48冊目 父の影(ケルス視点)
「ボス。ボスのお爺さんから、手紙が届いてますよ」
「お祖父様から?」
エピスタンが持ってきた封筒を受け取りながら、思わず眉を顰める。
祖父は俺に当主の座を譲ってからは、領地に引きこもっている。
まぁその領地で、領主代行の家令を手伝ったりしてくれているようなので、ありがたいのは間違いないのだが。
とはいえ、基本的に今の祖父は領地で女を囲いながら隠居しており、俺に対しては放任で、こちらから相談を持ちかけない限りは不干渉。
そんな祖父から、届いた手紙だ。
訝しんでしまうのも無理もないというものだろう。
「領地で何か問題でもあったんですかね?」
「それなら、家令の名で手紙が届くはずだ。わざわざ祖父の名前で送ってくる理由がない」
普段、領地関連で祖父から言いたいことがあるのであれば、家令の手紙の片隅にでも苦言やアドバイスが添えてある。
にもかかわらず、今回は明確に祖父の名前で手紙が送られてきている――ということは、祖父の名前でなければならない理由があるはずだ。
「ともあれ、開けてみるか」
中も読まずに目を眇めていたところで意味がない。
封を切って、中の手紙を取り出し開く。
「…………」
そして、思わず顔を顰めた。
「ボス?」
「一行目の挨拶が、『女囲って隠居するの最高! そっちはどう?』みたいな内容なの、どう思う?」
「あ、あははは……」
エピスタンは思わず笑って誤魔化しているが、苦いモノを隠せていない。
全く。あの人は毎度毎度――
胸中で愚痴を零しながら、手紙を読み進めていく。
いつも以上に軽いノリで書かれた文章ながら、けれども内容は決して軽いモノではなかった。
思わず、手紙を持つ手にチカラが入り、大きく皺になってしまう。
「……ボス?」
このままエピスタンに返事をすると、無意味に当たってしまうような態度になりそうだ。
エピスタンに少し待て――とジェスチャーして、俺は自分の顔を右手で覆う。そのまま大きく深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けた。
「……すまん。少し穏やかに読み進められない内容だった」
「いえ。それほどの緊急の?」
「……いや、緊急性はさほどではない。俺と……俺と祖父の、私的なコトだ」
そう私的なことだ。
個人的なことであり、いわゆるお家問題の話でしかない。
だが、今の俺は――だいぶ心が乱れている。
もしかしたら、ライブラリアを――イスカナディアを巻き込む可能性だってゼロじゃない。
そう思うと、オレの心臓は落ち着いてくれそうになかった。
「なら、オレっちは深入りしない方が良さそうですね」
一歩下がるような事を言うエピスタン。
普段であればそれが正解なのだが、この件に関しては共有しておきたい。
いや共有したいというのは言い訳か。
信用できる誰かに、不安を口にしたいだけかもしれない。
「いや、少し話を聞いて欲しい。
内容は私的なコトではあるが、状況によっては私的なコトで済ませられなくなるかもしれないからな」
「わかりました」
もしかしたら、これが言い訳じみた理由であることくらいはエピスタンは気づいている可能性がある。
それでも、聞く態度になってくれるのはありがたい。
「手紙には、祖父が囲っている女から齎された最悪な情報が記されていた」
「最悪な情報?」
「王都出身のその女は、王都で俺の父に似た男を目撃したそうだ」
「……なんですって?」
「それに関する情報と、それによって思い出した愚痴が綴ってあった」
「気持ちはわかりますけど、愚痴は必要でした?」
「まぁ俺の知らない話も多く混じってたから、そう悪いモノでは無かったと思いたい」
エピスタンはうちの事情をある程度は知っている。
父が愛人と共に失踪に、それが原因で母が病み、母は自らの足で女神の御座への梯を歩んで儚くなったことも。
「ともあれ、父は裏で目撃されていたそうだ。
路地裏とか裏山とかじゃあない。裏社会に身を寄せて生きていたという話だぞ」
「補足しなくても分かりますって。しかし、愛人と駆け落ちしたわりにはロクな生活をされてないようですが……」
「ああ。結局、あの男は愛人に捨てられたらしい。というかその愛人も詐欺師の類いだったのだろうな」
「……ご実家には戻られなかったので?」
当然の疑問ではるのだが、貴族という肩書きはそう温いものではない。
いや――貴族であるかどうか関係なく、浮気相手と駆け落ちして捨てられたから実家に帰ってくるなど、人間としてどうかと思う。
「アーシェイス侯爵家からティベリアム公爵家へと婿入りしておきながら、愛人作って失踪。それが原因で正妻であったティベリアム家の一人娘が病んで女神の御座へ還った。
そんな男を、実家として迎え入れたいと思うか?」
「どのツラ下げて帰ってきた? とか言っちゃいそうですね」
「実際言われて門前払いだったそうだ」
ああ――と、エピスタンは何とも言えない顔をする。
だが、アーシェイス侯爵家の対応は間違っていない。
「そして――俺は知らされてなかったのだが――うちにも顔を出していたそうだ。
