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神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
この手にある幸せ

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十一 濡衣

 鉱山への贈り物運びは、私の習慣のひとつとなっていた。ラウタニエミへ来るたびに、ヴィエノと会う。そして私はウスヴァカッリオへ。予定が合えばヴィエノはそれに着いてくる。それを三回ほど繰り返した。とはいえ、シピと再び言葉を交わすことは叶わず、遠くから背を見送るだけに終わる。気配を探るたび、あの短い対話が夢のように思えた。

 そうして季節が過ぎ、シニサラマン商隊の様子もまた少し変わった。冬の間に制限されていた移動が解禁になったため、多くの隊列が北部全体へ散っていく。私もまたウルスラに随伴し、北東部へと移動していた。

 そして、その中でウルスラの娘ファンニが十歳を迎える。幼さの残る少女から、気難しさを隠さぬ娘盛りへと姿を変えていったのだ。彼女はいつからか、必ず両親のいる隊へ伴うようになった。


 ある日の夕刻だった。サルキヤルヴィという北東部最大の街に到着し、私はその外縁部にて天幕を張っていた。他の多くの都市でもそうだが、シニサマランの拠点の建物がなかったり、街に隊列のすべてを収容できるだけの備えがない場合、そのように野営するのだ。その場合、そこへ訪ねて来た人を相手に商いをする。何度かそれを繰り返せば、自然と体が動くようになる。

 杭の張りを確認し、中に入って天幕布の寄れを直す。背後から軽い足音が近づき、振り返るとファンニがいた。目が合う。

 私は、その瞬間、まずい、と思った。


「……やっとあたしを見た」


 つぶやかれた言葉に、私は彼女の脇を通り抜けて天幕を出ようとした。しかしファンニは出入り口をその体で塞ぐ。私から彼女に触れることはなく、ゆえにそうすれば私が出られないとわかっているのだ。


「――ねえ、ラウリ。母様(アイティ)ばかり見てないで……あたしのことも見てよ」


 母ウルスラのようにからかい調子の言葉ではない。ファンニの眼差しは真剣で、背筋が凍る。私はなにも答えず、その顔から目を逸らす。


「ねえ、あたし、十になったよ。アイティが女になったのも十だったって言ってた」


 そう言って彼女はにじり寄って来る。私は数歩後退りし、ファンニとの距離を取る。

 実のところ、私はわかっていた。ずっと。

 ファンニが、私をどのような目で見ていたのかを。


「ねえ、昨日、アイティと同じ石鹸で体を洗ったよ。麝香の匂いがするやつ。これ好きなんでしょう?」


 じりじりと、近づいて来るその姿を視界の端に収めながら、決して目を合わせない。

 決して二人きりになることはなく、彼女が私に触れるのを許すのも、ウルスラの前でだけ。これまでずっとそうあるように細心の注意を払って来た。とても迂闊だった。私が隊列の後方の天幕を張るこの瞬間を、ファンニは狙っていたのだ。


「抱いて。あたしのこと、女にして」


 私は決定的なその言葉を前に、身を翻した。とっさに手を伸ばして飛びつかれるが、首巻きを取られただけだ。すぐにそのまま外に出る。


「待って! 逃げるなんて卑怯よ!」


 叫ぶ声が背後に響いた。かまわずに私はそのまま走り去った。

 ファンニは、数拍の後、声を限りに叫んだ。そして言う。


「――ラウリに、乱暴された! 手籠めにされた!」


 あまりのことに私は足を止める。そして振り返った。多くの者が天幕から出てきて、ファンニの声がする方向を見る。隷属の首輪を晒した私をも。ファンニの声はなおも響いて辺りを切り裂く。


「あたしが叫んだら逃げてった! 首巻きを置いて、走って行った!」


 私はあっけに取られ、走った距離の分を開いてファンニを見た。表情など見えはしない。けれど、わかった。

 ファンニは、ウルスラにそっくりな笑顔を浮かべて、私を見た。


 次の瞬間、私は左頬に衝撃を受けて倒れ伏す。そしてそのままだれかに乗りかかられ、もう一度拳で殴られた。さらにもう一度。ヤルノだ。ファンニの、父親の。

 両手で顔をかばうと、今度は腹に数発。ふっと重みがなくなったと思うと、脇腹に蹴りが。何度も。やがて男たちがヤルノを諌めて抑え込む音が聞こえる。下腹にもう一度、強い衝撃があって、終わり。

 シニサラマンの天幕村は、ざわざわと、まるで市を開いているかのような賑いだった。サルキヤルヴィの人たちがまだ来ていなかったのがせめてもの救いで、私は男たちに助け起こされながら、口の中に広がった血を地に吐き出した。


「なんの騒ぎ?」


 そのひとことで周囲が静かになる。ウルスラだ。足音が聞こえ、ヤルノが「この男が、ファンニに手を出しやがった」と吐き捨てる。視界が明瞭ではないのでよくわからないが、人々は私を見ている。殴られた顔を。そして、従属の印を。


 影が私の上に落ちる。私はそれを見上げる。ウルスラが、感情の読めない表情で私を見下ろしている。


「それは、本当?」


 私は即座に「違う。そんなことはしていない」と述べた。そして咳き込む。


 辺りは静まり返っていた。ファンニの叫びももはや聞こえない。ウルスラは「この一件はあたしが預かろう」と凛と響く声で述べ、私はその腕で立たされ、引きずられ連れて行かれた。

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― 新着の感想 ―
ハヤカワっぽい~!って思っちゃいました。ホメコトバです♪
ファンニ、男の趣味がお母さんと同じ? 自分をちやほやしてくれない、素っ気ない綺麗な男に執着するタイプでしょうか? ヤルノ、娘の叫びに逆上したのが一番でしょうけど。 元々、一発ぶん殴ってやりたかったの…
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