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勝てない時の負けないやり方

 振り下ろされた拳をかろうじて左腕で受け止める。


「俺が弱くなってるとは大層な物言いだな、おい?」


 偉そうなことを言っているがセイリオスとて万全な状態じゃない。

 回復魔法で傷は治しているだろうが体力の消耗はかなりあるはずだ。なにせ、まともに防御ができていない俺を殴っても倒れさせることすらできないんだからな。


「弱くなったとは言ってないさ。今の方が僕にとっては痛めつけやすいだけだ」


 俺はふざけた口を利くセイリオスの顔に向けて右フックを放つが、その拳をセイリオスは首を振っただけで躱し、そして、躱すと同時に自分の拳を俺の腹に叩き込んだ。

 今までのダメージの蓄積によって肋骨が折れる。それに加え。内臓も痛めたのか、吐き気がこみ上げ、俺は血を吐いた。

 それによって俺の動きが止まった一瞬に、セイリオスは俺の左腕を掴み脇の下に抱え込んで逃げられないように固定する。


「今のお前ならば、自分がどんなミスをしたか分かるだろう?」


 腕を固定され逃げられない状態でセイリオスの拳が何発も俺の腹に叩き込まれる。


「分かるが、ミスとは思わないな」


 こみ上げる吐き気を堪え、俺は拳を振るう。

 俺が逃げられないということは向こうも逃げられないということだ。俺は拳を振るい、セイリオスの顔に拳を叩きつけようとした。

 だが、セイリオスはそれを見切っていたのか、俺の腕を離し、間合いを開けて拳を躱すと、続けざまにハイキックを放つ。

 左腕を上げて俺はそれをガードするが衝撃によって大きく後ずさる。


「全く効いちゃいないな」


 俺は口元から流れる血を拭いながらセイリオスに言う。

 見た感じでは信じてもらえないだろうが実際にそこまで効いてはいない。

 セイリオスも相当に疲れているのか、攻撃一発一発の重みがなくなってきているからだ。

 きっちり防御できるかは怪しい所だが、防御できなくても数発食らったところで沈みはしないだろう。


「そのざまで良く言えるものだ」


「俺のセリフだな、それは」


 俺に対して上からの物言いをしていた割にはセイリオスにだって、そんなに余裕はないだろう。構えた拳は揺れているし、足腰にだって最初に見た時の力強さは無い。

 余裕ぶっているのだって、こっちを疲弊させるためにポーズだ。というか、このクソ野郎の言うことは基本的に信用するべきじゃない。こいつの言葉は大半が自分が優位に立つための布石だと思った方が良い。


「参ったな、見破られていたか」


 セイリオスはわざとらしく肩を竦めて見せる。

 だが、次の瞬間には間合いを詰め、俺の眼前に踏み込んでいた。


「確かに疲れてはいるんだがね。それでも負ける気はしないな」


 体重を乗せたローキックが俺の右膝に直撃する。

 南部での戦の時に負傷した右脚は傷自体は治っているが若干の後遺症があり、打撃に耐えられるほどまでは回復していない。そのため、強い衝撃を受けると膝から下に力が入らなくなる。

 この前、セイリオスと食事をした時、杖をついていたせいで見破られていたんだろう。


 膝に食らった蹴りによって脚に力が入らなくなり、俺の体勢が崩れる。

 そこにセイリオスの拳が襲い掛かり、一発二発とそれを受けたことにより、俺の体にダメージが蓄積される。だが――


 そんなことは想定の範囲内だ。


 俺は何発もの攻撃を受けながらもなんとか耐える。

 最初から防御を捨て、攻撃を食らうのを覚悟しておけば多少は我慢ができる。それにセイリオスの方も万全の状態ではなく攻撃に重みがないのだから尚更我慢できる限界は引き上がる。


「何もできない木偶に成り下がるなら負けを認めて命乞いをしたらどうだ?」


 セイリオスは俺に連打を叩き込みながら、余裕をかました台詞を吐いているように見える。だが実際の所は違うだろう。

 最初の頃は俺を殴り倒して負けを認めさせるつもりだったはずなのに、今はそれを口で言わせようとしている時点でセイリオスの苦しさが分かる。

 本当に余裕があれば俺自身に負けを認めさせる必要はなく、自分の力だけで俺を殴り倒して、屈服させればいいだけなのに、セイリオス自身それができないと悟っている。だから、俺の口から敗北を認めさせるような言葉を引き出させ、自分が勝ったことにしたいんだろう。