ティベリアム公爵家の次期当主が帰ってきたんだからちゃんと迎え入れろ……みたいな態度で」
「ツラの皮……城壁かなにかで出来てるんですかね?」
「同感だ」
「ボスのお爺さんって、ノリが軽くて面白い人でしたけど、明確な線引きがあって、その線を踏み越えるような相手にはとても厳しい人でしたよね?」
「お前が祖父をどう見てたのかは分からないが、想像通りの展開だったのは間違いないと思うぞ。
ふざけるな――と、かなり乱暴に追い返したらしい。剣を抜いたとも、手紙に書いてあった」
「まぁそうなりますよね」
そりゃあ剣も抜くだろう――と、思う。
俺からすれば母を殺したクソ野郎。
祖父からすれば娘を殺したクソ野郎だ。
そして、祖父はそんなクソ野郎に次期当主を任せようとしていた自分自身に怒りが湧いたそうである。
「ついでに、手紙にはその時、うっかり玄関のドアを破壊してしまったとも書いてあるな」
「どれだけ怒り狂ってたんですかね……」
「子供の頃……うっかり勢いで玄関を壊したと、祖父が笑っていた時のコトを思い出したよ。恐らく、その時の原因がこれだったんだろうな」
あの時は、祖父を内心馬鹿にしてしまっていたが、この手紙を読んでしまうと、むしろ馬鹿にしていたことが申し訳なくなってくる。
「ともあれそうして行く当ての無くなった父は、裏社会に身を寄せたのだろう。
身を寄せたというか、堕ちるところまで堕ちただけというか……」
同情など微塵もない。
全てはあの男の自業自得だ。
「ただ裏社会でもお世辞にも評判は良くないらしいがな」
「……評判悪いのに良く生きてられますね」
「仕事に失敗したら、斡旋者のせい、仲間のせい、部下のせい、何なら依頼人のせい……みたいな感じの態度をずっと取っているらしい」
「うわー……同僚にも上司にも部下にもいらないタイプナンバーワンじゃないですか……」
そりゃあ評判が悪いに決まっている。
表社会であれ裏社会であれ、仕事は仕事だ。
その場合の、仕事内容の是非はこの際は、脇におく。
裏社会での仕事内容が盗みであれ殺しであれ、仕事であることには変わりない。
その結果と態度は信用に繋がる。信用は仕事に繋がる。
それは裏社会の非合法なモノであっても、表社会での真っ当なモノであっても変わらない。
そして裏社会は、表社会よりも使えない者への扱いが厳しい。
存在が自分たちの不利になる、足を引っ張る――そういう評判の悪い邪魔者は、同じ穴の狢であっても、処分の対象となるのだ。
「話を聞いてるとますます生きて行けてるのが不思議ですね」
だからこそ、エピスタンはあの男が生きていられていることに驚いているのだ。
「手紙の内容を信じるのであれば、妙なカリスマがあって、それなりの数の仲間がいるそうだからな」
「自分の元に集まった人たちを、本当に仲間と思っているかどうかも怪しいところでは?」
「違いない」
部下とすら思っておらず、ただの捨て駒だと内心で思っている可能性は高い。
「女から得た情報から、祖父が独自に調査をしたところ、実際に父を見つけたというコトも書いてある。
どうにも、実家とティベリアム家に対しての恨みを拗らせて、何かを計画しているようである――と」
「もしかしなくとも、自分が落ちぶれたのは両家のせいだとか思ってるんですかね?」
「可能性は大いにありうるところが、厄介だ」
逆恨みもいいところだと言うのに。
もっとも、逆恨みだと指摘したところで、理解はしないだろうが。
「この件で祖父も一時的に王都へ来るかもと書いてある。
俺が居ないときに来たならいつも通りの対応で頼むよ」
「ええ、了解です」
「正直なところ、ただでさえ考えるコトの多いこんなタイミングで父の話など聞きたくなかったがな」
「まぁそうでしょうね」
やれやれ――と俺が嘆息したところで、エピスタンが「あ」と声をあげた。
「どうした?」
「ボス、そろそろお時間ですよ。フィンジア様と食事するとか言ってませんでしたっけ?」
「もうそんな時間か」
急ぎで話をしたいことがあるから、食事会をしたい――と急に言ってくるのだから困ったものだ。
とはいえ、このタイミングで急ぎの食事会をするような相談事だ。無視するわけにもいかない内容だろう。
「ちょうど良いタイミングですから、素直になってフィンジア様に聞いてきたらどうですか?
イスカナディア嬢とどうやったら仲直りできますか、って」
「…………」
「いつまでもウダウダ悩まれてても部下として鬱陶しいだけですし?」
ニヤニヤとした笑みを浮かべるエピスタンを睨み付ける。
だが、こいつはそんなものを意に介したりはしないのだ。
「あと、せっかく人目のないプライベートな食事会なんですから、イスカナディア嬢からもらった首飾りでも付けていったらどうですか?」
エピスタンめ……他人事だと思って楽しんでるな……。
とはいえ、首飾りに関しては、そう悪くないことかもしれないな。
「そうだな。付ける機会のあまりないモノだ。こういう機会にでも付けておかないと、イスカナディアにも悪いな」
言い訳のようにそう口にして、俺は椅子から立ち上がるのだった。




