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神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
本編

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第四十話 所属

 シピが浅い眠りから覚めたのは、空の赤い光が壁穴から射し込みまぶたを灼いたからだ。極北東部における初冬の朝は遅く、太陽は世界を寒々と赤く染めつつ低く南東から昇る。その様子を肌で感じて、ここはタイヴァンキではないのだとシピは実感する。

 身を起こそうとして、胸元にある温もりへ目をやる。泣き腫らした目で眠るオネルヴァがいる。言いようのない気持ちで胸が苦しくなって、シピはその体に腕を回す。

 包み込んでしまえばオネルヴァは本当に小さくて、シピの体でこの世のすべてから隠してしまえる。彼女を逃したい、救いたいと思ってやって来た土地なのに、今のシピは彼女を自分からも逃してやれない。哀れだと思う。こんな男に執着されて、オネルヴァは――きっと、迷惑なはずだ。


 器の儀を行った。滞りなく……とは言えなかった。彼女の震える指先も、喉の奥から漏れる声も、すべてを覚えている。長い冬の夜、シピはオネルヴァに胤を注いだ。

 儀式などと大層な口で言うが、その実ただの人と人の交わりだった。そう気づいた。タイヴァスはなぜこんなものを、さも聖なるものとして扱っていたのだろうか。今このときも、これでよかったのだろうかとの考えが拭えない。

 そうした感情が押し寄せる一方で、奇妙に晴れやかな気持ちがある。成し遂げたことへの恍惚とした達成感。これまでシピが奉じてきた、かくあるべきと考えてきた物事が、正しく配列されたと感じる。それはよいことだ。シピの中の、自分を正当化したいシピが声高に主張している。


 わからないことが、ありすぎる。どこまでもシピは二心だ。


 明け方の赤い光を見送った。白々と短い一日が始まる。多くの人にとっては昨日と同じ一日だ。シピとオネルヴァにとっては、これまでとはまるで違う一日だ。大きな出来事を越えた今、これからどうして行こうとの確たる目標もない。さ迷う思考で、婆へ水を汲んでやらなければと思う。

 離れ難くてぐずぐずとしているシピの腕の中で、オネルヴァが身動いだ。覗き込むと、ゆるゆると目を開けた彼女と視線が合う。ゆっくりと覚醒したオネルヴァは、はっきりとシピを認めると手でその胸を叩いた。それは、拒絶ともとれる反応で、シピは動揺する。


 オネルヴァは起き上がり、ともに半身を起こしたシピをじっと見る。この世の果てへ逃げてしまうのではないかとの恐れから、シピは彼女の体に回した腕を解けない。オネルヴァはその腕を振りほどくことはしなかったが、先ほどと同じようにシピの胸を叩いて泣いた。


「シピ! シピ! シピ!」

「はい、オネルヴァ。ここにおります」

「たね、うつわ! たね! うつわー!」


 これまで溜め込んだ感情が爆発したのだろうかと思えた。これほどまでに表情豊かなオネルヴァなど見たことがない。それは決してよろこびなどではなく、おそらく深い悲しみに根差したものだけれど、オネルヴァが人間になったとシピは感じた。戸惑いと歓喜が、叩かれるたびにシピの胸に湧き上がる。もう一度腕の中にオネルヴァを閉じ込めて、シピはその頭をなでた。


「シピ、たねー! オネルヴァ、うつわー!」


 オネルヴァにとって、大きすぎる衝撃だったのだろう。きっとこれまでの生活で、考えたこともないことを自分の体に成されたのだ。それが生殖行為だったとの認識すらないかもしれない。ただ、うねりのような夜を越えて、起きたことを実感し受け止めきれずにいる。うわ言のように同じ言葉を繰り返しながら、彼女はすすり泣いて嗚咽を漏らした。


「――オネルヴァ。私たちは、互いにただひとりの人間になりましたね」


 シピは言う。オネルヴァはしゃくり上げる。申し訳なさが胸をかすめる。けれどその感情はあまりに頼りなく、すぐに薄れていった。これが、本当に自分なのか? そんな戸惑いすら、歓喜へと飲み込まれていく。


「オネルヴァ。先日も言いました。私は、あなたの人生と幸福に責任がある。そして、あなたも私に責任がある。わかりますか? もう私たちは互いが互いのものなのです」


 噛んで含むように。言い聞かせるように。シピの穏やかな声色に落ち着いたのか、オネルヴァは鼻をすすりながら聞いている。シピは仄暗い優越感を抱く。


「――あなたは、私を離れて存在し得ず、私もあなたを離れて存在し得ません。器の儀を成したのですから。私たち二人だけで」


 シピの言葉は毒を孕んでいる。生まれて初めてだれかを欺こうとしている。

 オネルヴァにはシピの他に頼る者がない。今は。ずっとそうあれと思う。そうあれと告げる。

 そんなことはいけない、と心のどこかでだれかが言った。

 なにがいけないものかとシピは答えた。


「オネルヴァ。私たちは互いに所属し合うようになりました。オネルヴァ。私のオネルヴァ。どこにも、だれにも、渡しません」

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