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暴走の予兆

 体が痛いな。思えば、これだけ痛い思いをしたのは子供の頃以来か?

 ある程度の年齢に達した頃には体を鍛え上げていたわけだし、大抵の相手の攻撃などは物ともしなかったわけだから――


「なぁ、兄さん。そんな恰好でどうしたんだい?」


「困っているなら手を貸してやるぜ、お代は頂戴するけどなぁ」


 考え事をしていたらクソに絡まれた。一目で生きている価値がないように見えるチンピラどもだ。

 こういう輩が現れるということは、そうか、もう王都の中に入っていたというわけか、考え事をしていたせいで気づかなかったな。


「なぁ、おい、何か言ったらどうだ?」


 どうして僕がこんな浮浪者同然のチンピラどもに話しかけられなければならないんだ?

 もしかすると今の僕の姿のせいか? 

 アロルドと戦ったせいで僕の姿はボロボロだろう。それを見て身ぐるみをはがせる相手だと思ったのだろうか?

 こんな輩が出没するようになるなど王都も治安が悪くなって何よりだ。しかし王都の治安が悪くなるのは望むところではあるけれども、そのせいで僕が不愉快な思いをするのは許せないな。


「へへ、ビビってんだよ。なぁ兄さん?」


「そいつはひでぇなぁ。俺たちゃこんななりだけど、真っ当な人間だぜ。見た目だけで判断しちゃ良くな――」


 喋ってるクソの頭を僕は殴り砕いた。

 何が起こったか分からず生き残っている方のクソは茫然としているが、すぐに状況を理解し腰を抜かした。


「なぁ、僕が誰だか知っていて、こんなことをしたのか?」


「し、知らねぇよ、知っていたらこんなことしねぇって!」


 ああ、そうだろうな。

 僕は僕がこんな人間だと誰にも知られずに生きてきたんだ。

 それを時が来るまで隠し通すつもりだった。なのになぁ、アロルドのせいで全く予定が崩れてしまったよ。


「僕の名前はセイリオス・アークスだ。良かったな死ぬ前に一つ物を知って賢くなったぞ」


 僕は腰を抜かしたクソの頭を蹴り飛ばす。

 衝撃に耐えきれず首が引きちぎれて吹っ飛んで行ったが、どうでもいいことだ。


「つまらないな」


 腹の中に溜まったイライラを発散するために殺してみたが、どうにもスッキリしない。

 弱い者いじめもたまにすると楽しいのだが、どうやら今の気分には合わなかったようで何も心に響かない。

 僕は死体を蹴飛ばして道を開けると屋敷へ帰る道を進んだ。


「セイリオス様!? どうなされたのですか!」


 ほどなくしてアークス伯爵家の屋敷、つまりは僕の家に到着すると門番の男が狼狽えた様子で声をかけてきた。

 どうせ僕の姿を見て慌てているのだろう。確かに服はボロボロではあるが、体自体は回復魔法で問題なく動く。とはいえ、完治まではいかず体が熱をもってはいるが。


「なんでもない、門を開けてくれ」


「ですが、その――」


 僕は門番の男の頭を掴むと、門へと叩きつける。

 口答えをされるとイラつくんだよな。『はい』以外の言葉は口にせずに僕の言うことだけを聞いていろよ。

 門へと叩きつけられたことで門番の頭は割れ、その中身が飛び出るがどうでもいい。僕にとっては、叩きつけた衝撃で門が開いたことの方が重要だ。

 僕は死体となった門番を放り捨て屋敷の敷地へと入った。


 僕の今の姿を見れば屋敷の中が騒ぎになるのは間違いないので、僕はこっそりと屋敷の裏へ回り裏口から中へ入り、僕の書斎へと向かう。


「疲れたな……」


 僕は書斎の椅子に座り一息つく。

 机の上にはガラス瓶に入った高いウィスキーとグラスが一つ。

 僕はグラスにウィスキーを注ぐとそれを一気に飲み干す。

 酒精が体に取り込まれる熱さと完治しきれていない怪我の熱が混じり合い、体が一気に熱を帯びるのと同時に酔いが少しずつ体に回り、体の力が抜けてリラックスした状態になる。

