第104話 あの日の真実(4)~どこで間違えた?~
その晩。
荒木瀬名は苛立ちながら、白いオープンカーで夜の国道を走っていた。
甲高い、愛車のエンジン音。
それに混じり、彼を苛立たせた者達の台詞が幻聴となって聞こえてくる。
(来年のシート? あるわけないだろう? 何を冗談言ってるんだ? ……お前は親父の資金力を、自分の実力と勘違いしてないか?)
まず脳裏に響いてきたのは、チーム監督の声だ。
(お前程度のドライバーは、1個下のFIA-F4にもゴロゴロしている。はっきり言ってやる。お前はこの、全日本F3で通用するドライバーじゃない。もう4年も、このカテゴリーに居るんだ。そろそろ気付けよ)
続いて、別の声が響いてくる。
(モチベーション下がるんだよな……。自分の遅さを、俺が丹精込めて仕上げたマシンのせいにされると……。
これは、チーフエンジニアの声。
(こないだオーディションを受けに来た新人な。お前のセッティングのまま乗せたのに、いきなり富士でお前のベストタイムよりコンマ5秒速かったんだけど? そこら辺、どう言い訳するの?)
さらに声が、切り替わる。
(すまんな、瀬名。来シーズンの資金援助はできない。会社の役員連中を、説得することができなかった。F3では、参戦費用に対して宣伝効果が低過ぎる。せめてもう少し、成績が……いや、何でもない)
瀬名を気遣うように語りかけてくるのは、スポンサーでもある父の声。
(お前ももう、22歳だ。私の会社に入るという、選択肢があっても良いんだぞ? 私がそんな名前を付けたからって、レーシングドライバーに拘らなくてもいいんだからな?)
父の気遣いは、余計に瀬名の胸を締め付けた。
レースを諦めても、構わない。
それはつまり、期待されていないということではないのか。
「畜生! 俺は……ここまでの男なのか!?」
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荒木瀬名は大企業経営者の次男として、裕福な家庭に産まれた。
モータースポーツの熱烈なファンであった父は、彼に伝説のF1ドライバーと同じ読み方の名を与える。
父の影響もあり、瀬名がレーシングドライバーを志すまで長くはかからなかった。
初めて車に乗ったのは、4歳の時。
父に連れて行ってもらった、子供向けカートスクールで。
今でも瀬名は、その時のことを鮮明に思い出せる。
たった30ccの排気量しかない、非力なエンジンで走るキッズカート。
しかし4歳の子供にとっては圧巻のパワーとスピードであり、瞬く間に瀬名を虜にした。
瀬名がカートを気に入ったことを、父は喜んだ。
息子の物覚えが良く、運転方法や走行ルール等をすぐ憶えたことに感動していた。
「この子は天才だ! 将来は、F1ドライバーだ!」と、帰ってから家族に興奮して語った。
やがて瀬名はキッズカートのレースに出場するようになり、何回か表彰台に登った。
さらに気を良くした父は、瀬名のレース活動を精力的に支援するようになる。
長男は会社の後継者として育てなければいけなかったこともあり、次男の瀬名にはかつての自分の夢――レーサーを目指して欲しいという期待をかけていた。
小学生、中学生と年齢を重ねるに合わせ、より速いクラスのカートへとステップアップしていく瀬名。
レースの戦績は――そこそこだった。
ずば抜けて速いわけではないが、大きなミスも犯さない。
ちょこちょこと入賞しては、年間ランキングの悪くない位置につける。
堅実ではあったが、スター性はなかった。
父も周りの大人達も、「プロはちょっと難しいかもしれない」と思い始めていた時のことだ。
中学3年生の時。
瀬名はカートの全日本選手権で、年間ランキング6位に入ってしまったのだ。
全日本で年間6位になると、「限定Aライセンス」というものを取得することができる。
運転免許を取れない16歳からでも、フォーミュラカーに乗れるようになるのだ。
そのせいで本人も周りの大人達も、プロレーシングドライバーへの道を諦めきれなくなってしまった。
16歳で、スーパーFJという入門用のフォーミュラカー。
17歳で、より高レベルなFIA-F4へと乗り継いでく瀬名。
18歳の時には、プロへの登竜門であるF3に参戦している――しかも自動車メーカーと関わりの深いチームから、オファーが掛かったのだ。
「行ける! 俺はプロになれる!」
そう自信を持って参戦した全日本F3選手権で、彼は大きな挫折を味わった。
チームメイトの外国人ドライバーに、全く歯が立たなかったのだ。
コース1周だけの速さを競う予選のタイムアタックでも、何周も走るレース本番でも、常に瀬名は負け続けた。
さらに瀬名は、シーズン途中でショックな事実を知ってしまった。
事前に聞いていた額より倍額の資金を、父がチームに持ち込んでいたのだ。
チームは瀬名の実力を、買ってくれていたのではなかった。
資金欲しさに、渋々乗せていたのだ。
翌年のシートを失うまいと、瀬名は必死で速さをアピールしようとした。
しかし、かえってそれが災いした。
荒々しく雑な運転で、車を壊すことが増えていったのだ。
彼の持ち味は、丁寧で堅実なドライビングだったというのに。
全く良いところがないまま、瀬名はシーズンを終えた。
名前負けの荒木瀬名。
それがF3参戦初年度で、彼に付けられたニックネーム。
次の年、瀬名はそのチームから放出された。
2年目、3年目と、瀬名は何とか資金持ち込みで乗せてくれるチームを見つけた。
だが参戦を重ねるごとに、彼の成績は落ちていく一方だ。
それに伴い、精神面も不安定になり始めた。
成績不振を車のせいにし、エンジニアとの口論が多くなっていく。
