第69話 雨の共同墓地~強い男か?~
安川賢紀がこの世界に降り立つ、10年ほど前の話だ。
ルータス王国の首都エラン。
その日は冷たい雨が、降りしきっていた。
雨の中、急ぎ足で水を跳ね上げながら歩く男がいる。
精悍な顔立ちと、短く刈り込まれた金髪。
鍛え上げられた体を持つ、犬耳の獣人。
セブルス・エクシーズ国王の第1妃、アゲイラの護衛を務める戦士。
名前はアシュトン・マーティーン。
彼は傘を差し、エラン市街地を歩き回っていた。
目的は人探し。
何軒かの家で聞き込みを行い、ついに目的である親子の所在を掴んだところだ。
しかし同時に、聞きたくなかった情報も耳にしてしまう。
探している親子のうち、母親はすでに亡くなったと。
――何かの間違いであってくれ。
そう祈りながら、アシュトンは親子が住むという家のドアをノックした。
返事は無い。
鋭敏な嗅覚と聴覚を持つ彼は、家の中に誰も居ないことを察した。
鉛のように重く感じる体を引きずりながら、アシュトンは次の目的地に向かう。
早足で親子の行方を探し回っていた時とは、対照的な足取りだった。
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エラン市街地の外れにある、共同墓地。
相変わらず、雨は降り続いている。
そんな中、墓石の前で1人の幼い少女が立ち竦んでいた。
傘も差さずに、ぽつんと。
気温はかなり低く、少女の口元からは白い息があふれ出していた。
だが彼女は震えもせず、ただ墓石を凝視している。
アシュトンは少女の背後から歩み寄り、墓石の名前を確認した。
『アーリィ・アーレイト』。
墓石には少女の母親であろう名前が、無機質に刻まれていた。
アシュトンは絶望のあまり、その場で膝を突きそうになる。
(アーリィ……! 間に合わなかった……。俺はお前に、どうやって……)
少女がゆっくりと、アシュトンの方を振り返る。
涙は流れていなかった。
やや吊り上った猫のような瞳が、アシュトンを見つめる。
アーリィと、よく似た瞳だ。
アーリィの父親は猫の獣人だったらしいので、猫目はそこからだろう。
頭上には、自分とよく似た犬耳。
ひと目見て、アシュトンは確信した。
この子は、俺の娘だと。
「……泣かないんだな」
すぐに父親だと名乗りたかったのに、アシュトンの口から出たのは違う言葉だった。
「お母さんと、約束したんです。『強くなる』って……。死んだお父さんと同じように、強く……」
少女の瞳は、悲しみに満ちている。
だが、強い意志を秘めていた。
アシュトンを、たじろがせる程に。
アシュトンは自問する。
(「お前の父親だ」と名乗り出れるほど、俺は強い男か?)
自身の生き方を、振り返ってみる。
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アシュトンがまだ少年で、ビサースト獣人国連邦に住んでいた頃の話だ。
幼馴染の狐獣人アゲイラが、奴隷として国外に売られていくことになった。
アシュトンは、何もできなかった。
まだ若く、戦士としても未熟。
武力も財力もなかったからだ。
売られて行ったアゲイラを、自力で探し出すこともできなかった。
彼女を奴隷の身から救ったのは、当時王太子だったセブルス・エクシーズだ。
その頃のアシュトンは腕を上げ、ビサーストの名門ケイニグセグ家に護衛として雇われていた。
そんな中、セブルスはアゲイラを連れてケイニグセグ家を訪れた。
「アゲイラを娶るのに家名が必要だから、彼女を養女にしろ」と。
アシュトンは、言えなかった。
「アゲイラは渡さない」とは。
アゲイラがセブルスの側で、幸せそうにしていたからだ。
女々しいと思いつつも、アシュトンはアゲイラの護衛役を買って出た。
恋心を護衛としての忠誠心に変え、誤魔化そうとしたのだ。
そしてそのまま、ルータス王国までついてきてしまった。
ルータス王国で、アシュトンはアーリィと出会う。
彼女はセブルス国王の第4妃、イレッサの専属メイドだった。
報われぬ恋心の捌け口として、アシュトンはアーリィと関係を持ってしまった。
