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神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
本編

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第三十一話 劇

 がやがやと、人々のざわめきが場内に満ちている。シピはその中で緊張して席に着いている。隣りには忙しなく周囲を見回すオネルヴァ。さらにその隣りにはマンネ。

 マンネが案内してくれたのは、劇場だった。オネルヴァはもちろん、シピも初めて訪れた。慰安でタイヴァスへ小規模の劇団がやって来ることは年に何度かあったが、劇場での本格的な演劇など観たことがない。

 こんなにも多くの人が入る建物なのか、と目を見張った。人々とすれ違うだけではなく、一堂に会する場所。マンネが手渡してくれた案内によると、三百人ほど入るらしい。皆が同じ場所に集まって、同じ方向を向き、同じものを鑑賞する。そんな体験は、シピにとって初めてだった。どんなものなのだろう——心が子どものように、わくわくと弾んでいた。

 オネルヴァへは、これから劇を鑑賞する、と告げてある。しかし、それをどう説明すればよいかシピにはわからない。言えることといえば、演劇中にむやみに立ったり声をあげてはならないとの注意点のみだ。だからオネルヴァは、なぜここに連れてこられたのかも、これからなにが起こるのかも分かっていない。不安に思っているのかもしれなかった。両の手でシピの袖口をずっとつかんでいる。

 やがてほとんどの席が埋まる。そしてひとつひとつ灯りが消されて行く。それに伴い会場内のざわめきも静まって、目が暗闇に慣れたころには戒めが必要のないほどだった。

 そして、前方の緞帳が開いていく。オネルヴァが袖をぎゅっと引っ張る。舞台上には、硝子を通して青白く光る灯火がいくつも配置されている。


 演目の題は『冬の招きと夜のヤギ』。

 ケッキの時季には欠かせない、収穫を祝い、人々に教訓を与える物語だ。タイヴァスでも何度も観た。

 主役は、村の若者エリ。彼が子どもを守るためにヤギの精霊と対峙し、村全体の団結を通じて赦しと希望を見出す。自然との共鳴、罪と赦し、団結と再生を表現している。


 場面はエリがケッキの祭りに向けて朗々と請願を述べるところから始まる。


「冬の精霊の加護を受け、この幸せを来年も。実り多き年を繰り返すように」


 舞台の裾で、太鼓の音が静かに鳴らされる。オネルヴァがびくりとした。次いで幕袖から村の長老と思しき人物が現れる。彼はどこか不穏な調子で述べる。


「ヤギの精霊は、焚き火と仮面の舞を求めてやってくる。子どもたちが悪さをすれば、その者は冬の森へ連れ去られるのじゃ……」


 村人たちがざわめく。


「今年もヤギの精霊が来る」

「やって来る」

「実りを求めて」

「この幸せを来年も」

「今年も冬を越せますように」


 オネルヴァは身を乗り出し食い入るように舞台へ見入っている。シピは椅子へ深く腰掛け、それを視野に入れながら舞台を観る。このままでは、シピの袖は片方だけ皺だらけになってしまいそうだ。


 左手に、子ども役たちが登場する。台詞はないが、その動きで遊びに興じているのだと推察できる。中央に現れる数々の産物。その特別な盛り付け方から、おそらくケッキのために飾られたものだ。子どもの内ひとりが、周囲を窺いながら果物を手に取る。もうひとり、それに続く。三人目はおどおどと、それをたしなめるような仕草をする。

 先の二人は盗んだものを懐へ入れて、走り去る。三人目は、周囲を見回した後それに続く。

 暗転。


 打って変わって賑やかでたのし気な音楽が奏で始められる。笛に銅鑼、太鼓、それに弦を弾く音。黄と赤の灯りが舞台上を照らすころには、それが祭りの場面だと理解できる。こんな演出はタイヴァスでは観られない。この灯りは、どうやって色を変えているのだろう、とシピは考える。オネルヴァがシピを振り返り、舞台を指差す。シピはうなずいて、その腕をそっと下げさせる。

 中央に、大きな焚き火を模した物がある。その中でちらちらと灯りが揺れて、さながら本当に炎のようだ。飛び跳ねるように出てきた村人たちは、皆目元に仮面を着けている。ちょうどシピとオネルヴァがしているように。オネルヴァがシピを振り返る。シピはうなずく。

 村人たちは陽気な笛の音に合わせて各々滑稽な踊りを始める。掛け声をあげて手を打ち鳴らし、子どもたちもそこへ交ざる。赤い服を着た役者が幾人もやって来てそれを取り囲み、ともに踊る。おそらく焚き火の精霊なのだろう。

 そしてその賑やかな音が一斉に途絶え、人々は笑顔のまま凍りついたように止まった。赤と黄に彩られていた舞台が、一瞬で深紅に染まり上がる。それと同時に中央に現れたのは、ヤギの角と仮面をした黒い服の男。


「悪さをした子どもはどこだ」


「わたしの実りを掠めた者は」


「長き冬の森へと、その子どもを連れて行こう」


 おどろおどろしい、幾重にも聞こえる男声。そして銅鑼と太鼓。びくりとしたオネルヴァがシピの腕へ更にしがみついてくる。それでも舞台から目を離していない。

 村人たちとともに踊っていたエリが進み出る。怯える子どもたちを背にかばい、そして嘆願する。


「どうか罰ではなく、導きを。さもなくば代わりにわたしを」


 必死な願いも聞き遂げられることはない。子どもたちは連れ去られてしまう。村人たちは動き始め、嘆き、動揺する。その中、エリは意を決したようにヤギの精霊の後を追う。


「冬はただ冷たいだけではない。眠るための時。春へ向かうための夜。焚き火は消えても、心の灯火を消すな――」


 どこからか、ヤギの精霊の声が響く。


 そこで、一度幕が閉じた。オネルヴァを気にかけつつも集中して見ていたらしく、シピは詰めていた息を吐く。観客席の明かりが灯され、いくらかの休憩を告げられる。途端にガヤガヤと人の声が充満した。


