第85話 ルータスの剣、エリーゼの剣~誰と戦っていたの?~
『エリーゼ陛下。今の貴女の太刀筋には迷いが、ためらいが感じられます。テスラの大森林で〈ミドガルズオルム〉と戦っていた時の剣は、もっと鋭く、美しかった。お父上に、迫るものがありましたよ』
『レクサ……。それは買いかぶりすぎよ』
魔道無線機越しに返ってきたエリーゼ・エクシーズの返答に、レクサ・アルシエフは「何も分かっていないな」と思った。
彼女自身は、気付いていない。
剣才だけなら、父セブルス・エクシーズを超えていることを。
そして剣の技量だけなら、父とあまり変わらない領域にきていることを。
しかしそれは、剣才と技量だけに限った話。
今のエリーゼには父と比べ、決定的に足りないものがあった。
それは――
『ふむ。テスラの大森林で、共闘してしまったのが良くなかったのか……。貴女は感情の切り替えが、上手くいっていないようですね。まだ私に、仲間意識を抱いたままになっている 』
『……!』
無線の向こうで、エリーゼが息を呑むのが感じられた。
図星といったところだろう。
『ご自分の立場から、それをむりやり心の隅に押し込めてしまっている。だが完全には、割り切れていない。それでは、太刀筋が鈍るのも当然です。あわよくば私を殺さずに、マシンゴーレムのみを破壊して投降させようと考えているのでしょう?』
帝国最強の剣士は、ガラリと口調を変えた。
『……あまり俺を、舐めるなよ? エリーゼ・エクシーズ!』
『レクサ?』
『俺はマシンゴーレムを破壊されたぐらいで、投降などしない! 生身でもこの身が果てるまで、剣を振るい続ける。相手がマシンゴーレムだとしてもだ! ……かつてお前の父や、その妃達、ルータス王国の騎士達が、そうしたようにな!』
無線から返ってくるのは、エリーゼの沈黙。
亡き父や、母達、騎士団の仲間たちのことを思い出しているのだろう。
ルータス王家は、帝国皇帝とその妃達などとは関係が違う。
妃達はみんな仲が良く、誰が産んだ子でも自分の子のように接する。
大家族のような、特殊な王家だとレクサも聞き及んでいた。
エリーゼは自分の産みの親以外に、3人の義母も帝国によって奪われているのだ。
『忘れてはいないか? お前の父を斬ったのは、俺だ。そして第1妃、アゲイラ・エクシーズも俺が手にかけた。それでもまだ、俺を斬るのにためらいがあるか?』
レクサはビリビリと感じていた。
マシンゴーレムの装甲越しに、エリーゼが発する殺気を。
あの日GR-1〈リースリッター〉の頭部を叩き割った、セブルス・エクシーズに近い殺気。
――もうひと押しだ。
「レクサ! 悪趣味だよ、もう止しな。……あの娘をあまり、甘く見ない方がいい」
これからレクサが、エリーゼに何を告げようとしているのか。
思考をリンクさせ読み取ったレヴィが、警告を発する。
「甘く見るだなんて、とんでもない。俺は期待しているんだ。剣士エリーゼ・エクシーズにな」
レクサは再び、無線のマイクをオンにした。
『エリーゼ・エクシーズ。面白いことを、教えてやろう。この〈ルドラ〉には、2つの魔石が使われている。リアクターコアだけではなく、機体の制御を行う〈魔道演算機〉にも魔石を使用しているんだ』
操縦者の動揺を反映して、〈サルタートリクス〉の肩がピクリと震えた。
『リアクターには魔族、〈魔道演算機〉にはエルフの魔石が使われている。……誰のものだか、分かるか?』
『ティーゼお義母様と、エセルスお義母様ね?』
『その通りだ。さあ、いまいちど聞こう! 俺を斬るのに、ためらいがあるか?』
嵐のように吹き付けていた、エリーゼからの殺気。
それが突如、消えた。
世界が無音になったかのような、錯覚に囚われるレクサ。
時間が静止したかの如く、静謐な空間が2人の周囲に広がる。
そんな中、〈サルタートリクス〉の構えが変わった。
脇構えに構えていた剣を、ゆっくりと中段に。
〈ルドラ〉の喉元に切先を突きつける、正眼の構えを取る。
〈サルタートリクス〉の主力武器である〈魔剣エヴォーラ〉は、ガラスのように透き通った刀身を持つプラズマソード。
いつもは透明な魔剣が、緑色に輝いた。
魔力伝導だ。
そして背中の推進器からは、光の粒子が舞い散り始める。
まるで夜に儚く光る、蛍火だ。
――来る。
最も洗練された、最速の一撃が。
陽炎の中で〈サルタートリクス〉が放つ静かな威圧感は、レクサにそう確信させた。
レクサには、ずっと後悔していることがあった。
それはエランの攻防戦において、手負いのセブルス国王を斬ってしまったことだ。
リースディア帝国に、それを卑怯と罵る輩はいない。
むしろマシンゴーレムから降りて戦ったレクサの勇気を、賞賛する者が多い。
しかしレクサの心には、それがしこりとなってこびり付いている。
あれは公平な勝負ではなかったと、思っている自分がいる。
それが恥だとか、汚点だとかまでは思っていない。
軍を預かる将として、落とせない戦いだった。
自分の判断には兵士達の、その帰りを待つ家族達の、そして帝国民達の生活がかかっていたのだ。
むしろマシンゴーレムから降りて戦ったのは、甘いと言われても仕方ない。
兵士達からの求心力を高めようという、打算もあったのだが――
勝ち方に、こだわる場面ではなかった。
自分は将として、正しい判断をした。
今でもその考えは、揺るがない。
「将としては」だが――
では、剣士レクサ・アルシエフとしてはどうだろうか?
