第105話 女帝の足跡(1)~もう少し淑女らしく振舞えんのか!?~
安川賢紀や荒木瀬名が、エンス大陸に降り立つより14年前。
後に皇帝となるニーサ・ジテアールが、まだ10歳の少女だった頃の話だ。
彼女は領主屋敷の一室で、授業を受けていた。
まだ幼いのに、当時からニーサは聡明だった。
そんな彼女に講義を行っていたのは、スライカイン・ジテアール辺境伯。
館の主であり、ニーサの父である。
娘に専門の家庭教師を付けず、辺境伯自ら教えているのには2つの理由がある。
いまのニーサの年齢ならば、教育の専門家ではない自分でもまだ勉学を教えられそうだということ。
そして歴史や社会の教科において、現在の帝国における歪んだ人間族至上主義を刷り込まれて欲しくないという思い。
これらの理由から、辺境伯は執務の間を縫って娘の教師役を務めていた。
だが、そろそろ専門の教師を付ける必要が出てきた。
ニーサは文武共に、優秀過ぎる。
すでに剣術と魔法は、辺境伯が教えられないレベルに達していた。
辺境伯とて、帝国貴族の中では指折りの戦士なのだが。
勉学の分野においても、外部の専門家に任せる時期に来ている。
辺境伯は娘の成長を喜びつつも、自分が教えられなくなる寂しさを感じていた。
そんな感情を胸に秘めつつ、残り少なくなった娘との授業を進めていく。
いま教えている教科は、帝国史だ。
「え? 父上。昔のリースディア帝国は、多種多様な種族・宗教が混在する国家だったのですか?」
「その通りだ、ニーサ。広大な領地や異なった民族、様々な宗教を信仰する者達。それらを強大な軍事力をもって統治する国を、『帝国』と呼ぶのだ。……本来はな」
今から約500年前。
各々が『魔王』を自称する強力な魔族達が各地で暴れまわり、エンス大陸は戦乱の最中にあった。
それらに対抗するために、バラバラだった小国や他の種族達を纏め上げたのが初代リースディア皇帝だったと言い伝えられている。
「なぜ今の帝国は、他の種族やリースディース様以外への信仰者を排斥するようになってしまったのでしょうか? クライスやロメオのように、他の種族にも有能な人材は多いのに……」
ニーサの剣の師は、クライス・ヴァイパー。
体の所々に鱗がある、蛇の獣人だ。
しなやかな体捌きから繰り出される曲刀は、夜空に浮かぶ繊月のよう。
斬られる敵すらも、太刀筋で魅了するほどの剣士だ。
魔法の師は、ロメオ・アルフレド。
里を追い出されたエルフで、魔法と錬金術に造詣が深い。
体系立った魔法理論による理路整然とした教育により、ニーサの魔法は瞬く間に上達した。
2人の優れた師の身分は、表向きはジテアール辺境伯の奴隷兵士ということにされている。
外出する際には、偽の【奴隷首輪】を嵌めていた。
それは帝国民としては決して認められることのない2人を、人間族至上主義である他の貴族や帝国民から守るための措置だ。
この2人だけではない。
辺境伯は他種族でも優秀な者を積極的に奴隷として買取り、密かに解放して私兵に加えていた。
「『魔王』という共通の外敵がいるうちは、団結できていた。しかし『時空魔王』が他の自称魔王達を全て打ち倒し、魔国ディトナへ引っ込んでしまった。帝国は、外敵を失ってしまったのだ。そうなると目を内輪に向けてしまうのが、人間の性というもの」
「数以外は取り立てて長所の無い人間族は、エルフやドワーフ、獣人達の力を恐れ排斥を始めてしまったのですね?」
「やはりお前は、聡いな。宗教に関しても、同じだ。帝国は、軍事力が必要だからな。競争と切磋琢磨、自己研鑽を司るリースディース様への信仰を、奨励してはいた。だが決して、それ以外を認めていないわけではなかったのだ。昔の帝国はな」
種族差を、瑣末なものと説くフリード教。
魔族を尊ぶ、魔神信仰。
これらは帝国が人間族至上主義を押し進めるためには、都合が悪かった。
「だからといって他種族を冷遇したり、特定の宗教を強制すれば、人材の流出が起こってしまう。それで国力を落としては、元も子もないと思うのですが」
「私も同感だ。大きな声では、言えぬがな」
辺境伯は娘に同意しながら、窓から外を覗く。
庭では私兵団が、訓練中だ。
ニーサの師でもあるクライスが、若い人間兵相手に剣の稽古をつけている。
人間兵の方は全く手も足も出ず、地面に大の字で倒れていた。
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ニーサ・ジテアール、14歳の春。
貴族の娘としては、そろそろ婚約が決まってもおかしくないお年頃のはずだ。
しかし彼女には、そういった話が一切出てこない。
「好みの男性ですか? 私より強くて、逞しい殿方に憧れます」
社交界デビュー時に、そう言ってしまったのがまずかった。
女神の化身と言われるほど、ニーサは美しい。
そんな彼女をぜひ妻にしたいと、貴族やその令息達がこぞってジテアール領に押しかけたのである。
帝国貴族やその子息には、武勇に自信のある者が多い。
強いところをアピールしようと、彼女に決闘を申し込んできた彼ら。
