第106話 女帝の足跡(2)~止めないのか?~
「ニーサ! 無事だったか! ……クライスは?」
馬に乗って駆けつけた父に、無言で首を横に振るニーサ。
――痛恨の極み。
声には出さなかったが、ジテアール辺境伯の表情は如実に心中を物語っていた。
「父上! これだけの侵攻を受けているのに、なぜ皇帝陛下は常備軍を出して下さらないのですか!?」
「……何か、お考えがあるのだろう。今の私達にできるのは、ここで敵を食い止めることだけだ。領民や帝国民に、戦火が及ばぬようにな」
「陛下のお考え……ですか……」
実のところジテアール辺境伯にもニーサにも、皇帝の考えは読めていた。
現皇帝は、疑心暗鬼の塊といわれる男。
他国の侵攻よりも国内の内乱を恐れ、常備軍を帝都ルノール・テシアから動かしたがらない。
その結果、国境沿いの領主達は度々他国の侵攻に敗北していた。
負けていないのは、ジテアール辺境伯領ぐらいのものだ。
現在帝国の領土は、少しづつルータスやビサーストに切り取られつつある。
そして皇帝は敗戦の責任を全て、国境沿いの諸侯に押し付け処罰する。
皇帝からすれば、帝位を脅かす可能性のある諸侯の力を削げてひと安心なのだろう。
だが領土は縮小し続け、戦争への無茶な負担を強いられる。
貴族達の心は、皇帝から離れつつあった。
それを感じた皇帝は、ますます疑心暗鬼を募らせる。
負の連鎖に、今のリースディア帝国は飲み込まれつつあった。
(一応は母上の父だから、あまり言いたくないが……。なんと矮小な男なのだ! そんな男が皇帝を務めていて、この国は大丈夫なのか?)
元々ニーサは、現皇帝のことを良く思っていない。
母フェミリアは、序列の低い側室の子。
帝都に住んでいたころは、かなり不遇な扱いを受けたと聞き及んでいたからだ。
皇帝への不信感を募らせながらも、今のニーサにできることは少ない。
ただひたすらに外敵を斬り、魔法で蹴散らすだけだった。
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1週間後。
ビサースト軍は、退却を余儀なくされた。
スライカイン・ジテアール辺境伯の采配と、ニーサ・ジテアール、ロメオ・アルフレドらの奮戦によるものだ。
結局、最後まで帝都の常備軍は動かなかった。
多大な損害を出してまで、国境を守り通した辺境伯に与えられた恩賞。
それはどう贔屓目に見ても、妥当とは言い難いわずかなものだった。
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ニーサ・ジテアール、20歳の冬。
彼女は辺境伯邸の玄関から出て行こうとするエルフに、背後から声を掛けた。
「ロメオ! 最近あの怪しげなドワーフと一緒に、コソコソと……。いったい何を、作っているのだ?」
「おっと! ニーサ様には、見つかっちまったか……。まだ、内緒なんスよ。お館様にはちゃんと経過報告しているんで、安心して下さい」
ロメオ・アルフレドはニカっと笑うと、屋敷の門から外へと出て行った。
楽しそうに歩いて行くロメオだったが、彼の後姿を見送るニーサは痛ましい気持ちに包まれる。
彼はエルフの特徴である長い耳が、両方切られ短くなっていた。
2年前。
ルータス王国との国境線で、王国騎士団との小競り合いが起こった時だ。
彼は他の兵を逃がすため、敵に捕らえられた。
その時に功を焦った若い王国騎士が、ロメオを拷問にかけ耳を切り落としたのだ。
エルフの耳は人間族のものよりも神経が通っており、痛みに敏感だ。
時間をかけて少しずつ切り落とされたロメオの苦痛は、想像に余りある。
それでも彼は、一切の情報を漏らさなかった。
独断で拷問を行った若い騎士は、王国騎士団を除名処分になったという知らせが届いた。
だがそれで、ロメオの耳が元に戻るわけではない。
館の中に戻ると、玄関で外出の支度を整えていた父スライカインと出くわした。
荷物の量を見るに、かなり遠くまで行くようだ。
「おや? 父上も、お出かけですか?」
「うむ。陛下から、急な呼び出しがかかってな」
「やっと、正当な恩賞を頂ける……とかだったら良いのですが」
ここ数年幾度となく外敵を退け、多くの危険な魔物を討伐してきたジテアール辺境伯の戦功は目覚ましいものがあった。
だが最近では陞爵や新たな領地はおろか、わずかな報奨金すら出ていない。
4年前。
クライスを失った戦の恩賞は、捕らえた敵の獣人戦士達を奴隷として下賜されただけであった。
それはもはや、恩賞などではない。
「帝都までわざわざ連行して来なくていいから、自分達で始末しろ」という意思表示以外の何物でもなかった。
もっともジテアール辺境伯は、これ幸いにとその獣人達を私兵団に組み込んでしまったのだが――
「ニーサよ。領民や国を守って戦うのは、貴族の義務だ。恩賞に、不平を漏らしてはいかん」
「はい。申しわけありません」
