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神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
本編

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第四十九話 条約

「宗教的信条と政治的意思が密接に結びついている以上、あなた方の件は、従来の政治亡命の枠では扱えません」


 マリッカ女史によって各地へ派遣されていたシルタの人員がひとり、またひとりと戻って来た。全員が揃った後、シピが呼ばれて会合が開かれる。

 そこで示されたのはあまりにも厳しい現実だ。その一言一句が、シピの心を綺麗に追い詰めて行く。


 言葉の端々からわかる。シルタの人々にとって、タイヴァンキは『信仰の顔をした国家』ではなく『国家の皮を被った信仰』――純然たる宗教組織にしか見えていない。


 シピはこれまで考えたことがなかった。政治と宗教がともにあること。それが人に災いをもたらすこともあるのだと。なぜなら、オネルヴァと出会う前、シピはタイヴァスの教えになんら疑問を抱いていなかったからだ。

 だから、気づかなかった。そこから抜け出すことが、どういう意味なのかを。

 今は、状況がまるで違う。シピは、タイヴァスを――タイヴァンキの在り様のすべてを否定して逃げたのだ。その精神的支柱である『姫神子』――オネルヴァを連れ去るという、もっとも過激な形で。


 まして、シピは『神の足』だった。だれよりもだれよりも、タイヴァスに近しい者だった。


「シピさんのお話しをすべて信じるなら、私たちの国の観点では人権侵害があったと考えます。しかし私たちがお二人を保護すれば――タイヴァンキは『我が国の教義を冒涜した背教者に加担した』と叫ぶでしょう」


 喉奥が鳴った。それは、シピにとってあまりにも衝撃的な言葉だった。


「それは直接的な宗教観と文化の否定を意味します。……それでは、ただの亡命では済まなくなる」


 シピは、自分が成したことの大きさ、重さを理解していたつもりだった。しかしなにも見えていなかった。

 ただ、正しくないと。だから逃げた。だが今になって思い知る。自分がなにから逃れ、なにを壊し、そしてなにを背負うことになるのか――見えていなかった。

 今のシピは『背教者』――法ですら裁けぬ存在になっている。


 けれど……それを愚かなことだとは、今さら思いたくはない。

 オネルヴァを、あの小さな窓の中から連れ出したことを、決して後悔したくはない。


「……つまり、私たちは、ここで保護してはもらえない、と……」


 声が震えた。

 シルタの人々から、回答はなかった。アノ医師も、マリッカ女史からも。

 ただ、重い沈黙と、心からの同情がそこにあった。絶望的な気持ちになり、シピは泣くこともできずに首を振る。


 庭の散策が許された。現実を突きつけられたシピに、考える時間を与えてくれたのだ。村の人々には見咎められないようにしながらも、シピはひさしぶりの外の空気をたのしむ。

 彼らはできる限りの手を尽くしてくれた。今もきっと、なにか方法を探してくれている。それでも――叫びだしたいような、走り回りたいような、言いようのない衝動がシピの中にある。


「シピ」


 オネルヴァの声がした。振り返ると、囲炉裏のある部屋の小さな風通し窓からシピを見ている。近づくと逃げてしまう最近だが、恋しくてしかたがなくてシピは歩み寄る。シピの気持ちを察したのか、オネルヴァは動かなかった。

 窓枠越しに見つめ合った。あの、タイヴァスの早朝の逢瀬を思い出す。あのときの窓の高さに合わせるため、シピはそこに膝を着いた。少しだけオネルヴァがシピを見下ろす。その高さ。


「……オネルヴァ」


 オネルヴァはまばたき、少し首を傾ぐ。初めて会ったあのときのように。

 彼女は変わらない。なにひとつ、その本質は損なわれていない。こうして多くの時間が過ぎて、多くの経験をし、子を孕み、タイヴァスの中で守られていたときのように安全ではない場所であっても。


 シピは、変わってしまった。悲観的で、批判的で、それに、おおらかさを失ってしまった。

 そのくせしつこく変わらないところもある。オネルヴァを好いている。心の底から。

 彼女の平安と幸福を願っている。できることなら、自分が彼女の平安であり幸福でありたいと、ずっと考えている。そのためにこれまで、必死に動いてきた。できることを手当たり次第にやってきた。


「……あなたの名を知ってから、二年が経ちます」


 シピは、それ以外の言葉を紡げなかった。ほんの一握りの時間だったとも思えるし、老成してしまうほどの期間だとも思えた。多くの思い出がある。それは、どれひとつをとってもオネルヴァとでなければ紡げなかったものだ。

 いろいろな思いがあふれてきて、こらえきれずにシピは泣いた。手詰まりになってしまった。なにもかも無駄になってしまった。オネルヴァを幸せにしたかった。自分の手で支え続けたかった。それが果敢ない夢だと、思い知らされてしまった。