 オネルヴァは目をいっぱいに見開いてシピをじっと見る。シピはうなずいて、この休み時間中は声を出してもいいと告げた。


「おー、おー! おー、おー!」


 幕が閉じた舞台を指差してオネルヴァは言う。最後の場面の、村人たちの嘆きの声について言及しているのだろう。次いで、自分がしている仮面に触れて、シピの仮面にも触れる。シピはうなずく。

 たのしんでくれているようでとてもよかった、とシピは思う。もちろんシピ自身もたのしい。連れてきてくれたのはマンネなので、感謝しなければならない。礼を言おうと彼を見ると、にこにことシピたちを見ていた。

 劇の再開時間に合わせて、人々も席に戻って来る。それで続きが来るとわかったのだろう、オネルヴァは椅子に座り直して舞台を見る。内容を知っているとはいえ気になって、シピも同じようにする。


 場面は変わって、エリの冒険だ。森を行き、岩山を越え、たどり着くのはこの世と精霊の住まう場所の境目。太鼓がエリの強い心を表現するように打たれている。ひときわ大きく、どどん、と鳴らされる。


「灯火を消すな」

「灯火を消すな」

「ただ冷たいだけではない」

「春へ向かうための夜」


 色とりどりの精霊たちがエリを囲んで舞い、謳うようにささやく。エリは戸惑い、ヤギの精霊と子どもたちについて尋ねる。はっきりとした答えはないが、やがて石の門へと導かれる。


「ヤギよ、冬の精霊よ。どうか姿を現しておくれ」


 哀切な声色でエリは嘆願する。するとヤギの精霊は高いところに現れ、述べる。


「お前が差し出したいものは、贖罪か、愛か」


 エリは答える。


「そのどちらをも」


 ヤギは哄笑する。オネルヴァがびくりとする。シピも内心驚いた。ヤギは、エリを見下ろして言う。


「ならばおまえの『名前』を置いていけ」

「名がなくとも堪えられるのか」

「おまえの欲はどこにあるのか」


 暗転。掻き鳴らされる銅鑼と太鼓。暗闇の中、エリの叫びが聞こえる。袖をつかんでいるオネルヴァの手が震える。名とはなにか。――それは名声を指す。シピはそれを知っている。


 場面は村に戻っている。人々は打ち沈み、ぼろぼろになって戻されたエリを見ても動じない。むしろ視界に入っていないかのように振る舞う。エリは名を奪われることとは、自分を失うことだと気づく。

 それだけの犠牲を払っても、だれからも感謝されない。それでもエリはかまわないと思う。ただ子どもたちの無事を願う。自分の手にあるわずかな産物を、ケッキの祭りへすべて差し出す。そして膝を着き、ヤギへ請願する。


「わたしは自分の名よりも命を選ぶ」

「わたしの欲はただそこに」

「人々に安らかさが戻るようにと」


 静かな笛の音。それは泣き声のようだ。人々はエリのしたことに注意を払わない。エリは願い続ける。笛の音がしっかりとした旋律を奏で始め、それに太鼓が加わって行く。

 音楽が最高潮を迎えて、霧散する。そして、どこからかヤギの声が響く。


「冬の静けさに耳を澄ませ。雪の中でなにを守り、なにを諦めるかを知れ」


 炎の精霊たちがまた現れて舞う。ケッキの焚き火が灯される。


「灯火を消すな」

「灯火を消すな」

「ただ冷たいだけではない」

「春へ向かうための夜」


「冬はただ冷たいだけではない。眠るための時。春へ向かうための夜。焚き火は消えても、心の灯火を消すな」


 村人たちがひとり、またひとりと焚き火へと集まってくる。そして精霊たちの言葉に唱和する。エリもそれに加わる。


「焚き火は消えても、心の灯火を消すな」


 エリが立ち上がり、虚空へとそう告げる。銅鑼と笛。笛は、なにかを導くように。

 舞台の暗がりから、ひとり、ふたり、三人。子どもたちが現れる。


 村人たちは狂喜乱舞した。ヤギに連れ去られた子どもたちが、戻って来たのだ。エリもそのよろこびに加わるが、だれもエリの払った犠牲に気づかない。それでもエリはよろこびに満ちている。

 やがて長い冬へと突入し、また春へ。エリはだれかに理解してもらおうとはせず、ただいつもの通り勤勉に過している。


「冬の精霊の加護を受け、この幸せを来年も。実り多き年を繰り返すように」


 昨年と同じ願い。けれど、昨年とは違う。

 エリは名を失ったのだ。だれからも顧みられることはない。けれど、その人知れずの犠牲と努力は報われ、何倍もの収穫を得る。


「焚き火は消えても、心の灯火を消すな」

 

 エリは述べる。そして、終幕。

 観客席から一斉に拍手が巻き起こった。シピは驚き、オネルヴァもきょろきょろとしている。

 マンネが拍手に参加していたので、シピもそうした。オネルヴァも、マンネとシピを見比べて、真似る。長いことそれは続き、オネルヴァは拍手が上手くなった。

 シピはこれまでとは違う仕方でこの劇をとらえるようになった。

 名とはなにか。……シピはそれを知っている。

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