「命乞いするほど不利な状況か?」


 俺は攻撃を受けながら余裕のふりをしてセイリオスに言う。

 俺の方も余裕などは無く、負けを認めて、それだけで済むのなら認めてやってもいいんじゃないかとは思う。だが、俺が負けを認めてそれで済ませるような甘さがセイリオスにあるかは分からない。

 奴が俺を特別と言ったのも強さではなく価値観が共有できる可能性があるからであって、それが無理だと分かれば、俺の価値は一気に下がるだろう。負けを認めたとして、俺は自分の価値を奴に示せたかどうか確かではない以上、安易に命乞いや負けを認めることはできない。


「僕はそう思うがな」


 セイリオスはそう言いながら僅かに攻撃の手を緩めはじめた。

 緩めるだけで攻撃の手は止めていないが呼吸の乱れをかすかに感じる。


「息が上がってるぜ」


 俺はセイリオスの繰り出す攻撃を防ぐことも出来ずに耐えながら、余裕のあるように見せながら言う。

 顔はボコボコだし、体のあちこちの骨にひびが入っている感覚はあるが、それでも倒れるほどまでは追い込まれていない。


「勝手に言ってろ」


 俺の言葉が挑発になったのか、それとも単純に早く決着をつけたくなったのか、不意にセイリオスが連打をやめ、大きく構える。

 雰囲気からすると一発でも当たれば仕留められるような一撃が来るのだろう。今の俺だと勘でどうこうすることも出来ない。だが、俺はこの状況を待っていた。


「それは俺を黙らせるだけの力がないと認めるってことか? 勝手にしろってのはそういうことだろ」


 そう言った瞬間、セイリオスの拳が放たれた。


 だが、問題は無い。

 俺は顔面に向けて放たれたセイリオスの拳を首を振って紙一重で躱す。

 そして今の・・俺に躱されたことを驚き、目を丸くするセイリオスの腹に前蹴りを叩き込み、突き飛ばした。


「ああ、そうか、そういうことか。なるほど、今の方が賢いんだったな」


 間合いが開き、俺とセイリオスの間に距離ができる。

 そんな中セイリオスはすぐに俺が何かを察したようだった。


「小賢しく僕の動きを読んで、筋書き通りに誘導したということかな。反応は鈍っていても、予めどこに攻撃が来るか予測ができていれば容易く躱せるわけだしな」


 セイリオスの推測は当たっていた。

 勘やら反応が鈍っている今の状態の俺だと、セイリオスの攻撃に咄嗟に対処するのは難しい。

 だが、咄嗟の動きが鈍かろうが、そんなものは事前に相手の攻撃がどこに来るか予測できていれば充分に補える。咄嗟に反応するよりも予め予測していた動きをなぞる方が速いからだ。


「今の方が戦闘巧者と言って良いんだろうね。でも巧いだけ僕が倒せると思っているなら――」


 セイリオスの姿が消える。やはり、勘やら反射神経だけでどうにかできる速さではないし認識が間に合わない。だが――


「一度死んで出直した方が良いな」


 セイリオスの声が真横からする。しかし、これは違う。

 これは俺の真横に移動して声を発しているだけだ、俺に動きを読まれたくないから行動に偽装をかけているだけだ。

 俺が声につられて横を見た瞬間に、真正面に移動して俺に攻撃するつもりだったのだろう。


 俺はそう予測して真正面に〈ファイア・ボール〉の魔法を放つ。

 なけなしの魔力を振り絞って放った小さな火球を俺は自分の体の正面に浮かせ――


 次の瞬間、その火球が炸裂した。


 俺が何かしたわけじゃない。何かしたのはセイリオスだ。

 セイリオスが全速力で俺の作った火球にぶつかったんだろう。

 足が止まったセイリオスの姿が見える。


 普通ならば、この瞬間に反撃に出れば良いんだろうが、セイリオスもそれを待っている気がする。

 俺が意気揚々と反撃に打って出た瞬間、セイリオスは俺にカウンターを叩き込んでくるだろう。

 なので、俺は足が止まったセイリオスに背を向けて走り出す。

 まともに戦ったところで叩き潰されるだけの結末しか見えない以上、まともに戦ってなどはいられない。


 魔力が残っていれば多少マシな戦いができていただろうが、聖騎士どもと戦った時に魔力を消費してしまったのが痛い。使えるのは回復魔法が一回か二回といったところだろうか、これでセイリオスを何とかしないといけないわけだが、どうしたものか。


