第125話 別れの口づけ~君は何と書きましたか?~
金色の雲でできた大地と、同色の空が構成する地平線。
その彼方には、強い光が見える。
光を眺めながら、山葉季子は静かに言葉を漏らした。
「ここは……? 次は私が、お別れの時間かな? そろそろ魔神様からの神罰刑期も、終わる頃だったしね。離れられないはずの魔石から離れられたから、成仏できるんじゃないかと思ってたんだ」
彼女は何かをやり遂げたような笑顔で、安川賢紀を振り返る。
「いや~、波乱万丈な人生だった。……いえ。魔族だから、魔族生? まあ地球人時代も含めて、『人生』でいいや。……色々あったけど、悪くなかったよ。最期にまた、安川君と会えたしね」
「俺は……もっと山葉と、一緒に居たかった」
「お? 嬉しいこと言ってくれるね。……でも、もう行かなくちゃ。ティーゼも待っているだろうしね。とりあえず、あの子の夫を品定めしてやるんだ。下半身がだらしないだけのハーレム野郎だったら、ぶん殴って修正してやる! 私の『空間転移パンチ』は、避けられないよ」
そう言って、シャドーボクシングを始める季子。
とんでもないハンドスピードだ。
ゴーレム操作中ではない時の賢紀は、動体視力がブーストされていない。
したがって、季子の手元が全く見えなかった。
鋭いジャブが風を切る、物騒な音が響き渡る。
(あの大人しかった山葉が、こんな武闘派になるなんてな……。そりゃ、変わるはずだよな……。合計500年。長かっただろうな……)
背中の黒い羽根をまき散らしながら、プロボクサーも真っ青のシャドーを披露する季子。
賢紀の知る内気で自信無さげな少女とは、今や全く違う存在だ。
面影があるのは、髪と顔ぐらいのものである。
「……山葉。地球の両親に、何か伝えたいことはあるか?」
地球に戻り、エンス大陸での物語を書き上げた後。
賢紀は季子の家族を探し、彼女が異世界で生きた話を伝えるつもりだった。
間違いなく、「頭のおかしなやつの妄言」と言われてしまうだろう。
だがもし自分が、季子の両親の立場だったとしたら――
娘が轢き逃げ事故で人生を絶たれたという残酷な事実だけを残されるよりも、救いがあると思っていたからだ。
そして賢紀は、荒木瀬名の家族にも同じことをするつもりだった。
「はあ!? 何言ってるの!? 安川君。やっぱり君は、荒木君の話をちーっとも理解していないね?」
「『夢を自分から捨てるな』って話だろう? ちゃんと覚えて……むぎゅ」
季子は話の途中で、賢紀の頬を両方つまみ引っ張った。
「安川賢紀! 君の夢は何だ!?」
「産業ロボットメーカーの開発職に就くことだ。だから地球に戻ったら、学費を稼ぎながら勉強する。そして、工業大学に入って……」
頬を引っ張る季子の力が、さらに強くなる。
彼女は笑顔を浮かべているが、この笑顔に賢紀は覚えがあった。
イラスト修行時代。
賢紀が季子の指示を、守らなかった時。
娘のマリアが言いつけを破り、賢紀の存在を隠匿しようとした時と同じ。
微笑みの仮面を被せた、激怒の表情だ。
「中学の進路希望調査に、君は何と書きましたか?」
「何で中学が違う、山葉が知ってるんだよ。誰か同中の奴が、言いふらしたな? あれは黒歴史なんだから、思い出させるなよ……。『人型機動兵器のパイロット』なんて書いたよ。……まさか山葉、俺に異世界に戻れと言うんじゃないだろうな? 無理だろ」
「やってもいない内から、諦めない! 見損なったぞ安川賢紀! 君はもっと、根性のある男だと思っていたのに」
「可能だったとしても、今更あっちには戻れない。俺はニーサさんから、荒木を奪った。荒木も……エンス大陸で生きたかったはずなのに、俺がむりやり連れて来て……そして、死なせてしまった」
「それは君の責任じゃない。それに負い目を感じて地球に戻っても、ニーサ帝の絶望は変わらない。荒木君だって、喜んだりしないよ? とにかくいちど、フリード神にお願いしてみなさい。あっちに戻して下さいって」