これも剣士としての矜持が、損なわれたとまではいえない。
手負いだからといって情けをかけるなど、それこそルータス最強の剣士に向かって失礼きわまりない話だ。
だが、「とても勿体ないことをしてしまった」という思いはあった。
ルータス王国最強の剣士と、対等な条件での一騎打ち。
その機会が、永遠に失われてしまった。
もし実現されていれば、命を落としていたのは自分の方だった可能性が高いだろう。
それでもその戦いは、レクサの人生の中で最も貴重で濃密な――剣士としては、最高の時間になったはずだ。
今でもレクサは修練で剣を振るう時、万全な状態であるセブルスとの戦いをイメージしている。
マシンゴーレムの操縦訓練では、「もしあのセブルス国王が、マシンゴーレムに乗っていたら」という仮想の元で腕を磨く。
「今、俺の願いが叶いそうだ」
〈ルドラ〉に突きつけられる〈魔剣エヴォーラ〉の切先に、先程までの迷いは感じられない。
恐れも怒りも感じない。
ただ明確に、「斬る」という意志だけを伝えてくる。
「これだ。あの日のセブルス国王と、同じだ。無駄のない、極限まで洗練された剣」
常々、レクサは感じていた。
ルータス流剣術は、美しいと。
合理化され無駄のない剣閃が、最短の時間と道筋で命を奪いにくる。
それは危険で妖しい美しさを持った、武の到達点のひとつ。
いまレクサの心は、エラン攻防戦の時にまで遡っていた。
あの時実現できなかった対等な勝負が、娘によって再現される。
16歳の小娘などと、侮ってはいけない。
万全な状態のセブルス・エクシーズを相手にしていると思わなければ、殺られる。
レクサは構えを変えた。
右手の剣を中段にして前に構え、左手の剣を左脇に構えて半身に。
レクサが最も得意とする――そしてあの日、セブルス国王を討ち取った左脇の構え。
さらにレクサは、双剣へと魔力を伝導させた。
魔力の色は、紫だ。
構えながらレクサは、思考を巡らせていた。
〈サルタートリクス〉の機体特性とルータス流剣術の理念から推察するに、繰り出されるのは左の片手突き。
これは、あの日とは違う。
セブルス国王は、最短距離にあったレクサの右小手を斬り落としてきたのだ。
だが今回は、マシンゴーレム戦。
搭乗している機体の爆発的な加速力を考えれば、片手突きこそ最も合理的で速い一撃だ。
それ以外の斬撃なら、見てから対応する自信がレクサにはあった。
長い――
気が遠くなるような長い静寂の後、〈サルタートリクス〉が加速した。
衝撃波で道路の石畳は破壊され、メインストリートに立ち並ぶ店舗のショーウィンドウが砕け散る。
背中の推進器から青白い光の粒子をたなびかせ、踊り子は紫色の弾丸と化す。
「同じだ」と、レクサは感じた。
彼が修練時にイメージする「万全の状態のセブルス国王」と、寸分違わぬ突きだ。
イメージトレーニングの中で、何度もそれに貫かれ絶命したレクサ。
しかし、今は違う。
右手の剣は、セブルスの突きを蛇のように絡めとることができる。
反撃で左手の剣を顔面に、喉に、心臓に、自在に突き立てることができる。
イメージにあるセブルス国王との戦いは、レクサを飛躍的に強くしていた。
だが皮肉にも、それがレクサの敗因になった。
〈サルタートリクス〉は突撃の途中で、推進器ノズルを偏向。
同時に大地を強く蹴り、身を踊らせる。
動きが制限されるはずの、空中へと。
ルータス流剣術の定石から外れた、不合理で無駄が多い変則的な機動。
レクサもフェイントを想定していなかったわけではないが、あまりにもイメージとの乖離が大きかった。
反応が、わずかに遅れてしまう。
空中で天地を逆さにしながら、〈サルタートリクス〉は剣を振るう。
緑色に輝く魔導の刃は、〈ルドラ〉のコックピットブロックを切り裂いた。
そのまま空中で前転し、石畳を抉りながら地面に着地する〈サルタートリクス〉。
『レクサ。あなた、誰と戦っていたの?』
遠のく意識の中で、エリーゼの声が聞こえる。
レクサはまた、勿体ないことをしてしまったのだと悟った。
いつの間にか、セブルス・エクシーズとの戦いを夢想してしまっていたのだ。
目の前にいるエリーゼ・エクシーズは、父とは別人だということを失念していた。
彼女は、父とは違う境地に辿り着いた剣士なのだ。
そんなエリーゼとの戦いに集中していなかったなど、勿体ないにもほどがある。
「だから、あたしは言ったんだよ。あの娘を、甘く見ない方がいいってね」
(ああ。全くレヴィの言う通りだ……。俺はその言葉の意味を、正確には理解していなかったな……)
最後の思念が、レヴィに届いたかは分からない。
レクサ・アルシエフの意識は、深い闇の中へと沈んでいった。