ズルズルと関係を続けていたが、ある日彼女に悟られてしまう。
いまだ心の奥底では、アゲイラに執着していることを。
それでも2人の関係は、しばらく続いた。
アシュトンは、迷っていた。
アゲイラのことは諦めきれていないが、好意を寄せてくれているアーリィを大切にしたい。
「一緒になってくれ」と、言うべきではないかと。
ある日アーリィが、イレッサ妃の専属メイドを辞めると言い出した。
アシュトンには、理由を聞く勇気がなかった。
煮え切らない自分との関係に、うんざりしたのだろうと思っていた。
それを彼女の口から聞かされるのが、怖かった。
メイドを辞め、姿を消したアーリィ。
アシュトンは心配しつつも、すぐに彼女の行方を探そうとはしなかった。
他の男と一緒になったという話を、聞きたくなかったからだ。
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そして今。
アシュトンは目の前にいる娘に、父親だと名乗り出る勇気が湧かない。
「なぜ十年近くも、私達を放っておいたのか!? 母を死に追いやったのは、あなたではないのか!?」
そう責められるのが、怖い。
(何て……何て弱い男だ。俺は……)
とても目の前の娘に、父親だなどと名乗れない。
こんなに弱い自分なのに、アーリィは娘に言い聞かせて育てたのだ。
「あなたのお父さんは、強かった」と。
その言葉を、嘘にしてはならない。
自分は娘が思い描く、「強い父」のイメージに相応しい男にならなければ。
そしてこの娘と、母アーリィが交わした約束。
強くなる――
「お前の名前は?」
「アディ……。アディ・アーレイトです」
母親を失ったばかりだというのに、アディの口調はしっかりしたものだった。
9歳の少女とは、思えないくらいに。
(この子はすでに、強い心を持ち始めているな。アーリィが施した、教育の賜物か……。ならばそれを引き継ぐのは、俺の役目だろう)
アシュトンはアディの頭に、優しく手を置いた。
「アディ、強くなりたいか?」
「はい」
アディは静かに。
しかし、強い決意を感じさせる返事をした。
「俺はアシュトン。お前の母、アーリィの……友人だ。俺はお前を、強くすることができる。ついてくるか?」
「はい、師匠。よろしくお願いします」
「師匠……。師匠か」
――いつかこの子に、「お父さん」と呼ばれる日が来るのだろうか?
いや。
早くそうなるよう、頑張らなくては。
アシュトンはアディに、傘を渡した。
自分は墓石の前に膝を突き、アーリィに祈る。
「アーリィ。俺達は、強くなる」
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わたしはお母さんの友人だと名乗るアシュトンさんに連れられて、お城へとやってきました。
「知らない人に、ついて行ってはいけません」
お母さんはいつもそう言っていたけど、アシュトンさんは大丈夫だと思いました。
なぜそう思ったのかは、わかりません。
なんとなくです。
アシュトンさん――いえ。
師匠は控え室のような小部屋に、わたしを連れてきました。
メイドさんに頼んでタオルを持って来させ、雨に濡れていたわたしの体を拭いてくれます。
「ちょっと待っていろ。今、着替えがないか探させている」
「このままで大丈夫ですよ、師匠。お城の中は、暖かいです」
「馬鹿。風邪をひいたらどうする? 師匠のいうことは、黙って聞いておけ」
お母さんの優しい喋り方とは、全然違いました。
だけどなぜかお母さんを思い出して、暖かい気持ちになりました。
「アシュトン。戻ったのですか?」
「小さい女の子の服を探させるなんて、人攫いでもしてきたんじゃないでしょうね? ……あら?」
ドアが開いて、女の人達が部屋に入ってきました。
2人とも、綺麗な服を着ています。
1人は赤いドレスを着た、狐獣人の女の人。
長い金色の髪がさらさらして、尻尾がふさふさ。
物凄い美人で、思わず見惚れてしまいました。
もう1人は、ドワーフの女の人。
銀色の髪がフワッとして、とても可愛い。
そして背が小さいのに、おっぱいが大きい。
なんだか抱きついて、甘えたくなる人。
(王妃様達だ!)
