第88話 空の涙~「泣くな」と言ったのか?~
エランの上空は、どんよりとした雲に覆われていた。
いまにも雨が降り出しそうな、気配を漂わせている。
そんな空の下、アディ・アーレイトは〈サジタリィ〉の手の平から降りてきた。
彼女は安川賢紀とエリーゼ・エクシーズに向けて、淡々と戦闘結果を報告し始める。
いると騒がしいので、賢紀は精霊達を無理矢理【ファクトリー】に押し込んでから報告を聞いていた。
〈サジタリィ〉を狙ってきたGR-3〈サミュレー〉の部隊を、全滅させたこと。
アシュトン・マーティーンの〈ファイアドレイク〉とアディの〈フレアハウンド〉が、相討ちになったこと。
そしてアシュトンが、自刃して果てたこと。
「アディ……。最期に、聞けたの?」
遠慮がちに、エリーゼは尋ねた。
「アシュトンが、父親だったのか?」という意味なのは、明白だった。
「本人は、最期まで認めませんでした。でも……間違いありませんわ」
「そう……。つらかったわね」
「姫様、ご心配をおかけしました。……もうわたくしは、大丈夫ですわ」
アディは、にこやかに微笑んでみせる。
赤の他人になら、全く分からなかっただろう。
だが今まで一緒に戦ってきた仲間だから、分かってしまう。
笑顔の裏側で、彼女の心は悲痛な叫びを上げていることが。
それを表に出さないように、必死で堪えていることが。
そんなアディの姿を、痛ましいと思った賢紀。
彼の口から、無意識にその言葉が出た。
「……泣かないんだな」
アディの肩が、小さく震えた。
賢紀は知らない。
それが初めてアディとアシュトンが出会った時、最初に掛けられた言葉だということを。
言葉を切っ掛けに、アディの脳裏を今までの思い出が駆け巡る。
雨の日の共同墓地と、差し出された傘。
王宮での、エリーゼや王妃達との出会い。
きつかったが、充実していたメイドと戦士の修行。
ルータスが滅びた日。
エリーゼとの再会と、妙な神の使徒との出会い。
ちょっと変だが、気の合うハーフエルフとの日々。
マシンゴーレムに乗った父との、望まぬ形での再会。
そして自分の腕の中で、動かなくなった父。
もういちど場面は遡り、幼かったアディを抱きしめて微笑んでくれた母の顔。
「アディ、強くなりなさい」
さらに時間が飛んで、エランが落ちたあの日。
父の背中を見送った日に。
「アディ……。強く生きろよ」
走馬灯のように思い出が駆け巡っているうちに、いつの間にか雨が降り出していた。
父と共同墓地で出会った日のように、冷たい雨が。
アディは賢紀とエリーゼ、そして機体から降りてきていたイースズ・フォウワードに背を向けた。
涙を堪えている瞳を、見られぬように。
彼女は振り返った先に、母の墓石を幻視した。
そして、あの日と全く同じ台詞を口にする。
「お母さんと、約束したんです。『強くなる』って……。死んだお父さんと同じように、強く……」
しかし、あの日と同じ言葉は返ってこなかった。
いまアディの背後にいるのは、父ではない。
異世界から来た青年だ。
必死で涙を押し止めていた心の堤防は、彼のひと言によって決壊した。
「お前のお母さんは、『泣くな』と言ったのか?」
言われて初めて、アディは気付いた。
今まで父や母から、「強くなれ」とは度々言われてきた。
だが「泣くな」と言われたことは、いちどもなかったことに。
気付いてしまってからは、もう止まらなかった。
涙が。
慟哭が。
アディは賢紀の胸にしがみついて、泣いた。
今までずっと溜め込んでいた、何年分もの涙を流し尽くすように。
エリーゼも泣いていた。
声は上げず、表情も変えず。
ただひたすらに頬を伝っていく涙を、そのままにしていた。
イースズは口元を押さえ、嗚咽していた。
3つの瞳の全てから、ポロポロと雫がこぼれ落ちていく。
安川賢紀は――泣いていなかった。
雨を注いでくる空を、ただただ見上げていた。
これが俺の涙だと、言わんばかりに。
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「ふう。スッキリしましたわ」
雨は通り雨だったようで、いつの間にか止んでいた。
それに合わせてアディもピタリと泣き止み、賢紀の胸から顔を離す。
すでにいつもと同じ、すまし顔に戻っていた。
ただしその整った鼻からは、キラキラと輝く粘着質な糸が伸びている。
賢紀の胸元に向かって。
「あら、わたくしとしたことが。涙と鼻水で、グチャグチャですわね。ごめんあそばせ」
糸をキープしたまま頬に両手を当て、ちょっと恥ずかしがるアディ。
「気にするな、浄化魔法で1発だ。吐いたり、漏らしたりする奴だっているんだ。涙や鼻水なんて、大したことはない」
「なっ! ちょっとケンキ!」
エリーゼの反応を見て、賢紀はそれが失言だったと気付く。
