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神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
本編

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第二十五話 矛盾

 シピにとって、オネルヴァの月経は大きな意味を持つ。それが初潮から数えて六度目のものであれば――なおのこと。

 心の水面に、静かに波紋が広がる。その中心には言葉にならないざわめきが沈んで行く。

 ウルスラが姿を消し、また現れておもむろに馬車へ乗り込んでくる。その手には見慣れぬ用具や布がある。


「ほら、お姫さん。処理するよ。どうせこれも自分じゃできないんだろ。でもこれからは自分でやってもらうからね。――シピ、あんたも覚えな」


 ウルスラが手に持ったのは握りこぶし程度の綿だ。それを手巾で包んでひとつにまとめる。


「これが『たんぽ』。股に当てて血を吸い取らせるんだ。作り方は今見てわかったね? これを、月経期間中は日に何度か取り替える。じゃないと、すぐに溢れちゃうからさ」


 見慣れた所作だったのだろうか。オネルヴァは不安げな素振りも見せず、ただ首を傾ぐ。シピもうなずく。ウルスラは他に持ってきた長い黒い布を手に取る。


「こっちは月帯。あたしが開発した商品だよ。特別に贈ってやるから感謝しなよ。通常の下着と違うのは、腰紐で調節できるところだね。こうやって身に着けて、間にたんぽを挟むんだ」


 黒い布の一方の短辺の部分に、共布で紐が着いている。ウルスラは自分の服の上からどのように着用するのか手本を示した。紐部分を腰の後ろに当て、布を股下へ通し腹のあたりへ。紐をそこで交差させて背中側で結び合わせる。そして腹部分の布はそのまま垂らす。シピはじっと観察してうなずいた。


「……本当に、こればっかりは、お姫さん。あんた自分でやんなきゃだめだよ? いちおうあんたの男にも教えたけど、服の着替えよりももっと個人的なことなんだ。女ならみんな自分で処理してる。タイヴァスにいたから教えてもらえなかったんだろうけどさ。普通は女親から伝えることだからね」


 たしなめる口調は、たしかに親目線であったかもしれない。ウルスラはシピに背を向けるように言い、オネルヴァの処置にとりかかる。あわててシピは馬車を出る。

 深く息をする。……外の冷えた空気が、肺いっぱいに満ちていく。


 ――オネルヴァが、人になってゆく。

 それはこれまで理屈でしかなかったこと。だが今、血という実感を伴って、シピの目の前に現れた。

 オネルヴァは、血を流す。他の女たちと同じように。


 けれど、その静かな納得の陰で、もうひとつの思考が音もなく立ち上がる。幼いころから刷り込まれた教え。それが言う――「器として整った」と。


 ああ、とシピは自分を掻きむしりたい衝動に駆られる。どうして自分の気持ちひとつ、考えひとつ、ままならないのか。これは、ただの月の巡りだ。特別なことではない。器の証などではない。人として、女性として、当然の出来事。


 たとえば、ウルスラにも月経があるはずだ。そのことを想像してみる。では、ウルスラが器として整ったと思うか? ――否。ウルスラに関しては全くそう感じない。

 けれど、オネルヴァ。

 オネルヴァだけは違う。

 八つのころから――シピはずっと彼女を担って来た。


 空を見上げる。それは、タイヴァスの囲いの中で見た空と同じもの。今シピはその中になく、自由だ。どこへだって行ける。それなのに、心はまだタイヴァスに囲われている。


 これが正しいと思ってオネルヴァを連れ出した。それなのに気持ちは古い価値観に引きずられている。気持ちが悪い。吐きそうだ。なんて自分は矛盾した人間だろう。


 シピは汚い言葉を知らないが、それでも自分の乏しい語彙を総動員して、内心で自分を責め立てる。濁った泥のように心の底にたまっているなにかを、本当に吐き出してしまえればいいと思って。けれどそんなことをしても、罪悪感はなにひとつ薄れなかった。

 なにについての罪悪感か? オネルヴァを連れ出奔したこと? オネルヴァを人だと言いながら、未だ姫神子と感じていること? それとも他のなにかか。そもそも、本当にこれが正しい選択だったなら、罪悪感と名付ける感情も湧かないはずなのに。

 シピは身震いする。それは外気温のせいにしてしまえたけれど、実際には自分の不甲斐なさへの怖気だった。ほんの小半日前だ。オネルヴァをあの窓から抱き上げて、世話人と対峙したのは。


 あのとき、世話人はどこへ行くのかとシピへ尋ねた。

 シピは、どこへなりと、と答えた。

 その気持ちは本当なのだ。偽りなく真なのだ。そしてまた、タイヴァスから見上げた空も、シピにとっての真だった。


 シピは物を知らない。多くのことを学んできたが、実際に見聞きしたことはない。そんな中での選択は、どうだろう。こうして世話人とウルスラの助けを得られたが、あまりにも平衡に欠けたものだった。

 じゃあ、あの窓の中にオネルヴァを残していられたか? そんなはずはない。思考は堂々巡りで、とりとめなく、結論はない。


「シピ」


 背中にぶつかるものがあった。声に振り返れば、それは商人風の衣装を着たオネルヴァだ。それに、美しい黒髪をいくらか編み込み、後ろでまとめて丸い帽子をかぶっている。そんな姿は初めて見る。新鮮な驚きがある。

 それに、これまではなかった靴を履いている。それが気になるらしく、指を差しシピの目線を誘導する。ゆっくりとその場で足踏みをしてみせた。そしてシピの顔を見上げる。


「……似合っています、オネルヴァ。靴も、よかったですね」


 これまでも無表情だったオネルヴァが笑顔になることはなかったが、それでもうれしげな様子がにじんで伝わって来る。ゆっくりと、慎重な足取りで数歩進んで、戻る。それを繰り返す。


 シピの衣装の袖口を、つかんではいない。


 シピは、はっと息をついた。オネルヴァは、自分で歩いている。

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