ジテアール辺境伯にも、ニーサの意図はわかっていた。
なので、強く諌めたりはしない。
「家臣の中にも、陛下からの恩賞に不満を持つ者達がいる」という事実。
それを彼女は、遠まわしに辺境伯へと伝えたのだ。
「ふっ……。恩賞に、お前への良い縁談でも頂けると嬉しいのだがな」
「私もそろそろ身を固めたいとは思うのですが、なぜ誰も寄って来ないのでしょう?」
「それを本気で言ってるあたりが、原因かな? さて、そろそろ私は出る。フェミリアや領地のことは、頼んだぞ」
雪がちらつき始めた中。
迎えに来た馬車へと歩いて行く父の背中を、ニーサは静かに見送った。
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「あの人、遅いわね……」
「母上……」
フェミリアはベッドから上半身を起こし、窓の外を眺めながら夫の帰りを待っていた。
「ルノール・テシアはここよりずっと北だから、寒さも厳しいでしょうね。風邪を引いてないと、いいのだけど……」
「…………」
ニーサには、沈黙を返すことしかできなかった。
「父上……陛下からのお呼び出しって、何だったのかしら? ひょっとして、陞爵? あの人、ずっと頑張ってきたものね」
もう何度も、状況は説明した。
だがフェミリアはそれを理解できず、虚ろな目で同じ言葉を繰り返す。
「本当に、遅いわねえ……」
彼女はただひたすらに、待ち続ける。
二度と帰ってくることのない、最愛の夫を。
(母上は……心が壊れてしまわれた)
無理もないと、ニーサは思う。
自分もその報せを聞いた時、心がどうにかなってしまいそうだった。
世界が崩れ落ちていくような、錯覚にとらわれた。
「お館様が、処刑されました!」
情報収集のため、帝都に滞在させていた密偵は告げた。
彼は馬を何頭も乗り潰し、自らも疲労と脱水症状で息も絶え絶えになりながら、ジテアール領へと駆けつけてくれたのだ。
そして領主館の玄関で床に崩れ落ち、号泣した。
無念さで握りしめ過ぎた手の平に、血を滲ませながら。
(ふざけるなよ!? 皇帝! 帝国に尽くしてきた父を貶しめ、殺し、自分の娘の心を壊し、そして私達も共謀者として処刑するだと? しかも許せないのは、父上に着せられた濡れ衣の内容だ!)
ニーサは母の寝室を出た。
暗い廊下を歩いていると、怒りで自然と足も早まる。
途中、壁に寄りかかっている男と出会った。
幽鬼のように佇んでいた、ロメオだ。
いつも陽気な彼の表情には、暗い決意が浮かんでいる。
「ニーサ様。悪いですけど、俺じゃもう私兵団の亜人連中を止められませんぜ。俺自身も、止まる気は無いんですがね。クライスも怒り狂って、墓から出てくるかもしれねえ」
ギリッ! と歯軋りする音が、ロメオの口元から聞こえる。
「皇帝の野郎! 外患誘致罪とは許せねえ! しかもその根拠が、俺達亜人を私兵団の中心に据えているからだと!? ふざけた言いがかりをつけやがって!」
辺境伯が問われた罪は、皇位簒奪などの内乱罪ではない。
他国と共謀して、帝国への武力行使をなさしめようとした外患誘致罪。
どの諸侯よりも帝国の盾となり、国境を守り続けてきた辺境伯とその部下達。
彼らにとって、これ以上の屈辱はなかった。
「ニーサ様はフェミリア様を連れて、どっかの国に亡命して下さい。もうこうなった以上、帝国に忠義を尽くす必要はないでしょう?」
「亡命などせん。ロメオ。今から私のことは、『お館様』と呼べ」
「ニ……お館様?」
「私は父上が守り、母上が愛した帝国のために尽くすよ。まずは暗愚な皇帝に、退いてもらう。お爺様は、少々耄碌されたようだ。後は私に任せて、ゆっくり休んでもらうとしよう。……あの世でな」
「へっ……へっへっへっ……。クライスの野郎が、墓の中で悔しがるぜ。『なんで私が生きている時に、決意してくれなかったのですか!』ってね」
「止めないのか? 無謀な小娘の皇位簒奪を」
「勝算はありますぜ。グレアムの野郎が、強力な動力源を埋め込んだメタルゴーレムを開発しましてね。戦闘力は、今までのメタルゴーレムとは比べ物にならないほど高い」
「現皇帝に、不満を持つ諸侯も取り込むぞ。数は少なくないはずだ」
「やべえ、ゾクゾクしてきた。俺達には、戦女神の化身がついてるんだ。皆の戦意も、高揚するってもんですぜ」
ロメオを伴い、ニーサは再び廊下を早足で歩き始めた。
風圧で長い金髪がたなびき、暗い廊下で輝く。
「皇帝の座は、私がいただく。帝国を、あるべき姿に戻すのだ」
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2年後。
ニーサ・ジテアールは激しい戦いの末、皇位簒奪に成功する。
その過程で彼女は多くの味方を得、そして失った。
失った味方のほとんどは、父の代から仕えてくれた私兵団の者達。
そこには、ロメオ・アルフレドの名も含まれていた。




