第十八話 三大欲求を超える欲求
人間というのは一度不安を持つと、どうしようもなくなるものだ。
莉亜に食べ物を持っていないか確認したが、
「はあ? 持ってるわけないじゃない。逢坂君が入るのを見て、急いで入ったんだから……」
とまあ、ある意味予想通りの回答。
莉亜に期待するようになったら終わりか。
あっちの世界ではダンジョンの中でも自給自足ができた。自生する植物やキノコなど、最悪、モンスターを食べるという方法もある。
何気にリザードマンがうまい。
しかし、このダンジョンに出現するのは召喚生物。
倒すと消えてしまうため、食料にすることはできない。おまけに清掃も行き届いているらしく、キノコや雑草なども生えていない。困った。
出張購買部などあるわけもないし、弁当持ってこなかったらダンジョン制覇まで食事抜きになるのか。
食事も食べずに授業もサボりで、何しに学校きたんだって話だな。
莉亜をチラッとみる。コイツも一緒か。
「お前、授業サボってこんな所にいていいのか?」
「え? だって、これは学校行事よ? ダンジョンにいる間は、授業免除になるし、問題ないわ」
納得していると、莉亜が言葉を続ける。
「だから逆に、夜の八時を過ぎると、ダンジョンからも強制退出になるわ」
「そうなのか――って、時間制限ありなのか? 強制退出された後は、明日またB1からか?」
「エレベーターもないし、多分、そうなんじゃないかな……わからないけど……」
英雄がそのまま使えるのかどうかが、問題だな。
使えるなら、そのまま次々に階層は降りられるので、それほど大変でもない。
だが、使えなかったら……またメダル集めから。
腹が減っているが我慢しよう。やり直しは面倒だ。
※ ※ ※
人間の三大欲求。『食欲』『睡眠欲』『性欲』
この他にも『名誉欲』や『金欲』などがある。
しかし、これらの欲求を遙かに凌駕する欲求があるのだ。
ぎりぎりの時間に学校へ行く人間が、それに襲われれば遅刻確定。
満員電車の中で襲われれば、地獄との戦いになる。
どんな強者であっても、この欲求に逆らうことは難しい。
プロになると、その欲求に性的な興奮すら覚えてしまうほどだ。
今回、よりにもよってその欲求に、探索中の莉亜が襲われてしまった。
俺は暴れる莉亜の肩を掴み、強く抑えている
そんな手を無理矢理に引き離そうとするほど、莉亜は我慢の限界だった。
「ほ、本気か? 本当にやるのか?」
「ええ。だってぇ、もうこれ以上は無理よ! 我慢出来ないわ!」
莉亜の目がグルグルと回っており、正常な判断をなくしていた。
息を荒らげ、嫌な汗を掻きながら、お腹をしきりに押さえる。
相当、無理しているのだろう。
人間としては当然の欲求なので、我慢させるのはおかしい。
だけど――
「それは女、いや、人間として、どうなんだという話になる。それは覚悟の上か?」
「構わないわ! ……それを含めて、もうおかしくなりそうなの!」
「わかった。なら、もう何も言わない。好きにしろ……」
俺が莉亜の肩を離した瞬間、莉亜は脱兎のごとく、迷宮の曲がり角へ向かっていった。
――お花を摘みに行ったのだ。大とか小とか、どこでやったのかとか、その後の処理とか、疑問は色々あると思う。
だけど、これ以上の描写はプライバシーのため、控えておく。
何にも勝る欲求、それは『排泄欲』だ。
※ 排泄中 ※
「では気を取り直して、冒険へ出発だ!」
泣きそうな顔で戻ってきた莉亜に、俺は努めて明るく声を出した。
さすがに野○ソなんてヒロインとして、ではなく、人と恥ずかしい。
ラノベなどでもトイレにいるヒロインを覗くシーンはよくあるが、決して、実際にはやっていない。
本当にヒロインがやるのは、スカトロエロ小説やエロゲーくらいだろう。
莉亜はその一線を乗り越えてしまったようだ。
野グ○ヒロインに……
すべてを受け入れる俺の明るい声に触発されたのか、莉亜は微笑む。
「誰にも言わないでね?」
笑顔の奥に潜む悪意。いや、殺意というべきだろう。
その瞳は狂気に染まっていた。
これはからかうと、シャレにならんことになりそうだ。
「けど、人間として当然の欲求だぞ? 別に恥ずかしがることはない」
「恥ずかしいわよ! ああ……どうしてやっちゃたんだろう……」
莉亜は顔を真っ赤にして、珍しく後悔している。
「誰にも言わないから安心しろ」
その言葉に莉亜はホッとして、笑顔を見せた。
――十分後。
食事も排泄も意識してしまうと、どうして気になってしまうのだろう。
急にしたいような気がしてしまうのだ。
今はまだ我慢ができるが、時間の問題。早いところ、トイレを見つけなければやばい。だが、そんな俺の予定はこの欲求に意味がなかった。
時間経過ともに容赦なく襲いかかってくる。
B3を探索していても、お腹の痛みが激しさを増していくばかり。これはシャレにならん痛みだ。しかし、さすがに野グ○だけは勘弁して欲しい。
異世界のダンジョンでは、やったさ。そりゃやった。遠慮もなく、それこそ堂々と。女の冒険者に見られて、死にたくなったのはいい思い出だが。
男の俺でもこんな気分になるのだから、女がダンジョンを嫌がる理由の第一位は、排泄の問題だろう
排泄中に男の冒険者に襲われたり、覗かれたり、臭いを嗅がれたりと、散々な目に合うに違いない。
そんな野○ソ歴が長い、ベテランの俺でも、学校の施設内でやるのは、どうしても気が引ける。たぶん、このダンジョンが思ったよりも綺麗だからだろう。
誰もこんな場所で排泄なんてしていない気がする。
やはり、無理だ。いや、したくない。
そもそも向こうの世界の常識と、こちらの世界の常識は別なのだ。
しかし、限界は近い。今にも挨拶をしに、出てこようとしている。
考えろ、ここまでの間に何かあったのではないか。
「どうしたの? 逢坂君、体調でも悪いの……?」
脂汗を流す俺を心配そうに、莉亜が覗き込んでくる。
そこで、莉亜との会話を思い出した。
『これは学校行事』体調が悪くなった人間を放置するはずがない。
しかも、時間が来れば強制退出させる仕掛けもある。
緊急脱出があると考えて、間違いないだろう。
そこまで気遣いがあるなら、トイレがないのはおかしい。生徒に無理をさせて、膀胱炎などの病気にしたら、学校の責任になる。
トイレはペナルティなしで簡単にいけるはずだ。でも、どこにあった?