 修道院の廊下を走る俺は後ろを振り返る。セイリオスが全速力で追いかけてくるような気配はない。

 慎重になっているのか、それとも体力が尽き始めているのか。


 いくらセイリオスが強いと言ったって無敵というわけじゃない。

 よくよく考えてみれば、今の状態になる前の俺の攻撃も散々食らっていた。

 本当に実力差があれば俺の攻撃を捌くことも余裕のはずなのにだ。


 思うにセイリオスに対人戦の経験が殆どない。

 あったとしても、鍛え上げたと思しき身体能力で一発か二発殴るだけで決着がつくような相手にだろう。

 攻撃に関して様々な技が使えるのは自分が一方的に仕掛けられる相手に練習を重ねたからで、反撃してくるような相手はろくにいなかったに違いない。そのせいで守りに関しては習熟されていない。

 そう仮定すれば、それ相応にやりようはある。


「おいおい、逃げるなよ」


 遠くからセイリオスが俺を呼ぶ声がするが気を取られるのは良くない。

 どうせ、俺の反応を見たいがために言っているだけだ。

 俺はセイリオスの姿が見えないことを確認して、廊下に並ぶ幾つか扉の中から適当な部屋に入ると、扉を閉めて隠れる。


「かくれんぼはやめてくれよ。お互いそういう歳じゃないだろ? お前の姿が見えないと僕はお前の女を追わなきゃならなくなるぞ?」


 声が聞こえてくるが今は無視して息を殺し、気配も殺す。

 セイリオスの気配は部屋の外の廊下にあり、時折立ち止まっては扉を開けて中を確認しているようだ。

 必要に迫られなかったせいか、奴は気配を読む能力で俺に劣っているようだ。もっとも俺の方も勘が鈍っている今の状態だと極端に鋭いわけではないが、セイリオスには負けてはいない。


「おいおい、本当にエリアナ達を追いかけなきゃならなくなるぞ?」


 セイリオスの声がするが、言っていることは嘘だ。奴はエリアナ達を追いかけることはできない。俺に背後を晒す危険があるうちは、そんな判断はしづらいはずだ。


 ほどなくしてセイリオスが俺のいる部屋の扉の前に辿り着き、扉に手をかけ開こうとする。

 流石に部屋の中まで見られたら、気配を隠すことは無理だ。なので、俺は――


「いい加減に真正面から戦ってほしいんだが――」


 扉が開かれようとした、その瞬間、俺が扉を内側から蹴破った。

 警戒をしていたのだろうが、それでも奇襲を仕掛けてきたのは予想外だったのか俺が蹴破った扉とそこから飛び出た俺の足をセイリオスはまともに食らう。


 真正面から戦えば、動きを見切られるんだから、こうやって奇襲を仕掛けて、常にセイリオスが防御しづらい状況を作る。そんなに守りが上手いというわけではないセイリオスならば、いつかは俺の攻撃を食らうはずだと思ったが、いきなり成功するとは思わなかった。