 オネルヴァは驚いて、シピの顔を両手で包んだ。涙を止めようとしているのがわかって、シピは少し笑う。オネルヴァの小さくて冷たい手に自分の両手を重ねて、この日のことをいつまでも記憶しておこうと思った。深く息を吸って吐き、オネルヴァの手を借りて涙を拭う。


「……オネルヴァ。幸せになってください。どうか、だれよりも」


 立ち上がって、シピは踵を返した。オネルヴァが自分を呼ぶ声が聞こえる。風に煽られて頬は乾いた。シピは、もう一度シルタの人々の詰め所へ向かった。そして言う。


「亡命に関する条約――すべて見せてください。……考えがあります」


 振り返った女性がそのままの動きで固まった。座っていた男性が腰を浮かせた。マリッカ女史がじっとシピを見て、戸棚から取り上げた分厚い書類の束をシピへと無言で差し出す。

 場所を変えて、寝室としている部屋へ。オネルヴァは、昼間のほとんどを囲炉裏の部屋で過ごしている。シルタの人が持ってきてくれた、やわらかな言葉で綴られた物語を、静かに読み続けている。なので、今のうちに。

 アノ医師が珈琲を持ってきてくれた。一口だけ飲んで、文書に集中する。


 目指す項目を探す。シピたちのために掻き集めてきた資料のため、アノ医師に借りた医療辞典のように目次などなく、すぐにはみつけられない。けれどある程度系統だって重ねられていたため、ほどなくみつけられた。はっと息をつく。


 一文も、一文字も、見逃さないと読み込む。三枚の文書を熟読した後、自分の考えがそう外れてはいないと確信する。けれど、もう一度最初から。

 しっかりと何度も読み返し、気づくとその条文を空で言えるほどになっている。


 ふと顔を上げると、アノ医師が腕を組み戸口へ寄りかかったままそこにいる。シピと目が合うと、彼は口元でほほ笑んだ。


「なんかわかったかい、お父さん」

「うん、わかった。アノ先生、きっとこれでどうにかなると思うが、どうだろうか」


 シピは手にしていた三枚の文書のうち、二枚目を差し出した。アノ医師は受け取り、眼鏡をかけ直してそれを読む。

 シピは、医師の顔がこちらに向くのを待った。喉が渇いて、すっかり冷めてしまった珈琲を一気に干す。


「……うん。これがどうした」

「第七章の一条、二条」


 自分の声に熱がこもっているとシピは自覚する。謳うようにシピはそれを口にした。


「『父母または養い親に伴われず、十と八に至らぬ年にて一人歩む者を、本国においては「身寄りなき小人」と称す。このうち、庇いを求め門を叩く者については、来歴いかんを問わず、取り計らいの対象とする。』『身寄りなき小人が本国の地に足を踏み入れしときは、地方の執政官は、遅滞なく下記のごとき手立てを施すべし。一、信頼に足る後見人を立て、身元の定まらぬ間の道理を授けしむること。二、風雪をしのげる宿を与え、物理の安穏を保たしむること。三、心に闇を抱く者には、識ある者をもって語らせ、静けさを取り戻さしむること。』」


 アノ医師の目がその部分を追う。シピがそこまで読み上げた後、彼は目線をシピに戻して、言葉なく意味を問う。

 いっそやさしい気持ちで、シピは告げた。


「……オネルヴァは、こちらでは未成年者だ。私さえいなければ、人道的側面から保護を求めることが可能ではないか」

困窮なる年若き者らの取扱いに関する暫定措定令(略称:未扶持の子規程)


第七章:身寄りなき小人( こびと )について


第一条(小人の定め)

父母または養い親に伴われず、十と八に至らぬ年にて一人歩む者を、本国においては「身寄りなき小人」と称す。このうち、庇いを求め、門を叩く者については、来歴いかんを問わず、取り計らいの対象とする。

第二条(執政官命による処置)

身寄りなき小人が本国の地に足を踏み入れしときは、地方の執政官は、遅滞なく下記のごとき手立てを施すべし。

一、信頼に足る後見人を立て、身元の定まらぬ間の道理を授けしむること。

二、風雪をしのげる宿を与え、物理の安穏を保たしむること。

三、心に闇を抱く者には、識ある者をもって語らせ、静けさを取り戻さしむること。

第三条(信頼と報告)

かかる手立ての施行にあたりては、区の記録官が名簿に記し、月ごとに記録局へ報せること。これにより、法の目にかけて、誰も忘れられることなきようにする。

第四条(私的な引受けの制限)

小人を己が家に引き取らんと願う者あらば、その者の身元とふるまいを三年遡って調べ、信に足ると認められし時に限り、許可を下すこと。ただし、執政官の許しなくして、引取りをなすは禁ず。

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