58冊目 読書中の淑女と裏社会からの来訪者
「おい。この状況でなぜ本を読み続ける」
私が無言で本を読んでいると、男は不機嫌な声を掛けてくる。
それに対して、私もまた不機嫌な顔を男に向けた。
「名前を呼ばれたから顔を上げただけで、特に用事もなさそうだったので」
「ふつうは名前を呼ばれたら用があるとは思うだろうが」
「そうですか? 呼んでみただけ……みたいなやりとりあるじゃないですか」
まぁこの男に関しては、そんなワケないと思うけど。
でも、こちらとしてはこの男に用はないのだ。正直、関わり合いになどなりたくもない。
「なんであれ、せっかくの読書の時間……邪魔しないで貰えます?
それとも、私の読書時間を邪魔するだけの価値ある話でもしてくれるんですか?」
男は不機嫌そうな顔をますます不機嫌そうに顰める。
直感的に、こいつは最終的に暴力を用いることに躊躇いがないタイプだ――と、感じた。
しかし、そうなると場所が悪い。
テラスでなければ、やりとりの声で他の司書さんが聞きつけて助けてくれそうだけど。
……いや、その場合は、向こうの要求の為に、司書さんたちが変に人質にされる可能性もあるんだよな……。
そう考えるとまぁ、テラスであれば暴力沙汰になっても傷つく本が少ないし、巻き込まれる司書さんも少なく済む……というのは救いかもしれない。
だけど、私一人で対応するのは大変なのは間違いない。
「価値があるかは知らん。だが、そんな子供だましを読む時間よりはマシだろうよ」
男が不機嫌そうに言う。
ああ――こいつは、本を内容によって軽視するタイプか。
「一つ確認したいんだけど」
「なんだ?」
「お前、交渉とかしにきたの? それともケンカ売りにきた?」
どっちも大差はない。
見た目も雰囲気も、真っ当なヤツじゃなさそうだからね。
答えられた内容によって、時間稼ぎの手段を変えるだけだ。
エフェ――は、時間的に期待できないけど、他の誰かが助けにきてくれることを期待しつつ、戦闘になった場合どうするか……も、考えておかないと。
……そう思っていたんだけど、男の答えは何とも言えないものだった。
「さて、どちらかと言われると難しいな。
協力者からは秘奥を手に入れろと言われているし、個人的にはライブラリア……というよりも密約三同盟を、ひいてはこの国を壊したいからな」
こいつの協力者の正体は分かりやすい。
ビブラテス家――あるいは、ディモス個人が協力者だろう。
でもそんなことより……こいつの目的が最悪だ。
この国を壊したいということは、王立図書館も、ライブラリア領書邸も……さらにはビブラテス家所有の図書館も壊すということだ。
協力者などと言っているが、この男が素直に協力者の意向に従うとは思えない。最終的にはビブラテス領もめちゃくちゃにする気だろう。
それって、ようするに――
「――お前、本と図書館の敵だな?」
「……は?」
ポカンと呆けた顔をする。
だが、すぐに表情を変えて私に理解させるように告げてきた。
「ティベリウムやアーシェイスに対する恨み辛みがあるだけだ。
そいつらに支えられている国も、密約三同盟とか言って調子に乗っているライブラリアも全部ムカつくから潰す。それだけだ」
「やっぱり本と図書館の敵だな」
「話を聞いていたか?」
「聞いてる聞いてる。聞いた上で敵だなって思っただけ」
理由は知らんけど、個人的な恨みを国にぶつけたくて、国を壊すとか言ってるワケだ。
それはつまり、図書館の損失に他ならない。やっぱりこいつは敵だな。うん。
「その本と図書館の敵であるお前が、なんでわざわざ私に声を掛けてきた?」
「さっき言っただろ。協力者がライブラリアの秘奥とやらを知りたがっているんだよ」
「生憎、うちにそっちが考えているような秘密ってのは無いよ。協力者さんとやらが、何を思っているのか知らないけどね。
私が何を言ったところで、信じてはくれないだろうけど。お前も、協力者さんとやらも」
これみよがしに嘆息してから、私は男を睨みつつ訪ねる。
「考えてみたら分からなくなったから聞くけど、どうしたら納得して引いてくれるの?」
「……そうだな。無いと言われて素直にその言葉を持って帰っても協力者は怒りそうだ」
まぁそうなんだよね。
「その協力者ってやつが自分から来て聞いて確認した上で、それが自分の望むモノでなければ納得しないワケだろ?