 気持ちを昂らせるのも酒だが、同時に気持ちも安らかにするのも酒だ。

 ほどよい酔いの中で僕は今日のことを思い返す。


 アロルドと敵対関係になってしまったのは良くなかった。今後あいつに協力してもらうのは難しいだろう。

 しかし意外だったな。あいつはもっと人の生き死にに関心を示さず自分さえ良ければいいという男だと思ったんだが、イーリスを守るとはな。


 これに関しては読み違えていた僕が甘かったとしか言いようがないか。

 まぁ、気にしても仕方がない。今後どうするかを考えよう。

 アロルドは味方に引き入れたかったが、ずっと味方でいてもらう必要もなかったわけだし、予定が繰り上がったと思った方が良いな。


 僕は考えながらグラスにウィスキーを注ぐ。

 味はどうでも良く酔うために飲んでいるのだから、いくら高い酒だろうと大事に飲むつもりはない。

 そうしてグラスいっぱいにウィスキーを満たすと、不意に書斎の扉がノックされた。


「入れ」


 別に来客を断るつもりはないので部屋に入ることを許可したのだが、失敗だったかもしれない。

 僕の許可を受けて扉から姿を現したのは僕の妻ということになっている女だった。

 名前はなんだったかな? 確かフィアレだとか言う名前だったような気もするが、興味が無いので忘れてしまったな。そういえばしばらく顔を見ていなかったような気がするが、まぁどうでもいいか。


「こんな遅くにお帰りになられたので、どうしたのかと思ったのですが――」


 フィアレは僕の姿を見て絶句する。


「どうされたのですか、そのお姿は!?」


 どいつもこいつも煩わしいな。

 僕がどんな恰好をしていたところで関係ないだろうに、放っておいてほしいものだ。


「アロルドと喧嘩をしただけだよ。君が気にすることじゃない」


 穏やかな夫を演じ、僕はフィアレの言葉に答える。

 分かったら、さっさと消えてほしいな。僕は疲れているんだ。


「やはり、そうなのですか……」


 理解したなら消えてほしいんだが。

 しかし、僕の思いも虚しく、フィアレには届くことなくフィアレは思いつめた表情で居座っている。


「……セイリオス様、どうかアロルド殿とは縁をお切りください」


 フィアレは深刻そうな顔で意味の分からないことを言う。

 いや、意味は分かるか。ただ、この女が何も分かっていないだけで、僕には言っていることが頓珍漢に聞こえるだけだ。


「何を言っているんだい?」


「私には分かります。セイリオス様はアロルド殿に一方的に暴力を振るわれたのでしょう? きっと家督を譲れと脅され……」


 やっぱりだな、この女は何も分かっていない。何も教えていない僕が悪いのかもしれないが、訳知り顔で余計なことを言うのはこの女の性格のせいだろう。ああ、煩わしい。


「あの粗暴な貴族の風上にも置けない男ならやりかねないと思っていましたが、やはりセイリオス様を恐喝して、伯爵家の爵位を奪おうだなんて」


 見当違いの推論を深めていくのを聞くとこっちが恥ずかしくなるのはなんなんだろうな。

 そろそろ我慢も限界に近いんだが。


「セイリオス様、このことは陛下や他の貴族にも知らせるべきです。アロルド殿の立場は今は良くないと噂を聞いていますし、私の実家も協力してくれるはずです。セイリオス様の今のお姿を見れば、必ずや何らかの処罰が下されるに違いありません。ですからセイリオス様はあんな男と縁を切って――」


「うるさい」


 僕は手にしていたグラスで机を強く叩く。

 大きな音がしたことで、フィアレは身を竦めて僕を見た。

 しかし、その目に恐れはない。まぁ、当然だろう、今まで僕はフィアレに恐ろしいところなど見せたことは無いのだから、僕がどんな人間なのか彼女は知らない。


「ごちゃごちゃとつまらないことを言わないでくれ。僕は今疲れているんだ、休ませて欲しいというのが見て分からないのか?」


「私は――」


「いい加減鬱陶しい。僕に抱いて欲しいなら、明日抱いてやるから今日は消えてくれ。子供が欲しいのなら出来るように努力はしてやるから、どこかに行ってくれ」


 アロルドのせいで、ここまで順調にやってきたのに全部台無しになった。

 今更こんな程度の女に気を遣って理想的な夫を演じる必要もないだろう。


「ぶ、無礼な! 私は由緒ある――」


「ああ、鬱陶しい。ごちゃごちゃとつまらないことを言いやがって 僕は疲れているから消えろと言ったんだぞ。さっさと消えろよ、クソ女。野良犬だってもう少し物わかりが良いというのに犬以下の頭しかないのか、君は?」