「小賢しいな」


 声が聞こえるが俺は無視する。追撃はしない。したところで、俺が反撃されてダメージが増えるだけだ。

 一発攻撃が当たったら逃げる。体力も魔力も切れて満身創痍の俺はそういう戦法を取る他ない。

 俺はセイリオスに背を向けると、部屋の窓から外へ飛び出る。


 ――と言っても、数階の高さがあるので馬鹿正直に飛び降りるなどということはしない。

 俺は窓から外へ出ると、そこから修道院の外壁に張り付き、窓枠のすぐ横に身を隠す。


「チッ」


 舌打ちが聞こえ、セイリオスが俺の姿を確認するために窓から顔を出す。

 窓のすぐ横の壁に張り付いた俺は、セイリオスの顔が窓から出た瞬間、その顔を蹴り飛ばす。

 修道院の外壁を手で掴んで張り付いている状態なのでたいした威力は出せないが、それでもセイリオスの頭が大きく揺れ、顔が窓の外から部屋の中へと引っ込んだ。


 セイリオスがダメージを受けたと感じたので俺は即座に壁をよじ登り、上の階へと窓の外から侵入する。


「逃げるなよ」


 俺が窓から部屋に侵入してすぐにセイリオスの声がする。

 普通に追いかけてきたのではないことはすぐに分かる。なにせ、俺が部屋に入ってきた窓から声がするのだから。

 セイリオスは俺が通って来たのと同じ、壁をよじ登ってくるルートで俺の今いる部屋までやってくるつもりなのだろう。

 普通に追いかけたのであれば上の階までくる間に俺の姿を見失うので、絶対に俺を見失わないためにショートカットをして可能な限り早く俺の姿を視界にいれたいんだろう。そういうやり方も悪くないが――


 俺は壁を這い上がって、窓から顔を出したセイリオスの顔面に蹴りを叩き込んだ。


 そんな状態では防ぐことも出来ずにセイリオスは俺の蹴りをまともに食らう。

 だが、壁を掴む手はビクともせずに、俺の蹴りを食らいながらも窓枠を掴んで体を持ち上げ、部屋の中へと入りこむ。やはり耐久力も並じゃないようだ。

 俺はセイリオスが部屋の中へ入り込むと同時に再びセイリオスに背を向けて走り出す。


「どこまで逃げる気だ?」


 セイリオスが走って俺を追いかけようとする気配がする。

 俺は部屋を出るなり、すぐさま曲がるふりをして部屋の出口のすぐ横にしゃがみ込んで隠れる。

 すぐに俺を追いかけようとしたセイリオスが部屋の出口から駆け出てきた。


 その瞬間、俺はしゃがみ込んだ状態から走り出しているセイリオスに足をひっかけ転ばせる。

 部屋の中から出るまで、俺の姿は死角になっているのでセイリオスには見えないとは思っていたが、こうも上手く引っかかるとは思わなかった。

 こういう戦いは経験したことがないんだろう、それとも真正面からの戦いにこだわり過ぎているせいだろうか、どうにも小細工に弱いようだ。


 俺は足を取られて膝をつくセイリオスに顔面を蹴り上げる。

 だが、追撃はせずにその一発を与えただけで再びセイリオスから距離を取るために走り出す。

 走って向かう先は、ここより上の階だ。セイリオスの耐久力ならさっきの一発もたいした痛手にはならないだろうからすぐに追いかけてくるだろう。


「正面から男らしく戦う気はないのか?」


 背後からセイリオスの声が聞こえてくるが無視して、俺は階段を駆け上がり上の階へと向かう。

 この修道院に到着した時の外観からすると最上階が七階くらいだったろう。そして今いる階が五階か六階のはずだ。この修道院がどういう目的の場所であり、それくらいの高さがあれば、上の階は――