じゃあ、お前がこの場で私に話しかけた意味がないな。私の貴重な読書時間を、無意味で無価値な時間で浪費させてくれてありがとう。とっとと帰れ」
この男はこの男で潰しておく必要はあるが、今現状の私しかこの場にいない状況ではどうにもならない。
素直にこいつが帰ってくれるなら、急いで館長である爺さんや、ケルシルト様とかに相談したいところだ。
最悪、相談相手はティーナさんでもいい。
とにかく一人でいるのは危険だ。
その上で、荒事に馴れて無さそうな人を巻き込みたくはない。
「……冷静な女だな。口では悪し様に言っているが、状況を冷静に分析し、自分が逃げたり助けを求めるのに必要な状況になるよう会話を誘導しているようにも思える」
クソ。
面倒くせぇ。
そういうのを見抜いてくるやつが一番面倒だ。
「ライブラリアは今、腑抜けの当主と、ワガママ三昧の馬鹿女が牛耳ってるんだったか。
なら、今もなお正しく貴族として生活できているのは、お前が裏で駆けずり回ってるおかげではないかと、お前を見ていると感じるな」
……最悪だ。
本当に、最悪だ。
こいつは、今の状況でライブラリアを潰す為の最適解をすでに得ている。
「その腑抜けと馬鹿女が、秘奥なんてモノを知ってると?」
私を殺せば情報は得れないぞ――とふっかけたつもりだったんだけど、男はくつくつと員内に笑って告げた。
「秘奥なんてモノはないんだろう?」
「…………」
ここへ来て、最初の言葉が裏目ったか。
生き延びる為に、秘奥はある――と口にするのも危険だな。
それを聞ければ十分だ――とばかりに、攻撃してくる可能性が高すぎる。
……となると、そもそもの会話自体が茶番だったワケか。
「ハナから殺る気かよ」
「そうでもないぞ。お前が気の弱い文学少女でいてくれたなら、もっとスマートだった」
「ハッ、言っとけ。それならそれで情報を得たあと、誘拐して売り飛ばす算段もあったんだろうがよ」
「意外と裏社会のやり方を理解しているんだな」
「清らかなままじゃあ貴族家当主なんぞ出来ないからな。清濁併せ飲んでナンボだよ」
厄介だな。
裏社会のやり手って感じのこいつと、付け焼き刃でしかない私の戦闘技能でやりあうのは危なすぎる。
どうしたものかと考えていると、男はぶつぶつと何か言い始めた。
「清濁併せ飲む……ね。それだよ。そう! そうであるべきだ。
なら、おれが追い出された理由がわからねぇ!」
「……あ?」
急になんだこいつ。
私の言葉がトラウマでも刺激したのか?
「意味分からん。なんで急に怒りだしてるんだよお前」
「お前と話をしてたら、押さえてた怒りが溢れてきただけだッ! おれはちょっとクソ女に引っかかって駆け落ち感覚で家を出たのにその女に捨てられたんだ。
その可哀想なおれが、家に帰れば、妻の父親からぶん殴られ剣を向けられ、敷地を跨いだら殺すとまで脅された!」
「いやだいぶクソだろお前」
妻がいる身で、クソ女に引っかかって駆け落ちとか、貴族とかどうこう以前に、男としていや人間としてふつうにクソだろ。
しかも相手に捨てられてすごすご帰ってきた自分を『可哀想なおれ』と称するツラの皮の厚さやばい。
「実家に帰れば、婿養子で行った先に迷惑を掛けた挙げ句に、妻が寝込んで病死した原因はお前だと言われ、向こうの家に申し訳が立たないとか意味不明な理由で門前払いだ!」
「真っ当な理由過ぎてむしろ納得しかないだろ」
そうか。
こいつの奥さん、浮気駆け落ちがショックで寝込んで女神の御座へ行ったのか。
そりゃあ、奥さんのお父さんはブチ切れるわ。
しかも婿養子だったんだから、両家のメンツの話も関わってくる。
「貴族は清濁合わせ持つんだろ! おれみたいな濁りも飲み下せよ!」
「飲んだらお腹を壊すどころかそのまま女神の元へ還りかねない危ない汚泥はさすがに飲めないだろ」
しかも元貴族かよこいつ。
そりゃあ、無理だ。どっちの家も、こいつを迎え入れるワケがない。
「お前もやはりおれを馬鹿にするんだな」
「馬鹿にしてるというか馬鹿を相手にしたくない――が正しいな」
なんかフーシアの魔法人格に似てなくもないけど、こいつも覚醒してたりするのか?
いや……なんか、フーシアとはちょっと空気が違うというか、こいつってたぶんこれが素な気がするんだよな。
「ああ――やっぱ貴族はロクなもんじゃねぇ……そんな貴族を抱えるこの国もロクなもんじゃねぇ……!
おれに剣を向けたティベリアムのジジイもッ! おれを追い出した実家のアーシェイスもッ! やっぱみんなぶっ壊れるべきだろッ!」
……ああ、わかった。
わかってしまった。
このクソ野郎。ケルシルト様の女嫌いの原因だろッ、絶対!!
「手始めにやっぱライブラリアを潰す!
お前をここで殺してッ、この図書館に火でも付けてやるよ!!」
「やっぱ本と図書館の敵だな、お前」
本を小脇に抱えながら席を立ち、私は椅子に足を掛ける。
「やり合うのはいいが、おれの部下が周囲にいる。合図すれば火を付けるぜ?」
「あまり穏やかじゃない話をしてるな」
勝ち誇ったような男とは別に、テラスの出入り口の方から男性の声が割って入ってきた。
見たことのない人だけど、雰囲気からして冒険者。
恐らくは、観光程度にこの図書館にやってきた人だろう。
「これだけの図書館に火を付けるコトの意味を、おたくってば理解してないな?」
「この国を潰すなら些事だろ?」
「やれやれ」
些事じゃねーよ!
私がイラっとしていると、乱入してきた男は、疲れたように嘆息する。
「オレ、ピオって言うんだ。
うちの奥様がお世話になってるみたいだね。イスカちゃん」
「奥様?」
「ティーナちゃん」
「ああ」
なるほど、このピオって人はティーナさんの旅仲間か。
「有料だけど手を貸そうか?」
「ちゃっかりしてますねぇ」
茶目っ気たっぷりにウィンクをしてくるピオさんに、私はうなずく。
「でも、ここでケチる気はありません。是非ともお力添えして頂きたく」
「承った。ならばこの元騎士であるピオ。この場限りではあるが、お嬢さんの剣となりましょう」
そう言うと、ピオさんは私の前に出て、男と対峙した。
ストックに追いつてしまいましたので毎日更新はここまでとなります
以降は不定期更新となりますが引き続きよしなにお願いします٩( 'ω' )و




