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92:福沢家を去る

「! …………どうしてもかい? 君が良ければ、まだこの家にいていいんだが」

「結構お世話になりました。本当に感謝しています。ですが俺の目的は、いろいろなところを旅して見聞を広めることですから」


 そう言うと、丈一郎さんはとても残念そうな表情で「そうか」と口にする。


「寂しくなるね。特に……環奈はきっと悲しむ。君に懐いているから」


 環奈には兄がいるが、少し歳も離れているし一緒には暮らしていない。

 きっと環奈にとっては、病を治してくれた鳥本を恩人だと思っているだろうし、兄のようにも思っているのだろう。


 俺も鳥本としてではあるが、妹のように接してきたから思うところがないわけではない。

 しかしいつまでもこの家に居続けるわけにもいかないのだ。


「出て行く日はもう決まっているのかい?」

「はい。今日はもう遅いので、明日の昼頃にはお暇させて頂こうかと思っています」

「……明日か。突然だね。残念だよ」


 本当に残念そうに消沈する丈一郎さん。

 彼にとっては別れかもしれないが、俺はここら高級住宅街は、獣でいうなら狩場なので、ちょくちょく顔を見せるつもりだ。


 鳥本としてではなく、訪問販売としてではあるが。


「では細やかながら最後の晩餐と洒落込もうじゃないか。妻にもそう伝えておくよ」

「お構いなく。できれば普通でお願いします。あまりそういったパーティのようなものは好かないので」

「そうかい? しかしそれでも皆で食事をするくらいは良いだろう」


 丈一郎さんが部屋から出て行き、しばらくすると勢いよく環奈がやってきた。


「鳥本さん! ここから出てくってほんと!?」

「環奈ちゃん……ああ、事実だよ」

「やだよ! 何で? 私たちのこと嫌いになったの!?」


 そう言いながら抱き着いてきた環奈はすでに涙を流していた。


「ごめんね。俺もずっとここにいることはできないんだよ」

「鳥本さん……でも……でもぉ」


 俺は環奈の頭を撫でつけながら微笑を浮かべる。

 ここは本当に居心地が良かった。それは嘘じゃない。


 今まで俺の周りは悪意ばかり。唯一自分の家でしか平和を満喫することはできなかった。しかしそこでも結局は一人だったし、退屈な日ばかりを過ごしていた気がする。

 世界が豹変し、ひょんなことから福沢家に世話になったが、思った以上に暇を潰せたと思う。


 福沢家の人たちはみんなが良い人だったし、この子……環奈は心から俺を慕ってくれていた気がする。妹がいればこんな感じなのだろう、と。

 しかしそれでもやはり俺にとっては偽りの関係でしかない。


 鳥本も俺が作った仮初の存在であり、ずっと俺は環奈たちを騙し続けているだけ。

 このままこの家にいても、この関係は崩れることはないし、本当の意味で親しくなることもないだろう。


 だから……ここらで別れておいた方が無難だと判断した。


「必ずまた会いに来るから、ね?」


 そう言っても、環奈はギュッと力強く抱きしめながら「嫌だ嫌だ」と連呼していた。

 そこへ彼女の母親である美奈子さんもやってきて、優しく環奈を説得し、一緒に一階のリビングへと降りていく。


 俺も準備をしてから降りると言って、一応世話になった部屋の片づけをし始めた。

 とはいっても私物などほとんどない。


 ササッと片づけをしてリビングに向かうと、環奈に手を引かれ一緒にソファに腰を下ろすことになった。

 そこで夕食ができるまで、環奈の相手をすることに。


 環奈は彼女が大好きなソルを膝の上で愛でながら、俺にいろいろな質問を投げかけてきた。

 これからどこに行く予定なのか、いつ頃、またここにやって来るのか、この家はどうだったかなど。


 俺は彼女の質問に答えながら、鳥本として最後のコミュニケーションを取っていく。

 そして夕食は、福沢家に住むすべての者たちと一緒に笑いながら堪能した。


 こんな世界の中、こうして笑い合える家族はどれくらい残っているだろうか。

 一歩外に出れば恐怖しか待っていない状況で、こんな温かい日常を過ごせている家族は珍しいかもしれない。


 ……願わくば、俺が離れた間も、ここは変わらなければ良い。


 もちろん訪問販売として利用するためでもあるし、世話になった立場としてそう思う。

 食事のあと、環奈が一緒に寝たいと言ったが、さすがにそこは遠慮してもらった。代わりにソルに犠牲になってもらい納得させたのである。