 俺は後ろを振り返り、セイリオスが追ってこないかを確認する。

 セイリオスの姿は見えないが追いかけてくる気配はする。俺は適当な部屋に入ると、部屋の調度品を持ち出し、セイリオスが駆け上ってくるであろう、階段の上で待ち構える。


「そこにいたかアロルド。いい加減、追いかけっこは――」


 セイリオスが何やら言っているが、俺はそれを無視して調度品を投げつける。最初はツボで次に椅子、そしてテーブルだ。

 当たったところでセイリオスにはダメージなど何一つないだろうが、別にダメージなどはどうでもいい。


「こんなくだらないことをしてどうするんだ?」


 そんな風に余裕ぶったセイリオスに向けて俺は水の入った瓶を投げつけた。

 避ける必要もないセイリオスはそれを手で叩き割るが、中身までは気が付かなかったのか瓶の中身を被り全身が水に濡れる。


「くだらないと侮った結果がそのザマか?」


 俺は捨て台詞を吐いて、セイリオスに背を向け逃げ出す。

 この程度で怒りはしないだろうが不機嫌にはなるだろう。機嫌が変われば、それは行動に出るわけで――


 俺は全速力で距離を詰めて飛び蹴りを放ってきたセイリオスを躱した。


 普通に戦っていて唐突に出されたら躱すことなど不可能な攻撃だが、予め攻撃が来そうなことが分かっていればギリギリで避けられる。


「俺も今の方が戦いやすいな」


 俺は躱すと同時にセイリオスの服を掴み、すぐそばの壁にセイリオスの体を正面から叩きつける。

 そして、セイリオスの後頭部に拳を振り下ろした。


「お前のようなカスに俺が負けるかよ」


 俺はセイリオスに拳を叩き込むと、捨て台詞を吐き、その場を離れる。

 結構強く入ったが、これで沈むような奴じゃない。多少のダメージを与えたからと言って優位を確信し、正面から殴り合いでもすれば、すぐに俺がやられる。

 勝つにはまともに戦わないという意識が必要だ。だから俺はこうやって逃げている。


 俺は背後からセイリオスが追いかけてくることを警戒しながら更に上へと昇っていく。そしてついに最上階へとたどり着いた。


 身分の高い人間が余生を過ごすための場所であるから景観を重視していると思い来てみたら、修道院の最上階は俺の思った通り、大きな窓がつけられ外の景色を眺めることができる展望台のような構造になっていた。

 部屋は無く一つのフロアがあるだけで、窓の外には王都とその周辺が見える。

 王族やらはここで自分が過ごした王都を眺めながら人生の終わりを迎えるんだろう。だが、俺はまだ終わりを迎える時じゃない。


 今は夕日が外を赤く染めている。余生を過ごす人間はそれを見て何か思うことがあるんだろうが、俺はまだこれからだ。どうせ明日も同じ夕日と夕暮れを見ることになるのに何か思う必要もない。

 それよりも、セイリオスを何とかする方法を考える方が重要だ。とりあえず、ここにあるもので罠を張るとして。そうして辺りを見回そうとした瞬間だった。


 フロアの床が砕けて下の階から何かが飛び出してきたのは――


 床を突き破ってきた、その人影は俺に向かって一瞬で距離を詰めると俺の顔面に拳を叩き込んだ。

 突然の衝撃に動きが止まる俺の右膝を蹴りつけ、そいつは続けざまに俺の顎を拳でかち上げる。


「最上階にはこのフロアしかないことくらいは承知の上なんだ」


 現れた人影はセイリオスだった。

 セイリオスは下の階から天井を突き破って、このフロアまでやってきたのだろう。


「袋のネズミとはこのことだと思うが、アロルドはどう思う?」


 俺は口を開こうとする。だが、それよりも早くセイリオスの拳が俺の腹にえぐりこまれる。


「僕が聞いているんだから答えてくれよ。さっきまで調子よく喋っていただろう?」


 体が折れ曲がり頭が下がった俺の頭を掴みセイリオスが膝蹴りを叩き込む。

 意識が吹き飛びそうになるが、俺はギリギリで堪えて、反撃の拳を放つ。だが――


「お前のような雑魚が僕に勝てるわけがないだろう?」


 セイリオスは上体を反らして俺の攻撃を躱すと、上体を反らした反動を活かして即座に反撃の拳を俺に向けて放つ。


 鼻先を叩く左のジャブ。

 顎へ向けての右フック。

 肝臓を狙った左のボディフック。

 顎を打ち抜く右ストレート。

 鳩尾をえぐる左のボディアッパー。

 こめかみを砕く右フック。


 反応が間に合わず、避けることも防ぐことも出来ないまま、俺はセイリオスの拳を受け続ける。

 罠や小細工を用意できなければこんなものだ。真正面から戦えば今の状態の俺ではセイリオスとはまともに戦えない。殴られ続ける俺はだんだんと部屋の中央付近から窓際に追い詰められていく。


 予定では小細工を準備して上手く戦うつもりだったが、セイリオスが床を突き破っていきなり現れてしまったので予定が狂った。これではまともに反撃は出来ないだろう。だが――


 好都合だ。


 こめかみを砕く右フック。

 顎を割る左フック。

 そして、僅かに踏み込んでの顎をかち上げる右アッパー。


 僅かな踏み込みと一瞬の目標調整の隙を経て、それが放たれようした瞬間、俺はセイリオスの拳が放たれるより速くセイリオスに組み付いた。

 体力が続く限り切れ目なく殴り続けていられる人間などは存在しない。

 どんなにコンビネーションを組んで攻撃しようが、タイミングの狂いなどで攻撃の最中の息継ぎをして微調整をする必要がある。俺はその瞬間を読んでセイリオスに組み付いたというわけだ。