本物を見るのは初めてだったけど、わたしはすぐにわかりました。
お母さんから、どういう人達かは聞いていたからです。
わたしはお母さんから教わったカーテシーで、ごあいさつしました。
スカートの両端を軽く持ち上げておじぎをする、淑女の礼です。
「あら、礼儀正しいのね。可愛い……。アシュトン、この子が……?」
「はい、イレッサ様。アーリィ・アーレイトの娘です」
「それじゃ、アーリィはもう……」
王妃様2人は、とても悲しそうな顔をしました。
特にわたしを可愛いと言ってくれたドワーフの王妃様は、今にも泣きそうです。
そうか。
この人が、イレッサ様ですね。
お母さんが、メイドとして仕えてたという。
狐獣人の王妃様は、たぶんアゲイラ様。
「アーリィの娘なら、私の娘も同然。私のことは、お母さんと思ってくれていいのよ」
「イレッサ様。さすがにそれは、ちょっと……」
「いいじゃない、アシュトン。そういうところはゆるいのが、ルータス王家でしょう?」
コロコロと笑う、イレッサ様。
師匠は何だか、困り顔です。
「でもイレッサ。実の娘であるエリーゼが、後ろから嫉妬心のこもった目でジッと見ていますよ」
アゲイラ様の言葉で、初めて気がつきました。
部屋のドアが少し開いて、隙間から緑色の目が覗いています。
「あらあらエリーゼ、入ってきなさい。新しいお姉ちゃんよ」
ドアが大きく開きます。
銀色の髪をした小さなお姫様が、トコトコと入ってきました。
「あたらしい、おねえちゃん?」
「そう、あたらしいお姉ちゃん。名前は、……なんだっけ? アシュトン」
師匠が答えるよりも早く、自己紹介をしてしまいます。
「アディ・アーレイトです」
「アディ、わたしエリーゼ。よろしくね」
「エリーゼ様。こちらこそ、よろしくお願いします」
わたしはまた、カーテシーでおじぎをしました。
ちゃんと礼儀作法ができているのか、ちょっと不安です。
「そういえばアシュトン。エリーゼのお姉ちゃんってことになっちゃったけど、あなたはこの子をどうするつもりだったの?」
イレッサ様は、師匠に尋ねました。
そういえば師匠は、私を「強くする」と言ってここに連れてきたのでした。
「俺が獣人の戦士として鍛え、いずれはエリーゼ様の護衛にでも……と」
「うーん。この子はアーリィの娘だし、メイドとしての資質も高そうだと思うのよね……。どっちがいいかしら?」
「両方やります」
私の言葉に、師匠も王妃様達も驚きました。
「私はお父さんみたいに強くなりたいですし、お母さんのやっていた仕事もやりたいです。だから両方、やらせて下さい」
「ふっふ~、欲張りさんめ。でもそういうのは、嫌いじゃないわ」
イレッサ様は嬉しそうな笑顔で、私のほっぺたを指でつついてきました。
「アシュトン。空いている時間に、あなたが戦士としての稽古をつけなさい。それ以外の時間は、メイドとしての修行をさせます」
「わかりました」
「アディ。両方やるのは大変でしょうけど、頑張るのよ。きっとあなたのお母さんも、喜んでくれるわ」
イレッサ様はわたしの両肩に手を置き、はげましてくれます。
やる気が湧いてきました。
「アディがわたしを、まもってくれるの?」
エリーゼ様はとても可愛らしい笑顔で、わたしを見上げてきます。
わたしは床に片膝を突き、エリーゼ様の手を取って誓いました。
「はい。将来はわたしがエリーゼ様と、このルータス王国をお守りします。……必ず」




