セシル君のおうち事情
「という訳で私の弟が可愛過ぎるのですが、どうしたら良いでしょうか」
「知るか」
物凄くどうでも良さそうな顔でそう切り捨てられた私は、むーと片頬に空気を寄せて不満なのをアピールしました。
セシル君の所に遊びに行って可愛い可愛い弟のお話をしたら、面倒そうにされてしまいます。あんなに可愛いのに……身内自慢は面白くないのでしょうね、他人にとって。まあ私も他人ならそこまで興味ないから仕方ない……か。
でもセシル君の顔はあからさま過ぎて駄目です。愛想笑いくらいしてくれても良いと思いませんか。……いや、セシル君はそもそも滅多に笑わないから無理ですね。
「セシル君はルビィを見た事がないから素っ気なく言えるんです、見たら可愛いって思いますよ多分」
「男に可愛いとか思わないからな」
「見たら分かります。何なら遊びに来たら良いじゃないですか、ねえジル?」
「そうですね」
「そこの従者顔笑ってないからな、絶対本心じゃないからな」
付き添いのジルが、皮膚に直接笑顔を貼り付けたような笑みを浮かべているのに気付いたセシル君。セシル君の頬はびきりと引き攣っています。
ジルは何でそんな嫌がるんですかね……セシル君が家を荒らす訳でもあるまいし。昔からジルはセシル君嫌いですよね、というか警戒してる感じです。
セシル君はセシル君でジルの事が苦手なようです。それは多分ジルのせいだとは思いますが。
ジルは指摘されても能面のような笑顔を絶やしません。唇は笑っていますが、瞳が抵抗しています。目元は弧を描いているのに、中身が笑ってません。
「……ジル、セシル君にそんな顔しちゃ駄目ですよ」
「申し訳ありません。どうも顔が」
「俺はこれ以上こいつを傷付けるつもりも、お前から取るつもりもない」
引き気味のセシル君に、ジルはぱちりと瞬き。意外そうにセシル君を見ています。得心のいかないような表情に変わると、セシル君はさも面倒そうに銀髪を掻き上げて溜め息を一つ。
セシル君はとても美人さんですが、如何せん目付きが悪いので近寄りがたい雰囲気です。今もその雰囲気は変わらないのですが、そこに呆れたような色合いが追加されていました。
「……そこまで心配なら、首輪着けるなり檻に入れてしまえば良いのに」
「そこ、物騒な事言わない」
ただでさえ七歳まで軟禁状態だったのに、また閉じ込められるとか勘弁して下さい。せめて四六時中一緒に居るとかにして下さいよ。
……今とあまり変わらないですね、寝る時御手洗いお風呂で離れてますけど、基本的にジルは側に居ます。物理的な距離はそこまででもないですが、大概同じ空間に居ますし。そりゃあ離れる事もありますけど、屋敷内です。
「そもそもそういう対象としては見ない。有り得ない」
「何か失礼な事言われている気がします」
「もう一度言うが、これ以上傷付けるつもりもないし、ましてやお前の大切なお嬢様を奪う気もない。警戒されても意味がない」
セシル君は溜め息をつかんばかりの顔で肩を竦めては、ジルに意味ありげな視線を送っています。私にはよく分からないのですが、ジルは瞳を眇めてセシル君に鋭く視線を走らせていました。
暫し無言の見詰め合いになりましたが、ジルの方が折れたように視線を外し、細く長く息を吐き出します。翠玉を連想させる瞳には、先程のような強い敵意はありません。
「……そういう事にしておきます」
「そうしてくれ」
何処か疲れたように首肯するセシル君。ジルは複雑そうな表情なものの、セシル君に対するあからさまな拒絶は消えています。
……ジルは結構私を大事に扱ってくれますけど、何か……セシル君には違う意味で警戒してましたよね。別に、セシル君とは良いお友達になりたいと思ってるだけなのですが。
「で、私の弟の話なのですが」
「まだ続くのかよ!」
「だってー。でもセシル君が遊びに来てくれたら、ルビィも喜びますよ。体があまり強くないので、外に出られませんから」
遊びに来てくれないかなー、と横目でちらりと視線を投げると、セシル君はひくりと頬を強張らせます。ちょっとわざとらし過ぎたでしょうか。
でも、遊びに来て欲しいのも事実です。セシル君は魔導院にこもりきりで、ずっと魔導院で暮らしていると聞きました。親元を離れて暮らしていて、その親にも疎まれていると、セシル君は自嘲の笑みを浮かべるのです。
……弟の可愛さを分かって欲しいというのもありますが、家族の温かさを知って欲しかった。
「……あ、セシル君が養子になれば解決?」
「おい、脳内でどういう結論が出たのか知らないが止めろ。これを煽るな」
今度ははっきりと分かる、忌々しそうな顔。露骨に拒否されたので、駄目ですか……と眉を下げます。所でジルの顔が前向きな笑顔には受け取れない、歪んだお顔になっているのですが。何でそんなに負のオーラが。
「ジル、私はセシル君が兄になってくれたら良いなあと思っただけですよ」
「……何故そのような事を?」
「セシル君が寂しそうだから?」
「は?」
「だってセシル君、私が居なかったら一人で居るんですもん。寂しいかなって」
前よりは態度が柔らかくなったものの、カルディナさん達とは好んで接触しないらしいです。私ですら鬱陶しがられるのですからね、それでも相手はしてくれますけど。