「煩わしいなぁ」


 組み付かれた状態でセイリオスは俺の腹を叩き続けながら、俺を引き剥がそうとする。

 だが、腕力ならば俺の方が上であり、セイリオスとて簡単に引き剥がすことはできない。


「これでどうするんだ?」


 セイリオスが呆れたような声を発する。奴からすれば時間稼ぎにしか見えないだろうが――


「こうするだけだ」


 窓際に押し込まれていた俺は組み付いた状態からセイリオスと位置を反転させる。それによってセイリオスが窓へ背を向け、俺が窓へと向かう形になる。


「壁際に追い詰めたからって意味は無いな」


 それはそうだろう。この状態でセイリオスを離しても殴る蹴る以外に攻撃の方法は無い。

 今の俺の攻撃はセイリオスには簡単に見切れるのだし、それをしたところで効果などは何一つない。

 だから、俺は別の方法を取る。


 俺は組み付いた状態のままセイリオスを更に窓際に押し込む。

 こうすればだいたい想像はつくわけだが――


「僕をここから突き落とそうってか? それこそ無駄だ」


 ああ、無駄の可能性が高いな。

 最上階は地上七階だが、補正やら何やらがかかって無駄に頑丈な俺達が落ちたところで致命傷になるかどうかは怪しいものだ。致命傷になる可能性は高いが受け身でも取られれば、大怪我で終わる可能性が高い。そして大怪我程度なら回復魔法でなんとかなる可能性も大きい。


「じゃあ試してみるか?」


 俺はそう言って力を込めるが、セイリオスは抵抗するように力を込める。


「お前の思い通りになるのは面白くないな」


 そう言って俺を押し返そうとするセイリオスだが、最初に比べるとだいぶ力が落ちている。

 さんざん体力を消耗したツケがここに出てきたのだろう。そして、そもそもの力では俺の方が勝っている。

 俺が押し負ける道理はない。


「どうした? 負けてるぞ」


「こんな力比べに負けようがたいした問題じゃないな」


 セイリオスはそう言って力を抜く。どうせ落ちたところでたいしたダメージは無いと見切っているんだろう。俺もそう思う。ただし――


 それは一人で落ちた場合だ。


 俺は全身の力を振り絞りセイリオス窓際へ押し込むと、そのままの勢いで共に窓から飛び降りた。


「何をしている?」


「さぁな」


 一緒に飛び降りた俺の意図を図りかねているようだが、セイリオスには危機感がない。慢心しすぎだな。

 そして防御に対する感覚が凄まじく甘い。補正任せでほとんどの攻撃を無効化してきたんだろうから、甘くなっても仕方がないが、それが命取りだ。


 俺は落下しながらも組み付いた状態で右肘をセイリオスの左胸に当て、左膝を腹に押し当てる。

 その瞬間にセイリオスは俺が何をやろうとしているのか理解したんだろう。急に俺の体を引き剥がそうと力を込める。


「一人の人間の全体重がかかった状態で落ちても無事でいられるか?」


「ふざけたことを言うなよ。衝撃はお前にもいくぞ?」


 そりゃあそうだろうな。受け身も取れないし、衝撃やダメージは俺にもあるだろう。


「そこまでする義理があるか?」


「無いが、俺を舐め切ったお前がムカつくというだけで充分だろ?」


 セイリオスは力を込めるが俺を引き剥がせないまま地面へと近づいていく。

 逃げながらセイリオスに攻撃を当て続けの体力を少しでも削って来た。それが、この結果として実を結んだというわけだ。


「自分の強さを過信しすぎだぜ、兄上・・


 それと俺を甘く見過ぎだ。ここまでされて何の反撃も無しで終わる奴だと思ってたのかよ。俺が俺を舐め切ったクソ野郎に思い知らせてやるのに命の一つや二つを惜しむと思ってるなら、とんでもない思い違いだ。


「調子になるなよ、アロルド――」


 確かな怒りの表情を浮かべたセイリオスを視界の端に移しながら、俺は近づく地面を見る。それは、すでに目前まで迫り、次の瞬間――


 体がバラバラになるような衝撃が俺たちを襲った。

 次いで押し当てた俺の右肘がセイリオスの胸骨を粉砕し、胸に突き刺さる。

 更に押し当てた左膝はセイリオスの内臓を破裂させ、腹に突き刺さる。

 落下の速度と俺の全体重をかけたそれらはセイリオスの肉体でも完全に防ぐことはできなかった。


 そして、俺にも落下の衝撃は届く。

 セイリオスの胸に当てていた右肘が砕ける感覚、そして左膝の割れる感覚が俺を襲い、直後に凄まじい激痛が体を駆け抜け、続いて全身を落下の衝撃が襲う。

 想像以上の衝撃と痛みに俺の意識はそこで一旦途切れ――



 ――すぐさま激痛で俺の意識は戻った。


 うぐぐ、マジで痛いんだけど。なんでこんなアホなことやってんだよ、俺は?