今の言い方では、吐いたのも漏らしたのも両方エリーゼがやらかしたみたいに聞こえてしまう。
彼女はマシンゴーレムの操縦席で、ゲロをぶちまけただけだ。
「いや。漏らしたのは、エリーゼじゃない」
「ということは……」
エリーゼとアディの視線が、イースズへと向いた。
慌てて両手をブンブンと振り、イースズは大げさに否定する。
「ち、違うけんね! あたしはそういうジャンル、専門じゃなかけんね!」
「ならばどういうジャンルの専門家なのだろうか?」と、他の3人は疑問に思った。
しかし深く追求しないのが仲間としての思いやりだという結論に至り、それ以上は突っ込まない。
代わりに賢紀が、エリーゼから突っ込まれる。
「誰よ? 漏らしたのって?」
エリーゼは半眼で腕を組み、追求の手を緩めない。
「本人の名誉に関わるからな。公表できない」
本当は、本人の名誉のためではない。
自分の身の安全のためだ。
賢紀より長身のアレクを廊下の壁までぶっ飛ばした、スーテラ・トーターの強烈な右ストレート。
あれが脳裏に、フラッシュバックする。
彼女の名前が明るみに出ると、死の危険がある。
賢紀の本能が、そう警告していた。
「誰よ~? 言いなさいよ~?」
踵を返して立ち去ろうとした賢紀だったが、エリーゼが進行方向に回り込んでしまった。
下から見上げるような目線で、食い下がるエリーゼ。
「しつこいぞ。マーライオン女王」
「マーライオンって、何よ?」
口から水をダバダバと吐くことで有名なシンガポールの像に例えても、異世界人のエリーゼには通じない。
もっとも通じたら通じたで、エリーゼは怒っただろうが。
ついでにシンガポールの人達にも、怒られるかもしれない。
もう上空に、雲は無い。
賢紀とエリーゼの進路上に散らばる水溜りは、青空を映し輝いていた。
「アディちゃん。あたし達も行こ!」
アディに優しく微笑みかけたイースズ。
彼女はエメラルド色の三つ編みをたなびかせて、賢紀とエリーゼの背中を追う。
(イレッサ様。一緒に姫様を守ってくれる、仲間が増えました。お母さん。向こうでは、お父さんの手綱をしっかり握っておかないとダメですわよ? でないと男は、自分勝手な方向にズンズン進んで行ってしまうのですから)
いまアディに背中を見せている青年も、ズンズンと勝手に進んで行ってしまっている。
(これだから、男という生き物は……)
呆れながらも、アディは駆け出した。
青年の背中を追うために。
大切な仲間達の側へ行くために。
そして未来を掴み取るために。
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次の日。
戦闘で道路や建物が破壊されたエラン市街地の復旧作業に、賢紀は取り組んでいた。
ちょっと反則臭い手法だが、瓦礫を次々と【ファクトリー】に収納して片付けていく。
その一方で、片付いたところに建造物のパーツを出していった。
【ファクトリー】内で、修復したものだ。
時には家1軒丸ごと取り出し、配置していく。
賢紀の他に活躍したのが、共和国軍のドワーフ達だ。
彼らはマシンゴーレムの操縦センスはイマイチだが、土木建築のノウハウが豊富である。
現場監督として指揮を取ってもらうと、工事が恐ろしくスムーズに進む。
そんな彼らの手足となったのが、ルータス解放軍の操縦者達。
元ルータス国民が多いので、故郷の景観を取り戻すべく積極的に働く。
しかも土木建築用のマシンゴーレムを、巧みに操ってだ。
これはGR-1をベースに、賢紀が開発した機体。
土魔法専用に作り直した魔法杖とハサミ型に換装されたマニピュレーターにより、凄まじい作業効率を実現する。
賢紀はこっそりこの機体を、ヴォクサー社かローザリィ社に売り込もうと企んでいた。
土木建築マシンゴーレムらと共に、市街地修復に汗を流す【ゴーレム使い】。
彼は地球にいた頃やっていた重機オペレーターの仕事を思い出し、懐かしい気分に浸る。
異世界への召喚直前は、出勤するのが億劫になっていた。
だが現場仕事自体は決して嫌いではなかった自分に、今さらながら気付く。
そんなノスタルジーに浸っている【ゴーレム使い】の元へ、血相を変えたエリーゼが駆け寄ってきた。
「ケンキ! 大変! すんごいものが発見されたわ!」
頬を紅潮させたエリーゼの表情から、「すんごいもの」が自分達にとって良い代物だというのは伝わってくる。
「何だ? 帝国軍マシンゴーレムの大量在庫でも見つかったか?」
「ほんっとにマシンゴーレムバカなのね……。ふっふっふっ。そんなケンキの期待を、裏切らない代物よ」
エリーゼはニヤリと微笑み、たっぷりと勿体つけてから言葉を発する。
「ルータス王国が秘密裏に開発していた、独自のマシンゴーレムが発見されたわ」




