26話 手紙のあれこれ
多忙なアビゲイルのもとには、数多くの手紙が届く。
その中のひとつに目を留めた。
「ダレルからだわ、久しぶりね」
義弟のダレルは、両親の色を瞳に宿さなかったせいで出自を疑われ、次期ハウエル侯爵の地位が危ういものとなっていた。
相談を受けたアビゲイルは、家内で権力を握る祖父母や、祖父母の言いなりである父を黙らせる、貴族のルールを逆手に取った強行作戦を伝授する。
それからは、文句のつけようがない結婚相手を探すため、ダレルは熱心に婚活をしていたはずだ。
「もしかして、ついに見つかったのかしら?」
ペーパーナイフで封を切り、中から便せんを取り出す。
あらわれた流麗な字は、ダレルのこれまでの努力の跡をうかがわせた。
そしてその中から、アビゲイルは以下の一文を見つける。
『ようやく先方の親族の許可が下り、このたびめでたく、愛する人と婚約する運びになりました』
こてんと首をかしげる。
「愛する人? ハウエル侯爵家よりも、格上の令嬢じゃなくて?」
うっかり婚活中に、本命ができてしまったのだろうか。
それでダレルが幸せならば、なんの問題もない。
「爵位よりもいいものを、見つけたのね」
ふふ、と微笑ましく思っていたアビゲイルだったが、続く文章にひっくり返る。
『つきましては近々、二人で義姉さんに挨拶をしに行きます。前回の反省を踏まえ、庶民に変装する予定ですが、シャノンのロイヤルオーラは隠しがたく――』
シャノン――それは、ホロウェイ王国の第一王女の名前だ。
若くして他国へ嫁いだものの、一か月もしない内に夫が先立ち、結局ホロウェイ王国へ戻ってきた。
王族でありながら腫れ物のように扱われ、行き遅れと言われる年齢になっても、婚姻が一向に決まらなかった悲劇のヒロインを、ダレルは敬称もつけず親しげに綴っている。
「ど、ど、どういうこと!? 祖父母や父が口を挟めないような令嬢と縁を結べとは言ったけど、王族を狙えとは言ってないわよ!」
ハウエル侯爵家は、侯爵位の中でも下の方だ。
もっと上の方の侯爵位や、頑張って公爵位の令嬢と、縁を結べたらいいと思っていた。
それなのにダレルは、自分よりも4歳年上の王女シャノンを、射止めてしまったらしい。
「ダレル、恐ろしい子……!」
手紙に書かれている『先方の親族』とは、シャノンの父である国王を含む『王族』だろう。
そんな王家公認の婚約をしたふたりが、この港町へお忍びでやってくるという。
「こうしてはいられないわ!」
アビゲイルは飛び上がると、迎える準備をするため、慌てて自室から出て行った。
そのときに、膝から滑り落ちた手紙の束の中に、見なれぬ差出人名があった。
『ミストラル帝国グラニエ侯爵家 ソランジェ』
アビゲイルへ届いた手紙を仕分けした事務員も、かなり迷った末に、これを私的なものだと判断した。
だが、その重要度が分からず、一番下に置いてしまったのだ。
結果として、アビゲイルはダレルの手紙に衝撃を受けて、ほかの手紙を開封するのが遅れる。
こうして、ソランジェが出した一通目の便りは、しばらく見逃されてしまった。
◇◆◇◆
「申し訳ありません、ジスランさま。まだアビゲイルさんからの、返事がないんです」
ソランジェはモンテスキュー公爵家を訪れ、ジスランへ経過報告をしていた。
警備兵に話の内容を聞かれないよう、ソランジェはそれとなくジスランへ身を寄せている。
「そうか。……警戒されているのかもしれない」
「諦めずにもう一度、出してみますわ」
気落ちするジスランに、ソランジェは話題を変えた。
「そういえばロッティちゃんは最近、どんなことを教わっているんですか?」