 もうヤダ、ほんとヤダ、家帰りてぇよ。家帰って、風呂入ってメシ食って酒飲んで、エリアナさんを見て心を癒すんだ。美人を見れば気分も和むだろうしさ。


 とりあえず立とう。セイリオスを下敷きにしてしまっていたようだけど、別にいいよな。

 ぶっ殺しても良いやっていう気持ちで下敷きにしたわけだし、罪悪感とか全く湧かないなぁ。口から凄い量の血が出てるし、はだけた上着から見えている心臓の辺りが内出血なのか何なのか凄い色してるけど気にしないようにしよう。生きてるかどうかは分かんないけど、正直確認できるような体力がない。

 とりあえずセイリオスは放っておいて、立ち上がらないと――


 そう思って立とうとしたけど、立てなかった。

 まぁ当然だよな、右膝は散々痛めつけられたし、左膝は砕けちゃってるしさ。

 んでもって右腕はどうにもならない感じ? いやぁ骨とか無くなっちゃみたいにグニャグニャなんだよね。

 つーか、痛くて涙が出てきたし気分悪くなってきたんだけど。これ興奮状態だからまだマシなのかもしれないけど素面だったら意識飛んでると思うぜ、絶対にさ。


 とにもかくにもこれじゃ、どうしようないから残りの魔力を全部使って回復魔法で治して――


 そう思った瞬間、俺は気配がして咄嗟に左腕を上げた。

 そしてその直後、左腕に蹴りを受け、その衝撃で俺の腕が折れる。

 俺は衝撃を受け吹っ飛ばされるも、すぐに身を起こし、俺に蹴りを入れた奴の姿を確認すると――


「もういい、もうどうでもいい。この先のことなど知ったことか」


 口から大量の血を流したセイリオスが立っていた。

 セイリオスははだけた上着の前に手をかけると、服のボタンを一つずつ外し、上着の前を完全に開ける。


「本気だ。本気で殺してやるよ、アロルド」


 血が流れる口元が微笑で歪み、目を爛々と輝かせたセイリオスから強い殺気が放たれている。


 いやさぁ、もうこの辺りでやめてくれませんかね。俺も全身ボロボロだし、そっちもボロボロじゃん。

 俺が悪いっていうなら、俺の方が謝るから許してくんないかな。許してくれないとさ――


「俺も本気でお前を殺さなきゃならなくなるぞ、セイリオス」


 腕はどうにもならないので左膝にだけ回復魔法をかけ、とりあえず立てる程度には体を治す。

 腕はどうしようもないけど、これに関してはどうにもならないかな。魔力が切れて治せないしさ。

 でもまぁ、そんなに問題にはなんないかも。だってさ――


「そこまでだ!」


 修道院の周りに結構な大人数の気配がしているわけだし、俺が無理して戦わなくても良いんじゃないかな。


「双方、武器を引け!」


 武器も何も素手で戦っていたんですけどね。

 まぁ、そういうのは彼らは知らないだろうし、難癖つけてもしかたないよね。

 この、ようやくやって来たって感じの俺達二人を取り囲むウーゼル殿下と、そのお供の人たちにはさ。


「ウーゼル……」


 セイリオスが凄い顔で俺達を取り囲んでいるウーゼル殿下達を睨んでいるけど、そういうのは良くないと思うぜ。

 どういう理由で偉いのかは知らないけどウーゼル殿下は偉いらしいし、仲良くしなきゃな。でないと、俺達を取り囲んでいる奴らにぶっ殺されてしまうと思うんだけど、どうなんだろうね。


 あ、俺はウーゼル殿下と友達だからぶっ殺される心配はないかな。

 俺は疲れたしセイリオスに関しては成り行きを見守っていたいんだけど、大丈夫だろうかね?

 大丈夫であって欲しいなぁ、正直このままやると俺死にそうだし、できるならば少しでも時間を稼いで欲しいもんだ。










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