 アロルドに殴られた怒りが消えていないのか、どうにも抑えが効かないし我慢ができないな。

 こんなことなら、あの場で皆殺しにしておけば良かったかもしれないが、それをすると今後の計画が完全に崩れるのだから何もせずに帰って来たのは仕方なかった。


「な、なにを――」


 僕の言葉に目を丸くしているが、もう知ったことではない。

 良い夫を演じるのやめだ。夫を演じるのをやめたのだから、この女もどうでもいい。


「何の取り柄もないくせに偉そうな女だ。世間体があるから、君のような田舎貴族の娘でも仕方なく妻にしてやったんだが、もう必要ないな」


「わ、私がどんな思いで嫁いできたのか、貴方は……。あの男の兄であると知っていて嫁いでくるような女は私しかいなかったのに……」


「ああ、そうだな。僕が結婚した時はアロルドの悪評が広まりすぎて、君しかいなかった。逆に言えば、そんな悪評が広まった男の兄程度しか嫁ぎ先のなかった女なんだよ、君はな。それなのに自分の身の程も知らずに僕に偉そうな口を利きやがる」


 これまでの鬱憤をぶちまけると沸々と腹の中から怒りが込み上げてきた。

 どうでもいい女に気を遣ってきたことへの怒りだろうか。それを我慢する必要がなくなり噴き出してきたということなんだろうか?


「アロルドと縁を切れ? なんで君にそんなことを言われなきゃならない? そもそも君はどうしてアロルドを自分の下に見ている? 僕をこんな目に遭わせた男を下に見るということは間接的に僕を下に見ていることだと何故気づかない?」


 あいつは阿呆で頭が足りないが、その代わり強くて自由だ。

 アロルドは生き方は僕にとっては好ましく、僕はアロルドには好意を持っていた。

 だから、どんなに阿呆でも色々と便宜を図ってやって来たんだ。もっとも、酷い目にあわされたせいで今は少し嫌いになったが、謝ればもう一度僕の下に置いてやるくらいの気持ちはある。

 そんな風に僕が高く買っているアロルドをフィアレ程度の女に侮られるのは面白くない。まるで僕の見る目がないみたいで、遠回しに批判されているような気分にもなる。


「そんな、私はただ――」


 フィアレが僕に対して怯えた表情を向けてくる。

 さっきまでは僕を言いくるめて決断を迫るような調子だったくせにどうしたんだろうな?


「ただ、なんだ? 言ってみてくれないか? 内容によっては僕は君を見直すかもしれないぞ」


 僕は椅子から立ち上がりフィアレの側に近づく。


「ただ、貴方のことを思って――」


 僕の事を思って?

 この期に及んでそんな台詞か。僕の事を何も知らなかったのに、どうやって何を思うんだろうな。

 そもそもの話、君は僕が君に心配されるような情けない男で、君に何か助言を貰わなければ何もできない男だと思っていたのかな?

 なんだろうな、この女はどこかで僕を見下していたんじゃないかと思えてきたぞ。

 どういうわけかそれが可笑しくて、思わず口元に笑みが浮かんでくるくらいだ。


「そうか、そうか、君には色々と心配させていたんだね。僕はなんて情けない男なんだろうな、すまなかった、これからは気を付けるよ」


 僕は微笑を浮かべた表情をフィアレに向ける。

 すると僕の顔を見てフィアレは少し安心したようなぎこちない笑みを浮かべた。


「酷いことを言ったのに、そんな僕の身を心配してくれるような妻を持てて僕は幸せだな」


 僕は可能な限り優し気な口調で言いながら、自分の身の程も考えずに僕の身を心配してくれる心優しい妻へと可能な限り優しく手を伸ばし――――








 ――やはり身にへばりつく余計な物を切り捨てると気分が良い。

 アロルドにやられてイラついていた気分が今はスッキリだ。


 スッキリついでにやるべきことを済ませておこう。

 幸い今は夜だし人目にもつかなくて都合が良い。


 僕は屋敷の敷地の隅にある廃墟を訪れる。

 元は地下牢だった場所だ。伯爵家ともなると後ろ暗い過去などいくらでもあるので、人を閉じ込めておくような牢屋がある家は少なくない。我がアークス伯爵家もそうだ。

 もっとも今では全く使われていないんだがね。でも、僕にとってはその方が好都合だ。なにせ人目につかず色々と実験が出来るんだから。


「起きてくれよ」


 僕は地下牢に入ると、まっすぐ目当ての人物が眠っているであろう牢へと赴き、彼を呼んだ。

 返答はないが、ゆっくりと動く人影が見え、それは僕の前に這いずり近づいてくる。散々に実験をしてきたせいで精神は壊れ、もはや人の形をしているだけの肉人形だが利用価値はある。

