四 嗚咽
「……どうして、ここに?」
私の出現に言葉が追いついていないかのように、ヴィエノが少し口を開いたままの顔で、ゆっくりと後ずさる。
「話がある。入れてくれるか?」
ヴィエノは我に返ったように扉を大きく開けた。その後ろに立っていた金髪の青年――『二』と呼ばれていたイェッセは、私の姿を見て何度かその美しい青い目をまたたいた。かつての私の記憶にあるあどけなさは消え、以前から持っていた泰然とした空気が色を濃くしている。部屋の奥から「世話人殿だって?」と声もあがる。
ヴィエノの部屋は予想していたよりも簡素で整っていた。テーブルに椅子が四つ。私は空いている椅子を引かれてそれに腰を下ろした。首巻きの端を手で少し整えながら、そこにいる三人の顔を見回す。
「……元気でやっていたか? 二、三、五よ」
「そりゃあ、もう」
「まさか、ここで世話人殿にお会いするとは」
赤毛に深い蒼の目の五、ヨウシアがため息をつきながら私の顔をじっと見た。彼は私が世話した者たちの中でもひときわ快活で、陽気な少年だった。いたずら坊主と言い換えてもいい。神の足の役を終えたら、還俗して所帯を持つのだ、と早い段階から口にしていた。その願いは叶ったのだろう。記憶にある彼よりも、ずっと落ち着いた雰囲気をまとっている。
「世話人殿も、還俗なさったのか」
金髪のイェッセがそう述べたことに、私は目を伏せて「……そうだな」と肯定した。それ以上は、述べなかった。
「まさか、世話人殿……あー、お名前は?」
「ラウリという」
「……ラウリ殿が、タイヴァスを離れるとは、思いも寄らなかった。あの場所にいるのが、当然の人だと、思っていました」
ヴィエノが言ったその気持ちは、素直な感想だろう。私は少し笑って「私もそう思っていたさ。でも……人生は案外、思い通りにならないもののようだ」と言う。
彼らはその言葉に返さなかった。私の声が柔らかすぎたからかもしれない。だから、私は本題を切り出す。
「……あの子は――シピは、今、どこにいる?」
沈黙が落ちた。
ヴィエノが口を開く。
「……私が捕まえました。そして、タイヴァスへ引き渡した。ここ、ラウタニエミで。……あいつは、自分から出てきた」
「……そうか」
その言葉だけを絞り出すのが精いっぱいだった。私の心臓は今でも、あの子の名を聞くだけで、酷く痛む。
かつて小さな手で私の袂を握った面影が、快活に笑うその顔がまぶたにちらつく。禁を犯して私の娘の部屋を訪れ、まっすぐな正義感で私を詰った、あの声が耳に響く。
イェッセはうつむいて「……彼は、なにも言わなかった」と言った。と、いうことは、タイヴァスから連行される前に、シピに会えたのだろう。
「むしろ、私たちは……聞きたくなかった」
ヨウシアがイェッセの言葉を引き取り続けた。苦しげに「なにか言わせたら、余計に……どうしようもなくなりそうで」とつぶやく。
私はうなずいた。そういうおまえたちでいてくれて、うれしいよ、と心の中で告げながら。
「シピの扱いは? 生きているのだろう」
「たぶん、今のところ。けど、外には出されていない」
ヴィエノはそう述べて、その後早口で「審問にもかけられてない。公式記録すら出てこない。完全に……中に、隠されてる」と苦しげに言う。そして、すがるように私へとその漆瞳を向けた。
「ラウリ殿、教えてくれ。シピは、なぜ逃げたのだ? なぜ、タイヴァスの教えに背いた? あいつは、耐えられなかったと私へ言った。なにがだ? ずっと、ずっと私たちは御輿を担って来たのだ。それなのになぜ一は……シピは、その役目を……」
ずっと、その疑問を自分の内で抱えて来たのだろう。あふれ出るように述べられたその言葉と声色は苦悩に満ちていて、痛々しい。私は返す言葉を持たない。彼らがすべてを知ってしまえば、このタイヴァンキで生きて行くのは難しくなる。よって……私はただ、静かに首を振った。ヴィエノの瞳は、望みを失ったように沈んだ。
代わりに――私は言った。
「私は……あの子を助けたいのだ」
しん、と静まり返った。振り子時計のカチカチという音が、やけに耳障りに私へ届く。三人とも私の顔を凝視し、私は動揺することもなくその視線を受けた。
一番最初に口を開いたのは、三人の中でも一番年長のイェッセだった。口早に「それは、どういうことでしょう。彼を、助けるとは?」と言う。
「シピは、おそらく審問……しかも、重罪の審問を受けることだろう。もしかしたらもう、行われているかもしれない。私は、その判定に一石を投じたいのだ。どうにか、あの子を救うために」
「できるんですか? どうすれば?」
「だめだ!」
身を乗り出したイェッセの言葉に、ヴィエノが椅子をなぎ倒して立ち上がり声をあげた。私も含め全員が驚いて彼を見る。
「シピは、一だったあいつは! タイヴァスを……私たちを裏切ったんだ! 正当な裁きを受けるべきなんだ! だから――」
痛ましい気持ちで、私はヴィエノを見た。その表情はまるで迷い子のようで、視線の方向も定まらずさまよっている。ずっと悩んで来たのだろう。ずっと考え続けて来たのだろう。その気持ちを抱くのは、タイヴァンキに住む者として、正しきありさまだ。それでも。
「……シピは死んでもいいと思うか? ヴィエノ。……三よ」
私が述べた言葉に、彼は唇を噛み、ゆっくりと肩を震わせた。嗚咽を殺すようにうつむき、拳を握りしめる。やがて、小さな涙がテーブルの上に一滴、音もなく落ちた。




