第54話 亡者達
「許せない……、国の宝を……独り占め……」
夫人達はぶつぶつと呟きながら血走った目でローズの事を睨んでいた。
やはりローズは非道なわがまま娘。
伯爵家の権威を傘に好き放題する国家の敵である。
そんな大犯罪者がサーシャンズコーデに袖を通す事などあってはならぬのだ。
会場全体が殺伐とした雰囲気に満たされた。
じりじりと夫人達がローズに近付いて来る。
その手はわにわにと犯罪者が着ている新作ドレスをむしり取ってやろうと蠢いていた。
ローズはそんな亡者の様な夫人達の姿を見て『これってなんか、バイオなハザードって感じじゃない? まさに生き物危険 ババーン!!キャーって奴だわ』と、今にも『かゆい……うま……』とでも言いだしそうな夫人達の群れに恐怖のあまり少々現実逃避中だ。
「えっと……皆さま落ち着いて下さって?」
冗談も言ってられない周囲の状況に何とか気を取り直して後退りながら亡者共に声を掛けるローズ。
しかしながら、ここは会場のほぼ中央である。
周りは夫人達に取り囲まれている為、背後にも逃げ場などない。
ベルナルドやオーディック、それにカールが何とか止めようと声を掛けるが、そんなものに耳を貸す者は居なかった。
今この場に置いて貴族の爵位など意味を持たない、今この場にある価値基準の頂点はローズの着ている新作ドレス。
他の貴族達も自身の夫人には頭が上がらないようで、どうしてたらいいのかとおろおろとしているばかりである。
ローズはちらりとシャルロッテの方に目を向けた。
全てはライバルであるもう一人の悪役令嬢の仕業だ。
思惑通り自らの憎き敵を追い詰める事が出来てさぞかし満足な顔をしている事だろう。
『って、あれ?』
瞳に映るシャルロッテの表情は思っていた物と異なっていた。
先程の悪い笑顔なんて消え失せて、顔面蒼白のまま怯えた表情で固まっている。
しかもぷるぷると小さく震えているではないか。
夫人達を扇動して敵意をローズに向けさせた本人であるシャルロッテが、なぜそんな顔をしているのだろうか?
作戦成功に喜んで然るべきだろう。
『な、なにあの顔は? ま、まさか? 彼女……』
シャルロッテが浮かべる怯えた表情の真意を捉えかねていたローズだが、ふとその表情にかつての級友の顔が重なった。
その級友とは高校時代に尊敬していた先輩と三人でいつも一緒に過ごしていた仲だ。
ただ級友は少し困った性格で、極度の男嫌いと言うか、同性に対する愛が溢れる性癖の持ち主だったのである。
ただとても一途な性格で有った為、その溢れる愛の先はただ一人尊敬していた先輩にだけ向けられていた。
しかしながら、自分以上に面倒見の良い先輩は、その溢れる愛もただのスキンシップと解釈し普通に接していたのだ。
当初はそれで全て上手くいっていた。
先輩と級友の協力も有って、生徒会長として数々の学校改革も行った。
その活躍を称賛する声の中には、学園で語り継がれているかつて『麗しき黄金時代』と謳われた伝説の生徒会にも匹敵すると言う者も居た程である。
それだけではない、自分の師匠にも匹敵し得る強者である先輩、それに級友も自分と同じレベルの実力の持ち主。
三人は当時荒れていた近隣の不良共をボコボコ……ゲフンゲフン、少しばかり強硬手段を使って全うな高校生として更生を促し社会復帰させるお手伝いをしていたのも懐かしい思い出だ。
だがしかし、いつしか三人の歯車が狂いだした。
過ごした時間が長くなるにつれ、級友の溢れる愛はその勢いを増していく。
その愛はやがて『一緒に居るだけでいい』と言う形から、『自分だけを見て欲しい』と言う異形の姿に変貌してしまったのだ。
最初はちょっとした悪戯だった。
気を引く為にわざとちょっかいを掛ける程度の可愛いらしい悪戯。
そして、先輩はその行為に『ダメよ』と優しく注意する。