「ダンスの練習をしている。座学をさせるより、体を動かすほうがロッティ向きだと、ようやく家庭教師も気づいたみたいで――」
ジスランたちが話し始めると、リュシーはそれとなく席を外す。
見張りの警備兵も、なるべく遠目から観察し、いい雰囲気の邪魔をしないように気をつけた。
それくらい、どこからどう見てもジスランとソランジェは、愛を語らう恋人同士だった。
(こうした時間の積み重ねで、ジスランさまの警戒心が解けて、私への親近感が増してくるはずよ)
アビゲイルからの返事が届かないのは本当だが、しばらくないほうがいいかもしれない。
(この関係があっさり終わってしまうのは、惜しいもの)
ソランジェはしばらく、ジスランが語るロッティの話に耳を傾け、相槌を打つ役に徹した。
男性というのは、大人しくて従順な女性を好むものだ。
(いくらでも演じてみせるわ。それでジスランさまが、手に入るのならば――)
ソランジェはフレデリクとの婚約に、乗り気ではなかった。
7つも年が離れていたし、舞踏会でこっそり垣間見た容姿は、男性にしては線が細すぎるように思えたからだ。
それでも、フレデリクの持つ次期モンテスキュー公爵という肩書は、魅力的だった。
結局、ソランジェはそれらを天秤にかけて、自分の未来の安泰を選んだのだ。
(悩んだ末に、婚約を了承したのに……まさかこの私が、振られるとはね)
男爵令嬢ごときに負けたのが信じられず、ソランジェは大きなショックを受けた。
それをジスランに慰められるうちに恋心が育ったが、残念なことに、当時のジスランが継承するのは伯爵位だった。
(すべてが申し分のないジスランさまの、唯一の欠点だったのよ)
だがそれも、今となっては解消された。
次期モンテスキュー公爵という肩書は、ジスランのものだ。
ソランジェはピンク色の瞳を潤ませ、目の前にいるジスランに、熱い視線を送り続ける。
(私の心を、はやく受け止めて。ジスランさまのたくましい腕に抱き締められたら、きっと昇天するほど幸せでしょうね)
しかし、アビゲイルへの想いも無自覚なジスランが、ソランジェの恋の駆け引きに気づくことはなかった。
◇◆◇◆
「次から次に、なんなのよ!」
アビゲイルは『昼と夜』の店の前に現れた、豪奢な馬車にむかって怒鳴りつける。
(こっちは隊員さん達と連日、シャノン王女殿下とダレルが訪問した時の、厳戒警備態勢の訓練で手一杯っていうのに!)
明らかに貴族のものとわかる馬車には、見覚えがありすぎる家紋がついていた。
ドンドンドン、とアビゲイルは容赦なくその扉を叩く。
「出てきなさい、マライア!」
「嫌よ、こんな空気の悪いとこ。お義姉ちゃんが馬車に乗ってよ!」
義母のヘレンがそうするように、義妹のマライアもアビゲイルに対して高圧的だ。
今もなお、絶対に従わないという、強い意志が声に感じられる。
(いつもならば隊員さんを呼んで、営業妨害として立ち退かせるけど……)
さきほどまで、一緒に訓練をしていたのだ。
やっと休憩時間になったのに、彼らを私事で煩わせるのは気が引ける。
肩を落とし、アビゲイルは諦めて馬車の扉を開いた。
「早くしてちょうだい!」
真っ赤な布でおおわれた座席には、行儀悪く足を組んだマライアが、横柄にふんぞり返っていた。
父のオーガストに似た亜麻色の髪と、義母のヘレンに似た金色の瞳。
それだけでマライアは、血筋の正統性を認められている。
ダレルのような努力をしなくても済んだせいで、すっかり甘ったれに育ってしまった。
「はあ……」
言い争うのも面倒になり、アビゲイルはしぶしぶ乗車して腰かける。
それを確認した御者が、手綱を打って馬を走らせた。
迷惑駐車をしていた馬車が、店舗の前から移動してくれただけで安堵する。