 夜、この部屋ともお別れかと思いベッドの上で横になっていると、シキからこの部屋にゆっくりと近づいてくる者がいることを伝えられた。

 寝ているフリをしていると、扉が静かに開き、一人の人物がそ~っと俺が寝ているベッドの中へ入り込んできたのである。


 …………やれやれ。


 すでに誰かは分かっている。その前にソルからも連絡が入っていたから。

 横向けに寝ている俺の背にピッタリつく環奈。キュッと俺の服を掴んでいる。


 …………まあ、今日くらいは良いか。


 俺は最後くらいは勘弁してやろうと思い、環奈の好きにさせてやったのである。







 ――翌日。


 目が覚めた俺は、いまだ俺の隣で気持ち良さそうに眠っている環奈を見て溜息を零す。

 本当に懐かれたもんだな。


 俺はそのままベッドから出て洗面所へと向かい身支度を整える。

 そして自分の部屋に戻った時、すでに環奈は起きていたようでベッドの上に座り、枕をギュッと抱きしめながら俺を出迎えた。


「と、鳥本さん……あの、その……」

「よく眠れたかい?」

「あ、うん……グッスリ眠れた」

「そいつは良かった。ああでも、できればこのことは秘密にしておくれよ。先生に知られると大目玉をくらいそうだから」

「……パパならきっと許してくれると思うけど」

「はは。男親はそう簡単に許さないさ。可愛い可愛い娘なんだからね」


 俺だってもし自分の娘が、他の男と同衾したなどという話を聞いたら気が気じゃなくなるだろう。息子なら「やったじゃねえか!」と素直に称賛してやれるけどな。


「……本当に出てっちゃうの?」

「そんな不貞腐れたような顔しない。また会いに来るって言ったろ?」


 寝癖がついてボサボサになっている環奈の頭を撫でながら言う。


「……一週間に一回は会いたいなぁ」

「そりゃ無茶な注文だ」

「むぅ……じゃあ八日に一回」

「一日しか増えてないし」

「じゃあ十日に一回!」

「……困らせないでくれ、環奈ちゃん」


 そう言うと、環奈は「ごめんなさい」と顔を枕に埋めた。

 何だかイジメているみたいで複雑な気持ちなのだが……。


「……環奈って……言ってほしい」

「へ?」

「……もう引き留めないから、これからは環奈って言ってほしいの」

「…………オーケーだ、環奈」

「! えへへ~」


 良かった。少しは機嫌が回復したようだ。


「ほら、起きたなら顔洗ってきなさい」


 環奈は「はーい」と言うと、ベッドから飛び出して洗面所へと走っていった。

 朝食時には丈一郎さんはいなかったが、昼前にはこの家に戻ってきて、福沢家総出で見送ってくれるようになった。


「ソルちゃん、絶対また会おうね! 待ってるからね!」

「ぷぅ~ぷぅ~」


 環奈に抱きしめられながら身体を撫でられているソル。ソルもどこか寂しそうな顔をしている。

 そういえば一緒にいる時間は、もしかしたらソルの方が多かったかもしれない。ソルもまた彼女と遊ぶのは好きだったみたいだから。


「鳥本くん、本当に君と会えて良かった」

「こちらもですよ福沢先生。長い間お世話になりました。とても楽しい日々を過ごせたのは、あなた方のお蔭です。ありがとうございました」

「また是非……いつでも来てくれ。君はもう私たちの家族なのだからね」

「……はい、いずれまた。……ソル」


 ソルが環奈の腕の中から俺の肩へとやってくる。

 そして環奈が俺の目前に立ち、涙目ながら見上げてきた。


「っ……バイバイはしない……から。だから…………行ってらっしゃい、健太郎さん!」


 俺を不安にさせないようにか、必死に笑みを浮かべながら鳥本の名を呼ぶ。


「……ああ。行ってきます、環奈」


 踵を返すと、背後から環奈のすすり泣く声が聞こえてくる。そんな彼女の肩を抱きながら優しく背中を擦る美奈子さん。

 運転手の佐々木さんも、メイドの四宮さんも、全員が頭を下げて俺を見送ってくれた。


 そして彼らから見えなくなったら、変身を解くと、すぐに《テレポートクリスタル》を使って無人島へと飛んだ。






読んで頂きありがとうございます。


毎日更新をできる限り続けていきますので、〝面白い〟、〝続きが気になる〟という方がおられれば、是非ともブックマークや、下に表示されている『☆☆☆☆☆』の評価を設定して頂ければ嬉しいです。


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