その時の級友の嬉しそうな顔は、彼女の心の奥底で変貌している愛の形を知らない自分にはただ微笑ましく映った。
しかしそれは間違いであり、この時その瞳の奥に宿る怪しい輝きにもっと早く気付くべきだったと今も後悔している。
可愛らしかった悪戯は、どんどん醜悪な物に変化していくのに然程時間は掛からなかった。
そしてとうとう、仲良し三人組にとって決別と言う運命の日を迎えた。
いくら面倒見が良くて優しい先輩と言えども、人の心には踏み入れてはならない領域と言う物が誰しも必ず有るものだ。
級友はそこに触れてしまった。
激怒して『二度と私の前に姿を見せるな!』と言い放つ先輩の顔を見た時の級友の怯えた表情。
思っていなかった最悪の結果に後悔しているそんな顔だった。
その時の顔がシャルロッテに重なった。
恐らくシャルロッテはただ単にちやほや目立っているライバルに少しばかり恥をかかせてやろうと思っただけなのだろう。
今まで顔を合わせるだけで喧嘩する様ないけ好かないライバルが、急に貴族としての自覚に目覚め伯爵令嬢としてしおらしく振る舞っている。
しかもライバルであった自分の事を無視して、周りの貴族達に今までの自ら行って来た悪行に対して頭を下げているのだ。
同じように悪行を重ねていた自分への当て付け行為だと、シャルロッテが怒っても仕方の無い事だろう。
うん、それは分かると、ローズはシャルロッテの心情に納得する。
ただ心情に納得はするが、それと今の状況は別だ。
なにせ、今ローズが置かれているこの状況は生死が掛かっていると言っても過言ではない。
ドレスを脱がされるだけで済むなら儲けもの、下手すりゃ命まで取られかねない程のヒート振りだ。
級友も先輩本人に危害を加える事はしなかった。
それなのに、このライバルと来たらダイレクトにアタックしやがってと、ローズは憤慨する。
『く、くそ~、覚えていなさい。突然降って湧いたライバルめ!』
ローズはシャルロッテに向けて恨みの念波を飛ばす。
その念波を受け取ったのかは知らないが、シャルロッテはローズと目が合った途端、ビクンと身体を震わせた。
そして……、
『あっ! 逃げた!!』
シャルロッテは自分が招いたこの状況が怖くなったのか、踵を返して一目散に会場の出口に向けて逃げ出して行ってしまった。
捕まえて貰おうとオーディックやベルナルドに頼もうと思ったが、この状況がシャルロッテの手によるものだと気付いておらず、逃げるシャルロッテに目もくれていない。
事情を説明しようにも、現在二人は亡者の人垣の外でローズを助けようと必死になっているので話が出来る状況ではなかった。
刻一刻とにじり寄る亡者達。
一応多少の理性が残っているのか、伯爵令嬢に向けて飛び掛かって来る事は無いようだった。
しかし、その理性もいつまでもつか分からない。
どうすればいい?
ローズは迫りくる亡者の群れの前に手を出す訳にもいかず、どうする事も出来ないまま立ち竦んだ。
ふと、視線に人垣の外に居るオーディックとベルナルドがとても険しい表情となっているのが見えた。
若干腰を落として何かの構えを取っている様だ。
もしかして、夫人達を武力で排除しようとしているのだろうか?
それはダメだ!
それをやってしまったら伯爵家存続どころか、この派閥の者全員がお家取り潰しと言う最悪の事態を招いてしまう。
だけど、どうしたら良いの? 誰か助けて! ローズはこの絶対絶命のピンチに神に祈る事しか出来なかった。
「ご夫人の方々! お静まり下さい! このドレスはサーシャ様の新作ドレスではありません!」
もう駄目だと思ったその時、突然会場に大声が響いた。
その声によって夫人達の動きがピタリと止まり、会場に静寂が訪れる。
皆がその声の主に目を移す。
勿論ローズも目を向ける。
その視線の先に居た人物はフレデリカであった。
書き上がり次第投稿します。