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そして4年目。
ついに瀬名は、どこのチームからも見放された。
チーム監督が。
チーフエンジニアが。
そしてスポンサーであった父が、最後通告を突きつけてくる。
「ああ……。来年俺はもう、F3マシンには乗れないんだな……。あの強烈な加速。ウソみたいに止まるブレーキ。体中の血が片寄るような、旋回速度。……もう2度と、味わえないかもしれない」
サーキットを駆けた日々が、遠い昔のように感じられる。
回想の途中で、瀬名はふと我に返った。
「……え? 俺はいま、何km/h出しているんだ?」
スピードメーターを見て、凍りつく。
愛車の速度は、120km/hを超えていた。
「馬鹿野郎! 何て運転をしてるんだ!」
瀬名は公道において、絶対に飛ばしたり違反をしないドライバーだった。
免停でも食らって、レースに出られなくなっては困る。
それに瀬名には、レーシングドライバーとしての矜持があった。
「レーシングドライバーは、一般道でも安全運転の模範になるべき」と考えていたのだ。
運転免許を取得してからずっと、丁寧さとスムーズさ、そして安全には神経質なぐらい気を遣って運転してきた。
知人を乗せた時、「レーサーなのに、自動車教習所みたいな運転するんだな」とからかわれることもあった。
だがそれでも瀬名は、公道での運転スタイルを変えなかった。
今の速度は、レーサーとしてのプライドをドブに捨てるような運転だ。
瀬名は素早く、ミラーで後方を確認。
後続車がいないことを確認すると、素早く右足をアクセルからブレーキへと踏みかえた。
一般ドライバーとは、比べ物にならない俊敏さだ。
次の瞬間には、タイヤのグリップを限界まで使った急制動を実行する。
断続的なスキール音が、夜の国道に鳴り響いた。
車体は急激に、速度を落としていく。
まるで見えない巨大な手から、わしづかみにされたかのように。
だが――
「……横断歩道! 頼む! 誰もいないでくれよ!」
瀬名の祈りは、届かなかった。
横断歩道に現れたのは、コンビニの袋を下げた若い女性。
驚いた表情をしているが、当たり前だ。
こんなに速く、車が迫ってくるとは思ってもいなかったのだろう。
鈍い衝撃と共に、女性の体はボンネットの上を転がる。
彼女はフロントガラスで跳ね、ドライバーの頭上を通り抜けた。
オープンカーだったので、瀬名の顔に直接鮮血が降り注ぐ。
――早く救助しなければ。
瀬名は急いで車を降り、撥ねてしまった女性の元へと駆け寄った。
しかし、彼女はすでに虫の息。
鬼気迫る表情で、瀬名を睨みつけてくる。
声は聞こえないが、微かに彼女の口元が動いたように見えた。
(……ゆるさない!)
やはり、全く声は聞こえない。
だが瀬名には、彼女がそう言っているように感じた。
後のことは、よく憶えていない。
気が付くと、瀬名は実家の自室にいた。
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「何をやっているんだ!? 俺は!? 無謀なスピード違反のあげく、横断歩道上で人を轢いて逃げただと!?」
毎日のように、ニュースで流れる交通事故。
無謀なスピード違反。
飲酒運転。
あおり運転。
そして、轢き逃げ。
瀬名はそれらを行うドライバーを、心の底から軽蔑していた。
そんな連中がいるから、自分達レーシングドライバーを暴走族のように誤解する人もいるのだと疎んでいた。
「実際にはどうだ? 俺はそいつらと、同じことをやった!」
あの女性は、間違いなく助からない。
瀬名はF3マシンはおろか、乗用車のハンドルを握ることも許されなくなる。
それどころか、社会的には死んだも同然だ。
今ここに居るのはレーシングドライバー荒木瀬名などではなく、ただの犯罪者だ。
「俺は……俺は車で、人を殺した……」
それは重大な裏切り行為。
今まで自分と共にサーキットを走ってきてくれた、全てのマシン達に対する裏切り以外の何ものでもない。
瀬名は自分を憎悪し、頭を掻きむしった。
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自室にこもったまま、丸1日が過ぎた。
食事も睡眠も、取れていない。
もう何も、する気が起こらなかった。
後はただ、警察が捕まえにくるのを待つだけだ。
瀬名は力なくベッドに横たわり、無気力な目で天井に貼られたポスターを眺めていた。
紅白に彩られたF1マシンを駆る、自分の名と同じ姓を持つヒーローのものだ。
「そう……。俺は、彼のようになりたかったんだ……。どこで間違えた?」
努力が足りなかったのか?
持って生まれた才能が違ったのか?
それともこれが、運命というやつか?
結局自分は、英雄になれる器ではなかったということか?
幼い頃から、父に無駄な大金を使わせてきた。
資金力にものをいわせて、本当に才能のあるドライバー達を押しのけた。
なのにチームや家族が喜ぶような結果を出せず、独りよがりなドライビングでマシンも痛めつけた。
そして昨日。
自分が最も愛する物で、未来ある若い女性の命を奪った。
思わず自分に笑ってしまう。
本当に救いようの無い男だ。
――警察が来る前に、首を吊って死のう。
瀬名は決意した。
「ああ……。結局俺の人生は、周りに迷惑をかけるだけのものだったな……。誰も俺を、必要となんかしていない……」
『いいや! 君を必要としている者はいるぞ! ……【英雄】になる気はあるか? セナ・アラキ!』
どこからその声が聞こえたのか、瀬名には分からなかった。
ただ彼は吸い寄せられるように、手を伸ばす。
空腹と絶望感で重くなった右手を、天井のポスターに。
憧れた続けた、【英雄】へと向けて。