怪しい結界や紋様もなかった。全てを探したとは言わないが、責任回避でトイレを用意しているのなら、そんなに難しい場所にはないはずだ。
「逢坂君! ほ、本当に大丈夫!? 辛いなら声を出して!」
考え込んでいた俺を心配そうな顔で、俺の体にすがりついてくる。
その表情が、本当に心配しているときのリノア姫を思い出させた。
胸がキュッと熱くなる。そうだな、辛いときは声を出すべきだ。
俺は息を吸い込み、大きく叫んだ。
「トイレはどこだ! トイレを出せ! トイレよ、出ろ!」
声の限りに叫んでみた。
深く考えたわけではないが、簡単に見つかるというなら、声に反応するのではないかと思っただけだ。
その声に反応したのか、キランと近くの壁が急に光り始め、いきなりドアに変わる。奇跡が起こった。表札には『お手洗い』と書かれてある。
答えがわかると実に簡単な方法。むしろ便利だ。
莉亜が口をぱくぱくさせながら、俺とトイレの扉を交互に見ている。
まあ、とりあえず、
「じゃあ、俺、トイレ行ってくるから――」
「ま、待ちなさいよ! なんで一人だけ、トイレでやるのよ!」
「……あのな、排泄は普通トイレでやるものだぞ?」
「わかってるわよ! 知ってるわよ! だ、だけど、それはずるいでしょ! アンタも、その辺でやりなさいよ!」
発言は強気だが、莉亜の声は今にも泣き出しそうなほど震えていた。
すがりついたまま俺を見つめる。
俺がトイレでやると、莉亜は人生の汚点になってしまう。
だったら俺も外でやるべきか。そう考えたのは、一瞬。
莉亜のすがりついた手を無言で振り払い。
――バタン。
俺はトイレのドアを閉めた。鍵までかけた。
ドンドンとドアを叩く音が聞こえる。しかし、無視だ。
いくら何でも、学校の施設で野○ソなんてできない。
よくできたな、あいつ……まあ、触れないでおいてやろう。
多分、心に一生の傷を負ったに違いない。
全てが終わり、トイレから出る。
目前に『再侵入30分』の文字が表示され、カウントダウンが始まると、そのまま扉ごと消えた。トイレを逃げ道にさせないように制限があるのかもしれない。
辺りを見回すと、莉亜が壁の前に座り込んでいじけていた。
かわいそうなのでフォローしておこう。
「莉亜、気にするな。ダンジョンって場所での排泄は、基本的に野グ○だ。お前だけじゃない」
「そ、そうかな?」
莉亜は顔をパッと上げて俺を見る。
その顔は希望に満ちていた。
「ああ、トイレがなければ当然だ。俺はトイレでやるが、お前はもうこの際、開き直った方がいい。野○ソヒロインとして――」
「開き直れないわよ! 人生の汚点じゃない! 二度と言わないで!」
全くフォローにならなかったようで、莉亜は恨めしげに俺を睨み、地団駄を踏んで暴れだす。文句なんて言いたい放題だ。
だが、俺は止めた。本気でやるのかと、確認もした。
それなのに、勝手に我慢ができずに決行したのは莉亜だ。
「俺が文句言われる筋合いはないな」
黙らせるために軽く魔力を走らせた。
「あはぁんっ、んっ、はぁああーーーっ!」
ピクピクと体を震わせて、悦んでいる莉亜を見下ろす。
だいたい、どこでも嬌声を上げているんだ。
今さら、○グソくらい気にするな。
それにしても、音声認識でトイレが出てくるとなると、もう一つの疑問も解決するのではないだろうか。
「食堂出ろ! ご飯の時間だ! 食事はどこだ!」
などと叫ぶと、どれに反応したかわからないが、ポンと音を立てて扉が現れた。
表札には『出張購買部』と書かれてある。本当にあったのか。
俺は時計を見ると、十三時を近い。お昼休みの時間だ。
強制退出まで『残り時間は七時間』。
急いで食事を済ませよう。扉を抜けると、小さなお弁当屋になっており、美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐった。