「……わかったよ」
「うーん。今の『わかったよ』も、まだちょっと怪しいな。だけどもう、お説教している時間が無いみたい。……私を呼ぶ声が聞こえる」
「……山葉」
賢紀は力強く、季子を抱きしめた。
幽霊なので透けてしまう季子の身体に、実際には触れることなどできない。
それでも賢紀は力を――そして想いを込めて、彼女の身体を包み込んだ。
「安川君……。高校の時からずっと、君のこと大好きだったよ……」
「俺も……山葉季子を、愛していた」
2人はそのまま、唇を重ねた。
重なっても、決して触れ合えない2人の唇。
だが賢紀と季子は、そこに微かな温もりを感じたような気がした。
ゆっくりと、名残惜しそうに離れる2人。
こんな時でも、賢紀は相変わらず無表情なまま。
しかしその双眸からは、二筋の涙が流れていた。
「泣くのなんて、何年ぶりだろう? さすがに赤ん坊の頃は、泣いていたと思うが……」
「わからないよ? 全然泣かない、いつもむっつり顔の赤ちゃんだったのかも? ふふふ……。男を泣かせるなんて、私もとんだ悪女だね」
「なんたって、魔王様だからな」
「でも、魔王はもう終わり」
宣言と同時に、季子の姿が変わってゆく。
赤かった瞳は、茶色に。
黒鳥の翼は、いちど羽ばたくと収縮。
背中へと吸い込まれ、消える。
そしてワインレッドのドレスは、2人にとって懐かしい高校の制服へと変化していた。
「500歳で女子高生の制服は、アウトだと思うぞ」
「コラ! 死んでからの年数まで、カウントしない! 私はまだ、300歳……もアウトか。いいじゃない。人間だった18歳の時に、戻ったってことにしておこうよ」
「俺の方は、高校時代の学ランに戻ったりしないんだな。せっかくこの世とあの世の狭間っぽい不思議な場所なんだから、それぐらい融通が利いてもいいのに」
賢紀の姿は、藍色の服に紫色のローブ。
フリード神から、【神の加護】を受け取った時のままだ。
【ゴーレム使い】の制服とも呼べるこのローブ一式は、最初から【ファクトリー】の中に50着も入っていた。
ファッションに無頓着な賢紀は、異世界でのほとんどの時間をこの服装で通してきたのだ。
「安川君がその姿のままなのは、【ゴーレム使い】としてまだ何かやらなくちゃいけないことがあるんだと思うよ。……さて。そろそろ行くね」
「ああ……。山葉、またな……」
「うん。安川君も……。またね……」
奇しくもそれは、荒木瀬名との別れの言葉と同じ。
瀬名との別れの時も、下校時の学生みたいだと賢紀は感じていた。
実際に同級生だった季子が相手だと、さらにその感覚は強い。
夕焼けに染まった高校の校門が、賢紀の脳裏に蘇る。
強く、鮮やかに。
もう賢紀も季子も、あの時間には戻れない。
山葉季子は駆け出した。
その足取りに、迷いはない。
力強く地面を蹴って、賢紀から離れてゆく。
長い黒髪が、風になびくほどのスピードで。
十秒ほど走ったところで、季子はいちど振り返った。
賢紀に向かって、大きく手を振る。
その間も、彼女の足が止まることはなかった。
季子に向けて、賢紀も大きく手を振り返す。
こんな場面なのに、相変わらずむっつりした表情で。
しかし、季子は思った。
エリーゼ・エクシーズがこの場に居ても、季子と同じ感想を抱いただろう。
「いつもより彼は、優しい目をしていた」と。
季子の姿が、光に消えてゆく。
見えなくなっても、賢紀は手を振り続けた。
いつまでも。
いつまでも。
「『またな』……か。山葉から聞いた、魔神ヴェントレイの話にあったな。『人の魂は世界を越えて、輪廻転生を繰り返す』か……。そうだな、またいつか……。違う世界、違う姿で、山葉や荒木に会えるかもしれないな。エリーゼ達にだって、いつかきっと……」
季子が消えていった光を見つめていると、賢紀の意識は遠のいていった。
視界が真っ白に染まる。
視界が戻った時、賢紀は神殿のような不思議な――見覚えのある場所に居た。




