいけれど、僕に何か言われるとすぐに反発するし。


「そういうわけで、頼りにできるのは君だけなんだ、ジークフリート君」


 そう言われても。

 その報告がどの程度の物を要求されているか分からないと、すぐに返事をするのは難しい。

 それなりに深い付き合いだとは思うけど、僕と師匠はベッタリというほど仲は良くないし――


「何も、ありとあらゆることに関して報告しろというわけじゃない。世間話程度の内容を手紙にでもして私に送ってくれればいいんだ。罪悪感を感じる必要は全くない。何処へ行ったとか、何処へ行くとか、誰と会ったか、誰と会うのか、何をしたのか、何をするのか、日記に書く様な些細なことを私に教えてくれればいい」


 僕の心を読んだようにシリウスさんが説明してくれる。

 その程度なら出来るとは思うけど、でも――


「やっぱり、なんだか師匠を裏切っているような気がして、僕はちょっと――」


 なんだかんだでも、今の僕は師匠のおかげでここにいるし、恩義は感じている。

 それなのに、師匠の目を盗んでこそこそと行動するのは、なんだか間違っている気がする。


「それは違うよ、ジークフリート君。これは裏切りではなく、アロルドを救うためのものだ。君がアロルドのこと報告するのは、破滅へと向かいそうなアロルドの行く手を遮るために必要なことなんだ。君は裏切っているのではなくアロルドを守り、救っているんだよ」


 いや、でもそれは……。


「よくよく考えてくれ、アロルドが破滅すれば、みんなが悲惨な目にあうんだ。君が僕にアロルドのちょっとした日常を報告すれば、それだけで皆のことも救うことが出来る。今の君がアロルドのことをどうでもいいと思っていたとしても、アロルドの周りの人にまでそんな思いを抱いているわけではないだろう? これは皆を守るために必要なことであり、君にしかできないことなんだ」


 冒険者ギルドには良い人もいっぱいいる。そういう人たちを守りたいという気持ちも僕にはある。

 シリウスさんの言うことが本当ならば、僕が動けばみんなの破滅は防げるんだろう。

 それを考えるとシリウスさんの頼みを聞くべきなんだと思うけど、なかなか踏ん切りがつかない。


「――すまない。時間のようだ」


 不意にシリウスさんが立ち上がる。

 シリウスさんは辺りを見回して周囲を警戒しているようだった。


「そろそろ私の存在がバレる頃合いだ。話の途中ですまないが、失礼させてもらう」


 シリウスさんは小声で話しかけてくる。

 これで終わりならば、僕は話をなかったことにできるんだろうか?

 それならば、もう悩まなくて済むのでありがたいのだけれど――


「手紙を送るので、私の頼みを聞いてくれる気があるなら返事をくれ。ないなら無視してくれればいい」


 どうやら僕は、まだ悩まなければいけないようだ。

 シリウスさんは伝えるべきことは全て伝えることができて満足したような様子で別れを告げてくる。


「色よい返事を期待しているよ、ジークフリート君。それじゃ、また会おう」


 そうしてシリウスさんは笑顔を浮かべ僕の前から去っていた。

 残された僕の頭の中にはシリウスさんの様々な言葉が響いていた。



 ――数日後、僕のもとにセイリオス様からの手紙が届いた。

 手紙の入った封筒の中には数枚の銀貨があった。それは僕への手間賃だそうだ。

 僕の気持ちは、まだ悩んだままであったが、銀貨を貰ってしまった以上、それを返すにしても何の返事も返さないというわけにはいかない。

 師匠たちに伝えた方が良いかもしれないけど、それで師匠とセイリオス様の仲を拗らせてはいけないとも思う。それに、このことを説明すれば、こうなるに至った経緯を話さなければならないし、悪いことはしていないとはいえ余計な勘繰りをされるのは嫌だ。

 なので、僕は本当に当たり障りのないこととして『師匠は西部に行く』ということだけを書き記し、手紙をセイリオス様へと送り返した。

 別にたいしたことじゃない。ちょっと出かけるっていうだけの話だ。そんなものをセイリオス様が知ったところで何も起きないだろう。

 それに何か起きたとしても、この間のこちらを心配してくれる様子を見れば危害を加えてくるとは思えない。それどころか、何かあれば守ってくれるかもしれない。

 だから、返事をしたって問題はないし、こうすれば皆を守ることにもつながる。


 そうだ、間違っていない。これは僕が皆を守るために必要なことだったんだ。

 だから、何も問題は無い。問題は無いんだ。僕が何も心配するようなことはない。

 これで師匠だって破滅しないで済むんだから、僕が罪悪感を感じる必要はないんだ。


 僕は何も悪いことをしていない。これは皆を守り、師匠を守るために必要なことだ。

 だから、何も気にする必要はない。僕は何も気にしなくていいんだ。

 でも、気にしないようにしても、セイリオス様に手紙を送った瞬間に僕の心の中に生まれた仄暗い思いは消えてくれる気配はない。

 

 僕はどうすればよかったんだろうか?







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