 このまま死なせてやっても良かったんだが、計画を変更して、もう少し僕の役に立ってもらおう。


「さて、カイ君。君に喜ばしいお知らせだ。なんと君はここから出られるぞ」


 ヲルトナガルの勇者であり、どんな魔法でも使いこなせるらしい勇者カイは何の感情も籠っていない目で僕を見る。

 まったく状況は分かっていないんだろうが、分かっていなくても別に構いはしない。魔法を使って人を殺すことができれば充分だ。


「そして、王国騎士団長ベイオール氏も同様に釈放だ」


 僕は牢屋の奥で枷に繋がれている男に目を向ける。

 立派な体躯の男が死んだ目で何もない空間を見つめていた。こちらもカイ君と同様に精神が壊れているが、以前はアドラ王国でも名の知れた騎士だ。人を殺す能力は今も充分に有している。


「良かったな、カイ君。異世界で念願の大冒険が出来るぞ。君には世話になったから、僕はどんな手助けも厭わないぞ」


 半年以上前に偶然王都で見かけて拉致したこの少年のおかげで、僕はこの世界についての理解を深めることができた。もともと見当はついていた部分も多かったが、確信を得られたのはカイ君のおかげだろう。

 魔法を教えてもらったり、彼の知っている地球の知識を教えてもらう際に少し力加減を間違って何度も殺しかけたのも良い思い出だ。

 最終的に痛めつけすぎたせいで精神は壊れたが、そうなるまで尋常ではない苦しみの日々があったせいでアスラカーズの加護は強まり、能力に関しては相当な補正がかかっている。強くなれたことを僕に感謝してもらいたいくらいだ。

 もっとも、カイ君のおかげで兵士やらを短期間で強化する方法を思いつくことができたのだから、僕の方が感謝すべきことは多いかもしれないな。


「ベイオール氏も残してきた騎士団が心配だろう。なに、もうすぐ会えるから楽しみにしてくれていい」


 ベイオール氏に関しては初対面の印象は良くなかったな。

 僕がアロルドの後ろ盾になっていた頃、アロルドの振る舞いに関して抗議に来たところを僕がベイオール氏を半殺しにして、監禁したんだよな。その後で王国騎士団の副団長が屋敷の周りをウロチョロして煩わしかったのを憶えている。

 ベイオール氏はカイ君の例を踏まえて、どうすれば効率よく補正が強まり戦闘能力の強化できるのか実験体としてひたすら痛めつけさせてもらった。そのおかげで兵士の強化方法が確立できたのだから、感謝してもしきれない。

 まぁ、そのせいでベイオール氏も精神が壊れてしまったけど問題は無いだろう。


 この二人は精神は壊れているが、壊れた精神の代わりに戦闘技術をひたすらに詰め込み、僕の稽古相手として使ってきた。

 だが、アロルドを味方に引き入れるのが難しくなった以上、少しでも戦力が必要なため、これからは稽古相手ではなく兵士として使うことにする。とはいえ、今の状態では二人はボロボロすぎて戦闘には耐えられないだろうか補修しないといけないだろう。

 なので、一度アークス伯爵領に送る必要がある。伯爵領では僕が匿っている帝国兵をカイ君やベイオール氏のようにする改造も進んでいるだろうから、そこで一緒に整備してもらった方が良い。


「運んでくれ」


 僕がそう言うと闇の中から伯爵家に仕える家令が姿を現し、何も言わずに二人を運び出す。

 なるべく目立ちたくないから、こんな夜中に作業をしなければならない。こんな手間をかける必要があるのも全てアロルドのせいだ。


 アロルドのせいで色々と隠しきれなくなった以上、計画を変更して行動を開始する必要がある。

 もう少しゆっくりやっていこうと思ったが、強引にやるとしよう。

 僕が持つ全ての力を用い、この国を壊して僕にとっての理想郷を築くために。





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