それをニーサは、ことごとく返り討ちにした。
しかも、完膚なきまでに。
さらには降参する相手に、「帝国民を守る貴族が、その程度でどうするのですか!?」と説教するニーサ。
あげくの果てに「さあ! 帝国のために、私と共に強くなりましょう!」と激を飛ばしながら、実戦形式の苛烈な稽古をつけるという有様だ。
やがて「中身もマジもんの戦女神」という噂が流れ始めると、ニーサを妻にという気骨ある貴族はいなくなってしまった。
辺境伯のひとり娘なのだから、政略結婚話のひとつやふたつぐらいはあっても良さそうなものだ。
しかし本当に、全くない。
今日もニーサは、縁談とは無縁な道を爆進中だ。
辺境伯の私兵団を勝手に率い、近隣に出現したエルダー・ドラゴンの討伐を済ませ帰ってきている。
娘のお転婆っぷりに説教してやろうと、辺境伯は腕組みしながら屋敷の玄関前で待ち構えていた。
「ニーサ! もう少し、淑女らしく振舞えんのか!? このままだとジテアール家には、誰も婿に来てくれぬ!」
「父上。どのみち私に返り討ちにされるような婿では、ジテアール領の未来は暗いです。ご安心を。いざとなったら、私が女当主として家督と領地を継ぎますので。事例は少ないですが、女子による継承も認められているでしょう? 子供は養子を取れば、何とでもなります」
あまりにも剛毅な娘の発言に、辺境伯はガックリと項垂れてしまった。
そんな辺境伯の肩を、慰めるようにポンポンと叩く者が2名。
「お館様。せめて我々よりは強い男性でないと、ニーサ様は納得しないでしょう」
「俺達も、嫌ですよ。お館様かニーサ様と同じぐらい、戦闘指揮の上手いお婿さんじゃないと」
慇懃な口調の方が、ニーサの剣の師であるクライス。
ざっくばらんな口調の方が、魔法の師であるロメオだ。
最近のニーサは、剣・魔法共に2人の師を上回ってしまっていた。
「あー! もう! お前達が、鍛えすぎたんだ! どうしてくれる!? うちの大事なひとり娘を、ルータスのセブルス・エクシーズみたいな化け物にする気か!?」
「いやいや。鍛えろって言ったのは、お館様でしょう? それに、女の子に怪物はねえっすよ」
「ご本人の、弛まぬ努力の賜物です」
しれっとした態度のニーサ、ロメオ、クライスの3人。
ジテアール辺境伯は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
だがその隣では、彼の妻でありニーサの母であるフェミリアがくすくすと笑っていた。
「あなた。良いではありませんか。ルータスやビサーストの国境と隣接しているジテアール領は、常に戦争と隣り合わせです。武勇に優れた娘を持てて、頼もしいと思わなくては。私の父……皇帝陛下も、お喜びになるでしょう」
「フェミリア……。しかしだな……」
「殿方に守ってもらうだけが、女の幸せではありませんことよ。……でもね、ニーサ」
フェミリアはジテアール伯の横顔をチラリと見て微笑み、娘に自分の願望を告げた。
「いつかあなたが守られたいと思うような、素敵な男性が現れるといいわね」
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ニーサが16歳の夏。
ジテアール辺境伯領は、外敵の侵攻に晒されていた。
攻め入ってきたのは、ビサースト獣人国連邦にあるブルド州。
いままでもルータス王国やビサーストとの国境付近で、小競り合いは何度も起きていた。
だが今回の侵攻は、ブルド州王の本気が窺える大規模なものだ。
ジテアール辺境伯の私兵団は、ジリジリと後退を余儀なくされていた。
圧倒的な身体能力を誇る犬獣人、狼獣人の戦士達に押されつつある。
そんな中、クライスは腹部に重傷を負ってしまっていた。
「申しわけありません、ニーサ様……。不覚を取りました」
「クライス、あまり喋るな。傷に障る」
ニーサが肩を貸し、歩きながら回復魔法をかけ続けている。
だがクライスの容態は、思わしくない。
「一瞬、敵を斬ることをためらってしまいました……。なんたる未熟……。同じ獣人同士、同族意識でも残っていたのでしょうか……。私達鱗のある獣人は、ビサーストでも爪弾き者だというのに……」
「お前ほど優秀な剣士は、そうそういるものではないだろうに……。鱗があるというだけで疎外されるなど、ビサーストの連中は大馬鹿揃いだな!」
「ははは……。全くです。拾ってくれたお館様には……感謝しています……。ニーサ様……。貴女にもです。……貴女は私の剣の全てを、引き継いで下さった」
「まだ死ぬなよ? 剣の稽古相手が、いなくなる」
「そうですね……。ニーサ様の稽古相手など、私以外の剣士には気の毒ですからね……。私が……もうひと頑張り……」
ニーサが受け止めていたクライスの体重が、急に重くなった。
「……クライス?」
いつも丁寧な口調で指導をしてくれた、剣の師。
もう彼の唇が、動くことはない。
「まだ、死ぬなと言ったのに……」
ニーサは回復魔法を止める。
そして奥歯を、折れそうなほどに噛みしめた。
クライスの命を救えなかった、己の無力を呪いながら。




