七話
蠢く者がいた。それは悍ましく、異臭を放ち、この世の生物が通常であれば忌避するもの。
けれど、闇に見せられた者にとっては魅惑的で、心がそれの前に行けば踏みつけられ潰されそうになりながらも、求めずにはいられない。
いつの世にも、闇に惹かれてしまう者はいるのだ。
ただそれを隠し、息をひそめているだけ。
「あぁぁぁぁ。我が主よ。お目覚め下さいましたか」
異臭を放つそれを地下の神殿にて崇める男は、黒い装束を身にまとい、頭にはギョロリトした目玉をモチーフにした飾りがつけられている。
そして恍惚とした表情で異形に向かって頭を下げる。
「我が主。どうか、お召し上がりください」
血に染まった祭壇に捧げられていくものは、竜の首、肉、骨、臓物。
それを黒装束の者達が運ぶと、男の後ろへと下がり地面に伏せて首を垂れる。
『あぁぁぁ。良い香りだ』
そう言いながら、悍ましい異形の物は巨大な口を開けてそれをむさぼり食べ始めた。
くちゃくちゃばりぼりという何とも言えない音が響き渡る。
恐ろしい光景でしかないはずなのに、平伏す人々にとってはそれすらも崇高なもののように感じられているのか、崇めるように手を合わせるものまでいた。
そんな中、まるで恋人にでも話しかけるように、一人の少女がそれに歩み寄ると言った。
「まぁ。お行儀が悪いこと。ふふふ。ほら、お口が汚れていますわ」
口元をハンカチで拭うと、一瞬でそれは黒々と染まり、そして焦げて崩れ落ちてしまった。
「ふふふ。何だ。お前、本当に元気になったなあチェルシー」
チェルシーは、楽しそうに笑みを浮かべた。
「主様のおかげです。私の穢れ、腐ったものを全て食べてくださったから」
普通の人間であれば、腐り落ちた体を食べられて生き残れるはずがない。しかしチェルシーは違った。
自らの中に残っていた竜の血の純粋な治癒の能力だけを体凝縮して残し、穢れの部分を全て異形に食べさせたのである。
それは異様な光景であったが、闇に心酔し進行する者たちにとっては崇高なもののように見えた。
「うふふ。だから体は綺麗になって、しかも」
次の瞬間チェルシーの背中には漆黒の蝙蝠のような翼が生える。
「竜の能力も手に入れた!」
恍惚とした表情のチェルシーは口づけをすると、ずぶずぶとその部分が再生を繰り替えしていく。
「人間のくせに図太い女だ。それで、我の体はまだか……人間の体が我には必要だ」
その言葉に、頭を垂れていた一人の男が顔をあげた。
「候補は二つ。肉体的なことを言えば、私の妹の所にいる竜の王子がいいのではないかと」
「あぁ。だが、どこからか香る良い匂いはサラン王国の王城内からするぞ」
「……主様がもしサラン王国事態もお望みならば、第一王子であるアシェル王子の体というのも良いかと考えております」
その言葉に、にやりと笑みを浮かべると黒い舌をぺろりと出して言った。
「ではその体、もらい受けに行くか」
人間から崇め奉られているが、こういう者はいつの世にもいる者だと、笑みを深める。
好きにすればいい。自分も好きにするだけだ。
「ねぇ、主様。主様のお名前はなんていうの? 私、主様の事をお名前で呼びたいわ」
チェルシーの言葉に、名前などに対した意味はないと考えるが、呼びたいと言うのであれば呼ばせてやるかと口を開いた。
「カシュ……秒な名だが、昔そう呼ばれたこともあった」
かつて、一人の女が我の事をそう呼んだ。
体が急な成長を受け入れず、しばらくの間体が自由が利かなかったが、やっと動けるようになった時には、女はいなくなっていた。
もうあの女は死んだだろうか。死んだだろう。かなり前のことだ。
人間とは簡単に死ぬ。