「それで、どこへ向かうの?」
「今からする話を、誰にも聞かれたくないの。だから終わるまで、適当にその辺を走るように命じたわ」
マライアが肩にかかった髪を、手でぱっと払う。
あらわれた耳たぶには、以前アビゲイルから奪った、銀のイヤリングが光っていた。
それを見て、アビゲイルが呆れたように目を細める。
「マライアも16歳になったのだから、もっと大人っぽいイヤリングにしたら? 私がそれをつけていたのは、たしか13歳の――」
「っ……! これは、あえてつけてきたのよ! お義姉ちゃんが私より、下だって分からせるために!」
憤慨するマライアの顔は、真っ赤だった。
(図星だから怒ってる、って言っているも同然ね)
6歳のマライアが、だだをこねてアビゲイルのイヤリングを欲しがった日のことが、鮮明に思い出される。
最終的には、義母のヘレンがアビゲイルからイヤリングを取り上げて、マライアに与えた。
よくない成功体験を最初にしてしまったせいで、それからマライアは何かにつけ、アビゲイルの持ち物をねだるようになってしまったのだ。
「私から奪ったほかの品は、どうか知らないけれど、その銀のイヤリングだけは、本当に気に入ってるみたいね」
「だから、違うってば! 私もあと2年で成人するのよ。年齢にふさわしいイヤリングのほうが、好きに決まってるでしょ!」
右手でしきりにイヤリングをいじるが、外そうとはしない。
そしてごまかすように、マライアは唐突に話を変えた。
「お兄ちゃんと、こそこそ隠れて文通してるって、知ってるのよ!」
「ああ、それで私の居場所がわかったのね」
おそらく、ダレルがアビゲイルへ出そうとした手紙の、宛先の住所を盗み見たのだろう。
すぐに癇癪を起すマライアの行いを、たしなめられる使用人はハウエル侯爵家にはいない。
「爵位を継げないかもしれないって悩んでたお兄ちゃんが、ある日、いきなり婚活を始めたわ。そして、いつのまにか王女さまと仲良くなっていた」
マライアは、じとっとした目をアビゲイルへ向ける。
「お兄ちゃんが王女さまと婚約するって宣言したときは、おじいさまもおばあさまも、腰を抜かして驚いたわ」
「いい気味ね!」
「王女さまが降嫁してくるのに、お兄ちゃんに爵位がないのは体裁が悪い。お兄ちゃんは婚約のおかげで、次期ハウエル侯爵の地位を確固たるものにした……こうなるように、お義姉ちゃんが入れ知恵したんでしょ?」
身分やしきたりを重んじる祖父母が、王族という権力の頂点に、ひれ伏さないはずがない。
男児を生まない役立たず、とアビゲイルの母を罵倒していた祖父母に、まんまと一泡吹かせてやれた。
(亡くなった母もこれで少し、胸のすく思いがしたかしら)
アビゲイルの唇がゆるやかな弧を描く。
しかし、そこから続くマライアの論理は突飛すぎた。
「傍系に奪われそうだった爵位も戻ってきて、私たち家族の将来は盤石になったのだから、私が誰と結婚しようが構わないわよね?」
「どういう意味? マライアには、結婚したい相手がいるってこと?」
「実はね……私を『お姫さま』って崇めてくれる、ハンサムな騎士がいるの!」
それからマライアは、その騎士が子爵家の三男で年齢は20歳だとか、お茶会と偽って家を抜け出し毎週デートをしているとか、両親が聞いたら卒倒しそうなことを、ぺらぺらとアビゲイルへ話して聞かせる。
「だけどお兄ちゃんに、手を繋いでるところを見つかって……恋人をつくるのは早いって、叱られちゃった。ねえ、お兄ちゃんはお義姉ちゃんに助けてもらったから、頭が上がらないのよね? なんとかお兄ちゃんを説得してよ!」
とんだとばっちりがアビゲイルへ飛んできた。




