急転
「ねえ、知ってる? 最近城内をうろついてる大きな猫がいるの。でぶっちょで不細工な灰色の、可愛げのないやつ」
「それはシーグフリードですね。レズリー様が可愛がっておられる猫です」
「レズリーの猫なの? 飼うならもっとマシな猫を選べばいいのに」
「レズリー様がお世話をしていますが、マージェリー姫の猫だそうです。ラバトアの王太子から贈られた。ランドール様からお聞きになってませんか?」
「聞いてないわ」とソニアは拗ねたように言った。
「キャリスタも知っていることを、どうしてソニアが知らないのよ」
「ソニア様のお耳に入れるほどのことではないと思われたのでしょう。私もうっかりしていました。申し訳ございません」
「ラバトアの王太子からの贈り物? どうしてお姉さまにだけ。ソニアだってこの国の姫よ。お姉さまより愛らしくて若いのに」
いったん機嫌が悪くなると、ついでのように不満があふれ出す。ソニアの扱いにキャリスタも慣れつつあった。とにかく褒めそやすことだ。
「ええ、もちろん。ソニア様のほうが、ずっと愛らしくてお若いですから、ランドール様もメロメロでいらっしゃいます。汚い猫の話などより、ソニア様との新生活に向けて、頭がいっぱいなのですよ。ラバトアの王太子も、素敵な婚約者のいるソニア様には、贈り物を贈りたくても控えたのでしょう。その点、マージェリー姫はおかわいそうな方ですから、慰めのつもりでしょうね」
「そうね、そうよね。キャリスタの言うとおりだわ。おかわいそうなお姉さまは、不細工な猫に寄り添ってもらえばいいのよ。ソニアはもうじき、ランドールとキケーロへ行って、結婚して領主夫人になるんだもの」
ソニアは機嫌を取り戻した。
「そうそう、キャリスタはここへ残るのよね。イシュメルの部屋を担当できるよう、推薦してあげたわよ。イシュメルはあまり部屋にいないし、やり取りは側近を通してだから、直接話すのは難しいけど、接点は持てるでしょ」
「ありがとうございます」
「本当はキケーロに連れて行きたいんだけど、キャリスタは王城で働きたくて王都へ出て来たんだし、それにあの件もあるものねぇ?」
「あの件……」
「やだ、忘れてないわよねぇ。勇者の件よ。勇者っぽいやつが現れたら、名乗りを上げる前に始末するって話。段取りしてくれたでしょ。ソニアはキケーロへ行ってしまうから、全部キャリスタに任せたわよ。ちゃんとやってよ。もし勇者を名乗る者が城までやって来たら、許さないから。キャリスタの不手際よ」
とんでもない言いがかり。とんでもない押し付けだと驚いたが、キャリスタはすでに片足をずっぽり突っ込んでいる。
ソニアに言われるがまま『勇者暗殺』の段取りをしたのは、他の誰でもないキャリスタだった。責任転嫁できない。
恐ろしい蛇にぐるぐる巻きにされた鼠のような気持ちで、キャリスタは観念した。
ただ祈るしかない。勇者が帰って来ないことを。勇者さえ帰って来なければ、暗殺などという恐ろしいことに加担しなくて済む。
「大丈夫よ、そんなにビクビクしないで。勇者はきっとお人好しの筋肉バカよ。ニコニコして近づけば、簡単に騙せるわ。油断させて眠らせればいいだけよ。キケーロで良い報告を待ってるわね」
ソニアの心は、はるかキケーロへと飛んでいた。
新天地には、口うるさい姉も、その肩を持ってソニアを敵対視する者もいない。半減されたお小遣いも、もっと多くもらえる。いや、もらう立場ではなく、領主夫人として采配を振る立場になるのだ。
ランドールの両親は入れ替わりで王都へ来るため、舅姑に気を使わなくていいし、夫になるランドールには溺愛されている。
王都を離れて田舎へ行くのは嫌だが、それを差し引いても、いいことだらけだ。来月と言わず、もっと早く越したいくらいだ。
その浮かれた気持ちは、翌日に引き戻された。
美容マッサージ師を呼んで施術を受けていた最中、血相を変えたキャリスタが飛びこんできた。
「そ、ソニア様っ、急ぎのご報告が!」
「なあに、見て分からない? いまは癒やしの時間なの。後にして」
「いえ、それが」とキャリスタはベッドでうつ伏せに寝そべるソニアに耳打ちした。
「勇者かもしれない冒険者風情が、こちらへ向かっていると、見張りから伝達です」
ソニアは飛び起きた。