「カシュ様! まぁ! なんて素敵な名前かしら。ふふふ。見た目とは違い可愛らしい響きの名前ですね! 私はずっと一緒にお供していきますわ」
はるか昔に呼ばれたその名を、また人間に呼ばれるとは皮肉なものだと、カシュは笑みを深めた。
◇◇◇
腕に出来た痣について、エターニア様にも尋ねてみたけれど、何かは分からないと告げられてしまった。ただ、体に害を及ぶような邪悪なものではないだろうと言われたことで、私は少しほっとした。
「本当に帰るの?」
『あー。まだまだ遊びたいのに、人間ってどうしてすぐに帰りたがるのかしら』
ユグドラシル様は唇を尖らせてそういう。けれど、私達は突然王城から姿を消してしまっているので、出来るだけ早く帰らなければならないだろう。
「申し訳ありません。国に帰ってやることもありますので」
『エレノアの痣について調べないと。それに仕事がね……溜まっているはずだよ。結構ね……はぁぁぁ。チェルシー嬢についての一件も片付いてないしなぁ』
アシェル殿下の言葉にユグドラシル様は大きくため息をつくと、潤んだ瞳で私の方を見た。
「エレノアだけでももう少し遊んでいけば?」
『ここの方が安全よ? 人間の国に帰る必要ある?』
確かに人間の国よりも妖精の国の方が安全かもしれない。ここはそもそも自由に出入りできる場所にはないと聞くし、入りたいからとすぐには入れる場所ではないだろう。
妖精の国には、妖精が内側から道を開かなければ入れない。だから守りは完璧である。
しかし、妖精の国にはアシェル殿下はいない。
アシェル殿下のいる場所に、私は一緒にいたい。
「ありがとうございます。ですが私も国に帰らなければなりませんので」
そう伝えると、ユグドラシル様は大きく残念そうにため息をついた。
するとその様子に妖精達の心の声が煩くなった。
『ユグドラシルが、大人しくひきさがったぞ!』
『あの人間の美人さんはすごいわね!』
『ユグドラシルに言うことを聞かせるなんて、ただ者じゃないわ!』
そんな言葉に、私はユグドラシル様はどれほどこれまで問題を起こしてきたのだろうかと不思議に思った。
エターニア様が今度は私の前へと飛んでくると、私の額に手を当てて言った。
「ユグドラシルからキスを受けたと聞いている。これは妖精とエレノアとの友情の証でもある。もしも助けてほしければいつでも念じればいい」
『大切なユグドラシルの恩人だ。いつでも借りを返そう』
私はその言葉にうなずくと、エターニア様はユグドラシル様の横に移動した。
そしてユグドラシル様が指をぱちんと鳴らした瞬間にそこに光の扉が現れる。
「さぁ、王城へと繋がっているわ。また会える日を楽しみにしているわね!」
『暇になったらこっそり遊びに行けばいっか』
「また会える日を楽しみにしていますよ」
『私もたまには人間の国に遊びに行こうかしら。そろそろ王女の座もユグドラシルに譲ってもいいでしょうし』
二人とも心の中で私たちの元へと遊びに来ることを画策しており、私はそれに笑いそうになるのをぐっと堪えた。
最近、心の声を聴いて笑いそうになることが増えた気がする。
「またねー!」
『まぁ、すぐに遊びに行けばいっか!』
私とアシェル殿下は手を振り、それから光の扉をくぐった。
『心の声が聞こえる悪役令嬢は、今日も子犬殿下に翻弄される』を購入してくださった皆様ありがとうございます! 嬉しいです! 小説内には書き下ろしのハリーの話の話やエレノアの小さな頃の話などもついております! よろしくお願いいたします(*´▽`*)
こうサザエさんみたいにじゃんけんしてまた明日! みたいなのが小説でも出来たらいいのにですね(*´▽`*)
じゃんけん ぽん!
ぐー!
また明日!