一人って悲しくて寂しい事だと思います。セシル君がどう思ってるかなんて本人にしか分からないですけど、でも、一人に慣れてしまうって良い事じゃないと思います。頼る人が居ないから。
「……別に寂しくはない、お前もしつこく此所に来るからな」
「そんなに面倒そうに言わなくても」
「それに、……アイツが、養子なんて許さないからな」
アイツ?と首を傾げた私に、セシル君は不快そうな表情でゆっくり口を開こうとして……ち、と舌打ち。憂鬱な影が表情を暗く彩る様を、側に居た私ははっきりと見ていました。
煩わしそうな瞳が、瞬間私の背後を見て、それから僅かに伏せられます。一瞬持ち上がった視線を辿るように振り返ると、チリっとした首筋の痛み、そして僅かな魔術の反応。
私の視界には、子供の頃に見た姿よりも幾分か歳を重ねた、ゲオルグ導師の姿がありました。
導師は蔑むような冷たい眼差しを私、セシル君、それからジルの順番に向けます。そして、今度はセシル君に路傍の小石にでも投げるような、価値を持たない物に対する瞳。
セシル君は唇を噛んで、俯きます。心理的な重圧に耐えている、苦痛の表情で。
ゲオルグ導師が私達を見たのは、十秒にも満たない時間。ふっと視線が外れて、興味を失ったように去って行く導師の姿が消えた所で、私は漸く一息つけました。
一度だけ、会った時に向けられた視線よりも、敵意は増している。そして、それが何故かジルにも向けられていた。セシル君には、意味の違う眼差しだった。
「……くそ。何でアイツが居るんだよ、こっちに」
くしゃりと繊細な銀髪を掻き乱して、忌々しげに呟くセシル君。
「……ゲオルグ導師と、知り合い……ですか?」
「ハッ、知り合いなんてモンじゃない。アイツにとって、俺は認めたくない存在だからな」
好意のこの字もなく吐き捨てるセシル君に、私はどうして良いのか分からずにジルを見上げて。……そして、ジルの表情も強張っていた事に、気付きます。
苦々しげな瞳が、今も去って行った導師の居た空間を見ていました。そんなジルに、セシル君が嘲るような眼差しを向けます。
「お前なら分かるな、元サヴァン家の人間なら」
「……っ」
「……どういう、事……ですか?」
「ああ、お前は知らないのか。……俺はセシル=シュタインベルト。あのくそ爺の孫だよ」
知らされた事実に、私はぱちりと瞬いて、窺うようにセシル君を見詰めます。
……セシル君が、ゲオルグ導師の孫。つまり、シュタインベルト公爵の、孫という事になります。
「……結構な家柄の子供だったんですね」
「一応王族の血が混じってるからな。そういうお前も大概だぞ」
「公爵より低いですけどね。……それが、ジルに何の関係が?」
「お前の父親が気遣って教えないのかもしれないが、サヴァン家はシュタインベルト家に仕えている……というか、傀儡みたいな物だな」
「つまり、下手をすれば私の暗殺はそっちの家で計画されたもの……という事ですか」
「そうなるな」
至極煩わしそうに答えたセシル君に、私はどうして良いのか分からずにジルに視線を移します。ジルは、沈鬱な表情。
「……申し訳ありません。ですから、私はこの少年に良い思いを抱いておりませんでした。リズ様に危害が及ぶかと思い」
「逆にヴェルフは俺があの家から疎まれていると知って、お前をけしかけたんだろうけどな。あわよくば親しくなって情報を売って貰おうかと」
「……色々衝撃的過ぎて困るのですが」
何ですか、この知らない所での情報戦や貴族間のやり取り。父様もただセシル君と一緒の部屋にして一悶着起こさせた訳じゃないのですね。いや勝手に起こしたのは私ですけども。
あまりに想定外な繋がりに言葉を失う私に、セシル君は唾棄せんばかりの勢いで舌打ちしています。
「暗殺は、後から知ったから関わりはない。これだけは断言しておく」
「それは全く心配してないですけど……でも、セシル君はお祖父さんにあんな態度取られて、」
「俺はアイツらに存在を認められていない、だから放置されているんだよ。魔力暴走引き起こすわ中身が不気味だわで要らない人間扱いだ。だから魔導院に預けられてんだよ」
一人で居たのは、そのせいだったんですか。仮にも公爵家の一員で、でも認められない子供で。だから周りも中々近寄れないし、セシル君自体が拒んでいたから。
「……でも、セシル君もう魔術普通に使えますよね?」
「まあな、隠してはいるが。ってもお前と関わりだして、利用価値があると父親には思われだしたらしいが」
「セシル君、私を殺そうとしないで下さいよ」
「誰がするか。一応話相手になってる人間を殺す奴が居るか」
直ぐ様否定してくれたので、ほっこりと笑みを浮かべる私。何だかんだでセシル君は私に大分柔らかくなりましたよね。友達くらいには認めてくれていると信じています。
ジルはジルでセシル君を疑うように見ていましたが、少しだけ軟化した眼差しになっています。多分、さっきの導師の視線が、セシル君の発言の信憑性を増す要因となったからでしょう。見るからにお互い嫌っていましたからね、セシル君とゲオルグ導師。
それにしても、私は結構危ない立ち位置に居ますよね。導師派?からは厄介者扱いされてますし。また身の危険が訪れたらどうしましょうかねえ。
溜め息をついて、私はジルの側に立ってきゅっと腕に抱き付いておきました。いざとなったらジルと一緒に撃退しよう、うんそうしよう。




